感傷
泰志は、木ノ本が最後に言った言葉の意味を考えていた。彼女を止めることは、自分にはできない。彼女がそれほどまでに自分のことを憎んでいるという意味なのか、それとも、この世界のシステムや革命軍としての使命が、拭えないほどに深く刻み込まれているのか。いくつか思い浮かべるが、廃工場で自分に向けられた冷え切った眼差しには、そのどれもが含まれているように思えてならなかった。
「あの子を追いかけよう!」
思いを巡らせる彼の横で、愛は彼に訴えかけるように言った。その唐突な勢いと声に、彼ははっとさせられる。ここでまた彼女を見失ったら、秀を失った時のように、今度は他の誰かを失ってしまうような気がした。
泰志は、床に伸びるケーブルに幾度も足を取られながらも、闇に消えた木ノ本を追って駆け出した。愛もそれに続いて行く。
彼女の背中はなおも見えない。しかし二人の前に、先程までよりも明るく開けた空間が現れた。巨大なコンピューターのような機械が、港に並べられたコンテナのごとく、一定の間隔を空けて無数に並べられている。しかしそのどれもが、動くことなく静かに佇んでいた。
二人は足を止めて周囲を見渡すが、彼女の姿は見当たらない。
「木ノ本!」
息を切らしながら叫んだ泰志の声は、空間に反響しこだまする。しかし返事は返ってはこなかった。二人はさらに奥へと歩み始める。
その時、彼らの進行方向上の歩廊から声が響く。
「忠告はした」
声の方向には、二人を見下ろす木ノ本の姿があった。彼女の眼差しには、どこか呆れた感情が滲み出ている。
「待って!」
木ノ本を見上げながら愛が叫ぶ。しかし彼女は、二人を見捨てるように顔を逸らし、歩廊の奥へと歩み去って行った。
二人は彼女を止めるための言葉を考える。彼女は止まらない。泰志の駆け出そうとする足が地面と擦れる音を発したその時、別の方向からライフルのボルトを操作する音が微かに響いた。
愛はそれに気付き、言葉を発するよりも先に体が動いた。泰志を押し倒すほどの勢いで、駆けながら両手で彼を物陰に押し込んだ。
その瞬間銃声が響く。勢いよく体を押された泰志は愛の方へ体をよじりながら倒れ込む。その目に、鋭い一発の弾丸で体を撃ち抜かれた愛の姿が映った。
彼女は彼を押した体勢を立て直すことができず、その場に倒れた。
泰志は弾の軌道上に目を向けながら、それに続くように銃を構えた。
しかしその時、先程とは違う銃声とともに二発の弾丸が彼の銃にぶつかり、弾かれた痛みで彼は銃を落とした。先に向けていた視線のみがそこに向けられる。
そこには、以前廃工場で相対した長瀬の姿があった。そしてピストルを構える彼の横に、泰志に対して冷え切った眼差しを向けるもう一人の人物がいた。
「遠藤…」
泰志は痛む右手を押さえながら、彼を見下ろす真由美に向かって口を開いた。
真由美は何も言わない。ただ以前と同じように、彼に冷え切った眼差しを向け続ける。彼女は怒りこもった手つきで、ライフルのボルトを余計なほどに強く引き、次の弾を込めた。仁王立ちで真っ直ぐに彼女を見つめ、言葉を探す泰志。その足元では深傷を負って息も絶え絶えな愛の姿。真由美の横でピストルを構えながらも、泰志と真由美の動向に目を向ける長瀬。物陰から彼らの行く末を冷めた目で見つめる木ノ本。その場には、時間が過ぎるほどに深い静けさが満ちていった。
それを最初に打ち破ったのは真由美だった。彼女は無駄な力を抜くように肩を揺らした後、再びライフルを構え直す。
しかしここで最後の抵抗をするように、泰志は彼女に向かって叫ぶ。
