#15 黒い羽根
割れんばかりの拍手が響く。どうやら、アリアちゃんがアカペラで歌い切ったようだ。観客たちは先ほどのライブ中とは違い、誰も声を出さなかった。本当に身一つ、たった一曲でこの場をいとも容易く掌握してしまったのか、あの子は。混乱、焦り、恐怖から安心、感動へ。これだけ多くの人の心を一瞬で掴んで変えて・・・いや、飾りすぎた賛辞は時として物の価値を下げる。だから今はその事実だけ胸に刻んでおこう。
結局、今日のライブはあの一曲で終わりとなってしまった。いや、むしろ安全を考えると当然というか英断というかなんだけれども・・・。アリアちゃんは舞台の正式な暗転と共に姿を消してしまい、ほどなくしてホログラムによる案内の元、ライブステージからの退却が指示された。人々が今日について口々に話し合っている。心配、考察、不満、そしてライブそのものへの興奮——様々な声が飛び交っていた。
大河のように流れゆく人の波に流されて出口まで続いた。リアムさんがこのままユアディアルを出ることをIDollたちと話している。ふと、人々の後頭部も見飽きて視線を景観に移す。近未来の高層都市、車輪も翼もない、何で浮いて動いているのかもわからない乗り物が空を飛んでいる。入り口すらよくわからない建物同士が、謎の透明な管で繋がれていた。街中がくまなくネオンとホログラムで照らし出されている。そんな場所でも光の届かない、隙間、路地というものはあった。人の波に遮られてうまく見えないけれども、少し錆びれた印象のそこに誰かがうずくまっているように見えた。もしかしたら、この人込みで体調が悪くなってしまったのかもしれない。声をかけようと人の波をかき分けるように横断する。途中迷惑そうに顔を向けられたりもしたが、着々と目的地が近づき、路地が広がっていく。マスターであるのであれば近くにIDollがいないことが気になったが、そんなことを思っているうちにもう吸い寄せられるように目の前に立っていた。
シキ「きみ、大丈夫?」
「・・・。」
ネオンの届かない暗闇の路地。その奥で、二つの瞳だけが爛々と輝いていた。その光を知っている。機械仕掛けのネオンに近い人工的な輝きだった。年齢はいくつだろう。蹲っているので正確なものは暗闇も相まって推し量れない。それでも少女と形容するのが適する子だと思う。その少女の姿を見た瞬間、異様さに声が出なかった。街とは対照的な路地の暗さに目が利かないけれども、光っているものくらいはわかる。その少女は先ほど盛大に散ったアリアちゃんの羽をぐしゃぐしゃにかき集めて握りしめ、また彼女の足元にはアリアちゃんのキラキラと輝く綺麗な電子の羽と使い古されたようなボロボロの黒い羽が混ざり合って散っていた。少女はどうやら背中を気にしているようだったが、暗くてよく見えない。何やら少女の背後の暗闇が蠢いたような気もした。少女自身はそんなことなど気にも留めず、抱えた羽を背中へ押し当てるような仕草をしている。その意図はよくわからないけれども、この場の異様さだけは嫌でも感じ取った。どうして誰もこのことに気がつかないのだろう。人の波は変わり映えなく連続的に流れ続け、それを構成する人々はこんな路地など見向きもしていない。不気味なまでに暗闇に残る瞳に見つめられ続け、何か発そうと息を呑む。うまく言葉にできるかはわからないけれども。
その時。
「マスター。」
誰かに肩を掴まれ反射的に勢いよく振り返る。そこにはクラウンくんが立っていた。
クラウン「悪い、驚かせたか?」
クラウンくんはこちらの反応を見ると慌てて両手を上げて謝ってくれた。
シキ「ううん、大丈夫だよ。」
クラウン「急にいなくなるから、みんな慌てて探してたんだぞ?こんなところでどうしたんだ?」
シキ「あ、ごめんね。この子が気になっちゃって。」
クラウンくんが体越しに覗き込む。それから、目を細めて渋い顔をした。どうしてそんな顔をするのだろうと、合わせて視線を戻すと先ほどと変わらず、異様なほど明るい瞳と目が合った。どうやら少女はクラウンくんが来ても何も気にしていないようだった。表情がないから何も読み取れていないけど。
クラウン「あー…。マスター、そこに人がいるのか?」
シキ「えっ。」
そんな、そんなはずはない。今でもこうして見つめ返されている。クラウンくんは静かに前へ出て、庇ってくれた。前に出した手にはいつの間にか上半身ほどの大きさの非常に大きな鍵を牽制するように握っていた。
クラウン「悪いが俺には何も見えていない。」
クラウンくんの静止された手によって少しずつ距離を取るように後退させられた。
クラウン「マスター、それは何時の方角だ?人型なんだよな?年齢やそいつが具体的にどういう状態か教えてほしい。」
見えていないものに対して疑わないでくれたことには助かったが、年端もいかない(様に見える)少女にここまでの警戒体勢を敷いているのはなんだか少しかわいそうに思えた。心なしか少女もおずおずと体を縮こまらせた様に見える。
シキ「そのまままっすぐ、正面だよ。結構幼い感じで、羽をいっぱい抱えて蹲ってる。周りにはアリアちゃんのと思しき羽と黒い羽が散乱しているよ。」
クラウン「何?アリア・アーサーの羽?」
クラウンくんが驚きの表情と共にこちらを振り返った時、彼の体の隙間から少女の様子がはっきりと見えた。確実にクラウンくんを捉え、そして
少女?「!」
反抗的に目を見開く。
―その瞬間。
路地の闇から何かが大量に押し寄せクラウンくんを襲った。
シキ「!!?」
クラウンくんは瞬時に体勢を戻すと両手で力強く鍵の柄を握り直し、正面からその衝撃を受け止めた。あまりの力に若干体勢が軋む。
クラウン「…っ!!」
足を踏み直し、構えを整えて、力一杯弾き返した。目の前が一瞬開ける。しかし、クラウンくんより手前にいたはずの少女がどうなってしまったのかは確認できなかった。彼女がこの襲撃に関与していないのであれば、きっと無事では済まないはずだけど…。視界が晴れたのは一瞬だけで、息つく暇もなく次々に襲い掛かられる状態が続く。先ほどの一陣のようなまとまった攻撃ではないものの次々とクラウンくんに襲い掛かるそれは『ノイズ』そのものであった。空間そのものを歪ませる闇。獣のように口を開き、こちらへ喰らいつこうとしていた。それは一体ではない、小さく分割されて次々と絶え間なく…。一方でクラウンくんは別に押し負けているわけでもないが、襲いくる奴らを跳ね返すだけでとどめを刺しに行くなどはせず、防戦に徹していた。いや、そうするしかなかった。後ろにこうして控えがいるうちは守るために身動きが取れない。自分のせいで自由に動き回らせてあげられないことに申し訳なさが募る。それでも、クラウンくんの一撃は十分力強く、敵も攻撃力や速度に特化して耐久力がないのかクラウンくんへと向かったほとんどの『ノイズ』は彼の目にも留まらぬ一撃で霧散していった。しかし、異変にはすぐ気がついた。『ノイズ』はどうやらこちらを狙っているわけではないのかもしれない。最初の一陣やそのしばらくは確かにクラウンくん目掛けて飛んできていたはずなのにそれが群れをなすほどの量にもなるとこちらを通り過ぎていくものたちも見受けられた。それに対して防戦を強いられているクラウンくんは迫りくる敵に対処することに手一杯で当然追うこともできず、また過ぎていった『ノイズ』たちも戻って背後を狙うなどもせず、どこかに飛んでいってしまった。




