第10話
一週間後、聖エルミア学園のグラウンドは、体育祭の熱気で沸き立っていた。
青空の下、色とりどりのクラス旗が翻り、歓声と足音が大地を震わせる。
みんなが鎬を削るイベントだが、その一方で恋のイベントでもある――そう、ヒビキとルルにとって、この日はただの競技の日などではなかった。
事前に細かく打ち合わせた通り、二人はグラウンドの喧騒を味方につけ、運命の糸を次々と紡ぎ出していた。
朝の開会式が終わると、最初の競技はクラス対抗リレー。
少年はスタートラインの後方で、膝を軽く曲げて待機する。
隣のユウトがバトンを握りしめ、息を荒げて振り返った。
「ヒビキ! 俺らが絶対に繋ぐ! 全力でぶっ飛ばせよ!」
ユウトの声に、クラスメイトたちが拳を突き上げる。
「おー!」
彼は短く頷く。
風の流れを肌で感じ、足裏に大地の振動を刻み込む。
スターターピストルの音が響き、一走目が爆発的に飛び出す。
バトンが渡され、二走目、三走目と繋がるたび、観客席から悲鳴のような歓声が上がる。
ついにバトンが少年の手元に。
「全力でぶっ飛ばすか」
次の瞬時、足裏が大地を抉り、土塊が舞い上がり、彼の体を射出する。
一瞬――いや、刹那の閃きで、先頭集団の影を薙ぎ払い、迅雷の疾走で駆け抜ける。
風が悲鳴を上げ、景色が溶け崩れる中、観客の魂を震わせる。
歓声の頂点で、ゴールが彼を飲み込む。
「すげえ! ヒビキ!」
ユウトが肩を叩き、ルルが観客席から手を振る。
体操服の裾を翻して駆け寄る。
「ヒビキ、かっこいいよー!」
ルルが息を弾ませ、彼の腕に軽く絡みつく。
「もう、心臓止まるかと思った! ヒビキ、最高!」
「ちょっと……やり過ぎたかもな」
「そんなことないよ! ヒビキはもっと評価されていいもん!」
「……そうか」
少年はバトンをユウトに返す。
「次も、勝つぞ」
その言葉に、クラスが再び沸く。
ユウトが拳を握りしめ、笑う。
「おう! お前がいりゃ、優勝間違いなしだぜ!」
ルルがポンポンを振って応じる。
「みんなの力で優勝しちゃおう!」
リレーの熱気が冷めやらぬうちに、ヒビキとルルは擦れ違いざまに指令を交わした。
ルルが囁くように伝える。
「次の玉入れの後ろで。ターゲット、二人組の三年生を狙って」
彼は無言で頷き、銃の重みを確かめながら次の競技へ向かう。
玉入れの番が来ると、少年は籠の前に立つ。
クラスメイトの男子が玉を次々と渡し、女子たちが壁を作って守りを固める。
「ヒビキ、投げろ! 全部ぶち込め!」
一人の男子が叫び、玉を転がす。
彼の腕がしなり、玉が弧を描いて飛ぶ。
風を切り、輪の中心に吸い込まれるように落ちる。
二発目、三発目――百発百中。
観客席から拍手が沸き、ルルがポンポンを振って飛び跳ねる。
「やったー! ヒビキ! イケイケ! ゴーゴー!」
競技の合間、彼はルルとすれ違い、銃を素早く受け取る。
二人は自然に体を寄せ、観客の目を盗んで位置を調整。
玉入れの喧騒に紛れ、少年は銃を構える。
スコープ越しに、三年生の二人組を捉える。
一人はバスケットの影で水筒を渡し、もう一人は受け取る瞬間――プシュッ!
