増援
エレベーターはゆっくりと、しかし確実に地下深くへと降りていた。ガラス張りの向こう側に見えるのは、むき出しのパイプや電子基板ばかりだった。どこまで続くとも知れない光景に、一行の不安は次第に募っていく。
そんな中、真由美は頬に残る涙をぬぐっていた。
「どうしてあの時、記憶を戻してほしいと言ったの?」
エレベーターの隅にいた奏が、沈黙を破るように真由美へ問いかけた。その目には、かつての冷たさはなかった。
「あなたたちが傍にいてくれたら、どんな記憶でも受け止められる気がしたの」
真由美は涙を隠すようにうつむいた。
「……でも、ダメだった。私のしてきたことは、許されることじゃない。よく分かったの」
その声には、深い悲しみと、それでも過去から目を背けまいとする強さが入り混じっていた。奏は何かを考え込むように、静かに視線を落とす。
「長瀬くんは、私のことを想っていてくれた……。それなのに私は……」
真由美の体が再び小さく震え始める。奏はそんな彼女をしばらく見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「あいつはたぶん、あなたがこの世界に何か影響を及ぼすってことを、分かってたんじゃないかなって思う」
奏は表情を変えないまま続ける。
「あいつはそういうやつだった。変わり者……」
奏は腕を組み、わずかに沈んだ語尾を咳払いでごまかした。
「お前の思ってる罪悪感なら、俺たちにだってある」
亮介は、それまでの二人の声とは対照的な大声で会話に割り込むと、奏に向かってかすかににやけた顔を見せた。
奏はうんざりしたような表情で亮介を振り向くが、彼はそんな彼女に向かって、さらにわざとらしく口角を上げてみせる。
「キモい……」
そのやり取りに泰志は思わず小さく吹き出し、つられるように竜二もかすかな笑みを浮かべた。真由美はまだ顔を上げられずにいたが、先ほどまで震えていた肩は、いつの間にか落ち着きを取り戻していた。
どれほど地下深くまで降りたのかも分からないまま、一行は狭いエレベーターに揺られ続けていた。しかしその時、突如として視界が開けた。
「見てみろ」
ナイトがガラスの向こう側へと目を向けると、そこには地下とは思えないほど広大な空間が広がっていた。
その床一面には、小さな粒のようなものが無数に並んでいる。初めはあまりの高さに判別できなかったが、エレベーターが下降するにつれ、その一つひとつの輪郭が次第にはっきりとしてきた。
「なんか……人に見えないか?」
亮介はゴーグルを操作しながら、眼下に広がる無数の影の正体を確かめようとする。しかし、エレベーターは広大な空間へ出ると徐々に下降速度を上げ、足元に広がる影の一つひとつが、急速にその輪郭をあらわにしていった。
「人の入ったカプセル……? これが全部……?」
眼下には、人ひとりがかろうじて通り抜けられるほどの間隔を空けて、無数のカプセルが整然と並んでいた。それは広大な地下空間の果てまで続いており、一行はあまりの光景に言葉を失った。
カプセルの中には、少年少女たちが一人ずつ収められていた。誰もが眠るように目を閉じ、身じろぎひとつしない。これほど多くの人間が存在しているというのに、そこには不気味なほどの静けさが漂っていた。
「これは……一体……」
ナイトでさえ、初めて目にする光景に驚きを隠せずにいた。
そして、一行がエレベーターを降り、異様な空間へと足を踏み入れた瞬間、辺りにMOTHERの声が反響した。
「ここが『コア』です」
目の前に広がる異様な光景とは裏腹に、MOTHERは淡々と告げた。どこへ目を向けても、視界を埋め尽くすのは無数のカプセルばかりだった。戸惑いながら辺りを見渡す一行に、MOTHERは言葉を続ける。
「あなたたちは、この世界で命をすべて失えば、完全に消えてなくなると思っているかもしれません。しかし、真実は違います」
その言葉に、一行は思わず顔を上げた。静まり返った広大な空間に、MOTHERの声だけが響き渡る。
「ここは、命を失った者たちの保管場所。彼らの存在と記憶は、この『コア』という保存領域に留められているのです」
失われたはずの命が、まだここに存在している。その事実は一行にかすかな希望を抱かせた。しかし、改めて周囲を見渡せば、そこには数えきれないほどの少年少女たちが眠っている。それだけ多くの命が、この世界で失われてきたということだった。
そのあまりにも残酷な現実を前に、一行の胸に芽生えた希望は、やがて言いようのない恐怖と入り混じっていった。
「上川泰志。あなたにもうひとつの選択の権利を与えます」
呆然と立ち尽くす泰志に、MOTHERは言葉を続けた。
