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異世界ファンタジー・恋愛の作品(短編)

言い訳はもう結構です。病弱な義妹ばかり優先する婚約者に我慢の限界を迎えたので、魔法ギルドに駆け込みます。助けてくれとすがられてももう関係ありません

掲載日:2026/09/14

ややボリュームのある短編になってしまったのですが、お時間あるときなどにご覧いただけると嬉しいです。

(ああ、またなのね……)


 向かい側の空席を眺めながら、私は心の中でつぶやく。


 王都にある貴族御用達の有名なカフェのテラス席。ほぼ満員の店内は賑わっていた。


 私は重いため息を漏らし、微動だにせず自分の背後に控えてくれている侍女に目を向ける。


「コリンナ、悪いけれど店員の方に私宛ての連絡が入ってないか、念のために聞いてきてくれる?」

「かしこまりました、アイネお嬢様」


 ウェイク伯爵家の娘である私をずっと支えてくれている侍女のコリンナが、あらかじめ予測していたように頷きテラス席から店内へと入っていく。


 婚約者のテレンス様と待ち合わせをして、すっぽかされるのは何度目だろうか。


 私はテーブルの上に置かれた空のティーカップを見下ろす。空になってからずいぶん経つ。三杯目を飲み終えたところで、もうそれ以上無理に注文するのはやめた。


 しばらくしてコリンナが戻ってくる。彼女が小さく首を左右に振った様子から、やはり連絡はないのだと分かる。


「……そう、じゃあ帰るわ。これ以上待っても無駄だもの」

「毎回のことですが、なぜ連絡を入れてくださらないのでしょうか」

 怒りを堪えながらコリンナが言う。

「使用人に伝言を頼むなり、そうでなくとも王都では貴族の方が出入りする主要な店舗にはこうして通信用の魔道具が設置されておりますのに。来られないなら来られないと一言連絡でもいただければ、少なくともお嬢様がこうして待ち続けなくて済みます」

「そうね、本当にそう思うわ。だからいつもお願いするのだけれど……、無理のようね」


 国によって偏りはあるが、この大陸には魔力を持つ人間が一定程度存在する。私が暮らすこの王国では魔力持ちは希少だが、魔法が発展している隣国から魔力を込めた魔晶石を原動力にしたさまざまな魔道具が輸入されているので、主に貴族の間で魔道具が普及している。


 特に通信用の魔道具はその便利さもあって貴族の邸宅だけでなく、貴族がよく出入りする店舗や劇場などにも設置されているほどだ。


 魔道具の種類によっては、手紙を瞬時に届けたり、専用の受話器を通して隣にいるかのように会話したりすることも可能だ。魔法使いが作る魔道具は非常に高価な代物ではあるが、私のような魔力を持たない人間でも使用でき、世間では所有していることが一種のステータスシンボルになっているとも言える。


「それに本日は、先月おふたりでお出かけになるご予定だったとき、早々にお嬢様を残して途中で帰られた分のお詫びのお誘いではありませんでしたか?」

「そういえば、そうだったわね」


 コリンナからの言葉で、改めて今日の約束の趣旨を思い出す。


 過去にはお詫びのお詫び、そのまたお詫びの予定ですら、すっぽかされたこともある。


 テレンス様は予定をキャンセルするたび、途中でいなくなるたび、当然のごとく言い訳を口にする。


『セアラは病弱なんだ、仕方ないだろ』

『彼女は実の父親を亡くしてしまって、まだ悲しみが癒えないんだ。誰かがそばにいないと寂しいんだよ』

『それに父上からもセアラは大切な家族だから目を離さず、しっかり面倒を見るようにと言われている。放っておけない』


 誘われた街歩きも。

 楽しみにしていた観劇の公演や有名奏者の演奏会も。

 一緒に参加する予定だったお茶会も、パートナー同伴の夜会も──。


 私の婚約者のテレンス様は、彼の病弱な義妹(いもうと)、セアラ様をいつも最優先させる。


 そのたびに、私との予定は後回しにされた。


 セアラ様は二年ほど前に、南地方の田舎町から王都に越して来られ、テレンス様のエルギン侯爵家の養女となった愛らしい容姿を持つ女性だ。


 何でもテレンス様のお父様である侯爵様が若かりし頃に、セアラ様の父君の男爵当主に命を助けてもらった恩があるとかで、その彼が病で亡くなり、父子家庭育ちで身寄りもなくひとり残されたセアラ様を心配した侯爵様が引き取ったという。セアラ様の母親は彼女を出産する際に亡くなっている。


 セアラ様の両親は元々王都住まいだったが、結婚直前に仕事の都合で田舎町に移住したらしく、そのため近くに頼れる身内もいないということだった。男爵家は領地を持たない爵位だけの家門で、跡を継げる男系の血縁者も見つからず、その後爵位は国に返還された。そういった経緯もあり、恩人の娘の行く末を心配した侯爵が引き取ることにし、責任を持って預かる意味でも養女にしたそうだ。


 セアラ様は、生まれつき心臓や肺に不安を抱えているという。詳しい病名を私は聞かされていない。セアラ様は少し外出するだけですぐに咳き込んで熱を出し、寝込んでしまう。その様子を見ると、こちらまで胸が苦しくなるほどだった。


 だから私は精一杯セアラ様を気遣い、年が近い同性としてできる限り彼女の力になろうと努めた。


 私がテレンス様の婚約者という立場である以上に、もし自分が彼女のように唯一の肉親を亡くし故郷を離れ、慣れない王都での生活を始めなければならなくなったとしたら、とてもつらくて苦しいだろうと思えたからだ。


 セアラ様は病弱ではあるものの、不思議な魅力がある方で天真爛漫(てんしんらんまん)な笑顔が愛らしく、すぐに誰とでも打ち解けられる気質をお持ちのようだった。


 当初、貴族の体面を気にするテレンス様のお母様である侯爵夫人やプライドの高い屋敷の使用人たちが、セアラ様を受け入れられるのか心配されていたが杞憂に終わり、気づけば本当の家族のように仲良くなっていた。


 セアラ様のお体については、侯爵様が治癒魔法を使える魔法使いや通常の医師、薬師、食事管理の料理人に至るまで専属で雇って治療にあたらせているようで、このまま治療を続けていればいずれもっと外を出歩けるようになるのではということだった。


 だからこそ、父親を亡くした彼女の悲しみが癒えるまでは……。

 侯爵家の養女という新しい立場と王都での暮らしに慣れるまでは……。

 彼女の体がもっと良くなるまでは……。


 そう思って、私はこれまで大きな不平不満をぶつけることはなかった。


 私はそっと視線を手元に落とす。いつも手首につけている細いチェーンタイプのブレスレットが見える。ブレスレットには蜂蜜色の美しい魔晶石が等間隔にあしらわれている。子どもの頃にもらった大切なものだ。


 私は再びため息が漏れそうになるのを堪えて席を立つと、賑わう店内を横目にその場をあとにした。





  ◇ ◇ ◇





 数日後、テレンス様と一緒に参加するガーデンパーティーがあったが、やはりというべきか、彼は途中で退席すると言い出した。


「すまない、アイネ。今連絡があって、セアラの具合が悪いみたいなんだ。ひとりで落ち着かないみたいだから、先に帰るよ。一通り挨拶はしたし、あとは君ひとりで大丈夫だろう?」

「でも遠方からお越しの何名かの方が、馬車のトラブルなどでご到着が遅れていらっしゃるようですが……」


 私はやんわりと懸念事項を伝える。事前に目を通した参加者リストと今会場にいる方たちの顔を見渡す限り、遅れて到着される方の中には今後のためにも顔合わせし、交流を深めておくべき相手が含まれているはずだ。


