第二十ニ話 12月23日「飲み屋の独り」
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私の身体は私が一番よく分かっている。むしろ何をしたら駄目で、何をしても良いのかなんて自分以外に判断できるはずない。だから私は居酒屋に行く。お医者さんに止められていても
コークハイとたこわさびを食べに行く。それもド深夜に行く。
高田馬場駅ビッグボックス側の出口から徒歩五分の所に「みいみあ」はある。和風の落ち着いた内装をした個人経営の居酒屋であり、破格のお値段2500円で二時間飲み放題のコースが楽しめる素晴らしいお店だ。しかも、おつまみとして出される料理の量が半端ではない。山盛りの枝豆、山盛りの餃子、山盛りのキャベツ、豚汁、さらにたこわさびまで山盛りで出てくる。あんまりにも量が多すぎて飲み放題コースを頼む前に店員さんから注意されるほどだ。「もし残したら、追加で料金を頂く」と。
と、ここまでの解説から察せるように飲み放題コースは基本複数人で来店した時に頼むものだ。個人で食べきれる量ではない。私だって普段は無理だ。多分枝豆が食べきれない。だが、丁度今のような状況、ものすごく嫌なことがあった日に限って話は別だ。人間、ストレスが過剰にかかると欲が暴発するらしい。人によっては物欲であり、性欲であり、睡眠欲であり、私の場合は食欲なのだ。
……今朝、何があったのか。思い出すだけでも嫌になる。上田……あの金髪糞上司。
そう、それはいつものように事務所の自分のデスクで業務に取り掛かっていた時のことだ。空は晴れ、真冬で寒いけれど空気は澄んでいて、なんだか良いことのありそうな朝だった。昨日の大怪我で全身包帯に包まれてはいるが、それでも不思議とポジティブな一日の始まりだった。壮大な前振りだったわけだ。
「あずま、お前明日から足畑集落に行ってこい」
上田はそう言った。出勤して間もない私に挨拶よりも先に言った。金髪の下に冷たい目が覗いている。
「どこですかそれ」
大怪我した従業員に、いきなり出張か。ブラックだな本当に。
くしゃくしゃの地図を渡される。そこはスマホで場所を共有した方が早いのではないか。言いたいことはあったがとりあえず地図を受け取る。そしてすぐこう返した。
「無理です」
「安心しろ。宿と新幹線は取ってある」
「無理です」
関東圏の外じゃないか。足畑集落、山の奥深くにあるじゃないか。しかもここ
「ナナナナじゃないですか」
「ああ」
ああじゃねえ。ほざくな。
「ちょっとしたお使いだ。上手くいけば一日で戻って来れる」
「…………他に誰か、助っ人とかは……?」
「ひとりで行け」
ジョッキを机に叩きつける。だいぶ酒が回ってきた。飲み放題コースが始まってもう一時間が経過した。料理はほとんど残っていない。私だってやればできるのだ。
でもできないことだってあるのだ。
「しねしねしねしねしね……………………………………………………」
呪詛の言葉が腹からあふれる。上田の下働くようになってから、最悪な事ばかり起こる。怪異にばかり絡まれる。イケメンは来ないのに。
私がいるのはだだっ広い座敷席の隅っこである。普段団体客が使う席だが、今日は珍しくいないらしい。「みいみあ」の広さは大手チェーンにも匹敵する。故に学生や社会人がよく大勢で飲み会を催している。毎日どこかしらの団体がどんちゃん騒ぎしている。
「しねしねしねしねしねしねしね……………………………………………………」
こういう日には気を紛らわせる音が欲しいのだ。騒がしいのが救いなのだ。こんな優しい日本チックなBGMじゃ誤魔化しにもならない。
「しねしねしねしねしねしねしねしね……………………………………………………………?」
私の向かい側、大きな長机と面する壁に、いつの間にかたくさん黒いスーツジャケットがかけられている。予約が入ったのだろうか。そりゃあいい。賑やかなのはいいことだ。