「撃ちたいなら撃てばいい!けど最後にお前の口から聞かせろよ!なんで俺を…俺と竜二を憎むんだよ!」
その叫びに、スコープを覗こうとしていた真由美の動きが止まり、表情が引きつる。泰志はそこを突くようにさらに叫ぶ。
「俺たち幼馴染だろうが!おいなんとか言えよ!」
かすれかけた声に、泰志は全ての気持ちと力を込めて、彼女へぶつけた。
泰志の叫びを聞いた長瀬は、真由美がどう反応するのかをうかがうように、彼女へ目を向けた。
「うるさい!」
真っ直ぐに見つめ続けてくる泰志を見ながら、彼女は歯を強く食いしばり、怒りを露わにした。泰志は、今までに見たことのないその気迫と怒りの表情に一瞬怯んだ。
しばらくの沈黙の後、彼女の表情は少しずつ緩み、泰志には聞こえないほどに小さく呟いた。
「あいつを殺して…」
その言葉に驚いた長瀬は意外そうな表情で彼女の方を見る。彼女に引き金を引く力も気力もないようには、長瀬には思えなかった。
「お前が果たすべきことだろ」
長瀬は彼女に向けていた目を再び泰志に戻しながら吐き捨てるように言った。しかし、初めは小さかった彼女の声が次第に強くなっていく。
「いいから早く!あいつを殺して!」
彼女の体は怒りに震えていた。それでも、抱えたライフルを構えようとはしなかった。泰志も長瀬も木ノ本も何が起きているのか分からなかった。
「お前の手でやることが、お前の悲願じゃなかったのか…!」
感情を爆発させる真由美を説得しようと振り向いた長瀬の目に、予想外の光景が映った。
「もういい」
真由美の冷え切った目は長瀬へと向けられ、彼女は仲間であるはずの長瀬に銃口を向けて小さく吐き捨てるように言った。
銃声が響く。崩れゆく長瀬の目には、彼を冷たく見下ろす真由美の姿が映る。それを見ていた泰志と木ノ本は驚きのあまり言葉が出ない。
真由美は、膝をついて苦悶の表情を浮かべる長瀬を、しばらく見下ろした。そして彼女は目を逸らさずに、慣れた手つきでボルトを引き次弾を装填する。その銃口は再び長瀬に向けられた。
「おい…!」
泰志が混乱しながらも真由美に叫ぼうとしたその時、彼女のライフルを掴み上げて割って入る者がいた。
「…どういうつもり?」
木ノ本は彼女の向けた銃口を長瀬から遠ざけるように、力を込めてライフルを握る。その冷たい目は、長瀬を見下ろす真由美に向けられていた。
そして二人は互いの目を見据えた。凍るような真由美の眼差しに、木ノ本の眉間に力が入る。
その光景を見た泰志は、吹っ切れたように真由美に向かって叫ぶ。
「それなら力ずくで目覚まさせてやるよ!」
彼は落ちていた自身の銃を拾い上げて構え、引き金に指をかけた。
その時、真由美と木ノ本の背後から、泰志の立つ床目掛けて一発の弾丸が撃ち込まれた。彼はそれに驚き足元に目を向ける。真由美と木ノ本は暗闇から現れたその狙撃手に目を向けた。
露わになったその人物の正体に、泰志は目を疑った。
ライフルを構え、ゆっくりと歩み寄ってくる竜二の姿がそこにあった。
革命軍の証であるスカーフを首に巻き、真由美とは異なる感情の読めない目を向ける竜二を見て、泰志は言葉を失った。泰志は構えていた銃を下ろし、小さく一歩後退りする。
竜二へほんの少しだけ気を逸らせていた真由美の隙をつき、木ノ本は掴んでいたライフルを振り払い、倒れ込む長瀬を抱えてその場を離れた。真由美は体勢を崩しながらもその様子を冷たく見つめる。