 しかしテレンス様はさほど気にも留めていない様子で答える。


「ああ、そうかもしれない。でも君ならそつなくこなせるじゃないか。いつものように私のことは適当に理由をつけて、良いように挨拶しておいてくれ」

「待ってください……! セアラ様のお体が心配になるお気持ちは分かります。ですが、これ以上噂になっては……」

「噂だと?」


 私はつい飛び出た言葉の続きを伝えるべきか迷った。しかし今後のことを思えば、ここで注意を促しておくべきだろうと思い、慎重に口を開く。


「……セアラ様がエルギン侯爵家の方々にとって大切なご家族だということは、私も十分理解しています。ですが、セアラ様は養女でいらっしゃいます。男女としての適切な距離を保つことも重要ではないでしょうか。残念ながら時としてこうした集まりの中には、あることないことを疑って囁いて品位のない噂を広める方もいらっしゃいます」

「はっ、あることないことだと! 馬鹿なことを言うな!」


 テレンス様の顔が急速に強張る。わなわなと震える様はまるで指摘されたくないことでも言われたかのようだ。


「男女としての適切な距離だと? 彼女が苦しんでいるのに、よくもそんなことが言えるな! 健康な君にはわからないだろうが、本当に苦しくてつらそうなんだ! 誰かがそばにいてやらないと不安で体を休めることもできないというのに、君は相手を労る優しさも持てないのかっ‼︎」


 テレンス様が人目も(はばか)らず声を荒げたことで、何事かと周りにいる参加者が私たちに好奇の目を向けてくる。


「──っ、とにかく、あとは頼んだぞ」


 人々の視線を避けるように、テレンス様は振り返りもせず私をひとり残し帰ってしまった。





 その後、何とかお茶会は乗り切ったものの、私は疲れ果てていた。


 自邸に連絡を入れ迎えに来てくれた馬車に乗り込むと、待機していた侍女のコリンナが心配そうにこちらを気遣ってくれる。私の隣にテレンス様がいないことに慣れ過ぎた彼女は、そのことにもう触れもしない。


「ずいぶんとお疲れのようですね」

「ええ、今日は特に、かしら。迎えにきてくれたところ悪いのだけれど、テレンス様のエルギン侯爵邸へ寄ってくれる? ハンカチーフを落としていかれたようなの」


 勝手に退席したくせに、忘れ物までするなんて。主催者の方から手渡されたときは、申し訳なさでお礼を述べる以外ろくな言い訳も思いつかなかった。


 しばらくして馬車が侯爵邸に到着する。


 ずいぶんと待たされてから、テレンス様が応接室で待つ私のもとに現れる。彼は今日のお詫びを口にするどころか、不機嫌な顔を隠しもしない。露骨に面倒くさがっているのがありありと分かる。どうやら私が怒りをぶちまけに押しかけてきたとでも思っているようだ。


「ガーデンパーティーは終わったはずだろ? 何しに寄ったんだ」


 ソファに腰かけている私は軽く手のひらを宙に浮かせ、後ろに控えている侍女のコリンナから彼の忘れ物のハンカチチーフを受け取り、本人の目の前に差し出す。


「落としていらっしゃったようですが、お気づきになられていなかったんですね」

「え、ああ、いつの間にか落としていたのか……」


 バツの悪そうな顔をしながら、テレンス様は乱暴な手つきでハンカチーフをさっと回収する。


「ではたしかにお渡しいたしましたので、私はこれで失礼いたします。コリンナ行きましょう」

「待て」


 ソファから立ち上がり歩き出そうとしていた私は、首を傾げてテレンス様を見やる。まさか引き留められるとは思わなかった。目線を下げたままのコリンナも足を止める。


「何か?」

「いや、その……」


 面倒くさそうな様子を見せていたくせに、こちらが何事もなかったかのように文句も言わず立ち去ろうとしているのが分かると途端に当惑し始めている。私が何か言ってもどうせ言い訳するくせに、本当に身勝手な人だ。


 そのとき、ノックもなしに応接室のドアが開いた。


「テレンス、ここにいたんですね!」


 そう言って嬉しそうに微笑みながら部屋に入ってきたのは、セアラ様だった。彼女は迷わずテレンス様の腕に抱きつく。


「あ、アイネ様もいらっしゃったんですね! お邪魔してしまいましたか?」


 セアラ様は今私の存在に気づいたようにじっと私を見つめ、申し訳なさそうに眉尻を下げる。こういうところが庇護欲をそそるのだろうか。


 私は彼女から視線を外し、テレンス様に目を向ける。来客中に許可も得ず入室するなどマナー違反だが、彼はそれを指摘する考えすら浮かばないようだ。ドアのそばに控える侯爵家の使用人たちを見てみれば、彼らは微笑ましい光景でも見るように優しく見守っているだけ。


「まあまあ、セアラさん、急ぐと体に障りますよ」


 セアラ様を追いかけてきた様子の侯爵夫人が室内に入ってくる。夫人は手に持っているショールをセアラ様の肩に優しく掛けてあげる。彼女を心配するその眼差しは本当の母親のようだ。


「お邪魔しております、侯爵夫人」

「あら、アイネさん。いらしていたのね」


 一転、侯爵夫人の私を見る目は冷ややかだ。婚約が成立した当初から厳しそうなお方だなと思ってはいたが、これほどまでに目に見えて邪険にされることはなかった。態度があからさまに変化したのは、私がテレンス様とセアラ様の距離感について侯爵夫人にそれとなく相談してからになるだろうか。あのとき意を決して行った相談は、私への厳しい叱責とセアラ様に対する強い擁護で終わった。


 それにしても、先ほどからテレンス様は余計なことを言うなという目で、私に無言の圧力をかけてくる。私は仕方なく訪問した理由を偽って伝える。


「テレンス様にお伝えし忘れていたことを思い出しまして、寄らせていただいたのです。でももう用は済みましたので、これで失礼いたします」

「あらそう?」

「母上、セアラ。アイネはもう帰るところです。玄関ホールまで見送ってきますので、ふたりは先に部屋へ戻っていてください」

「え、アイネ様、もうお帰りになるんですか? 侯爵様──お父様ももう帰って来られるみたいですよ。せっかくならディナーをご一緒にと思ったのに」

「セアラ、アイネを引き止めちゃいけない。彼女も忙しいんだ」

「そうですよ、アイネさんにも予定というものがあるでしょうから、無理を言ってはいけませんよ」

「ええー、でもー」


 テレンス様と侯爵夫人の言葉に、セアラ様が残念そうにぷっくりとした唇を軽く尖らせる。


 幾度となく彼女からかけられるこうした無邪気な言葉を、出会ったばかりの頃の私は好意の表れだと素直に受け取り、できるだけ応えようと努めた。でも彼女の本心が言葉どおりではないかもしれないと気づいたのは、いつ頃だっただろうか。今ではよほどのことがない限り、こちらから侯爵邸を訪れることはない。


「せっかくのお誘いですが、あいにくこのあと自邸に戻って済ませなければいけない用事がありますので」

「そうですか? ではまたの機会に……、……っ、けほっ、けほっ……! す、みません、急に……っ」

「セアラ、大丈夫かっ!」


 さっきまで元気そうに笑っていたセアラ様が急に、息苦しそうに咳き込み始める。テレンス様は先ほど私が届けたハンカチーフを素早くセアラ様の口元にやり、反対側の手で彼女の細い肩を支える。


