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あぁ!君こそ恋愛スナイパー  作者: 川合 佑樹


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12/24

第12話

 夜のマンションは、静かな水音と湯気の余韻に包まれていた。

 ヒビキはシャワーを終え、タオルで髪を拭きながらリビングへ足を踏み入れる。

 汗と埃を洗い流した肌は、ひんやりとした空気に触れて心地よい。

 ソファのクッションに深く腰を沈め、背もたれに体を預ける。

 リモコンを手に取り、テレビの電源を入れるが、画面のニュースはぼんやりと流れるだけ。

 今日の体育祭の記憶が、自然と頭をよぎる。

 グラウンドの熱気、クラスメイトたちの歓声、ルルの舞う姿。

 リレーのバトンを握った瞬間の加速感、玉入れの玉が輪に吸い込まれる精度、騎馬戦で縄を奪う瞬間の高揚。

 キャンプファイヤーの炎が揺らめく中、連続で飛ばした弾丸の感触。

 すべてが、予想外に鮮やかだった。

 少年の口元が穏やかに開く。

「ふふっ……体育祭、案外悪くなかったな」

 独り言のように呟き、天井を見つめる。

 戦場以来、こんなに体が軽く感じたのは、いつぶりだろうか。

 指先が無意識にソファの生地をなぞり、柔らかな感触に指を止める。

 そして、ぽつりと名前を呼ぶ。

「ルル」

 声は低く、ぼそぼそと溶け込むように。

 その瞬間、壁の向こうから、淡い光が揺らめく。

 パチッと小さな音が響き、彼女が壁からすっと現れる。

 銀髪がまだ湿り気を帯び、タオル一枚で体を隠しただけの姿。

 滴る水滴が肩から鎖骨を伝い、素足がフローリングに触れて軽く滑る。

「呼んだ?」

 ルルの声は明るく、無邪気。

 タオルを胸元で押さえ、首を軽く傾げて微笑む。

 少年の目が見開き、思わず体を起こす。

「いや、口には出したけど……って、服着ろ服!」

 慌てて立ち上がり、彼女の肩を掴んで壁の方へ押し戻す。

 ルルは抵抗せず、壁に体を預ける。

「えへへ、急に呼ばれたら、つい飛び出しちゃうんだもん。待っててね、すぐ着替えるよぉ」

 少年は壁を睨み、肩を落とした。

「ったく……」

 額に手を当て、ソファにドサリと戻る。

 心臓の鼓動が、少し速い。

 数分後、再び彼女が現れる。

「おまたせ~」

 今度はふわっとした寝間着姿。

 淡いピンクのワンピースが膝まで覆い、銀髪を軽くタオルで拭きながら、キッチンへ向かう。

 冷蔵庫の扉を開け、ジュースのボトルを二本取り出す。

 プシュッと栓を開ける音が響き、冷たいグラスに注ぐ。

 氷がカランと鳴り、彼女はグラスを片手に少年の隣へ滑り込む。

 ソファのクッションが沈み、二人の肩が軽く触れ合う。

「すみやせんでしたぁ、名前を呼ばれて飛び出てしまいやしてぇ」

 彼女は悪びれる様子もなく、グラスを少年に差し出す。

 琥珀色のジュースが泡立ち、冷たいグラスが少年の指を冷やす。

「……次はちゃんと着てから出てこいよ」

「でも、しっかり見てたでしょぉ?」

 少年は目を逸らし、グラスを受け取り、一口飲む。

 甘酸っぱい味が喉を滑り、今日の疲れを優しく溶かす。

 彼女は自分のグラスを傾け、ゴクゴクと音を立てて飲む。

「はぁ、冷たくておいしー! ヒビキ、今日はどうだった? 楽しかったよねー、体育祭!」

 ルルの瞳が輝き、体を少し少年の方へ寄せる。

 寝間着の裾がソファに広がり、髪が肩から滑り落ちる。

 少年はグラスをテーブルに置き、背もたれに体を預ける。

「あぁ……予想以上に、な」

 短く答え、彼女の横顔をチラリと見る。

 彼女はグラスを回し、氷の音を楽しみながら続ける。

「リレーの時、ヒビキの走り、超カッコよかったよ! みんなで『ヒビキー!』って叫んで、ポンポン振る手が震えちゃった。玉入れも、騎馬戦も……まるでヒビキがグラウンドの主みたいでさ。ユウトくんが『お前、天才だろ!』って飛びついてきたの、見た? 私、笑いこらえるの大変だったよぉ」

 ルルは体をくねらせ、興奮を再現するように両手を振る。

 少年は小さく笑い、グラスを再び手に取る。

「お前もな」

「えっ?」

「チアのステップ、キレが良くてずっと目立ってたぞ。女子たちが『ルルちゃん、プロみたい!』って集まってきて、輪の中心でみんなを引っ張ってる姿……その……可愛かったよ」

