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第2話 悪役令嬢は「紅茶の飲み方」すら疑われる

塔の一室は、異様なほど静かだった。


処刑台の喧騒が、まるで遠い世界の出来事のように感じられる。


冬野ひかりは、重厚な椅子に座らされながら、目の前のカップを見つめていた。


紅茶。


湯気が立っている。


ただそれだけなのに、どう扱えばいいのかわからない。


(これ、飲んでいいやつ……?)


「飲め」


低い声が落ちた。


顔を上げると、金髪の男――アルベルト王太子が、冷たい目でこちらを見ていた。


その隣には黒髪の騎士ジルベール。


そして、少し離れた場所に銀髪の少年。


三人とも、同じように“観察している”顔をしている。


まるで、壊れた何かを確かめるように。


「……いただきます」


ひかりはカップを両手で持ち上げた。


その瞬間。


「……っ」


ジルベールが、わずかに息を詰めた。


「どうかしました?」


ひかりが首を傾げると、彼は目を逸らした。


「いえ……何でもありません」


その“何でもない”が、明らかに何でもある顔だった。


アルベルトが静かに言う。


「クラリスは紅茶を両手で持たない」


「え?」


「左手のみだ。右手は常に自由にしていた」


「……なんでですか?」


「敵意に即応するためだ」


ひかりは固まった。


(いや、そんな理由ある?)


だが、誰も笑わない。


むしろ、当然のように受け入れている。


その瞬間、ひかりは理解した。


この世界において、“クラリス”という人物は――


すでに“完成された危険人物”として記録されている。


「次だ」


アルベルトが合図すると、扉が開いた。


白い修道服の女が入ってくる。


柔らかい金髪。


穏やかな笑み。


光そのもののような雰囲気。


「聖女セシリア様だ」


銀髪の少年が小さく呟いた。


聖女。


その言葉に、ひかりは違和感を覚える。


(聖女……って、こういう人なんだ)


優しすぎる。


完璧すぎる。


逆に怖い。


「クラリス様」


セシリアは微笑んだまま近づく。


その瞬間――


ひかりの頭に、鋭い痛みが走った。


「っ……!」


視界が揺れる。


誰かの声がする。


『いい子ですね』


『そう、そのまま壊れていきましょう』


「……やめて」


思わず声が漏れる。


その声は、自分のものではなかった。


周囲が凍りつく。


ジルベールが一歩前に出る。


「離れろ」


セシリアは驚いたように目を瞬かせた。


「まあ……どうしてですか?」


「彼女が怯えている」


「わたくしが、ですか?」


その微笑みは完璧だった。


完璧すぎて、ひかりには逆に寒気がした。


アルベルトが低く問う。


「クラリス。聖女に対する恐怖は?」


ひかりは混乱した。


恐怖。


確かにある。


でも理由がわからない。


ただ――


「怖いです」


正直に言った。


「理由はわかりません。でも、近づかれると頭が痛くて……」


その瞬間。


セシリアの笑みが、ほんの一瞬だけ揺れた。


誰にも気づかれないほど、わずかに。


だがジルベールは見ていた。


そして、目を細めた。


「……やはりな」


アルベルトが振り返る。


「何が“やはり”だ」


ジルベールは言葉を選ぶように沈黙し――


そして、言った。


「クラリス様が変わった時期と、聖女が現れた時期は一致しています」


空気が止まる。


銀髪の少年が顔を上げる。


「それって……」


「偶然かもしれない」


アルベルトは即座に否定した。


だが、その声は揺れていた。


ひかりは気づく。


この世界では“聖女”は絶対的な存在だ。


疑うこと自体が危険な立場。


それでも――


誰かがすでに疑い始めている。


そのときだった。


ひかりの頭に、再び映像が流れ込む。


暗い部屋。


少女。


鎖。


白い手。


『あなたは悪役になるべきです』


ぞっとするほど優しい声。


「っ……!」


ひかりは椅子から崩れ落ちそうになる。


ジルベールが即座に支える。


「クラリス!」


その声は、初めて“彼女個人”に向けられていた。


セシリアは静かに見ていた。


まるで何も起きていないかのように。


だがその目の奥に――


ほんのわずかな“興味”があった。


アルベルトが低く言う。


「聖女殿。今日はこれでお引き取りを」


セシリアは微笑む。


「はい。ですが――」


一拍。


「クラリス様が、元に戻られることを願っております」


その言葉は優しかった。


なのに。


ひかりは背筋が凍った。


セシリアが去ったあと。


部屋は重い沈黙に包まれた。


ルカが小さく呟く。


「……兄上、今の、怖かった」


「黙れ」


アルベルトは即答した。


だが彼の顔もまた、揺れていた。


ジルベールは静かに言う。


「クラリス様は……かつて、あのような恐怖を見せたことがありませんでした」


ひかりは息を呑む。


つまり。


今の自分は――


クラリスよりも人間らしい。


それが、異常だと判断されている。


(なにそれ)


(怖すぎるでしょ、この世界)


そのとき、ジルベールがぽつりと言った。


「……あなたは、本当に誰だ」


ひかりは少しだけ笑ってしまった。


「冬野ひかり、です」


「それが、真実なら」


ジルベールは視線を落とす。


「クラリスは……どこへ行った」


その問いには、誰も答えられなかった。


ただ一つだけ確かなことがあった。


この世界は今――


悪役令嬢が消えた理由を、誰も理解していない。


そしてその空白に。


まったく別の少女が、落ちてきたということだけだった。

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