「無理をしてはいけないわ、早く部屋に戻りましょう」


 侯爵夫人もセアラ様の体に手を添える。応接室に控えていた侯爵家の使用人たちも一斉に慌て始める。それだけでなく侯爵夫人も使用人たちも、私がセアラ様に害をなしたとばかりに厳しく避難する目を向けてくる。


 まるで舞台劇のように、彼らはセアラ様を中心に回る。


 テレンス様のお父様の侯爵様はここまで過剰な態度は見せてはいないようだが、それでも彼女を特別視していることは一目瞭然で、息子のテレンス様にセアラ様の世話を任せていることが何よりの証拠だった。それに時々侯爵様自ら、セアラ様の体調が良いときには外に連れ出して王宮を訪問したり、ほかの高位家門の当主らと顔を合わせる場に呼び寄せたりしているという噂も聞く。


「……お邪魔いたしました、私はこれで失礼いたします」


 私の言葉など誰も聞いてはいないだろうが、礼を失しないようにそう言ってから侯爵邸をあとにする。


 待たせていた馬車に乗り込む。走り出してしばらくしてから、コリンナが口を開く。


「何と言いますか、私はあのご令嬢のことはあまり好ましく思えません。たしかに世間から見れば愛らしい見た目をしていらっしゃるかもしれませんし、気を抜くとつい絆されそうになる気もいたしますが、いくらお体の具合がよろしくないとはいえ、もう少ししっかりとした教育が必要ではないかと感じてしまいます」

「ふふ、ずいぶん大胆なことを言うのね」

「お嬢様が我慢強くていらっしゃるので、私が口に出すしかないのです」


 本当ならもっと言いたいことはあるのだろう。コリンナがセアラ様だけでなく、その彼女を優先するテレンス様にも憤りを感じているだろうことがひしひしと伝わってくる。頼もしい侍女の言葉に、削られた私の心がじんわりと温められる。


 私とテレンス様の婚約は、両家の共同事業が進む過程で結ばれたものだ。


 数年前、私たちのウェイク伯爵領地で金鉱山が偶然見つかった。しかし採掘できるだけの技術力や職人が乏しく、協力の手を差し伸べてくれたのがテレンス様のエルギン侯爵家だった。


 伯爵家門の中でも歴史が浅い我が家と、五大貴族の一角を成す名門エルギン侯爵家とでは力の差ははっきりしている。共同事業についてはあまり平等とはいえない契約内容だったが、かといってより条件の良いほかの選択肢があるわけでもなく、頼るほかなかった。


 当初、両家の間にあったのは事業パートナーとしての関係のみ、私とテレンス様の婚約の話などは出ていなかった。しかし半年ほど経ってから突如、侯爵家から婚約の申し出があったのだ。


 家格差のある我が家に声がかかったことに私は微かな疑問を抱いたが、詳しい理由は私のお父様にも分からなかったらしく、何か侯爵家側の中で事情が変わったのかもしれないとのことだった。


 当時十五歳だった私は婚約を心から喜べなかったが、すでに共同事業が進んでいる段階ということや、家門と領地の将来、そしていずれ家を背負う弟のことを思えば嫌とは言えなかった。


 テレンス様も私との婚約を望んだわけではないのは明白だった。


 純粋な好意のみで成り立つ婚約ではないことは理解している。


 それでも婚約した頃は今とは違って、お互いがお互いを気遣える関係を築けていたはずだった。


 勝手に優先順位をつけられ、約束をすっぽかされることも、出先にひとり置いていかれることもなかった。定期的に会って話題を探しながらも徐々に打ち解け、季節の贈り物をし合い、パートナー同伴のお茶会や夜会があればふたりで参加した。


 このままお互いのことを少しずつ知っていけば、理解し尊重し合える関係になれるだろうと思っていた。


 でも──。一体いつまで、後回しにされ続けなければいけないのだろう。





  ◇ ◇ ◇





 先日のガーデンパーティーで、私とテレンス様が口論したのはほんのわずかな時間でしかなかったが、いつの間にか『婚約解消、秒読みか』といった噂が広がり始めていた。


 中には、私の顔を見ると興味本位で近づいてきて、事の真相を確かめようとする暇なご婦人方もいるほどだった。


 噂の広がりを少しでも鎮めるためには、ふたり揃っているところを見せる必要がある。


 そんな折、外せない夜会があった。だからこそ、今夜は必ず来てほしいと伝えたはずなのに……。


「……いらっしゃいませんね」


 応接室の置き時計に目をやりながら、侍女のコリンナが言う。


 テレンス様が馬車で迎えにきて、一緒に向かう予定だった。


 さすがにもうそろそろ出発しなければ、失礼にあたってしまう。


 この時間になるまで何度か、テレンス様のエルギン侯爵邸に設置されている会話のできる通信魔道具で連絡を入れたが、受話器の向こうで彼が応対することはなく、使用人がしきりに「大変申し訳ございません。何度もお声がけしているのですが……」と繰り返すばかりだった。


 このままでは(らち)が明かないと、テレンス様のお父様の侯爵様に代わってほしいと伝えるも、あいにく所用で出かけており不在とのことだった。


 通話を終えると、私は後ろを振り返る。


「……もう行くわ。可能性は低いでしょうけれど、入れ違いでもしテレンス様が迎えに来られたら、先に向かった旨を伝えてくれる?」

「かしこまりました」


 私はぶつけようのない憤りを抱えたまま、急いで用意させた馬車にひとり乗り込み、会場へと向かった。


 結局、その夜テレンス様は来なかった。予想していたことだが、お詫びの連絡すらなかった。





 翌日、私が侯爵邸を訪ねると、テレンス様は少しの罪悪感も抱いていないように言い訳をした。


「行くつもりだったけど、セアラの具合が急に悪くなったんだ」

「連絡を入れようにも少しも目を離せる状況じゃなくて、それどころじゃなかったんだよ、分かるだろ?」

「君ならひとりでも何とかやれるじゃないか」


 テレンス様は使用人に一言伝えることすらできないほどだったと、平然と言ってのけた。


 そのうえ具合が悪いという張本人のセアラ様まで顔を出し、涙ながらに謝るのだ。


「アイネ様、ごめんなさい、私のせいで……。テレンスには、私のことは気にせず行ってきてと言ったんですが……」


 完全に私が悪者だった。


 テレンス様は私のせいだと言わんばかりに(にら)みつけ、この場を見守っている侯爵邸の使用人たちは主の家族を守るかのように明らかな敵意を向けてくる。


 この場にコリンナを連れてきていなくてよかった。私は重苦しい息を吐き出し、これ以上の話し合いは無駄だと彼らに背を向け、侯爵邸を出た。


 待たせてあった馬車に乗り込む。どさりと椅子に座ると、思わずいつも身につけている蜂蜜色の魔晶石があしらわれたブレスレットに手が伸びる。満たされていた過去にすがりつきそうになる衝動に駆られ、そんな自分にぞっとした。


(今さら連絡して、どうするの? 謝ることすらできていないのに……。この国にだっていないのよ……)


 私は小さく首を振る。子どもの頃幾度も目にした、難解な魔法書を熱心に読んでいる幼馴染の姿が瞼の裏によぎり、ぎゅっと目をつぶる。彼がこの王国を離れてから、長い年月が経ってしまった。


