第18話
文化祭本番の昼、聖エルミア学園は活気と熱狂の渦に包まれていた。
校庭では屋台の煙が立ち上り、焼きそばの香ばしい匂いが風に乗り、焼き鳥の串を回す男子生徒の掛け声が飛び交った。
「焼き鳥ほっかほかの焼きたてだよー! お客さん、いかがですかー!」
小さな子供の声が混じった。
「わーい、美味しそー! 一個くださぁい!」
校舎の窓からは、隣のクラスのバンド演奏が低く響き、ギターの歪んだ音色とドラムのビートが廊下を震わせていた。
「次はあの曲いくぜ! みんな、盛り上がれー!」
観客の歓声が返ってきた。
「うおおお!」
生徒たちは制服の袖をまくり、肩をぶつけ合い、笑い声を上げて駆け回った。
そんな喧騒の中心で、ヒビキのクラスのメイド&執事喫茶は大盛況だった。
黒板に書かれたメニューが客を誘い、テーブルはたちまち埋まった。
女子たちがフリルのエプロンを翻し、トレイを高く掲げた。
「いらっしゃいませ、ご主人様!」
男子たちが燕尾服の裾を払いながら紅茶を注いだ。
サラがカウンターから指示を飛ばした。
「追加のスコーン、急いで!」
その中、少年は特に引っ張りだこだった。
「ヒビキくん、次はこっちで写真! ほら、執事ポーズで!」
一人の女子生徒がスマホを構えた。
彼女の隣では、クラスメイトの男子が割り込んだ。
「俺も一緒に!」
男子が少年の肩に腕を回した。
彼は軽く頭を下げてネクタイを直した。
「かしこまりました。お嬢様、ご主人様。どうぞ、こちらへ」
少年の声は低く抑えられ、手袋の指でメニューを差し出す仕草が、客の女子たちをキャーキャー言わせる。
シャッター音が連発する。
少年は壁際に寄りかかり、ポーズを取る――片手でトレイを支え、もう片方の手で軽くお辞儀。
燕尾服の黒が陽光に映え、クールな表情が女子たちの心を掴む。
「わー、ヒビキくん、完璧すぎ! これ、ネットに上げていい?」
「構いません。ただし、喫茶の宣伝を忘れずに」
少年の返事に、周囲がどっと沸く。
サラがトレイを抱えて近づき、赤い髪を耳にかけながら笑う。
「ヒビキ、休憩なしで大丈夫? お客さん、どんどん増えてるわよ」
「問題ない。紅茶の追加、持ってきてくれ」
「了解! でも、水分補給くらいしなさいよね」
サラが厨房へ駆け戻る。
少年は次のグループの客に囲まれ、テーブルを回った。
写真撮影の合間に、注文を取った。
「ミルクティー二つとケーキセットを」
「了解しました、少々お待ちを」
手際よくカップを運び、トレイを回す動きは、まるで戦場でのポジション取りのように正確だった。
そんなどさくさの合間を縫うように、クラスメイトたちが次々と少年を狙って撮影を仕掛けてきた。
ユウトが突然背後から飛びついた。
「おい、ヒビキ! 俺とツーショットしようぜ!」
ユウトが叫びながらスマホを構えた。
彼は体を捻り、ユウトの腕を軽く払ったが、肩を竦めてポーズを取った。
「……邪魔だな。早く撮れ」
シャッター音が響き、ユウトが満足げに拳を握る。
「ヒビキ、ありがとな!」
次にサヤカがトレイを片手に近づいた。
サヤカが上目遣いに頼んだ。
「ヒビキくん、私のも……お願い」
ヒビキはトレイをテーブルに置き、彼女の隣に立った。
軽く手を差し伸べる仕草で応じた。
「お嬢様、こちらへどうぞ」
サヤカの笑顔が弾けた。
周囲の女子たちが囃し立てた。
「サヤカ、ずるいー!」
「みんなでグループショットもしよ!」
サヤカが頰を赤らめ、皆を巻き込む。
「これでクラス史上最高の思い出になるね!」
ルルは厨房の影からそれを見守り、エプロンの裾を握りしめていた。
ルル自身も、客の合間にヒビキの袖を引っ張り、飛びついた。
「ヒビキ、私とも撮ろうよ! メイドと執事のコンビで!」
