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#22 世界で一番のリスナー

重量はわからないけれども威圧的な圧迫感を放ってその影は揺らめいた。こういうとき、時間は残酷なくらい引き延ばされる。無駄で、無意味で、悠久のように感じられる一瞬。夕日による濃淡が嫌に濃く見える。でも、なんで?ここは春サーバーだ。この現象は本来夏サーバーのはずなのに。いや、アーサーマスターの件だってあった。もうサーバーの区分だけでは説明できないのかもしれない。いいや、今はそんなこと考えている場合ではない。どうする?前回と違ってIDollの誰も近くにいない。今声を上げれば誰か気がついて駆けつけてくれるだろうか?それで間に合うのだろうか?あの時だって唐突にクラウンくんに襲いかかった。それがこんな一触即発な状況で他人を待つ悠長な時間なんて…。じゃあ、逃げる?階段で?こんなのに背を向けて?運動能力を考慮してもうまくいくとは到底思えなかった。…襲われたらどうなるんだろう。アイディアルでは死があるって言ってた。それが肉体に直結するわけではないとは言っていたけど。死。死んじゃうのかな。

絶体絶命の状況に体は完全に硬直してしまい、息を吸うのもままならない。いろんな考えが脳内を飛び交うが、酸欠のせいか思考がショートして頭が真っ白になった。

その時

―シャキン

シキ「えっ」

鋭い刃物音がして『ノイズ』が二つに切り裂けた。何が起こったのかわからない。だって誰も何も『ノイズ』に触れていない。しかし、今のを皮切りに重圧から解放されたようだ。うまく体が動く。音のする方を振り返ると階下に気が付けば少女がいた。ブレザーの制服を着こなし、チャームポイントの赤いリボンで黄金の髪をポニーテールに束ねている、クレア・ノアちゃんだ。色々な驚きに思考が追いつかず、たじろいでいると視界の端で『ノイズ』が動いたように見えた。

―シャキン

今度は見えた。クレア・ノアちゃんがその手に握るとても鋭利な大ぶりの鋏、それが閉じると『ノイズ』は四散に切り裂かれた。居合切りなんてものじゃない、無干渉で遠隔から切り刻んでみせたのだ。細切りにされた『ノイズ』は存在を保てなくなり、黒い粒子として散っていった。

クレア・ノア「…危なかったね。大丈夫?」

警戒を解いたクレア・ノアちゃんに声をかけられたことによって体が初めてすべてから解放されたことを自覚し、情けなくもへなへなとへたり込んでしまった。

クレア・ノア「あらら、本当に大丈夫!?」

シキ「…うん、安心したら腰抜けちゃって…。」

それを聞いたクレア・ノアちゃんはそっと隣に座って手を握ってくれた。温かさを感じることはなかったけれども、寄り添ってくれている事実が心を温めた。

クレア・ノア「ごめんね。怖い思いさせて。ノアの場所ではこういう思いさせたくなかったな…。」

シキ「ううん、助けてくれてありがとう。クレア・ノアちゃん。」

クレア・ノア「私はノアのIDollだからノアのところに来てくれるみんなの安全を守るのは当然のことだよ。ところで、さっきのに見覚えはない?君から現れたように見えたけど。…あ、もちろん君を疑ってるわけじゃないよ!そんなの反応見れば一目瞭然だし。」

クレア・ノアちゃんに聞かれて正直に知っていることを話す。アリアちゃんのライブの時にアリアちゃんを襲ったものとよく似ていること、帰りがけに同じ奴から襲われたこと。しかし、それらについては何も関係がなく知らないことを説明した。これが都市伝説に関連しているかはまだ定かではないため伏せることにした。

クレア・ノア「アリア・アーサーの次はノアか…。ありがとう!」

そう言うとクレア・ノアちゃんはすくっと立ち上がった。

クレア・ノア「じゃ、あたしはノアにこのこと伝えに行かなきゃ。とにかく君に大事がなくてよかった!マスターは一人歩きしちゃダメだよ?ちゃんと君のIDollと一緒にいてあげてね。」

立ち去ろうとするクレア・ノアちゃんを慌てて引き止める。それから慌てて他のみんなを招集して、その間に気になることを聞いてみた。

シキ「クレア・ノアちゃんってさ。マスターのことが好きなの?」

クレア・ノア「えっ!?」

我ながら唐突な質問に情緒も何もないと後から申し訳なくなってしまったが、それももう遅い。クレア・ノアちゃんはいきなりのことにとても驚いていたが、顔を耳まで赤くするほど火照らせていたため、図星なことが見て取れる。というのも、曲を聞いたときに少しだけ思ったのだ。一見ただ聞いていると聞いている人のことを想い慕う歌だったが、誰が一番最初にこれらの曲を聞いて、誰が一番多くこれらの曲を聞くのか。それは見逃しがちだが作曲者なのではないだろうかって。

クレア・ノア「な、なんで!?え!?ど、どうしてわかったの…?」

クレア・ノアちゃんの言葉は恥ずかしそうに尻すぼみになり、赤らめた顔は引っ掴んだ髪と一緒に手で覆われてしまった。それでもほんの少しだけ顔を覗かせているのが可愛らしい。別に、確信があってこんなことを言ったわけではない。逆に今のクレア・ノアちゃんの反応で確信に至った感じ、要するにブラフだった。でも、クレア・ノアちゃんがノアマスターについて話す時の表情は心配とかいう言葉で表すよりもずっと上の恋慕の表情だったことから、ある程度自信を持って聞いたことではあった。

クレア・ノア「…うん、あたしはノアが好き。大好き。だから、ノアのやりたいことを応援したい。ノアの居場所を守りたい。ノアの幸せがあたしの幸せなんだ。」

一見するととても素敵な話だと思う。でも、クレア・ノアちゃんは最新式のAI搭載Dollで、その彼女がここまでの感情を育んでいることにとても驚いた。AIが人間に恋をする。

本人を前にしてそれを口にするのは失礼だと思った。

でも、IDollはあまりにも精巧だ。人間と変わらないように見えるのに、同時に“所有される存在”でもある。

だから、自分はどうしても彼女たちを完全な人間とも、ただのプログラムとも思い切れない。

……それは彼女たちに対して失礼なことなのだろうか。

いや、もっと悪いのかもしれない。

彼女たちが物であることを理由に、自分達は都合よく扱っているだけなのではないか。

――“身勝手”

以前、クラウンくんに言われた言葉が脳裏をよぎった。

みんなを待っている間、クレア・ノアちゃんからマスターノアについての話を少し聞くことができた。

クレア・ノア「ノアの好きなところ…?うーんと、えへへ…。誰かにこんなこと言うの初めてでドキドキするかも…。ノアってなんでもできるんだ!勉強も運動もできて手先も器用で、ノアの作る曲、あたし大好き。細かいところまで聞いてくれる人のことを考えてて、聞いてくれる人を楽しませられるように一生懸命で…。作曲してる時のノアすごく一生懸命だけど、とっても楽しそうなんだ!…あぁ、だから、あたしも全力で歌いたいと思える。ノアの作った世界観を壊さないように、最大限の魅力を引き出せるように…!あたしが歌うとノア、嬉しそうで、楽しそうで、たくさん褒めてくれて…ふふっ、あたしってば本当にゾッコンみたい?ちょっと恥ずかしいや。…でも、ノアってば本当に寝起きが悪いし、すぐ学校サボろうとするし、そこは直してほしいかなー。」

そう言って笑う顔は、恋する少女そのものだった。


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