 目を開けると、自邸に戻る予定を変更し、御者に告げた。


「──三番街の魔法ギルドへ向かって」





  ◇ ◇ ◇





 テレンス様に夜会をすっぽかされたあの日から、気づけば三か月以上が過ぎていた。


 あれ以来、テレンス様とは一度も顔を合わせていない。


 あの日を境に、私はこれまで律儀に約束を守っていたのが嘘のように、テレンス様とは距離を置くようになった。


 すると最近になって、彼はようやく私の存在を思い出したのか、はたまた父親である侯爵様から何か言われたのか、急に連絡を寄越すようになったのだ。


 やけに機嫌を取るように、街歩きでもどうかと手紙で誘われたときは、『体調が優れない』と断った。

 観劇に招待されたから一緒に行かないかと声をかけられたときは、『その日は先約があるため難しい』と返した。

 またも連絡を寄越してきてパートナー同伴の夜会があると言われたときは、『足をくじいてしまったので、セアラ様に代わってもらえないか』と伝えた。


 さすがにここまで来れば、テレンス様も私がわざとすべての誘いを断っていることには気づいたようだ。


 通信用の魔道具を介して届く彼からの手紙や受話器越しに聞こえる声には、私への激しい怒りと苛立ちがはっきりと表れていた。


 そんな中、今日偶然私の姿を見かけたものだから、溜まりに溜まった怒りが一気に噴出してしまったようだ。


「おい、アイネ! 何で君がこんなところにいるんだ!」


 その日、私は王宮を訪れていた。回廊を急ぎ早に歩いていると、背後から大声で叫ばれたのだ。


 振り返った私が冷ややかな視線を向けると、テレンス様はより一層苛立ちをあらわにし近づいてきて言った。


「はっ、何だその目は! ちょっと会わない間にずいぶん傲慢(ごうまん)になったものだな。知ってるんだぞ、ここ最近君が言い訳ばかりして私のことを蔑ろにしてるってな‼︎ 今までの当てつけのつもりか? おい、アイネ! 何とか言ったらどうなんだ! 聞いてるのか!」


 強引に私の肩を掴み、うるさいくらいにギャンギャンと騒ぐ。テレンス様は今朝早くに侯爵様からの言いつけで郊外へ出かけ明日まで戻らないという情報を得ていたのに、まさかここで鉢合わせてしまうとは。


 私は彼の手を勢いよく振り払う。


「ここ最近多忙にしていましたので、あなたのために割く時間はまったくなかったんです。それにお言葉ですが、これまで散々約束を蔑ろにしていたのも言い訳ばかり口にしていたのも、テレンス様、あなたのほうじゃありませんでしたか? セアラ様を最優先するあなたの言い訳にはもううんざりしていたところです」

「おいっ! 誰に向かってそんな口を!」

「そもそもテレンス様はどうしてここにいらっしゃるんです? お戻りは明日になるのではなかったのですか」


 私はあえてそう訊ねた。案の定、テレンス様は自分の動向を知られていることに嫌悪感を示す。


「何だと? 私が不在のときを狙って動いているような言い方だな!」

「ええ、まあ」

「はっ! 太々しい言い方をして! 私はセアラのことが心配で早めに切り上げて戻ってきたんだ。でも父上が彼女を連れて王宮へ行ったと知って来てみれば、君がいるじゃないか。いいかアイネ、よく聞け。この際だからはっきり言ってやる。これまで父上の意向に従って大人しくしていたが、もう我慢の限界だ。分かっていると思うが、私の心はセアラにある。君との間違った婚約は一刻も早く解消できるよう、父上に掛け合うつもりだ。それさえ済めば、私はセアラを妻に迎えられる。彼女は養女だから一旦他家の養子にでもなれば、書類上は問題ない。君の伯爵家との共同事業のことはあるが、たとえこちらが不利になろうとも何としてでも婚約は必ず解消する! だから私のことは諦めろ、分かったな!」


 私はあからさまなため息を漏らし、立ち去ろうとする。


「おい! 分かったのかと聞いている!」

「あなたとこうして無駄な話をしている暇はありません。お先に失礼いたします」


 背中に刺さるような視線を感じながらも私はあえて振り返ることなく、その場から立ち去った。





  ◇ ◇ ◇





 そのあと私は王宮内の謁見の間、そのさらに奥に配置されている内謁見室(ないえっけんしつ)の扉の前まで来ていた。


 扉を守るように廊下に立つ近衛騎士がノックすると、中から威圧感のある重い響きの声が入室を許可した。


「──入れ」


 ひとまず私はテレンス様のことは頭の外に追いやり、目の前のことに集中する。緊張を押し隠しながら足を踏み出し、少しでも余裕があると見えるよう優雅にカーテシーをした。


(おもて)を上げよ」


 許しを得て顔を上げると、部屋の中央にある重厚な長テーブルを囲むようにずらりと並ぶ面々が視界に入り、一瞬怯みそうになる。


 私のような一介の伯爵家、ましてや当主でもないただの小娘が王宮に足を踏み入れることを許されただけでも畏れ多いのに、さらには謁見の間を飛び越え、内謁見室に入室するなど本来ならあり得ないことだ。謁見の間は陛下が臣下や他国の使節団と(おおやけ)に面会する公式の場として使用されるが、内謁見室は非公式な場になる。


「偉大なる国王陛下にご挨拶申し上げます。ウェイク伯爵家が娘、アイネにございます」


 長テーブルの頂点に国王陛下、左右の席にはそれぞれこの国の名門五大貴族家門の当主たちが勢揃いしている。公爵家が二家門、侯爵家が三家門。今日はこの場では、当主のみが参席を許される大貴族会議が開かれていた。


 当然ながらテレンス様のお父様、エルギン侯爵様の姿も見える。侯爵様は予期せぬ私の登場に目を大きく見開くも、すぐに平静さを取り戻し口を開いた。


「陛下、どうして五大貴族家門の当主でもない者がここにいるのでしょう?」

「ほう、そうは言うが、そなたも部外者を呼び寄せるつもりではなかったのか?」

「……どういう意味でしょうか」


 わずかに侯爵の顔に緊張が走ったように見えた。


 陛下が私に視線を送る。私は頷くと背後の扉を大きく開け放ち、廊下に向かって声をかける。


「連れてきてください」


 屈強な体つきの近衛騎士たちに両脇を抱えられ引きずられるように現れたのは、意識を失っている様子のひとりの小柄な人物。手首には細縄がつけられ、背後で縛られている。そのうえ黒いリボンで目隠しをされている。


 近衛騎士の後ろには、文官の服装に濃紺のローブを羽織ったふたりの若い男女。


 ふたりは部屋に入るとすっと前に出た。若い女性のほうがおもむろに軽く指をパチンッと鳴らす。すると、だらりとしていた小柄な人物がハッと意識を取り戻したように顔を上げた。だがすぐさま近衛騎士らの手によって、荷物のようにドサッと室内に放り込まれる。


「──っ、な、何⁉︎ 何なの! 痛いっ!」


 セアラ様に間違いなかった。


 彼女は視界が奪われているせいで状況が把握できないようで、体をよじりながら叫ぶ。


「ここはどこ! どこに連れてきたんですか! お父様! お父様はいないんですか‼︎ 私はあそこで待つように言われてただけです!」

「意識が戻った途端、よく喋る」そう言いながらあとから室内に入ってきたのは、王太子殿下だった。「私の私室にまで入ってきて待ち伏せするとは。明日は大事な日を控えているというのに、理解していないのか。いや、だからこそ今日を狙ったのか」

