冬ノ二
大通りはとても混雑していた。八百屋、魚屋、酒屋に……そして豆腐屋、様々な店が軒を連ねる商店街の夕方は、夕飯につかうものの買い出しに、どこかの丁稚やら下女やらがわんさか来るため、まさしく芋洗い状態だ。この町は海沿いのため、夕方になると漁師がさきほどあげたばかりの魚を店に仕入れる。買い出しに来た者は、新鮮な魚を目当てにしているので、大抵夕方が一番込み合う時間なのだった。
伊織は名越豆腐屋の店番を頼まれていた。名越家の中で、忙しいこの時間帯に店番をやりたがるものはいなかったから、家の中で浮いた存在の伊織に押し付けられたのである。-それに、可愛らしい彼女の愛想笑いを見るために訪れる客も、少なくない。近くにある豆腐屋に行かずにこちらの名越豆腐屋に訪れる若者たちにだってわんさかといる。そんな愚かな奴らにたくさん豆腐を買わせるため、天使のような笑顔でふるまうのはお手の物だった。伊織は自分の仮面に安易に騙されて、ほいほいと豆腐を買い占める若者たちの鼻の下を伸ばした顔を、心の中で嘲笑するような性格だ。それほど苦ではないが、給金がないのには閉口している。養ってもらっているので文句は言えないが。
「ごめん下さい」
「はいいらっしゃい!」
にっこりとほほ笑んで振りむくと、もう顔なじみの常連の後ろの通りに、見覚えのある顔を見つけた。記憶をたどって、そいつの名前が幸太郎だか何だかだったのを思い出した。そういえば今朝匿ってもらったんだっけ?少ない収入のせいで常にお手元不如意の彼女からしたら、掏りなんて日課のようなものなので、さして記憶に残っていなかった。だれか、多分韋駄天の使用人であろう少女と歩いている。
むこうもこちらに気づいたようで小さく手を振っていた。伊織は客引き用とは別のふてぶてしい笑顔で微笑んだ。
「伊織ちゃん、どうしたんだい?」
「いいや、なんでもないです」
それよりも田上さん、新しいお豆腐作ってみたんですよ!と無邪気な笑顔で言っているうちに、韋駄天宮の二人の姿は、黒山の人だかりの中に消えて言った。
「そうそう、伊織ちゃん、知ってるかい?」
「何をです?」
可愛らしく見えるよう意識して、小首をかしげる。内心興味ないよ、とつぶやく。大抵こういう手の男の話はつまらない。
「この頃こんなに寒いの、雪女のせいなんだってよ」
「雪女?まさかあね。でも、凍ってしまわないよう。湯豆腐でも食べて温まって下さいな」
「はは。いかほどだい?」
「木綿豆腐二丁で九十文です―はいありがとさま」
さりげなく会話を切り上げて、次の客の相手をする。みんながみんな、会計の間にすこしでも伊織と話そうとするので大変だ。どこそこの家がこの乾燥してるせいで大火事になったただの、どこそこの貴族の子が寒さで体を壊しただの。だがお金がっぽがっぽ儲かっているので良しとする。
その調子でどんどん会計を済ませて、そろそろ閉めようかという頃に、伊三郎の末っ子、おあきが夕食に呼びにきた。珍しい、いつもは文字通り冷や飯を食わされているのに。伊織は少し早めに店じまいをして、家の奥の居間へ向かった。
台所にはお内儀さん、囲炉裏には旦那の伊三郎と、その三人の子供がいた。なんだか、ぎすぎすした雰囲気なのは、多分伊織のせいではない。行儀の悪い子供たちも今日ばかりはひっそり閑としていて、伊織はつんぼ桟敷にされた気分だった。
「どうしたの?」
一番年が近いおはるにこっそり聞いてみたが、彼女は困ったように肩をすくめただけだった。
お内儀さんと一番上の娘、おふゆが食事を持ってきた。伊織はお内儀さんの形相を見てぎょっとした。般若のような顔をしたお内儀さんは鼻息も荒く、おふゆがおどおどしている横にどっかと座った。
とりあえず手を合わせて一家全員が食事を始めたが、伊織にはなぜお内儀さんが怒っているのか、依然としてわからないままだった。
しばらくして、お内儀さんが口を開いた。
「何故かは分からないけど、うちの家計簿におかしい点が出てきたの」
深いところからこみあげてくるような迫力に、伊三郎がひっと息をのんだ。
「やっぱりあんたね。遊女に聞いたわよ。あんた、花街に通ってたんですってね」
うわあ……伊織は苦々しい顔をした。花街とは遊女屋や芸者屋の集う通りだ。つまるところ浮気をしに行っていたわけである。お内儀さんの怒るわけだ。
伊三郎といえば、縮み上がって一家の大黒柱の威厳のかけらもない、説教を受ける子供さながらの様子だった。
「家庭を持っていながら浮気をするなんて……道理で最近朝帰りが多かったわけね」
「いや……その……宴の流れでだな……」
主人の蚊の鳴くような言い訳は女房の逆鱗に触れたようだった。
「なんですって!?家の金を使い込んでおいて何をたわけたことを!流れ!?そんなもので私たちが汗水たらして働いて稼いだ金を!遊女につぎ込むなんてありえないわ!」
怒髪、天を衝くとはまさにこのこと。おはるとおあき、まだ赤ん坊の太一が震えあがる横でお内儀さんはいまにも取って食いそうな勢いで伊三郎に怒鳴った。おふゆがおどおどと母親をなだめようとしている。
「かか様、そんな大声をだすとご近所さんの迷惑になってしまいます……」
「そんなことはどうでもいいのよ!」
おふゆはびくりとして後ずさった。伊三郎は禿げ頭を抱えてぷるぷると震え、太一がびええと泣き出した。
伊織は愉快な気分で修羅場を見物していた。もともと肝の据わった娘だったうえ、ひねくれた性格だった。だが、
「あんたのせいでうちは大赤字よ!もう伊織は養えないわ!」
「えぇっ!」
思わぬところで自分の名が出てきて、伊織はびっくりして叔母の顔を見た。
「悪いけど、近いうちに出て行ってもらうからね!腹を括っときなさい!」
愕然とした。色を失うのが自分でもわかった。
2週間に一回くらいのペースで更新できたらいいなと思っております。テスト期間とかは全然できないですけど…。
ちょっと急展開すぎる気がしたので、加筆、修正がたくさんあると思います。




