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#56 書き換えられた心

ニーナ・イーサンちゃんはそう謝罪すると、また扇子を振った。今度は風を起こすように降るのではなく、舞踊のようにハラハラと振り始めた。すると、ニーナ・イーサンちゃんの扇子から1羽ずつ折り鶴が出てきて会場を舞った。その鶴が会場内へと羽ばたくと共に先ほどとはまた違った色の粒子が降り注がれた。ニーナ・イーサンちゃんの舞と折り鶴によるパフォーマンスは安全確認という事務的作業とは思えないほど美しく、待っている観客皆、その舞踊に目を奪われた。気がつけば先ほどの不気味な歌も鳴り止んでいる。ただ、沈黙の会場を一人の少女が目一杯舞い、ハラハラと光が降り注がれるのだった。

こうして完全に安全が確保された事を確認の上、今回は音声トラブルと一部のIDoll暴走による事故が重なってしまったこととなり、安全を配慮して今回のライブは延期となった。中止ではなく延期としたのはきっとイーサンマスターからこれまで準備してきた他の参加者マスターへのせめてもの配慮だろう。暴走したIDollとそのマスターは通報を受けた運営システムに連行されるように中央サーバーへと向かっていった。それ以外の異常が出ていないIDollとマスターは案内されるがままに会場を後にすることになった。しかし、どうしてもイーサンマスターのことが気がかりで出口へと向かう会場の波を逆流し、ステージ裏へと駆けつけることにした。その途中無事にクラウンくんと合流することができた。やっぱり彼は会場内にいたらしい。

シキ「クラウンくん!よかった!無事だったんだね。」

クラウン「あぁ。マスターこそ…なんともなかったんだな。それでどうして出口とは逆方向に?」

シキ「イーサンマスターのことが心配で。こんな事態になっちゃったから何か手伝えることはないかなって。」

舞台裏には案の定イーサンマスターがものすごい数のプログラミングと睨めっこしていた。側には通報を受けた運営システムが現場検証をしている。

シキ「イーサンマスター!」

イーサン「あぁ、記者さん。この度はとんだ痴態を晒してしまい、申し訳ございません。」

そう言って、イーサンマスターは本当に申し訳なさそうに深々と頭を下げた。

シキ「顔をあげてください!あんな予期せぬハプニング、イーサンマスターのせいじゃありませんよ。」

イーサン「そう言ってもらえると助かります。しかし、このライブの主催は僕なので僕が責任を取らなくてはなりません。たくさんのマスター並びにイストの皆さんにご迷惑をおかけして…切腹して詫びても足りないくらいです…!」

シキ「せ、切腹!?い、一旦落ち着きましょう…!?」

シェイラ「側から見てる感じ外部の仕業っぽいし、どうしようもないじゃんね。」

シキ「そうですよ。今はある異変を解決する方が大事です。」

イーサン「はぁ…実にすみません…。また、お恥ずかしい姿を晒して…。…そうですね。確認しないといけないことは山ほどあります。まずは、ニーナさん。」

そう言ってイーサンマスターが遠くに目を向けた。そういえば、こういう時に支えてくれるはずのIDollつまりニーナ・イーサンちゃんが近くにいない。イーサンマスターの視線の先を辿るとそこにニーナ・イーサンちゃんは佇んでいた。申し訳なさそうな気まずそうな、それでいて近寄りがたいような複雑な表情をしてこちらとは距離を置いている。しかし、イーサンマスターに呼ばれるとゆっくりゆっくりとこちらに近づいてきた。その顔はどこか葛藤に苛まれているようであった。

イーサン「何があったのか状況を説明できますか。」

ニーナ・イーサン「…。」

しかし、ニーナ・イーサンちゃんは口を開こうとしなかった。

イーサン「…言い方を変えましょう。何があったのか状況を説明しなさい。これは命令オーダーです。」

“命令”(オーダー)というコマンドにニーナ・イーサンちゃんはぴくりと反応した。そうして重い口を開いたのであった。

ニーナ・イーサン「私は現在主様に対して不信というものが芽生えております。また、私の中の感情チャートがこれまで通りのものに加え解放による喜びと主様への不信があり、それら三様が常時せめぎ合っているため、大幅なキャパシティを圧迫している状態にあります。」

イーサン「なんですって…!?」

グランドマスターに至るまで苦楽を共にしてきたシンパサイザーからの不信。起こり得るはずのないそれに一同困惑を隠せなかった。しかし、イーサンマスターは冷静で次に対する行動にすぐさま移っていた。

イーサン「シャットダウンを行い、現在ニーナさんに何が起こっているのか調べます。よろしいですか?」

ニーナ・イーサン「…。」

イーサン「不信感のある貴女に何を言ってもしょうがないでしょうが、すぐに終わらせますので。絶対に貴女をおしまいになんてさせません。」

ニーナ・イーサン「…はい。わかってはいるのです。どうなっても私は主様と歩んできたこれまでを忘れたわけではありませんので…。」

そう言ってニーナ・イーサンはイーサンマスターに委ねるように目を瞑った。しかし、緊張しているのか、その瞼には力がこもっている。イーサンマスターはその覚悟を見届けると急いだ手つきでプログラムを触った。そして次の瞬間。ニーナ・イーサンちゃんが倒れ込んだ。それをすかさずイーサンマスターが抱き止め、横たわらせる。

シェイラ「っ!」

シェイラちゃんはその光景がひどくショックだったようだった。それに対してイーサンマスターが説明をしてくれる。

イーサン「シャットダウンとはIDollの活動を停止するものです。言わばIDollにとっての死と同じなんですよ。本来なら勤めを終えたIDollを処分する時のみに使います。ですが、僕は今故意にニーナさんを仮死状態に追いやっている。」

そう言いながらイーサンマスターはニーナ・イーサンちゃん本人のプログラミングを確認し始めた。シャットダウンがIDollにとっての死…。IDollに死という概念があることを考えたことがなかったため驚いた。それをニーナ・イーサンちゃんはたった今まで恐れていたんだ。もしかしたらもう目が覚めることがないかもしれないと。そんな無防備で危険な状態を承知でイーサンマスターにその身を捧げたんだ。不信感が植え付けられている今ならさぞ怖かっただろう。しかし、それを乗り越えたのは一重にこれまで築きあげてきた信頼の勝利としか言い表せない。

イーサン「…なんてことでしょう…!!」

イーサンマスターの悲鳴に我に返り、イーサンマスターが凝視するウィンドウを合わせて覗く。しかし、そこにはいつものウィンドウではなく専門的なプログラミング言語がびっしりと書き込まれていて、素人目には何が何だかわからなかった。

シキ「どうされたんですけ?」

背中越しでもイーサンマスターがかすかに震えていることがわかった。

イーサン「…プログラムが、書き変わっています。」

シキ「えぇ!?」

イーサンマスターの説明によるとIDollはマスターの理解者になるために従属のプログラムが施されている。マスターの命令に従う、マスターに危害は加えないと言った基本的なものだ。それがあるから、IDollの安全性が保証されてきた。しかし、今のニーナ・イーサンちゃんにはそのプログラムの一切がなくなっており、代わりにマスターに対する不信という感情が植え込まれているそう。しかし、不可解な点がある、それは、本来IDollに組み込まれているプログラムには誰も関与ができないということだ。


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