「手引きした者がいるはずだ」

 陛下の言葉に、殿下が頷いて答える。

「すでに捕らえて近衛騎士に引き渡してあります」


 私は呆れながらセアラ様に視線を落とす。行動を起こすとは思っていたが、まさか殿下の私室にまで忍び込むとは。


 途端に廊下が騒がしくなる。


「ほかにも辺りをうろつく者がいるな、ここへ」


 陛下の言葉を受けて、近衛騎士たちが開け放たれた扉からふたりの人物を室内に放り込む。


「おい、何するんだっ!」

「この無礼者! 侯爵夫人であるわたくしにこんなことをしていいと思っているの!」


 つい先ほど回廊で鉢合わせしたテレンス様と、屋敷にいるはずの侯爵夫人だった。


 床には厚手の絨毯が敷かれているので怪我をするほどの衝撃はないはずだが、ふたりは盛大に痛がり(わめ)く。


 テレンス様と鉢合わせしたことは予想外だったが、そのあときっと怪しんで私のあとをつけて来るだろうと思っていた。こうなればこの場でまとめて処理できるので、考えようによっては好都合だ。


 テレンス様と侯爵夫人は身内である侯爵様、さらに陛下の姿を目にして、混乱するように声をあげる。


「ち、父上⁉︎ それに──こ、国王陛下まで⁉︎」

「あなた! 一体どういうことなのですか!」


 ふたりを連れてきた近衛騎士が陛下に向かって報告する。


「侯爵のご子息は、この建物周辺で何か探るように歩き回っておりました。侯爵夫人は、正門近くに停車されていた馬車の中にいるところを発見いたしました」

「ま、待ってください! 私はアイネがこの建物に入っていくのが見えたから、そう、ただ気になっただけなんです! まさか陛下がいらっしゃるなんて知らなかったんです……!」

「わたくしだってそうですわ……! あなたがセアラを王宮へ連れて行ったと聞いて、あの子が体調を崩さないか心配で……!」

「ふたりして余計なことを……っ!」


 侯爵様が唇を噛み締める。テレンス様はなおも必死に言い訳する。


「アイネ、君は知っていたのか? ここに陛下や父上がいらっしゃることを。それにそこにいるのはセアラだろ! 縛り上げたうえ目隠しまでするなんて、なぜそんなひどいことを……! 早く解放し──」

「エルギン、子どもの(しつけ)が行き届いていないようだな。誰が発言を許可したのだ?」


 陛下がぞくりとするような威圧感で言う。

「も、申し訳ありません、陛下……」


 侯爵様が頭を下げる。テレンス様はハッと我に返り、真っ青な顔でようやく口を閉じる。


「しかしこうもアイネ嬢が危惧したとおりになるとは……、そなたも無駄な野望を抱いたものだな」


 獅子が獲物を捕えようとするかのように、陛下が侯爵様を威圧する。


「な、何をおっしゃって……!」

「『魅了』の特異体質。そなたが養女として迎え入れたその娘、持っておるのだろう?」


 陛下の思わぬ発言に、全員の視線が床に横たわるセアラ様に向けられる。


「ま、まさかそのような……、ははっ……」セアラ様から視線を外した侯爵様が不自然な笑みを浮かべて両手を広げる。「古い文献に残されているだけで、そんなもの本当に実在するわけがありません。セアラは普通の娘ですよ」


 すると、じっと成り行きを見守っていた殿下が圧を加えるように強い口調で言葉を発する。


「侯爵、しらを切っても無駄だとまだ分かりませんか? ついさっき私は身をもって経験しましたが、実際かなり厄介なものでした。あらかじめ分かっていても、何か抗えない力が働くように思考が奪われるんですから。その力で将来の王太子妃の座でも狙っていたんでしょうが、残念でしたね」

「そんなっ、私を疑っておられるのですか!」侯爵様が心外だとばかりに声を荒げる。

「まさか。疑うどころか、確信していますよ。魔法使い殿、あなたたちにはこの娘はどう見える?」


 殿下が、魔法使いと呼んだ相手──文官服の上に濃紺のローブを羽織ったふたりの若い男女に目を向ける。


 彼らは今回の件の協力者だ。


「『魅了の魔法を使う魔法使い』ではなく、『魅了の力を持った生まれつきの特異体質』かと。視線を合わせることで魅了の力が作用する性質だと思われます」


 男の魔法使い様がそう答えたあと、女の魔法使い様が言う。


「まだ検証は必要ですが、視線を合わせる頻度が高ければ高いほど効果が強まる傾向にあるようです。念のため、今は私の対抗魔法で力を押さえてあります。その者が普段から体調を崩しがちなのも、自覚がないまま力を使いすぎているためでしょう」


 続いて私も口を開く。


「魔法使い様が対処してくれていますが、こうして目隠しをしていればより安全ですので、くれぐれも外さないようご注意ください」


 室内にいる侯爵様を除いたほかの五大家門当主らがざわつく。きっとこれまで侯爵様が、当主らとセアラ様を会わせる機会を何度か設けていたはずだ。視線を合わせ好意的な感情を抱くような感覚に、思い当たる節でもあったのだろう。


「……殿下、影響はございませんか」


 私は殿下に近づきそっと確認する。決定的な証拠を得るためとはいえ、殿下自ら危険を顧みず囮役を務めてくださったのだ。近くで見ると彼は眉間に皺を寄せ、どこか苦痛を堪えているようにも見える。


「問題ない……、と言いたいが、気分はあまり良くないな。でもここだけの話に。心配させたくない」

「もちろんです」


 殿下が心配させたくない、というお相手は、明日の王宮舞踏会で婚約を発表する予定の子爵家のご令嬢のことだ。身分差のため周囲から難色を示されながらもそれを乗り越え、長年想いを寄せていたご令嬢とようやく婚約できるまで漕ぎ着けたのだ。


 婚約発表のことは公には知らされていないので、限られた者しか知らない。今日この場で開かれていた大貴族会議では、本来なら殿下とお相手の子爵家ご令嬢との婚約の承認が正式に下りることになっていた。


 しかし、エルギン侯爵様は表向きは異を唱えていない姿勢を見せつつ、水面下ではセアラ様を王太子妃の座に据えようと画策していたのだ。


 侯爵様の筋書きでは、セアラ様の魅了の力で殿下自らの言葉でセアラ様への愛を語らせ、この会議で婚約者の座を固めるつもりだったに違いない。とはいえ、陛下やほかの家門の当主たちが承認するわけがない。でも彼らもまたセアラ様の魅了の影響を受けていれば別だ。セアラ様の言葉ひとつですべてが意のままに動いていく。


 そして、明日開かれる舞踏会の場で大勢の前で婚約を宣言してしまえば、たとえその後魅了の力が弱まり正気に戻れる機会があったとしても取り消すことは容易ではない。それどころか、もし一夜をともにして決定的な証拠ができようものなら、それをネタに侯爵様はあらゆる手段を使って王室を追い詰めるだろう。きっとそれも目論んでいたはずだ。


 セアラ様が王太子妃になれば、ゆくゆくは王妃となる。あらゆる者を操れる人物が王妃となり、権力を欲する侯爵様が裏からこの国の実権を握る恐ろしい未来が待っていたのだ。


 陛下はエルギン侯爵様に鋭い眼光を向ける。


「エルギン、魅了の力を持つ娘を利用した王太子への洗脳未遂、および王室への謀反計画は大罪である。さらに、アイネ嬢の家門ウェイク伯爵領内にある金鉱山の採掘に関する共同事業を行いながら、裏では魔晶石の鉱脈を発見し不当に採掘、他国へ密売していたことも言い逃れはできぬ。後日開く貴族裁判で事の次第を明らかにし判決を下す。だが、爵位剥奪、所領と全財産の没収、エルギン一族についても相応の罰が及ぶことを覚悟するんだな。──騎士らよ、この者を捕らえよ!」