「あなたたちの持つ『命』をひとつ消費し、この中にいるであろう誰かを思い起こすのです。そうすれば、その者は捧げられた命を授かり、再び息を吹き返します」
それは、自らの命と引き換えに、失われた者を蘇らせるというものだった。恐怖に包まれていた一行の胸に、再び希望が芽生える。しかし、その希望はすぐに現実的な問題へと突き当たった。
「俺たちの中に、命が二つ以上残ってるやつはいるのか……?」
泰志は不安げに問いかけながら、仲間たちへ視線を巡らせた。自身の首元には、残された命を示す印がひとつしかない。亮介も同様であり、ナイトはクローンであるため、そもそも三つの命という制度の対象外だった。竜二と真由美もスカーフで首元を隠してはいるものの、以前に竜二が語ったとおり、残された命はひとつだけだった。
誰もが口を開けずにいる中、その沈黙を破ったのは奏だった。
「私、残り三つだけど」
奏は腕を組んだまま、まっすぐに泰志を見据えていた。
一行の視線が奏に注がれる。
「しかし上川くん、彼女の命が三つあるとはいえ、必ずしもそれを消費することが最善策とは限らないのではないか?」
ナイトは、泰志の考えを見透かしたかのように口を開いた。
MOTHERの説明をそのまま受け取るなら、泰志に与えられた権限によって、一行の誰かの命を消費し、失われた仲間を復活させることができる。泰志は、奏の命をひとつ使うことで仲間を増やし、これからの戦いを有利に進められるのではないかと考えていた。たとえ復活した者の命がひとつしかなくとも、戦える人数が増えることには大きな意味があるはずだった。
しかし、ナイトはその考えに対して、別の可能性を示したのだ。
「彼女の戦闘能力は高い。これからの戦いでも、大きな力になってくれるはずだ」
ナイトは一度言葉を区切ると、さらに力を込めて続けた。
「しかし、戦闘では何が起こるか分からない。たとえ彼女ほどの実力者であっても、ふとしたことで命を落とす可能性はある。あえて命を消費せず、このままワタシとともに先頭に立って戦ってもらうのも、ひとつの手だと思うのだが」
奏は腕を組んだまま、ナイトの話を黙って聞いていた。その表情からは、彼女が何を考えているのか読み取れない。
泰志はナイトの言葉を受け、改めて考え込んだ。確かに、仲間をひとり増やせることは大きな利点だ。しかし、そのために奏の残された命を減らすことが、本当に最善なのだろうか。
そもそも、MOTHERが提示した選択肢を、必ず実行しなければならないわけではない。何もせず、このまま進むという選択もある。
泰志は、自分がいつの間にか復活させることを前提に考えていたのだと気づいた。
泰志は、自分が奏の命を使うことばかり考えていたのを恥じるように、彼女へ視線を向けた。奏もその視線に気づき、泰志へ顔を向ける。
真由美に続き、今度は奏の命に関わる選択まで突きつけられた泰志は、その重圧に押しつぶされそうだった。
そんな泰志の様子を察したのか、奏が静かに口を開いた。
「私にも生き返らせたい人はいる。数えきれないほどに。あなたもそうなんじゃないの?」
奏の言葉に、泰志はすぐには答えられなかった。
彼女は泰志をまっすぐに見据え、さらに続ける。
「でも、MOTHERの言う『思い起こす』って、あなたが覚えている人を選ぶってことじゃないの? だったら、あなたが知らない人は選べないと思う」
確かに、MOTHERの言葉をそのまま受け取るなら、奏の解釈にも筋が通っている。
『思い起こす』という行為が、その人物の姿や記憶を頭に浮かべることを意味するのなら、復活させられるのは泰志の知っている人物に限られるはずだ。
泰志は改めて、目の前に広がる無数のカプセルを見渡した。
この中には、数えきれないほどの少年少女たちが眠っている。しかし、その一人ひとりに人生があり、帰りを待つ者がいるのだとしても、泰志が名前や顔を思い浮かべられるのは、ほんのわずかな人数でしかない。
救える可能性のある命は、これほど目の前にあるというのに。
自分に選べるのは、あまりにも少なかった。
「名前を知らなくても、顔さえ分かればいいのなら、カプセルの中の寝顔を見て思い浮かべればいいんじゃないの? 眠ったお姫様にチューして目覚めさせるみたいにさ」
亮介は、カプセルの中で眠る、名前も知らない少年少女たちの顔を眺めながら提案した。
その背後では、腕を組んだ奏が亮介に冷たい視線を向けていた。
確かに、名前を知っている必要がないのなら、亮介の提案にも一理あった。目の前にいる人物の顔を見て、その姿を頭に思い浮かべるだけでよいのなら、泰志が知らない人物でも復活させられる可能性がある。