消音器の音が風に溶け、弾丸が心臓に沈む。
女子が男子の腕に寄りかかる。
「あっ、ちょっとふらついちゃって……保健室に連れてって?」
男子の目が見開き、手が自然と彼女の肩を抱く。
二人は輪の外れで唇を重ね、周囲の歓声に紛れて恋が芽生える。
ルルが少年の袖を引っ張り、小声で囁く。
「完璧! 次は騎馬戦の合図で渡すよ」
少年は銃をしまい、彼女の腰に軽く手を回して支えるふりをする。
「了解! 首尾よくいこう」
二人の指が一瞬絡む。
騎馬戦では、少年が下のユウトの上に跨がる。
縄を握りしめ、相手の騎馬が突進してくる。
「来いよ!」
ユウトが吼える。
「ヒビキ! 左の奴の握りが甘いぜ! やっちまうか!」
少年が低く応じる。
「見えた。任せろ」
次の瞬時、少年の体が低く沈み込む。
敵の縄が迫る瞬間――少年の足がユウトの肩を蹴り上げる。
ユウトの体がわずかに沈み込む反動を借り、少年がバネのように弾け飛び、空中を舞う。
太陽の光を背に受けながら、彼の指先が敵の縄に絡みつく。
掌がそれを一瞬で引き、奪われた縄が尾を引く。
敵の悲鳴が遅れて響き、空中で体を捻った少年の影が、敵の上空を覆う。
敵の騎馬が崩れ落ち、転倒した体が大地に叩きつけられる音がグラウンドに響く。
少年は息一つ乱れず、奪った縄をユウトに手渡し、静かに構え直す。
クラスメイトたちが歓声を上げた。
「ヒビキー! ナイッスー!」
ハイタッチの嵐が巻き起こった。
「マジ神業だぜ、ヒビキ!」
ユウトが息を弾ませて笑う。
ルルが叫んだ。
「いいぞいいぞヒビキ! 頑張れ頑張れヒビキぃ!」
彼女の掌が少年の手に当たる。
騎馬戦の余熱が残る中、二人はグラウンドの端で銃を受け渡す。
「今度は二人組の新入生。騎馬の影で待機して」
「分かった。合図を」
彼女が頷き、少年の頰にそっと息を吹きかける。
「がんばってね、私のキューピッドさん」
二人は笑い合い、競技の流れに紛れてターゲットを狙う。
弾丸が飛ぶと、新入生の二人が倒れ込み、互いの手を握りしめてキスを交わす。
恋の炎が瞬時に燃え上がる。
まさに愛のデッドヒート状態だった。
競技の勝利が続き、恋の成就が次々と重なる。
少年のポテンシャルは練習通り、クラスを頂点へ押し上げる。
ルルはチアの輪でポンポンを振り、彼を応援。
二人は擦れ違うたび、合図を送り、銃を渡す。
グラウンドに、運命の弾丸が静かに飛び交う。
そして、午後の競技の間の休み時間。
ヒビキは木陰のベンチに腰を下ろした。
足元に落ち葉が舞い、遠くの歓声が波のように寄せては返す。
そこへ、ルルが軽やかな足取りで近づいてくる。
「ヒビキ、お弁当持ってきたよ! 今日は私の特製、卵焼きと唐揚げだよ!」
彼女がベンチに腰を下ろし、弁当を膝に置く。
彼は水筒を置き、箸を受け取る。
「ありがとう。腹減ったな」
二人は肩を寄せ合い、おかずを分け合う。
彼女が卵焼きを少年に差し出す。
「はい、あーん! どう? 甘めでしょ?」
彼は素直に頰張る。
「あぁうまいな。ルルの料理はいつも元気がでる」
ルルが頰を膨らませ、唐揚げを自ら頰張る。
「えへへ、嬉しいなぁ、もう!」
「ほら、唐揚げも食べて!」
少年が一口かじり、目を細める。
「これもおいしいよ。すごいなルルは」
「でへへへへ」
二人は箸を動かし、互いの汗を拭き合う。
木陰の風が優しく吹き、グラウンドの喧騒が遠のく。
ゆったりとした時間が流れ、彼女の肩が少年に寄りかかる。
「ねえ、ヒビキ。こんな日が……毎日続けばいいのにね」
彼の指がルルの髪を軽く梳き、短く返す。
「ああ……悪くない」
「体育祭、こんなに楽しいなんて思わなかったよ。ヒビキと一緒だからかな……」
二人の笑いが木陰に溶け、卵焼きの甘い香りが漂う。
だが、そこへクラスメイトの女子が駆け寄ってきた。
「ルルちゃーん! チアの追加練習! 今すぐ来てー!」
女子がルルの腕を引っ張り、彼女は弁当を少年に押しつける。
「わー、待って! ヒビキ、ごめんね、後でね!」
ルルが立ち上がり、ポニーテールを揺らして走り去る。
その背中が遠ざかり、木陰に静けさが戻る。
少年は弁当を食べ終わるとベンチに置き、体を横たえる。
木の幹に頭を預け、空を見上げる。
雲がゆっくり流れ、瞼が重くなる。
少し、休もう――。
すると、足音が近づき、少年を覆うように影が落ちた。
柔らかな土を踏む音が、徐々に大きくなる。
彼は目を開ける。
「どうした、忘れ物か?」
視界に飛び込んできたのは、知らない女生徒だった。
体操服がその豊満な体を強調し、ルルよりもはるかにボリュームのある胸元が、息づかいに合わせて揺れる。
腰のくびれからヒップへのラインが、布地を張りつめ、汗で湿った肌が陽光に輝く。
少年の視線が一瞬、そこで止まる。
見とれてしまった――心臓がわずかに速まるのを感じ、慌てて目を逸らす。
女生徒はそれに気づいたのか、唇を緩めて笑った。
体を少し前傾させて、木陰のベンチに片手をつく。
「ヒビキくん……ですよね?」
その声は甘く、低く響く。
彼は体を起こし、ベンチの端に座り直す。
グラウンドの歓声が、再び高まる中、二人の距離が、静かに縮まっていく。
この出会いが、新たなる運命の連鎖を起こす――。