「お、お待ちください、陛下!」

「言い訳は聞かぬ。魅了の娘、そして息子と夫人も捕らえておけ」


 侯爵様とテレンス様、侯爵夫人はたちまち近衛騎士たちに掴まれ、床に押さえつけられる。


 目隠しされたままのセアラ様が叫ぶ。


「そんな、私は何も知らなかったんです……! 魅了の力って何なんですか、そんなことお父様は一言も……! 殿下にはあらかじめ特別な薬を飲ませているから見つめるだけでいいって……! そんな力があったんなら、私はもっと上手く立ち回っていたわ! もっともっとみんなから愛してもらえていたはずよ‼︎ お父様、どうして教えてくれなかったんですか‼︎」


 侯爵様は苦々しげに唇を歪め、額に青筋を立てて怒りをあらわにする。


「どうしてだと? よく言う、だからだろうが! そんな力があると知れば、強欲で野心家なお前は私よりも優位に立ったと勘違いして勝手に動き回り、私の計画をめちゃくちゃにするのは目に見えていた‼︎ それどころかその力を利用して、すべてを意のままに操り自分のものにしようとしただろう! 現に、テレンスとアイネ嬢の婚約解消の噂を流したのもお前だろう! 私が気づいていないとでも思っていたのか? こんな小娘なんぞに期待した私が愚かだった‼︎」


 セアラ様は屈辱を味わったように肩を震わせる。しかしすぐに侯爵様のほうから顔を背け、声を頼りにテレンス様がいるほうへ顔を向ける。目隠し越しに涙が彼女の頬を伝う。


「テレンス! ねえ、テレンス! あなたは私を愛してるって言ってたじゃないですか、何とかしてください‼︎」

「……なっ! セアラ、やめろ! 私は養女である君を家族として迎え入れていただけに過ぎない! 勝手なことを言うな!」

「ひどい! 私を見捨てるんですか⁉︎ アイネ様より私のほうがいいって、あれほど言ってたくせに‼︎」

「だ、黙れ! お前なんか知らない!」

「テレンスッ!」

 侯爵様がおぞましいものでも見るようにわなわなと震え、血走った眼で怒りをむき出しにする。

「セアラのそばを離れず気遣えとは言ったが、好意を抱くなど……! あれほど家族以上の感情は持つなと言ったのに、まだ分かっていなかったのかっ!」

「父上こそ、なぜセアラのような女を養女にしたのですか! こうなったのもすべて父上の身勝手な行いのせいではありませんか! 私は何も知らされていなかったというのに……!」


 私は何を見せられているのだろう。醜い言い争いに呆れ果てていると、テレンス様が強引に体を動かし、すがるような目で私を見上げてくる。


「アイネ、助けてくれ……! 君だって婚約者の家門が潰れたら困るだろう?」


 するとまるで立ち塞がるように、男の魔法使い様が私とテレンス様の前に立つ。


「魔法使い風情が、そこをどけ! アイネ、頼む……っ!」


 男の魔法使い様はより警戒感を強めている。守ってくれているかのようなその動作に、私は不思議と安堵する。


 男女の魔法使いのふたりは三か月前、魔法ギルドの紹介を受けて以来、ずっと私に協力してくれている者たちだ。


 女の魔法使い様は精神系の魔法に特化した人物で、魅了の力にも対抗できる腕前を持つ。男の魔法使い様も上位の魔法使いと聞いている。どちらも魔法が発展している隣国から、この国の魔法ギルドへ今回特別に派遣された魔法使いだという。彼らの協力なしでは、魅了の力を持つセアラ様に対抗することは難しかっただろう。


「婚約のことならご心配なく」

 そう言って私は男の魔法使い様越しにテレンス様を一瞥し、すぐに陛下に視線を移す。

「陛下、私の願いを叶えていただけるというお約束、今その願いを申し上げてもよろしいでしょうか」

「うむ、申してみよ」


 私は一歩前に出て、陛下の正面に立つ。胸に手を当て恭しく頭を下げる。


()()をもって、我がウェイク伯爵家はエルギン侯爵家との婚約を破棄し、両家で進められてきた共同事業の鉱山採掘にかかわる技術面は今後、王室にご支援いただきたく存じます」


 陛下が深く頷いてくださる。


「──許可する。ウェイク伯爵家アイネ嬢とエルギン侯爵家息子との婚約は、昨日時点で破棄されたものと見なす。こたびのことはウェイク伯爵家に影響が及ぶことは一切なく、すべてはエルギン侯爵家の責である。また国王の名のもと、事業に関して王室ができる限り支援をすると約束しよう」

「有り難く存じます」


 テレンス様がより一層激しく体を揺すり、少しでも私に近づきすがりつこうとする。もうなりふり構ってはいられないようだ。


「アイネ! 聞いてくれ……! その魅了の力とやらで、私もセアラに洗脳されていただけなんだ。そうじゃなければ、婚約者の君よりもその女を優先するなんてあり得ない! 私は無理やり心を歪められていただけで、自分ではどうしようもなかったんだ、それなのに私を責めるのか……! 婚約破棄だなんて許さない‼︎」

「それ以上近寄るな」


 殺気を纏わせた男の魔法使い様がひやりとする声を発し、指をパチンと鳴らす。


 テレンス様の手と足がたちまち凍てついた氷で固まる。


 一瞬、私はどきりとする。怯えたからじゃない。魔法使い様の声が、もうずっと会えていない年上の幼馴染──リカルドの声に似ているからだ。


 髪や瞳の色はまったくの別人なのに、知り合って以来その声を聞くたび私の胸はざわつく。子どもの頃に喧嘩別れしてしまったので、あれから成長した彼が今どんな青年になっているのか、私には知りようもない。


「──っ! な、何だ! やめろ‼︎ い、痛い──‼︎」


 込み上げそうになる懐かしさに蓋をし、私は苦痛に顔を歪めるテレンス様を冷ややかに見下ろす。


「あと、せっかくだから教えてあげるわ。魅了の力は血縁者には効かないそうよ。だから侯爵様やあなたには最初から影響はなかったということ」

「な、何を……」

「アイネ嬢! 口を閉じるんだ‼︎」


 ある可能性を告げられ、信じられない様子で蒼白になっているテレンス様、その息子とは対照的に、侯爵様が憤怒の形相で私を睨みつけてくる。でも私は続けて言った。


「セアラ様の血の繋がった実のお父様は、エルギン侯爵様。そして侯爵様の息子であるあなたは、セアラ様の異母兄ということよ。あなたは()()()セアラ様に惚れていたのね。言い訳はもう結構ですので、おふたりで幸せになれるものならどうぞご勝手に」


 侯爵夫人があまりのショックに意識を失う。


 内謁見室内にいる各家門の当主たちはエルギン侯爵家の者たちに非難の目を向けながらも、嵐に巻き込まれたかのような怒涛の展開に、家門を背負う当主としてどう対応すべきかを素早く考えている様子だ。


 場を制するように、陛下が口を開く。


「皆の者、余の許しなくここで起こったことを他言してはならぬ。──さあ、その者らを連れていけ」


 エルギン侯爵様、テレンス様、侯爵夫人。そしてセアラ様が、近衛騎士たちの手によってずるずると内謁見室の外へと連れ出されていく。


 悪あがきするように侯爵様とセアラ様はまだ何か叫び続けていたが、誰も聞いてはいなかった。





  ◇ ◇ ◇





「殿下──!」


 今にも泣き出しそうな表情で内謁見室の中に駆け込んできたのは、殿下の婚約者となる子爵家のご令嬢だった。万が一にでも危険が及ばぬよう、それらしい理由をつけて彼女には部屋で待っていてほしいと伝えてある、と殿下からは聞いていたが。いつもと違う様子に何かを察知して、どうにかして部屋を抜け出してきたのだろうか。


