証人
真由美の涙の意味を考えていた。彼女は記憶を失い、自分や竜二の命を奪った。殺意を抱くほどに自分たちを憎み、その眼差しはまるで人ならざる者を見るようだった。
しかし、彼女は泣いた。母親のことを口にした時、明らかに心を乱していた。それをなだめる竜二。ひょっとすると、彼女には断片的に母親や自分たちの記憶が残っているのだろうか。自分と竜二は、母親の死という忌まわしき記憶へと繋がる悪しき道標として、彼女の目には映っていたのだろうか。
考えても分からない。愛という最後の仲間を失い、二人は自分を置いて行ってしまった。竜二の言う通り、真由美のことはあいつに任せるのが、彼女にとっては一番良いのだろうか。自分には何もできることはないのだろうか。
重いまぶたを開くと、そこには夜空が広がっていた。焚き火がパチパチと燃える音が聞こえる。空へと舞う火花が、まるで夜空の星のように輝いていた。
泰志はゆっくりと体を起こした。そこは解放軍の陣地でも、革命軍の陣地でもなかった。簡易的なテントと焚き火が燃える見知らぬ野営。はたして自分は命を失ったのか、それすらも分からない。
首の印を確かめようにも鏡がない。彼は首元をそっとさすった。その時、背後から彼に声をかける者がいた。
「残りの命はあと一つだ」
彼は驚いて後ろを振り向いた。そこには一体のクローンが彼を見下ろすように立っていた。泰志は慌てて自身の銃を探すが、近くには見当たらなかった。そんな彼の慌てふためく様子を見ていたクローンは、自身の肩に掛けていた彼の銃を手にした。
「取って食ったりはしない。これは返すから、落ち着いて座って」
先程の声の主は、驚いたことに目の前のクローンだった。形は記憶の中のクローンと変わりなく、背中に槍も背負っている。しかし彼らは言葉を話すことはなかった。まして会話をするなどあり得なかった。
そのクローンは、唖然とする泰志の前にゆっくりと腰掛けた。泰志は目を見開き、黙ったままクローンの差し出した銃を受け取る。他人の武器は持ち上げることすらできない。それが泰志の持っていた知識だった。しかし、彼にはそんな些細なことなど考える余裕はなかった。
「ワタシをクローンだと思っているのだろう?上川泰志」
クローンは泰志の名前を口にした。名前を知れる物など彼は所持していない。はたしてどこから得た情報なのか、まるで訳が分からない。
「君のことは、MOTHERのデータベースを覗いて知ったよ。君が新しい"解放者"だということもね」
クローンがMOTHERのことを口にした時、泰志はあることを思い出した。最後にいた施設で見たMOTHERの稼働記録。そこにあった実装システムの一覧を。
「お前はいったい…」
ようやく口を開いた泰志の様子を見て、クローンは優しくうなずいた。
「ワタシはKnight。MOTHERによって生み出されたこの世界の番人…になるはずだった存在だよ」
彼はどこか寂しさをにじませるように、次第に声を落としながら言った。
彼の言葉で、泰志は実装一覧で見た内容を思い出した。"Knight製造システム"。彼の言ったとおり、彼自身はMOTHERによって生み出された存在だった。しかし同時に、その時同じ場所に表示されていたエラーログが、泰志の中で引っかかった。
「ワタシは量産されるはずだった。しかし、システムの誤作動によってそれは叶わず、代わりにワタシの"粗悪品"と呼べるようなものが大量に生み出された。それが君の知っているクローンの正体だよ」
彼はクローンの"オリジナル"的存在だった。知性を持ち、武器の扱いもできる、この世界を統べるはずだったというのだ。今の泰志は、彼の言葉を無条件に受け入れるほかなかった。
焚き火の炎が、物悲しい表情のナイトを優しく照らす。そんな彼はクローンとは違い、いま夜中に活動している。彼らとは、見た目以外何もかもが違っているのだろう。そして、一人"仲間はずれ"のような彼は、なぜこのような場所で野宿をしているのだろうか。彼の表情を見ながら泰志は考えていた。
「"番人"としてやるはずだったことって、一体なんなんだ?」
泰志は自然に、彼を刺激しないような質問を投げかけた。しかし、ナイトはその質問に対し、表情を曇らせる。
「…戦争を…止めることだ」
彼の一言一言には、無念さと悔しさが滲み出ていた。今もなお続く、解放軍と革命軍の争い。それは、生み出されたナイトたちによって止められるはずだった。しかし彼は一人しかいない。泰志は、他の場所にもいるのではないかと一瞬考えたが、彼の表情は孤独そのものだった。
「もう百年近く、ワタシは無力感に支配され続けている」
百年という途方もない年月を、泰志はイメージすることができなかった。しかし一つだけ分かることがある。ここ数日で泰志自身が味わった無力感よりももっと強く、もっと長く続いているということだ。
「百年…」
泰志は無意識につぶやいた後、ある言葉を思い出した。以前に、解放軍基地深部の部屋で会った、"解放者"を名乗る少年。その少年が口にした、どこかで聞いたことのあるものの、聞き慣れない学校の名前。そして、自分たち以外にもいたという"解放者"。
