別離
今までに、こんなに冷たく憎しみのような蔑みのような眼差しを泰志は浴びたことがなかった。彼が以前に双眼鏡越しで見ていた真由美の表情は、二千メートルという距離と、スコープと双眼鏡というフィルターを通すことで、どこか彼にとって都合の良いように変えられていたのかもしれない。
単なる殺意以上の何かが彼女の中に溢れている。彼はそう考えずにはいられなかった。二人の視線が直接交わったかと思った次の瞬間、彼女は何者かに突き動かされたかのように素早くライフルを構え彼を捉える。
彼女の目が銃口に入れ替わったのを見た泰志は、凍えるほどの恐怖に襲われ慌てて廃材に身を隠す。放たれた弾丸は彼女と目を合わせていた彼が居た場所に、明らかな殺意を持って撃ち込まれた。
地面を打ち砕くかのごとく突き刺さる弾丸を目の当たりにした彼の気持ちもまた、その地面と同じく打ち砕かれようとしていた。
「遠藤!」
視認できるほど近くにいながらも、彼には廃材に身を隠し彼女の顔を見ることなく名前を叫ぶ他になす術がなかった。
彼女は何も答えない。名前に反応するでもなく、彼に歩み寄るでもなく、ただライフルのボルトを引いて廃莢し次の弾を装填する。床に落ちた空薬莢が出す冷たく高い音。それだけがまるで彼女の返答かのように建物内に響き渡る。
「遠藤が…いるのか…?」
彼と同じ物陰に身を隠していた竜二が、苦しみの呼吸とともに彼女の名を口からこぼした。
泰志は、息も絶え絶えになりながらも彼が発する言葉に、彼が微かな希望を持ち続けているのを感じ取った。自身と違い竜二には既に自分で行動するだけの力はほとんど残されていない。それを理解していながらも、泰志は彼のその微かな希望を持った声に希望を託し「ああ」と答えてしまった。
彼の返答を聞いた竜二は、最後の力を振り絞るように手に抱えたライフルを放り投げた。その様と音は、今ここにいる誰もが想像し得なかったものだった。
泰志も愛も身を潜め動きを止め続けるなか、彼だけは少しの呻き声を出しながらも、先程真由美の放った弾丸が撃ち込まれた床を目指し体の動く部位全てを使いながら進みはじめた。彼の体と地面が擦れる音が、この場にふさわしくない音を立て続ける。
泰志は彼の後ろ姿を見ながらも止めることができない。今の彼には聞こえないであろう声量と震えた声でおいとしか声をかけることができなかった。
近づく音に再びスコープを除きライフルを構える真由美。しかしそこに現れたのは瀕死の少年が武器を捨て意味不明に身を乗り出す姿。彼女は引き金に指をかけつつも、その先に待つ何かに意識を向け始める。
彼女の照準が、ようやく現れた彼の頭部を捉える。しかしふと一瞬我に帰ったかのように一度スコープから目を外す。周囲の状況を見た彼女に対して、少し離れて身を隠していた刀の少女が、問題ないと言わんばかりに周囲の安全を手と視線で合図する。それを見た真由美は、再びゆっくりとスコープに目をやり竜二を捉え直した。
竜二は呻き声をあげながらも震える腕でかろうじて状態を持ち上げ彼女の方を見上げた。意識を朦朧とさせながらも、彼の目は彼女の照準以上にしっかりと彼女自身を捉えた。
「遠藤…帰ろう」
彼女が照準を正確に捉えるために一定に保っていた呼吸が不自然にリズムを変え、引き金にかけられた指もまた一瞬緩んだ。
竜二が閉じゆく目を力を振り絞って開き、真由美の気持ちを見つめようとしたその瞬間、無情な音が響き渡る。彼の頭部はその音と共に撃ち抜かれた。
泰志は動かなくなった彼の顔を見ることも叶わない。最後に勇気を見せた彼の今の姿を目の当たりにし、もはや泰志の中の希望の燈は消えかかっていた。身を乗り出し戦うことも、彼のように説得を試みることも意味を成さないのだと。
「上川くん!」
呆然と銃を抱き抱えるように立ち尽くす泰志に対し、愛が震えの残る声で叫ぶ。
「君と古谷くんの目的を果たして!」
彼女の言葉には自らの希望を彼に託す一方で、もはやこれまでとたかを括ったかのような決意の意思が込められていた。その言葉は消えかかる火に息を吹きかけるかのごとく、彼に届いた。再び銃が投げ捨てられる。竜二のそれよりもはるかに力がこもっていた。やがて身を微かに震わせながらも、彼は堂々とした姿で倒れた竜二のそばに歩み寄り真由美を見上げた。