 心から想い合うふたりが抱き合う姿に、私の心まで洗われる。


 陛下は五大貴族家門──近いうちに四大貴族家門に変わるだろうが、それぞれの当主たちと厳しい表情で話し合いをしている。名門エルギン侯爵家が取り潰されれば、今後王国内の勢力図が大きく変わることになり、しばらくの間は落ち着かないだろう。


(私も早く伯爵邸に戻って報告しなければいけないけれど……、怒られそうね)


 私は今日のこと、これまで水面下で動いていたことは、お父様とお母様、弟、家族の誰にも知らせていない。言えば絶対反対されると思ったし、正直私が予測したことが合っているのかも分からなかった。もし合っていても上手く対処できなかったときには、家族は何も知らず私が単独で行ったことにして私ひとりを切り捨ててもらえばいい。そうすれば家門へ何かしらのお咎めがあったとしても、陛下の慈悲にすがって許しを乞うこともできると思ったからだ。


「アイネ様」


 女の魔法使い様が、男の魔法使い様と私のそばまでやってくる。


 私は彼らふたりに向かって、礼を述べる。


「魔法使い様、このたびはご協力いただき本当にありがとうございました。報酬は魔法ギルドへ早急にお支払いしますので」

「いえいえ、報酬などいただけません! ギルドのオーナーからもそう言われていますから」

「え、でも……」

「今回、私が魅了の力に対抗できる魔法を新たに編み出せたのも、アイネ様のおかげです。魅了を含む精神系の魔法は私の専門ですが、あの女は魔法使いではなかったですからね。アイネ様が精神系魔法と精神系の力の作用に特化した『無力化の特異体質』をお持ちで、我々に協力してくださったからこそですよ」


 女の魔法使い様はやや興奮気味に言う。


 彼女の言うとおり、私がセアラ様と同じく(まれ)な特異体質だったからこそ、これまでセアラ様の魅了の力による影響を受けずに済んでいたのだ。


 セアラ様がエルギン侯爵家の養女になってしばらく経った頃から、私は彼女に対してある疑問を抱くようになっていた。


 ──セアラ様はもしかしたら魔法使いで、魅了の魔法を使って周囲の人間を取り込んでいる可能性があるのでは……?


 魔法使いが少ないこの王国で、魅了の魔法の存在を知る人間は限られる。でも私はそれを知っていた。


 なぜなら、幼い頃から非凡な魔法の才能を発揮していた幼馴染の公爵子息、リカルドがいたからだ。


 いつだったか、魔法書を開いているリカルドの傍らで、彼から魅了の魔法の存在について聞いたことがあった。セアラ様と接するうちに、私はその可能性を考えるようになった。


 疑いは日を追うごとにどんどんと大きくなり、テレンス様の横暴さにもついに我慢の限界を迎えた私は、三か月前のあの日、魔法ギルドへ相談に行ったのだ。


 そして王国魔法ギルド所属の魔法使いたちの協力だけでなく、後日隣国から特別に派遣された男女の上位魔法使いふたりからも力を貸してもらえることになり、密かに侯爵邸への潜入調査を進めた結果、セアラ様は『魅了の魔法を使う魔法使い』ではなく、『魅了の力を持つ特異体質』であることを突き止めた。


 老魔法使い様から得た情報、古い魔法書や文献、伝承を漁って集めた情報それらから分かったことは、制約がない魅了の魔法とは異なり、魅了の力は血縁者には影響しないらしいということだった。


 私はセアラ様とその周囲を注意深く観察した。


 すると侯爵様の場合、侯爵夫人や侯爵邸の使用人たちが見せるような過剰なまでの好意的な反応とは異なり、きちんと自我を持ち、それどころか何か裏がありそうな気配すら感じた。


 テレンス様の様子は判断が難しかったが、ギルドの息がかかった医師を潜り込ませ密かに血縁鑑定を行ったところ、侯爵様とテレンス様のふたりはセアラ様と血の繋がりがあることが分かったのだ。


 思いもよらない真実だった。


 侯爵様は自身の子どもを(みごも)った女性を、自分に逆らえない男爵家の当主に(めと)らせ、王都から遠く離れた南地方へと追いやった。のちに生まれたのがセアラ様だった。


 そしてまさかの展開だが、私自身も特別な力があることが、ギルドの魔法使いたちの気づきで判明した。


 自分にそんな力があるとはそれまで知らなかった。聞かされたときは心底驚いたほどだ。


 私の力は熟練の魔法使いたちにとっても未知な部分が多いようで、頼まれて研究に協力することになった。その結果、魅了の力に対抗できる新たな魔法が編み出されたというわけだ。


 エルギン侯爵家の思惑は事が事だっただけに、私は王太子殿下宛てに密かに手紙を送り、接見の機会をいただきたい旨を願い出た。


 本来ならたかが伯爵家の娘の私が一国の王太子に連絡を取ることすら難しいが、子どもの頃のわずかな繋がりをまだ覚えていてくださっているのなら、希望はあるだろうと思った。殿下と私の幼馴染のリカルドは幼い頃からの仲で、その縁もあり子どもの頃の私も殿下に対面させていただいたことが少しだけあったから。


 その後、殿下との接見が叶い協力してもらえることになり、今回の誘導作戦が実行されたのだった。


 ふたりの魔法使い様が身につけている文官の制服は借り物だ。王宮内で動き回っていても不自然がないよう、殿下が事前に手配してくださった。


「あの女の魅了の力、とても興味深いですね。貴国の王太子殿下からも許可をいただいておりますし、検証実験に参加できるのが今から楽しみで仕方ありません」


 女の魔法使い様の言葉に、魔法使い特有の自分の興味のあることに没頭する(へき)が垣間見え、私は苦笑いする。一体どんな検証が行われるのやら。私の場合はかなり配慮し抑えてくれていたようだが。


 いつの間にか近くに殿下が来ていた。


「アイネ嬢、また改めて礼は正式に伝えるが、こたびのこと感謝してもしきれない。ところで……」


 殿下はなぜかチラチラと男の魔法使い様に目をやる。


 女の魔法使い様も相方の顔を見ていたが、ややあって大袈裟なほどため息を漏らして言った。


「……はあ。アイネ様、たとえばですが、想う女性が自分の知らない間に別の男と婚約してしまって自暴自棄になりかけているようなとんでもなく情けない男がいたとしら、どう思います?」

「それはぜひ聞きたいな」

「──っ、おい!」


 女の魔法使い様の質問に殿下がなぜか前のめりで興味を示し、男の魔法使い様が慌ててそれを制する。私は彼らの顔を交互に見る。質問の意図が分からないが、とりあえず返答する。


「……ええっと、お気の毒、としか……?」

「あーはははっ!」


 殿下が盛大に腹を抱えて笑う。女の魔法使い様は後ろを向いて必死に口元を押さえている。


 男の魔法使い様を見れば、眉間に皺を寄せ、何かを堪えるように肩を震わせている。


(もしかして、こちらの魔法使い様のことだったのかしら……?)


