#73 真正面から
それでも、ノアマスターにも問題がある。『友達』と呼んでいたはずなのに不都合な言葉を吐かれた瞬間に『モノ』として捨ててしまう。そんなの人間のエゴすぎる。ノアマスターは本当は何が欲しかったのか。都合のいい存在が欲しかったのか、そんな王様みたいな。そんなの、“友達”じゃなくて支配だ。
クレア・ノアちゃんは、ハンカチを握りしめたまま俯いている。その姿は、捨てられた子供みたいだった。なのに、所有権はノアマスターにある。
やはりIDollとは対等になれないのか?
結局は主従のおままごとのように見えてきてしまう。
クレア・ノア「あたしはどうすれば…。」
クレア・ノアちゃんの呟きで意識が考えから戻ってくる。その答えはやっぱり—
シキ「帰ろう、クレア・ノアちゃん。」
クレア・ノア「え、でも今マイディアルは…。」
シキ「大丈夫。帰れるように考えがあるから。やっぱり、2人は話し合わなきゃダメだよ。“真正面から”。」
ノアマスターにはこちらも言いたいことがある。
*
翌日、昨夜はナツミに襲われてしまったことからもシェイラちゃんからアイディアルにくることは避けるように言われてしまった。だからこそ、現実でやりたいことがある。
バス停が目の前の美容院のお家。ここか。ん…?ここは…。
人と対面で接する機会がめっきり減った今の世の中。それでも、美容師は残った数少ない職業だ。というのも、人の髪は生理現象で伸び続けるものだし、似合うかどうかの判断や一人一人の骨格、雰囲気、好み、トレンドに合わせて微調整を繰り返す作業は機械には不向きな仕事だったのだ。
バス停のすぐ目の前。ガラス張りの店内では、人と機械が並んで働いていた。
カットのシミュレーション、髪型の提案、カラー剤の調合、シャンプーなどは機械の領分になっている。
どうしてここまで詳しいのかというと以前特集で取材したことがある『美容院は自分をどう見せたいか一緒に考える場所だから、必要なのはただ髪を切る技術だけじゃなくてお客様に似合わせる審美眼。だから人が必要。』なのだと、その時はおしゃれで綺麗なお姉さんが回答してくれた。
そう、ちょうどその取材に訪れた美容院じゃないか。お店の前に立っているとその時インタビューに答えてくれたお姉さんがこちらに気がついてくれた。
*
…やることがない。アイディアルにはもう入りたくない。クレアに自分を否定されるのは体をバラバラにされるほど耐えられない。次に何を言われるのか怖くて顔も見れない。SNSもエゴサも気分が乗らないし、何より楽しかった時の記録があるからそれに触れるのが辛かった。
ノア「はぁ…。クレア…どうして…。」
『いつまで「好き」って言わなくちゃいけないの?自分で言わせてて虚しくならない?それとも、作られた(プログラミングされた)“愛”を伝えられて嬉しい?ノアはそんなので満たされるの?』
クレアはそんなこと言わない。いつだって俺を見てくれて、肯定してくれて…。
『現実から目を背けて、理想の世界に閉じこもって…恥ずかしいよ。恋人ごっこだなんて気持ち悪い。』
あの時の様子がおかしい、嘲笑うようなクレアの言葉が何回もリフレインする。
『ハハッ…心底軽b…』
その時突然、ロックしているはずの自室の扉が開いた。
次の瞬間、胸ぐらを掴まれ——
ノア「は!?誰!?何!?うぉっ!?」
思い切りベッドに投げ倒された。
ノア「…………………。」
*
呆気にとられるノアマスターが布団に崩れている。
シキ「逃げたくなる気持ちはわかる。傷ついたら、無かったことにしたくなるのも。でも、本当にいらないんですか?不都合になったら、理想通りにいかなかったら、それで『はい、おしまい』なんですか!これまでの事とか、みんなみんな拒絶して全部無かったことにするんですか!!そうやって振り出しに戻るんですか!人生は“ママごと”じゃないんだ!!」
そこに携帯端末を見せつける。
クレア・ノア《ノア!!!!》
ノア「!クレア!…泣いているのか…?」
クレア・ノア《誰のせいで〜!》
シキ「2人には話し合いが必要です。向き合うんです。もう逃げられませんよ。」
ノア「アンタはあの時の記者…!?どうやって入ってきた!」
シキ「以前、お姉さんを美容師として取材して顔見知りだったんです。それで弟さんに用があると伝えたら快くお家に入れてくれました。あとはクレア・ノアちゃんが。」
クレア・ノア《ノア、私に家中のロックや機械の権限くれてたよね。それで記者さんに入ってもらったの。》
ノア「なっ…!?」
シキ「それもこれもここまで向き合うことからノアマスターが逃げ続けてきたからですよ。観念してください。」
そうして、こちらの携帯端末に入っているクレア・ノアちゃんを端末ごと差し出した。ノアマスターはクレア・ノアちゃんの涙を見てからしおらしく、端末を受け取ってその中にいるクレア・ノアちゃんを覗き込んだ。
クレア・ノア《ごめんなさい!意図してなくてもノアを傷つけてしまったことずっと謝りたくて。でもね、聞いて欲しいの。あれは私の本心じゃない。一瞬何かにハッキングされて…気がついたらあんなこと口走っていたの。でも、あれはあたしの意思じゃない。でも、ハッキングに負けちゃって、あたし、アイディアルでNo. 1のシンパサイザーなのに…!だからごめんなさい。》
ノア「クレア…。」
ノアマスターは、クレア・ノアちゃんの涙を前に完全に狼狽えていた。ああ、この人、本当にクレア・ノアちゃんのこと好きなんだな。
シキ「今アイディアル騒がしている、都市伝説が実態を持って暴走を始めているんです。クレア・ノアちゃんは最初にその煽りを受けた可能性が高いです。だから、客観的に見てもあの時のクレア・ノアちゃんの言動は異常だったと思います。」
ノア「そ、そうだよな。IDollがマスターを傷つけるような言動をするわけない。」
ノアマスターは、自分に言い聞かせるみたいに呟いた。その言葉には明らかに安堵が含まれていた。
ノア「……でも、あの時の言葉、全部忘れることはできない。……でも、それでも、クレアの言葉を信じたい。」
クレア・ノア「ノア…!」
ノア「…クレアは…?もう大丈夫なのか?」
クレア・ノア《うん。今は異常も検知されてないよ。でも…もう同じことが起きないように、防御は強化した。……ほんとに、大丈夫だと思う。》
ノア「そっか…。」
シキ「ノアマスターも言うことあるでしょ。」
ノア「え!?あ…俺も…クレアの話よく聞かず避けちゃってごめん…。“クレア”じゃないとか、いらないとか酷いこと言ったな…ごめん…。」
クレア・ノア《!ううん、いいの。》
——ひとまず、言葉は通じた。
シキ「これで、ノアマスターはアイディアルに戻れますね。」
ノア「ああ。」
クレア・ノア《記者さん、仲直り手伝ってくれてありがとう!ほら、ノアも!》
ノア「ぁ…えと…ご迷惑おかけしました。」
シキ「いえ。ただ、代わりと言ってはなんですが、都市伝説がアイディアル内で不穏な動きを加速させています。万が一アイディアルに危機が及んだ時は他のマスターと協力してイストを守るように協力してくれますか。」
ノア「わかったよ。」
シキ「ありがとうございます!」
するとここでリアムさんから連絡が来た。
*
リアムさんの連絡を受けて慌ててアイディアルに入り、シェイラちゃんと合流してリアムさんの元へ向かった。
リアム「おー!来たか!」