彼はルルの腰に軽く手を回し、カメラ目線で微笑んだ――珍しく柔らかな表情だった。
彼女がスマホを構え、パシャリとシャッターを切った。
ルルが言った。
「えへへ、これ最高! 後でプリントして部屋に飾っちゃお!」
クラスメイトの輪が広がり、笑い声がテーブルを包んだ。
サラが紅茶のポットを運びながら苦笑した。
「みんな、仕事に戻って!」
撮影の嵐は続き、少年の燕尾服は汗で少し湿り、しかしその疲れさえ、クラスの熱気に溶け込んでいた。
やがて、午後のピークが過ぎ、客足が少し落ち着く。
少年がテーブルを拭き、残りのカップを片付けた。
少年がネクタイを緩めた。
サラがカウンターから声をかけ、手を振った。
「ヒビキ、ルル、少し休憩して。外も見てきてよ、文化祭なんだから」
ルルがエプロンを外し、フリルのカチューシャを直しながら少年の腕に絡みつく。
「ねえ、ヒビキ! 文化祭回ろうよ! ずっと喫茶で張り付いてるのもったいないよぉ。屋台のクレープとか、食べ歩きしよ!」
少年は鞄を肩にかけ、彼女の手を軽く握り返す。
「そうだな。行こう」
二人は教室を抜け出し、廊下の喧騒に飛び込む。
校庭へ出ると、屋台の列が人だかりを作り、たこ焼きの鉄板がジュージューと音を立てる。
ルルがヒビキの手を引っ張り、クレープ屋台の前に立つ。
甘い生クリームと苺の香りが漂った。
店員の兄ちゃんが声を上げた。
「いらっしゃい! 何味?」
「チョコバナナで! ヒビキは苺でいい?」
彼女が財布を出し、少年は肩を竦めて頷く。
店員が笑う。
「お似合いのカップルだね! 特別にホイップ多めでサービスしとくよ!」
ルルが頰を赤らめ、少年の袖を引っ張る。
「えへへ、ありがとう! ヒビキ、聞こえた? 世界一のベストカップルだって!」
「そこまでは言ってないだろっ」
出来上がったクレープを受け取り、二人はベンチに腰を下ろす。
彼女がクレープを一口かじり、頰を膨らませて少年に差し出す。
「あーんして? ほら、甘くておいしいよ!」
少年は少し躊躇し、周囲の生徒たちをチラリと見るが、彼女の笑顔に負けて口を開く。
柔らかな生地とチョコの甘さが広がった。
彼女が笑った。
「えへへ、よかった!」
少年は自分のクレープを折り、ルルに返した。
「お前も食えよ。半分こ」
「……あーんってして欲しいなぁ」
「えっ」
「してほしいなぁ」
「……あーん」
ルルが目を輝かせ、ぱくりと頰張る。
「んー、ヒビキのあーん、特別おいしい!」
二人は交互に食べさせ合い、笑い声がベンチに響く。
生クリームが彼女の唇に少しつき、少年が指で拭う。
ルルが体をよじった。
「ひゃああああ!」
「ルル、声でかいぞ」
「でも、幸せすぎて我慢できないよぉ」
屋台の喧騒が、二人の小さな世界を優しく包む。
その時、校舎の方から低く響くギターの音が聞こえてきた。
歪んだリフとドラムのビートが、校庭のざわめきを掻き消すように広がる。
ルルが耳を澄ませ、ぱっと立ち上がる。
「わっ、ライブだ! ヒビキ! 行こ!」
ルルはクレープの最後の一口を頰張り、少年の手を強く引っ張る。
彼は残りを急いで食べ、彼女の後を追う。
「待て、走るなよ。転ぶぞ」
二人は人ごみを掻き分け、校舎裏の野外ステージへ向かう。
ステージ周りはすでに大勢の生徒で埋まり、旗が翻り、ペンライトが揺れる。
バンドのボーカルがマイクを握った。
「みんな、盛り上がってこーぜ!」
歓声が爆発した。
ルルがステージ前方に割り込み、両手を挙げて飛び跳ねる。
「きゃー! ヒビキ、ほら、一緒に!」
ルルの体がリズムに乗る。
少年は彼女の隣に立ち、最初は腕を組んで見ていたが、ビートの波に体が自然と揺れ始める。