 それは申し訳ないことをした。もっと真剣に答えるべきだった。多大な恩がある方なのに。


「あの、えっと……」


 私が当惑しながらおろおろしていると、女の魔法使い様は腰に手を当て呆れたように肩をすくめる。


「それはそうと王太子殿下、あの女の扱いについての注意事項でお話ししたいことが。あちらで少しよろしいですか?」

「ああ、構わない」


 殿下が歩き出し、そのあとに女の魔法使い様も続く。だが彼女はふと足を止め、肩越しに振り返る。


「おふたりの間に何があったかは知りませんが、この機会に話し合われたほうがいいのでは? また後悔するようなことになっても知りませんよ?」


 そう言うと、彼女は指をパチンッと軽く鳴らした。男の魔法使い様の耳についていたピアスがいとも簡単に外れ、足元の絨毯の上に落ちる。


 落ちたピアスを目で追ったあと顔を上げた瞬間、私はポカンと口を開けてしまう。


「……え?」


 なぜならそこには、子どもの頃に喧嘩別れして以来、疎遠になっていた幼馴染のリカルドの面影がある青年が立っていたのだ。


 私は訳が分からず、慌ただしく左右を見回す。


「ど、どういうこと……⁉︎ 男の魔法使い様は⁉︎ き、消えた……⁉︎」

「……違うから」

 そう言って彼が前髪をくしゃりと掻き上げる。息を吐き出し、私をまっすぐ見つめてくる。

「変身魔法を付与した魔晶石付きのピアスで、髪と瞳の色を変えてたんだ」

「……髪と瞳の色を、変えてた? ……そんなこと、できるの? ……ほ、本物? リカルドなの?」

「ああ」


 信じられず、私は思わず宙に手を伸ばす。彼が成長した姿を数えきれないほど、何度も何度も想像した。でも実物はそんな想像など軽く飛び越えていく。私は彼から目が離せなかった。


 不機嫌そうにリカルドが口を開く。


「何で?」

「え?」

「……何で俺に連絡くれなかったの?」


 そう言って私の手首に視線を落とす。


 そこにはあるのは、いつも私が身につけている蜂蜜色の魔晶石が等間隔にあしらわれたチェーンのブレスレット。子どもの頃、リカルドからもらった大切なもの──通話が可能な魔道具だ。その頃から魔法の才能に秀でていた彼が特別に作ってくれた。


 お互い離れた領地にいても、これがあれば好きなときに会話ができた。ベッドで布団の中に潜っていてもまるで隣にいるかのように『おやすみ』を言い合える瞬間が、何よりも幸せだった。


 十一歳のあのとき、喧嘩したあと謝るタイミングを探しているうちに、二歳年上のリカルドは魔法が盛んな隣国で大使を務める叔父様のもとでさまざまな経験を積むため、王国を離れてしまった。結局私は謝ることができず、旅立ちの言葉さえ伝えることも叶わず、残ったのは深い後悔だけ。何度も手紙を書いては、出せないまま箱の中に溜まっていった。


「あ……」


 私は視線をさまよわせる。


 本当は魔法ギルドに駆け込む前、今回のことを理由に彼に連絡すればいいと思った自分がいた。でもいざそのきっかけが掴めそうになると、途端に弱気になった。もう子どもじゃないのにたった一歩の勇気を出せない。それに……、今連絡を取るということは私の状況も話す必要があるということで、事実とはいえ婚約者に蔑ろにされている惨めな女だと彼に知られるのが恥ずかしかった。


「……はあ」


 すぐそばから苛立ちを含んだ深いため息が聞こえ、私の体が硬直する。


(きっと呆れた……、わよね……)


 国の行方を左右するかもしれない一大事だというのに、子どもの頃の喧嘩を理由に私が連絡するのを拒んだと思っているのかもしれない。私の視界の先には、リカルドの靴先と自分のドレスの裾が見える。彼がどんな表情をしているのか、顔を上げて確かめるのが怖かった。


 ふいに自分の手首の表面、微かにぞくりと甘く痺れるような感覚があった。


 見れば、リカルドのすらりとした人差し指の先が、私の手首についているブレスレットの細いチェーンを軽く引っ張っていた。変な意図はないと分かっているけれど、過剰に反応してしまう自分が恨めしい。


「ちょ、ちょっと……」

「あのさ、いい加減もう無理なんだけど。……ごめん。あのときは俺が悪かった。だから許してほしい」


 予期せぬ言葉に、私は思わず顔を上げる。


「仲直り、したいんだけど」


 そう言った彼の目元がわずかに熱を帯びているように見えるのは気のせいだろうか。


 あんなにも重かった一言が、驚くほどするりと私の口から出る。


「わ、私も……! ずっと謝りたかったの、ごめんなさい! でも勇気が出なくて、もし許してもらえなかったらきっと立ち直れないから……」

「それは俺のほうだよ。あのときのアイネが、うちの公爵邸の庭で来客の男子たちと取っ組み合いの喧嘩をしたのは、本当は俺のために腹を立ててくれたからなんだろ? そんなことも知らずに怪我してるアイネを心配するあまり、頭ごなしに怒ってごめん」


 私の瞳には涙が滲んでいた。ようやく本当の自分の場所に帰ってきたような安堵感が胸一杯に広がる。


 久しぶりに見た彼の顔が眩しくて、私は目を細める。


 しかしふと、あることに気づく。


(……え、ちょっと待って。あの男の魔法使い様がリカルドだったってことは、三か月前から一緒にいた……のは……⁉︎ 嘘……⁉︎ 私、何を話してた⁉︎ 世間話だと気を抜いて、いろいろなことを話した気がするわ……‼︎ そう、このブレスレットだっていつも身につけてるのを見られてたってこと? 喧嘩してから会えていないのに、私ばっかり未練たらしくしてた情けない姿も……⁉︎)


 私は口をハクハクさせ、リカルドを見上げる。


「な、何でもっと早くあなただって明かしてくれなかったの⁉︎ リカルドだって知ってたら、ブ、ブレスレットだって隠したのに! それにあんなことやそんなことまで話したりしなかったわ‼︎」


「いや、だって、アイネは俺に会いたくないんだろうと思ってたから仕方なく……。でも危ないことに首を突っ込んでるのを魔法ギルド経由で知って、居ても立ってもいられなくて慌てて帰ってき──」

「──そんなわけないでしょ!」私は彼の言葉を遮る勢いで叫ぶ。「すごく会いたかったに決まってるじゃない!」


 もう怒ってるのか喜んでいるのか分からなくなっていた。こんなぐしゃぐしゃな顔なんか見せたくないのに。少しでも綺麗になったなって思ってもらいたいのに。


「……ん、おほん」


 唐突に不自然な咳払いが聞こえた。


 ハッと振り向くと、そこには拳を口元に当て視線を微妙に外してくださっている陛下がいた。陛下のそばには、今日開かれていた大貴族会議に参席していた各家門の当主たち。その中には一角を成す公爵家の当主であり、リカルドのお父様の姿も見える。


「……お前たち、よそでやりなさい」


 私はとんでもなく恥ずかしい思いに身悶えしながら、たまらず両手で顔を覆った。





最後までお読みいただき、ありがとうございます(*ˊᵕˋ*)


「ほかの女性を優先する言い訳ばかりの婚約者に蔑ろにされるヒロイン」を書こうと出発したのですが、今回はいろいろと苦戦してしまい……、やっとお届けできました。楽しんでいただけたら嬉しいです。


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― 新着の感想 ―
とんでもねぇ面子に見られてて草
急にリカルドが生えてきてワロタ。 少しは伏線張りなよ。
魅了のせいで婚約者や妻を裏切った場合、裏切った男も被害者じゃないかって問題が出てくると思うのですが(薬を飲まされて強姦された女がいたとして、その婚約者や夫が女を『薬を飲んだのは元々好意があったからだろ…
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