「お料理です」
「あ、はい、ありがとうございます」
店員さんが来た。山盛りのたこわさびだった。丁度さっき、一皿平らげてしまった所だったからありがたい。……平らげた? なんか変だな。まあいいや。たこわさびを口に運び、コークハイを流し込む。
それにしても、珍しいこともあるものだ。客がいないのに、そのスーツジャケットだけある。服だけ先に預かるとかいうサービスがあるのだろうか。なんだそれ。
餃子三つ、まとめてかぶりつく。冷めてもなおこの肉汁、ニンニク。生きるとはこういうことなのだ。そしてコークハイ。たまらない。
「お料理です」
「…………? ありがとうございます」
ん? もう全部料理出てなかったっけ。まあいいや。山盛りのキャベツが届く。コークハイやら餃子やらで口の中がギトギトになったら、キャベツの出番だ。このお店は千切りにはせず、大きくカットしたものを特性ドレッシングとともに提供してくれる。これが食べ応えのあるうえにみずみずしくって、甘酸っぱいドレッシングにもよく合う。口直しにピッタリだ。
「わかります。おいしそうですよね、このおみせ」
声がした。男の声だった。もう頭がぐるぐるしてしまって、おそらく私の前にいるのだろうが、脳内に直接語り掛けてくる感じがする。
「ほらこれも、とんじるもおいしそうですよ」
豚汁か。豚と聞くと脂っこいものをイメージするだろうが、「みいみあ」の豚汁はあっさりしていて癖がなく、汁物に使う言葉ではないが、なんとのど越しが良いのだ。その秘訣はなんでも、ネギと生姜、大根のすりおろしを使うところにあるという。
「へえ、しらなかったです。たしかにおいしいです」
「? お姉さん誰?」
「きにしないでください」
さて、口直しが終わったら今度は味変だ。キャベツに皿の底にたまったドレッシングをたっぷりとつけ、餃子をそれで挟み込む。
「おお、おいしそう」
中年男性の声。
「あんたいたっけ」
「きにしないでください」
餃子のキャベツ巻きを、一思いに口の中に放り込む。
「これはこれは」
「ジューシーなぎょうざが、せいりょうかんのあるドレッシングとあわさって」
「いくらでもたべられそうな」
「キャベツのはごたえも」
「よい」
でしょ? 分かってる人たちだ。コークハイを流しこむ。ぼやけた視界。歪んだ店内には、いつのまにやら大勢の人がいた。人と言っても、その姿はもうぐにゃんぐにゃんにねじ曲がっている。顔は見えず、性別すらはっきりしない。皆、私を見ている。
「もっと」
「こんなにおいしいなら」
「あなたにもっとはやく」
「あずまさん」
「もっと」
気分がよくなってきた。やっぱり賑やかなのに限る。
2
「店長すいません、あの、間違って飲み放題の料理二十人前を、このお客様に…………」
「え? なんでそんな」
「あの、たしか本当に、二十人分予約が入ってたんです。てっきりこの方がその幹事かと」
「……二十人? え、そんな料理どこにあるの」
「あの、この方全部食べちゃって…………」
「え?」
「…………すみません」
「ええ? 食べたの? あの量、飲み放題二十人分、一人で」
…………ふう。
「まあ、もう起きたことは仕方がないや。その飲み放題予約された二十人のお客様は?」
「それが、その、まだご来店されてなくて…………いや、でも一人来てたような…………」
「? 料金はまだだよね」
「え、いやあの、前払いだって、もう全額頂いてて…………」
「??? まだご来店されてないのに、料金は頂いてるの?」
「…………はい、いやでも…………はい」
ぐごーすぴー。
「……………………」
「店長、どうしましょう」
「……………………あと三十分経っても起きなかったら、声かけてあげて」
むにゃむにゃ。
「見なかったことにしよう」
更新遅くなりました。申し訳ございません。次の話は明日こそ13:00の更新になります。




