冬ノ三
師走も半ばになって正月の声が聞えるようになると、子供らが心待ちにしていた藪入りの季節である。韋駄天に預けられていた身分の高い子供は勿論、奉公に来ていた者たちも、田舎の故郷へ散り散りになって行った。しかし、大晦日や正月は参拝客が多く、最近は疱瘡や天然痘で死ぬ子が増えているので、子供の病魔を取り除く神、韋駄天の多端さは安易に予想がついた。
今晩は僧や巫女たちが年末の宴を開くということだ。といっても、仏職に就くものがべろんべろんによっていては体面が保たれないので、近くの目立たない座敷を借りての内輪なものだが。勿論、身寄りがなく韋駄天に残った小童は参加しないが、それでも宴の準備のためにこき使われている。
幸助と知世は肉の買い出しに行かされていた。鶏や豚の肉を両手に持っているのは幸助、知世はもともととても儲かっていた酒屋の箱入り娘で―酒屋の主人が賭博に手を染めて店が破綻したそうだが―少し前までは箸より重いものを持ったことがないような娘だったので何も持っていない。何のために来たのかと問えば、彼女は会計や値引き交渉担当だと言い張っている……まあ、幸助には肉の質の良し悪しは分からないし、口も達者ではないので仕方がない。
「お夕食はどうしましょう。寒いですし湯豆腐にでもしませんか?」
「ああ……いいと思うよ」
知世の提案に頷きながら幸助は昨日の少女を思い出していた。豆腐屋で働いていると言った、伊織だ。実際、昨日の夕方に店番をやっているのを見かけた。よく考えたら、ここは名越豆腐屋の近くだった。
「ここからだと、伊三郎さんのとこが近いですね。馬三つ時には帰らないとお昼がもらえませんわ。急ぎましょう」
知世がすたすた行ってしまうので、もやしの幸助は追い付くのが大変だった。
どうやら今の店番は娘のおはるらしい。昼前の時間帯は客足が少ないのか、つまらなそうに頬杖をついている。
「ごめんください」
知世が律儀にひざを折って暖簾をくぐった。幸助もあとに続いた。
「あら、いらっしゃい」
おはるが面倒そうに顔を上げたのに、知世は上品に会釈をすると、たらいに浸かった数ある豆腐を眺める。幸助は若干手持無沙汰になって、肉を足元に置くと、きょろきょろと店内を見回した。
「あ、幸太郎!」
呼びかけられて、え、僕?と幸助はそちらを見た。伊織が店の奥から出てきた。今日は茜色の浴衣に緋色の前掛けをしている。どうやら何か作業中のようだった。あら可愛いと知世が呟いた。
「そうそう、あんただよ。韋駄天宮の」
「えーっと……幸助だよ」
「あ、そうそう幸助」
伊織はさもどうでもいいことのように言った。そしてはっとした。
「あんた、韋駄天宮の下働きだっけ?」
「あ、うん」
「そこって女性禁制じゃないよね。そこの女の子も韋駄天でしょ?」
「はい。得宗知世と申します」
知世は優雅にお辞儀をした。時々この娘が本当に酒屋の娘だったのか疑いたくなるほど、彼女は品がいい。
「じゃあ幸助!」
ずいっと幸助に詰め寄って、伊織は言った。
「私韋駄天で暮らす!」
「はぁっ?」
幸助は仰天して思わず間抜けな声を出した。知世も驚いて口に手を当てている。
「私巫女になる!」
「はぁ?」
今度はおはるも驚いたようだ。怪訝そうに伊織を見た。伊織は腰に手をあて「何さ?」と相変わらず高飛車だ。
「いやいや、いきなり何?」
幸助が聞くと、伊織は困ったように頭を掻いた。
「それがだね、ちょっと難しい話で」
「だめよ伊織、言ったらかか様に怒られるわ」
おはるが止めたが、伊織はひらひらと手を振って言った。
「いいのよいいのよ、私もうこの家族じゃないからね」
「そんなこといっても……」
伊織は伊三郎が遊女に貢ぎこんだため、名越豆腐屋が大赤字で、自分が養ってもらえなくなったことを二人に説明した。
「それで、韋駄天宮にいらっしゃりたいと……」
知世は話を聞くと、おとがいに手をあてて考えた。幸助も考えた。しかし、韋駄天宮は人手は足りているし、寮も空きが少ないし、多分……いや到底無理だろう。しかし知世はにっこりと笑うと、言った。
「でもまあ、韋駄天宮はそれなりに広いところですし、大丈夫だと思いますよ」
なんという楽観的思考!幸助は箱入りの恐ろしさを知った。
「本当!じゃあ私今から伊三郎さんとお内儀さんに挨拶して、荷物まとめてくるわ!」
素直に信じる伊織も伊織だ。
しかし、幸助が文句を言う暇もなく、伊織は本当に「お内儀さーん」と叫びながら駆けて行ってしまった。
「知世ちゃん……今のそれ本気で言ったのかい?」
「ええ」
知世は低い声で言った。
「神主さんは色好きですからね。伊織さんほど可愛らしければそりゃあ……」
意外と恐ろしい箱入りである。
「それより、このお豆腐四丁くださいな」
「あ……はい、百八十文頂きます」
おはるは伊織を追いかけるべきか店番をするべきか迷っているようだが、とりあえず会計を済ませて、二人は店を出た。
これを雅に知られたらどうなるか……幸助は思案した。
※
わずかに残った数人の小童が囲炉裏で湯豆腐を囲っていると、雅が困ったような顔で障子戸を開けて入ってきた。
「あ、雅ちゃん、早くしないと冷めちゃうよ」
幸助の隣に座る吉次が雅に言った。
「ああ……うん」
雅は曖昧な返事をした。その後ろから聞こえる声には聴き覚えがある。
まさか、本当に来るとは……。
「伊織さん?」
知世が障子戸の外をのぞいた。
「あっ、知世!私、ここで働いていいって!」
目をきらきらさせて伊織が入ってきた。まさか、本当に神主が承諾するとは……。だが年末に酒をあおっているような神主である。納得できないこともない。
「神主さんにはこの子が盗人だとまで言ったのにね……内密にしとけばいいですって。きっと酔ってなすったんだわ」
とすると雅は、律儀にも伊織を宴会の席の神主まで連れて行ったわけだ。なんだかんだ面倒見がいい。
「雅ちゃん、その子誰?」
聞いた吉次だけではなく、きっとその場にいた小童共全員が思っていただろう。みんなが伊織を見ていた。
「伊織。ついさっきまで名越豆腐屋で働いてたけど、今日から巫女になることにして、ここに来たのさ」
多分誰も納得できていない。だが伊織は気にしないようで、雅の隣に腰を下ろした。伊織がそれ以上説明する気がないことに気付くと、小童は皆めいめい雑談を始めた。
「いや……まさか本当に来るとは思ってなかったよ」
幸助が呆れて言った。伊織は湯豆腐を椀に取りながら答えた。
「私さあ、薄月給だったから、お手元不如意となりゃあ、そこらへん歩いてる馬鹿な男が声かけてくるのを待って、んでもってか弱くてかわいいふりをして、声をかけてきたやつらの懐から財布を巻き取ってたんだよ。神主も所詮同じ男だしねぇ、簡単だったよ」
仮にも巫女がいう言葉でない。
本当に大丈夫なのだろうか。幸助はとても不安だった。