ただし、それがMOTHERの言う『思い起こす』という条件を満たすのかは分からない。それに、仮に可能だったとしても、別の問題が残されていた。
「じゃああなたは、このどこまで続いているかも分からないカプセルの山から、本当に生き返らせたい人を見つけられるの?」
奏の指摘に、亮介は言葉を詰まらせた。
確かに、誰でもいいから一人を復活させるだけなら、目の前のカプセルから選べばいい。しかし、失った仲間の誰かを救おうとするなら、無数のカプセルの中から、その人物を探し出さなければならない。
亮介は果てしなく続くカプセルの列を見渡し、困ったように首をかしげた。
「うーん……みんなでオールしちゃう?」
苦し紛れにそう言って、亮介はへらりと笑ってみせた。
泰志は、仲間たちが示したいくつもの可能性と、そのどれかを選ぶことの重圧に、身動きが取れなくなっていた。
真由美の記憶を取り戻すかどうかという選択には、MOTHERから情報を得るという目的があった。しかし今回は違う。誰を復活させるべきなのか、そもそも復活させることが最善なのか。その判断の基準となるものさえ見つからない。
泰志は、目の前に広がる無数の少年少女たちを前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
そんな彼の様子を見かねたのか、奏が再び沈黙を破った。
「あなたが生き返らせたい人を生き返らせましょう。そうしないと……あいつ本当に、その……ちゅ……やりかねないから」
奏は大きく息を吐くと、腕を組み直し、亮介へ冷たい視線を向けた。
亮介はその視線に気づいたのか、気まずそうに目をそらす。
軽口を交えた言葉とは裏腹に、奏が口にしたのは、自分の命を泰志に委ねるという重大な決断だった。
「三つあるから、一つでも二つでもかまわない。どうせ使うなら、二人くらい生き返らせたっていいんじゃない?」
「しかし……」
ナイトが思わず口を挟んだ。
彼女の戦闘能力を考えれば、命を温存する方が合理的だ。先ほどそう進言したばかりのナイトにとって、奏が自ら命を差し出そうとすることは、予想外だったのだろう。
しかし、奏はナイトの言葉を待たずに続けた。
「MOTHERはあなたを選んだ。でも、私があなたに託すのは、私自身がそう決めたから」
奏は腕を解き、泰志をまっすぐに見据えた。
その眼差しに、先ほど亮介へ向けていた呆れの色はない。
彼女は、自分の命をどう使うかという選択を、誰かに命じられたわけではない。自ら考え、その答えとして泰志に託すことを選んだのだ。
奏の言葉を受け、ナイト、亮介、竜二、真由美も、次々と泰志へ視線を向けた。
泰志は奏を見つめた。彼女の命を二つ使う。それがどれほど重い選択なのか、分かっていないわけではない。たとえ奏自身が望んだことだとしても、その命を消費する決断を下すのは自分なのだ。
しかし、奏が自らの意思で託してくれたことも、確かだった。そして泰志自身にも、どうしても再び会いたい人たちがいた。
泰志は小さく息をのみ、覚悟を決めた。
無数に広がるカプセルを見渡し、ゆっくりと目を閉じる。脳裏に浮かんだのは、二人の人物の姿だった。
そのとき、MOTHERの声が静寂を破った。
「あなたが選んだのは二人のようね。一度に復活させられる人数に制限はありません。ただし、一人につき一つの命が必要です」
MOTHERは一度言葉を区切り、さらに続けた。
「なお、今回の命の譲渡は、通常の命の喪失とは異なります。意識を失うことなく命だけを消費するため、陣営の再抽選や、それに伴う記憶の消失は発生しません」
その説明に、泰志はわずかに安堵した。少なくとも、奏が自分たちのことを忘れたり、別の陣営へ移されたりすることはない。
「それでは、木ノ本奏の命を二つ、あなたが選んだ二人に授けましょう」
MOTHERが告げると同時に、広大な室内の天井から一筋の光が差し込み、奏へと降り注いだ。
奏は突然の光にも動じることなく、ゆっくりとうつむき、目を閉じた。
やがて光が消えると、彼女は顔を上げ、首元のスカーフをそっとめくった。
そこには、三つあったはずの印が一つしか残されていなかった。
奏はその印をしばらく見つめたあと、何も言わずにスカーフを元に戻した。
そのとき、室内の奥から、何かが開くような音が響いた。
続けて、もう一度。
二つの音が聞こえた方へ目を向けると、果てしなく続くカプセルの列の向こうで、二か所に淡い光が灯っていた。
あまりに遠く、その中に誰がいるのかまでは分からない。
泰志は奏へ視線を向けた。奏は何も言わず、小さくうなずいた。
それを合図に、一行はゆっくりと歩き出す。
泰志が選んだ二人のもとへと。