こうして、木ノ本と長瀬が去った今、その場には泰志と竜二と真由美、かつての幼馴染だけが残った。しばらくの沈黙を破ったのは竜二だった。
「やす、もうそのくらいにしとけ」
彼は表情を変えないまま泰志を見下ろす。泰志は彼の言葉の意図が理解できなかった。
「俺はこいつの心の傷を治すことにした。だからこれからは俺にまかせろ」
「…何言ってんだお前」
竜二は表情を変えない。しかしその目には確かに彼なりの決意がこもっていた。竜二が何を根拠にそう言い切れるのか、泰志には分からなかった。しかし泰志は、彼に怒りを含んだ口調で一つだけ問いかける。
「お前…記憶があるのか?」
その問いに竜二はすぐには答えなかった。しかし、昂る泰志の感情を察したかのように、彼は口を開いた。
「ああ覚えてる。やすのことも、遠藤のことも、俺たちがどうしてここに来たのかも」
彼の言葉に嘘は感じられなかった。それでも、泰志はこれまでに得た知識とはまるで異なるその現象に唖然とする。
やがて泰志の中で彼を理解できないという気持ちは泰志自身の手を伝わり、握った銃に力がこもる。それを察した竜二は、即座にライフルを構えて彼の銃目掛けて発砲する。衝撃を受けた泰志の手は再び弾き飛ばされ、手にしていた銃が地面を滑っていく。彼は痛みと怒りの合わさった表情で竜二を見つめる。
「早くあいつを殺して…」
二人を見上げる泰志に対して、真由美は呟くように竜二に言った。その言葉に対し、竜二は即答する。
「分かった。最後に一つだけあいつに言わせてくれ」
「勝手にすれば」
真由美は彼の後ろへと下がりながら吐き捨てるように言った。泰志は、真由美に代わり前に出てきた竜二を見上げる。
「最後に一つ教えとく。俺も遠藤も、残りの命は一つしかない。だからもう、俺たちの前に現れないでくれ。遠藤に痛みを与えないでやってくれ」
そう言いながら竜二は泰志に向かってライフルを構えた。
それを見た泰志は、怒りを爆発させるかのように、竜二の背後にいる真由美に叫ぶ。
「お前の母さんはこんなこと望んでるのかよ!」
その一言は、凍りつくような真由美の表情を一瞬にして変えた。それを察した竜二は慌てた様子で彼女の方に振り向く。
真由美は次第に体の震えを大きくさせ、やがて苦しみや憎しみを放つかのように叫び始めた。言葉ではない。彼女の中の痛みが空気を伝って二人に突き刺さる。
泰志はそれを受け止めるように彼女を見つめ続ける。
竜二は自身のライフルを地面に捨て、彼女を落ち着かせようと肩を押さえる。しかしそれは彼女の怒りと憎しみのこもった手によって振り払われた。
彼女は自身のライフルを乱暴に拾い上げると、震える手で引き金を引き、泰志に向かって乱射する。標的をまともに捉えず放たれる弾丸が、無情にも次々と泰志の周りを通過していく。しかしその内何発かは彼の手足に命中した。体に力が入らなくなった彼は傷を押さえてその場にしゃがみ込むが、その目だけは決して真由美から逸らさなかった。
悲しく音を立てて落ちる空薬莢。その音が止んだ時、真由美は涙を流しながらその場に崩れ落ちた。泰志も痛みからその場でうつむく。彼の目には、命を失い体が消えゆく愛の姿が映った。
その時だった。けたたましい足音とともに、無数のクローンが姿を現した。彼らは標的を見つけるや否や襲いかかった。
痛みで動けない泰志は、消えゆく愛の体を抱き抱えようとするが、そんな彼の体を、無情にもクローンの槍が貫いた。
竜二は泣き崩れる真由美を抱えて、逃げるようにその場を後にする。
泰志の薄れゆく視界から、二人は再びその姿を消した。