 ルルは目を丸くし、頰を両手で押さえて喜ぶ。

「えへへ、ほんと? ヒビキに褒められると、翼がくすぐったくなるよぉ。次は文化祭だって! 楽しみだね、何やるかな? お化け屋敷? それともメイド喫茶?」

 彼女はソファの上で膝立ちになり、少年の肩を軽く叩く。

「そうだな……文化祭か。何やるんだろうなぁ」

 彼はグラスをテーブルに戻す。

 彼女は満足げに頷き、再び座り直す。

「それに、またお弁当作るね! 今日は卵焼きと唐揚げだったけど、次はハンバーグサンドとかどう?」

「ハンバーグも好きだな。カツサンドも……食べたいかな」

 言葉に感謝を込め、ルルの肩を軽く撫でる。

「えへ、ヒビキが喜んでくれるなら、何でも作っちゃうよぉ。明日の朝はパンケーキにしようかな? メープルシロップたっぷりで!」

「あぁ、楽しみにしてる」

 部屋に、ゆっくりとした時間が流れる。

 テレビの音が小さく響き、窓の外から街のネオンが淡く差し込む。

 彼女はグラスを置き、少年の肩にそっと体を預ける。

 寝間着の生地が擦れ、その体温が温かく伝わる。

「ふぅ……こうした時間が、続けばいいのになぁ。体育祭の興奮もいいけど、こうして二人きりで話すの、好き」

 彼女の声は小さく、息が少年の耳にかすかに触れる。

 少年は体を動かさず、ルルの頭を優しく撫でる。

「そうだな……」

 指が銀髪を梳き、柔らかな感触に心が落ち着く。

 彼女の肩がリラックスし、二人はそのまま沈黙を共有する。

 氷の溶ける音だけが、静かに部屋を満たす。

 だが、少年の胸に、今日のもう一つの記憶がよぎる。

 木陰のベンチ、エナの金色の髪と琥珀の瞳。

 ふと、口を開く。

「……ルル。今日、変な女に会ったんだ」

 声は低く、グラスを再び手に取る。

 彼女は体を少し起こし、少年の顔を覗き込む。

「そうなの? どんな人? 体育祭で?」

 彼はジュースを一口飲み、ゆっくりと話し始める。

「ああ。休憩中に木陰で、エナって名乗る三年の女だ。突然、俺とお前のことを話しかけてきて……『ルルの翼は広い空を恋しがってる』と言われた。ルルの事を知ってる風潮だった。なんか……普通じゃなかったんだ」

 言葉を区切り、彼女の反応を窺う。

 彼女は首を傾げて考える。

「エナ……聞いたことないなぁ。三年生? でも、そんなこと言うなんて、変だよぉ。もしかして、夢魔の関係者かな?」

「どうだろうな。ルルが天使だと知っているなら、敵かもしれないな」

 ルルはソファの上で膝を抱え、銀髪を指でくるくる巻く。

「詳しく教えて? どんな髪で、どんな服とか、覚えてる?」

 少年は記憶を辿り、詳しく描写する。

「金色の長い髪で、琥珀色の瞳。甘い花みたいな香りがしたな」

 話しながら、彼女の手を軽く握る。

 彼女は目を細める。

「うーん。……心配なら、また事務局に聞いておくね。神界のデータベースで、エナって名前の人間、調べてみるよ。もしかしたら、夢魔の関係者かも?」

 ルルの声にわずかな緊張が混じり、体を少年に寄せ直す。

「そうだな……聞いておいてくれ。杞憂ならいいんだが、何か引っかかる」

「任せて! 明日には返事来るはずだよ。もしヤバい奴なら、一緒に退治しちゃおう! じゃあ早速連絡しちゃおうかな!」

 拳を軽く振り、明るく笑う。

 寝間着の裾が揺れ、部屋の空気が少し和らぐ。

 色々複雑な思いが少年の中で駆け巡っていた。

 エナの言葉が、ルルの笑顔を少し曇らせるかもしれない不安。

 だが、今は彼女の体温が肩に伝わり、香りが鼻をくすぐる。

 この心地よい時間――グラスの冷たさ、ソファの柔らかさ、二人の息遣い――を、ただ味わいたい。

 そう思えるようになっていた。

 少年はルルの頭を再び撫でる。

「今は……こうしてていいか?」

 彼女は体をさらに預ける。

「えへへ、じゃあもう少しだけ……」

 二人は言葉を交わさず、ただ静かに寄り添う。

 テレビの光が淡く二人を照らし、夜のマンションに穏やかな時間が、ゆっくりと流れていく。


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