肩を軽く上下させ、足で地面を叩く。
「……悪くない」
彼女が少年の腕に絡みつき、体を寄せて叫ぶ。
「でしょ! もっと揺らしてこぉ!」
二人は肩をぶつけ合い、笑いながらステージの熱気に溶け込む。
周囲の生徒たちが輪を作った。
ルルが手を振った。
すると、隣の女子が加わった。
「一緒にジャンプ!」
小さなモッシュが始まった。
少年はルルの腰を軽く支え、ジャンプの着地で体を安定させる。
「危ないぞ、ルル」
ルルが息を弾ませた。
「ヒビキがいるから大丈夫!」
音楽の振動が胸に響く中、二人の距離は自然と近づいていた。
すると、突然の暗転。
ステージの照明が一瞬で落ち、歓声がざわめきに変わった。
「え、何? 機材トラブル?」
「落ち着けよ、すぐ直るだろ……」
ルルが少年の袖を握り、体を寄せた。
「ヒビキ……」
彼は即座に周囲を睨み、腕をルルの肩に回す。
「静かに」
数秒の闇の後、スポットライトが壇上に灯った。
そこに立っていたのは、黒装束に身を包んだ集団――フードを深く被り、顔を覆う影が不気味に揺れる。
十数人、静かに並ぶ。
周囲の生徒たちは興奮気味に手を叩き、誰かが叫んだ。
「わー、演出すげー! コスプレバンド?」
スマホのフラッシュが光った。
ルルが小さく息を飲み、少年の耳元で囁く。
「ヒビキ……あれ、ビーチの連中よ。間違いない」
彼の目が細まり、鞄の隠しホルスターに手をかける。
「ああ。奴らだ。ルル、俺の後ろにいろ」
二人は体を低くし、人ごみの影に紛れる。
集団のリーダーらしき男が、マイクを前にゆっくりと歩み出る。
フードの下から、低く抑えた声が響く。
「……永遠の夜が、始まる」
言葉の端に、冷たい嘲りが混じる。
観客席が一瞬静まり、拍手が起きかけるが――その瞬間、空調のダクトから白いガスが噴出された。
シューという音が広がり、霧のような煙がステージから観客席へ流れ込む。
前方の生徒たちが煙を吸い込んだ。
「おー煙幕! すげぇ……なぁ……」
次々と膝から崩れ落ちた。
バタバタと体が倒れ、悲鳴が混じり始める。
「え、なんか変だぁ……体がぁ……」
「うわ、頭クラクラする……誰か、助け……」
後方の生徒たちがパニックに陥り、出口へ殺到する。
少年は彼女の手を強く握り、即座に立ち上がる。
「ルル、出るぞ!」
二人は人ごみを掻き分け、扉へ向かう。
少年がドアノブを回すが、ガチャガチャと音がするだけで開かない。
鍵がかかっている。
「くそっ、ロックされてる!」
彼女が後ろを振り返り、声を震わせる。
「ヒビキ、ガスが来てる! みんな、倒れていくよ……!」
前方の生徒たちが次々と床に崩れ、咳き込みながら体を震わせる。
黒装束の集団が壇上で哄笑し、短剣を掲げる。
少年は小型銃を素早く抜き、扉のロック部分に照準を合わせる。
連射――プシュッ! プシュッ! プシュッ!
弾丸が金属を削り、錠が砕ける音が響く。
彼は銃をしまい、肩で扉を蹴り開ける。
軋む音とともにドアが弾け飛び、外の空気が流れ込む。
「今だ、ルル!」
少年はルルの腰を抱え、廊下へ飛び出す。
彼女が少年の胸にしがみつく。
「ヒビキ、ありがとう……!」
二人は廊下を駆け、校舎の外へ出る。
だが、校庭の喧騒は遠く、近くの通路や階段では生徒たちが次々と倒れ、床に崩れ落ちている。
屋台の列が静まり、焼きそばの鉄板が無人ですぅすぅと煙を上げる。
ただ、静かな異常が広がっていた。
少年は彼女を壁際に寄せ、銃を構えて周囲を睨む。
「……奴らの仕業だ」
彼女が青い瞳に決意を宿す。
「ヒビキ……どうする?」
二人は互いの手を握り、倒れた生徒たちの間を慎重に進む。
文化祭の熱狂は、一瞬で闇に飲み込まれていた。




