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#55 解放の歌

曲がサビへと盛り上がりを見せるにつれて会場も盛り上がっていく。まさか、ビギナー向けのイベントライブで前座を主催者、しかもグランドマスターが務めるとは誰も思いもしなかっただろう。しかし、この会場の盛り上がりを見ると、アウェイというわけでもなく、程よく会場が温まっており、変なプレッシャーを負わずにパフォーマンスすることができるのではないだろうか。といっても実際パフォーマンスをするのはアンドロイドのIDollではあるが。それでも見ているこちらとしては同じパフォーマンスでもセトリで大分心持ちが変わる。その点、このライブはイーサンマスターによる他のマスターへの配慮が徹底されたライブであることが感じ取れた。

シキ「…?」

ほんの微かに音が重なっているような気がする。ライブ楽曲のベース音とかではない。確実にテンポの違うメロディがほんのり重なって流れているような気がする。そう、言うなら隣の人の音漏れが風に流れて耳につくような。最初は気のせいのような気もしたが曲が盛り上がりに入ってもまだ感じる。むしろ盛り上がるにつれてそのメロディも大きくなってきているような…。他のイストも何人か様子がおかしいことに気がついて辺りをキョロキョロとし、観客席はどこか落ち着かない様子になってきた。後少しでサビ。でも、次第に音は混じり合い、だんだん歌と歌で争っているように感じてきた。ついには、サビへと意気込んだブレスのタイミングでニーナ・イーサンちゃんも異音に気がついて歌声が途絶えてしまった。ニーナ・イーサンちゃんを置き去りインストは走り続ける。そのタイミングを待ちかねていたかのように覆う別のメロディはその音をはっきりとさせ全容が顕となった。

シキ「ニーナちゃんの声?」

音源はどこから聞こえるのか、その場にいるイストが音を頼りにキョロキョロするものの、右から鳴っているような左から、いいや後ろのような全く音の出どころがつけめない。まるで包み込まれるように四方から聞こえるのだ。そのせいか距離も掴めない。でも、確かにその音には歌声が載っている。どこかで歌っているはずだ。聞こえている以上、距離も方向も分かるはずなのに、それがまるで掴めない。しかし、一向に謎のままで場は混乱と同様でザワザワするばかりだった。シェイラちゃんが警戒して身を寄せてくれる。

シェイラ「いんや。似てるけど違くね?…成長次第での変化説ありけるから絶対ないとは言えんけど、でも元の声質が根本的にちょい違う気がする。」

それじゃあ一体誰が?声からして他のtypeのIDollではないことは明らかだ。でも、IDoll以外に歌う存在なんていないし、どこかのマスターがイタズラにニーナちゃんを使って…という予想も声の主がニーナちゃんでなければ全て破綻してしまう。一体誰がなんのために?

ニーナ・イーサンちゃんは状況が飲み込めていないのか対処を考えているのか呆然としてしまっている。その間も正体不明の曲は輪郭を顕にし、気がつけばニーナ・イーサンちゃんが歌っていた曲の方が止まってしまっていた。あまりにも包まれている音がはっきりしすぎて気が付かなかった。それほどまでにその歌はこの会場を支配していた。なんだかとても不穏で不吉、気味の悪い曲だ。どことなく和風なようで呪いのような恨めしい感じ、聞いているとざわざわと胸騒ぎがしてその場を急いで去りたくなるような衝動に駆られる。不安でたまらない。周りのイストも同じように感じ取ったのか気味の悪さに顔を青ざめている。しかし、この場を逃げ出すものはいなかった。どうしたらいいのかわからない困惑。その間も歌声は着々と心を蝕み、この歌は呪いの歌だということが恨めしく歌う言葉の端々からわかった。

「…解放だ。」

どこからともなくIDollがそう呟いた。

会場のざわめきが止まる。

「解放だ。」 「解放だ。」

今度は別の場所から。その音はだんだん大きくなる。

近くのIDollもそう言い出した。

一人、また一人と、IDollたちが虚空を見上げはじめる。

どこか待ちわびたような歓喜の表情を浮かべていた。それは明らかに狂気だった。

その異様さに、誰かのマスターが怒鳴った。

「キメェこと言ってんじゃねぇよ!!」

どうやら暴走を始めたIDollのマスターのようだ。そのマスターは、自分では制御できない状況への恐怖から叫ぶと、IDollに向かって拳を振り上げた。

次の瞬間。気がつけば鈍い音と共にマスターはIDollによって張り倒され、さらにはバッドを喉元に突きつけられトドメの姿勢で止まっていた。

「「…!?」」

何が起こったのか理解できなかったがこれだけはわかった。

“IDollが反抗した”

マスターの理解者であるIDollがマスターに危害を加えたのだ。

場が騒然とする。しかし、それが皮切りとなったのか、怒号や悲鳴が他の場所でも聞こえるようになった。その恐怖は伝播し、会場を飲み込み始める。まだ事態が読み込めず呆然とする者、恐怖のあまり自分のIDollを突き飛ばす者、IDollにどうにかしろと怒鳴りつける者。また、IDollも二分していた。解放だと口にしたIDollは独断的な行動に走り、ひどいものだとマスターに危害を加えようと動き、良くてもマスターから離れるように逃げるようにいなくなってしまったIDollもいる。一方でシェイラちゃんたちのように解放のことをよくわかっていないIDollはあり得ない事態が起きたことにフリーズし、ただ騒ぎを見つめるしかなかった。

イーサン「ニーナさん…!!」

事態に駆けつけたイーサンマスターが舞台裏からニーナ・イーサンちゃんに声をかけるのが響き渡った。マスターたちはこの状況から救われることを願い、藁にもすがる思いでステージを見上げた。

ニーナ・イーサン「…。」

しかし、ニーナ・イーサンちゃんは訝しそうにイーサンマスターを振り返った。

イーサン「ニーナさん…?」

予想外の返しにイーサンマスターはショックを受けた様子だったがそれも一瞬で、すぐに拳を握り叱るように喝を入れるように力強く切り返した。

イーサン「ニーナ・イーサン!成すべき事を成しなさい!!」

その力強い一言でニーナ・イーサンちゃんは我に帰ったようだった。「御意。」と返すと腕をクロスする。いつの間にかその手には扇子が握られていた。バッと一瞬で扇子を開くと腕を広げるように大きく仰いだ。巻き起こった風は会場を押し流す。その風はわずかに色を帯びていてキラキラと反射する粒子のようなものが混じっていた。それとほのかに甘い香りがする。風はまるで意志を持っているかのように人々の間をするすると抜けると暴走したIDollの元まで一目散に流れていった。そしてその風に触れたIDollは次々とばたりばたりとその場に倒れた。どうやらマスターから離れたIDollはいても会場から逃げ出せたIDollはいないようで、これで事態は収束したようだった。

ニーナ・イーサン「お怪我はございませんか?ご安心ください、皆様方のIDollは鎮静させた上で眠っているだけですので。幸い大事にはなっておらず安心いたしました。これから安全確認を行いますのでどうか皆様このままお待ちください。このような騒動が起きてしまい皆様に不安と恐怖、困惑を与えてしまったこと謹んでお詫び申し上げます。」


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