異様な光景の連続に真由美は思わず銃を少し下ろす。
「おい!俺とこいつ…竜二のこと忘れたのかよ!ふざけんなよ!」
泰志は、怒り、悔しさ、情けなさの全てをぶつけるかのごとく喉を枯らしながら彼女に叫んだ。その足元では動かなくなった竜二からゆっくりとしかし確実に蛍光液が流れ出ている。泰志の足には、そんな彼に力を分け与えるかのように液体が流れ付く。
正面を塞いでいた清田とナックルダスターの少年は叫ぶ泰志の姿を見てチャンスと踏むも、離れた位置にいた刀の少女に警戒体勢を取るよう合図され、動き出そうとする体を止める。その少女もまた愛を含め周囲を警戒しつつも、泰志の異常な行動に違和感を強く感じ、無意識に様子を見ようとしてしまっていた。
泰志を見下ろしたまま何も言わない真由美の背後に、負傷した長瀬が歩み寄り彼女につぶやいた。
「何者なんだあいつは?…」
傷口を押さえ痛みを堪えながらも、その口調は落ち着き払っていた。
「あんな人知らない」
真由美は冷たい目を泰志に向けたまま吐き捨てるように放った。
「お前は友達を…竜二を殺したんだぞ!降りてこいよ!降りてこいつの顔を見ろ!」
泰志は体全てを使って真由美に叫び続ける。声は枯れ体は震えても、その目だけは彼女から決して離さなかった。しかし真由美は答えない。
「…あいつはああ言ってるが?」
泰志の姿を見た長瀬が問い詰めるように、しかしなおも落ち着き払って言った。
「知らない。…でも強いて言うなら、初めて見た時から殺したいほど憎くて仕方なかったくらいよ」
彼女はさらに冷たい眼差しを泰志に向けた後、怒りを密かに込めた口調で長瀬に向かって言い放った。長瀬を見るその目には、彼に対する殺意すら感じられるようだった。
「…これ以上は聞くまい」
長瀬はかろうじて立っていた体をぐったりとおろしその場に座り込んだ。その様を見た後、真由美の目は再び泰志に向けられた。
泰志は歯を食いしばり、怒り吹き出す火山のごとく顔を赤くする。そんな彼の熱をも上回る冷め切った眼差しは、再び構えられたライフルのスコープを覗く。真由美は泰志を殺すべく銃口を向けた。泰志は今ある全ての感情を整理できないまま叫ぶ。
その時物陰から決死の表情で飛び出す存在があった。愛は泰志のもとへ駆けながら、真由美に向かって発砲し始めた。真由美の付近に次々と弾がぶつかる。真由美は一瞬その眼差しを愛に向けるも、すぐにまた泰志に照準を合わせ始めた。
愛は次第に速度を上げ泰志に駆け寄る。しかしその反面、彼女が放ち続ける弾丸は一発として真由美には当たらない。真由美もそれを分かっているかのように彼女には一切の注意を向けない。次第に周りの音が耳に入らなくなるかのごとく彼女の動きは研ぎ澄まされていく。
全ての弾を打ち尽くしてもなお引き金を引き続けていた愛は、迫る泰志を目の前に拳銃を投げ捨てて腕を大きく振り決意を込めた表情で速度をあげる。
真由美は息を大きく吸って止める。タイミングを測ってゆっくりとしかし意を込めて引き金を引かれたライフルから、泰志の存在を断ち切るために一発の弾丸が放たれる。
その弾を受け、泰志と彼に身を当てるように駆けてきた愛は共に倒れ込んだ。衝撃で一瞬身動きが取れなくなったものの、泰志は覆い被さるように倒れた彼女を抱き起こす。彼女は目を開けなかった。抱き抱えた手に彼女から溢れる蛍光液が付着する。それは最後に彼女が彼の盾となるべくして見せた優しさを感じさせるほどに温かかった。
彼女の物言わぬ優しさに包まれた泰志は抱えた彼女に涙をこぼす。その内の一滴が落ちた時、涙の雫のそれとは違う金属の落ちる音が響き渡る。
真由美は余計なほどに力を込めて再度弾をこめる。その無情な音を聞きながら愛に誓うように泰志は呟く。
「連れて帰る…絶対に」
泰志が真っ赤に染めた瞳を真由美に向けた瞬間、彼の頭部は再度放たれた冷たい弾丸によって撃ち抜かれた。
拭いきれない感情に苛立つような表情でしばらく彼を見つめた真由美は、座り込み荒れた呼吸をする長瀬に目を向けた後その場を後にした。全ての感情が消え去り、そこにはただ彼女の足音だけが響いていた。