そしてさらに疑問が浮かんできた。この世界には少年少女しかいないために、今まで意識してこなかったが、この世界にも年月の経過という概念が存在するのだろうか。空腹になることもない、喉が渇くこともない。時間の進みを実感できるのは、時折微かに訪れる睡魔と、狂うことなく繰り返される太陽と星空のサイクルだけだった。
「そもそも、この世界の"本当の役割"を知っているかい?」
泰志には、その質問の意味がすぐには理解できなかった。もとの世界もそうであるように、"世界の存在"に、明確な役割があるという発想自体が彼の中にはなかった。まして、終わることのない戦争が続くこの世界に、正当な役割があるとは思えなかった。
「教育機関…か何かか?」
泰志は、この世界に少年少女しかいないこと、ナイトという統率する存在が生み出されたようとしたことから、その答えを導き出した。しかし、その答えは違っていた。
「ここはな…行きどころを失った子供達の居場所として作られた仮想世界なんだよ。もっとも、ワタシと同じように、その役割を果たすことができない哀れな姿になってしまったけどね」
予想外の答えに、泰志は唖然とする。この世界の惨状は、それとは程遠いものだったからだ。
「笑えるだろう?救うべき人間に命の奪い合いをさせているのだから」
ナイトの目元は、クローンと同じく特異な形状の兜によって隠れて見えない。しかし泰志には、その見えない目に悲しみが浮かんでいるように思えてならなかった。
「この世界の歴史を知ってるなら、教えてほしい」
泰志はようやく、その重い口を開いた。今の彼の中には、目の前で今もなお苦しみ続けるナイトに向き合う術を探したいという思いと同時に、真由美がなぜこの世界にきて、本来なら彼女はどのような未来を辿るはずだったのかを知りたいという思いが、強く湧いてきていた。
「…いいだろう」
ナイトは静かに、そして冷静に世界の成り立ちを話し始めた。
ーこの世界は、「行き場をなくし、人生に希望を見出せなくなった子供達」を一時的に集め、生きる希望を持つ手助けをするために作られた仮想世界だった。
そして、この世界を作った者たちは、世界の維持と統制補助のために、人工知能である"MOTHER"を作り上げた。
初めは、当初の目的通り世界は機能していた。しかしある時異変が起きた。
MOTHERが暴走を起こし、この世界の統制を独占した。"彼女"は新たなシステムを次々と実装しようとしたが、異なる異変が彼女の内部に影響を与えていた。実装したシステムは、次々に彼女の意図しない形で実装されていった。
それは、元々生まれていた、MOTHERの暴走を力ずくで止めようとする者たちと、そうでない者たちの争いにさらなる火種を撒き、終わりなき戦争へと姿を変えていった…ー
泰志はその説明を聞いて、真由美のことを思い浮かべていた。彼女は、たった一人の大切な家族である母親を亡くし、生きる希望を失っていた。それはまさしく、この世界の当初の目的に沿ったものだった。
そして、本来ならば彼女が辿るはずだった未来は、この世界に起きた異変によって大きく歪められていた。泰志の中で、自身の無力感が少しだけ和らいでいくと同時に、自分にはもはや手に負えない規模だという諦めが湧きつつあった。
うつむきながらそんな思いを巡らせていた彼に、ナイトは先程の冷静さとは異なる口調で語りかける。
「一つだけわがままが通るというのなら頼みがある。この世界を…終わりのない悲しみから解放してはくれないか」
彼のその言葉には、百年分の想いが宿っているかのようだった。
しかし今の泰志には、その願いに応えられるだけの実力も、命の余裕も、仲間の一人すらも残ってはいなかった。目の前のナイトと同じく、救いたいものを抱えながらも何もできない孤独な存在でしかなかった。何よりも、救うための手立てがない。まさに八方塞がりそのものだった。
「俺だってそうしたいし、もともとあいつのことも連れ帰ろうとしてた。でも、もうどうしたら良いのか分かんねえよ…」
泰志は、心の奥底でプライドが邪魔したために、「できない」とは答えなかった。しかし、その表情には、言葉には出せなかった答えが滲み出ていた。
そんな彼の様子を見て、ナイトは一瞬ためらいを見せるものの、意を決したように口を開いた。
「この世界や、君の大切な人を救う方法を知っているかもしれない人間の居場所なら知っている」
その言葉は、うつむく泰志の顔を振り向かせた。そしてナイトはその反応を見て続ける。
「田原絵美子という科学者だ。この世界やMOTHERの生みの親であり、おそらくそれに関係した科学者の最後の生き残り」
そう語るナイトの表情と口調には、懐かしみと親しみが浮かんでいるように見えた。彼と同じく、途方もない年月、この世界に生きる人物がいるという。
泰志はそれを聞き、意を決して立ち上がる。
「そこへ行こう」
彼の言葉と表情には、最後の希望に全てを託すという想いが宿っていた。
それを見たナイトは黙って立ち上がり、二人の悲しみを照らしていた炎に、足で砂をかけた。




