8
「意識が戻ったぞ!」
騒がしい。閉じたときと同じように、ゆっくり目を開ける。塔の白さが眩しい。
「どれくらい僕は寝てたんですか」
まだ視界は霧がかかっているようにぼんやりとしているから、誰かもわからない人影に聞く。
「二週間くらいかな。よく目覚めたね、このまま一生眠っている可能性もあったのだから」
そうか、そんなに寝ていたのか。身体が動かしにくい感覚はそれ故か。
「大丈夫か、僕のことがわかるか?」
思い出した。この人、彼女と口喧嘩になっていた人だ。
そうだ、彼女は、どこだ。
「先生はどこですか。あの人は目が覚めるまで側にいてくれると言った、でもここにはいないでしょう。まだ視界がが晴れなくてもそれくらいはわかります」
場を制したのは他の何者でもない。純粋なくらいの、沈黙。
「僕が話そう」
彼は少しのあいだ話の内容を纏めるように考え、僕にちゃんと聞こえるように話を始めた。涙ながらに。
「あいつは、死んだよ」
驚きは無かった。悔しさとか、喜びとか、そういうものが全て気配を消していた。本当に心を失っていたのかもしれない。ただ、何の感情も無かった。
「夢をね、見たんです。そこに僕は彼女といた。でも目が覚める前に彼女は僕の手の届かない、川の向こうへ行ってしまった」
「そうか……」
息混じりの声と一緒になって沈黙が二度目の来訪。焦点が合うようになってきたので彼の目と僕の目を合わせようとしてみたけれどお互いになかなかぶつからない。
「処置が終わった瞬間にあいつは倒れた。以前君の部屋で倒れたときと同じ。理由は、オオカミだ」
どうして、彼女の身体にオオカミは噛みついていなかったのに。
「実はあいつは幼い頃にオオカミに噛まれ生死をさ迷った。それが今になって、目に見えない程度の大きさのオオカミが再び現れた。小さいオオカミだったんだが昔の傷痕を執念深く残忍に噛むようになってね、しかし小さかったので誰もあいつにオオカミが噛みついているなんて思わなかった。あいつ自身、少し大きな疲労だろうと考えてたみたいだ」
悔しそうに彼の声は震える。
「その小さいオオカミが発見されたとき既にあいつは死の危険にあった。少しの延命は出来ても、何をしても死は彼女に迫っていた」
「そんな状態でいたんですか」
「そうだ。しかしあいつは延命を一切しなかった。それよりも、弱りきってしまう前に君の処置をしなければならないと、これは信頼関係で出来ているんだと言って聞かなかったよ。その間も少しずつ弱っているから失敗の確率も上がってしまう。だから僕が君の処置を引き継ぐと言った」
「でも、彼女は自分でやると決めたしあなた方もそれを認めたんですね」
「君をそんな状態で処置してしまった、危険に晒してしまったことは申し訳ないと思う。だが僕らはあいつの決意の目を信じた」
「僕も、信じていました」
「彼女も言っていたよ。私は彼を信じているし信じられているのだ、これは彼との約束なんだ、と」
何も言えなかった。やっとオオカミは消えたのに、胸の辺りが空っぽだった。空っぽなのに重たかった。
ところで、と今一度話しを切り出すが彼はもう涙を流していないように見える。
「君に渡してくれと預かっている物があるから今から持ってくるよ」
「彼女からの預かり物ですか」
「そうだよ」
張りつめた空気が少しだけ緩む。
「君への手紙さ」