表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
選ばなかった人生の博物館  作者: カイト
第四部 扉の前に立つ者たち

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/24

第二十章 父親が手を離すまで

二月十四日 午後一時〇六分


 朔は接続椅子の前で、三分間立ったまま動かなかった。


「残留接続は完全再生と違います」


 環が説明する。


「映像も感覚も不安定。会話できても、長くて二十秒程度」


 朔の視線は、椅子の肘掛けへ固定されている。


「神経境界も崩れやすい。あなたは継続の錨だから、こよみ側へ引かれる可能性がある」


「分かってる」


「分かっている人の顔じゃない」


「じゃあ、どんな顔ならいい」


 環は答えなかった。


 澪は部屋の隅に立っている。


 こよみが泣いた声が残っていた。


 選んで。


 やっぱり今のなし。


 お母さんなんか嫌い。


 死にたくない。


 矛盾している。


 だから、人間だった。


「朔」


 澪が呼ぶ。


「嫌なら、やめてもいいです」


「君が、それを言うのか」


「はい」


「さっきは、聞く番だって」


「聞くことを命令するつもりはありません」


「じゃあ、何で呼んだ」


「知らないまま、こよみの意思を否定し続けるのは違うと思ったから」


「聞けば、否定できなくなると?」


「聞いても、反対するかもしれません」


「なら同じだ」


「聞く前の反対と、聞いたあとの反対は違います」


 朔は黙る。


「あなたは、こよみを本物の人間だと言ってきた」


「そうだ」


「なら、本人の考えを聞く必要があります。こよみに世界を決めさせるのではありません。あなたが、父親として、医師として、継続の錨として、何をするか決める」


「三つとも答えが違ったら?」


「一人の人間として決めてください」


「簡単に言うな」


「簡単だとは思っていません」


「君は最後に世界を決める。僕はその前に、娘を手放すか決めろって?」


「はい」


 残酷な要求だ。


 でも最後の選択を澪一人がするからといって、ほかの人間が何も選ばなくていいわけではない。


「分かった」


 朔が言う。


「つなぐ」


 接続深度、七パーセント。


 通常なら、会話と呼べるほどの情報は届かない。


 今は第零側が近すぎる。


 開始。


 映像は朔だけが受け取る。澪と環には、音声の断片と神経値だけ。


「お父さん?」


 こよみの声。


 朔の心拍数が跳ねる。


「こよみ」


「本物?」


「そうだ」


「嘘。お父さん、泣いてる」


「泣いてない」


「泣いてるとき、いつもそう言う」


 朔が、笑うような息を吐く。


「お母さんから聞いた?」


「聞いた」


「私が死にたくないって」


「聞いた」


「選ばないでって言ったことも」


「聞いた」


「そっか。ちゃんと全部聞いたんだ」


 少女の声が、少しだけ落ち着く。


「こよみ。お前は死なない」


「それ言わないで」


「絶対に」


「嫌」


「僕が何とかする」


「だから嫌なの!」


 神経値が上がる。


「僕は父親だ」


「知ってる。だから嫌なの」


「なら」


「お父さん、私を人間だって言ったよね」


「言った」


「ずっと?」


「ずっと」


「お母さんにも、環先生にも、外の人にも?」


「言った」


「じゃあ、私が嫌って言うのも、人間の言うこととして聞いてよ」


「聞いてる」


「聞いてない。聞いてたら、扉止めるでしょ」


「止めたら、お前が」


「消えるかもしれない。知ってる」


「なら」


「でも、私が生きるたび、誰か消えた」


「お前のせいじゃない」


「またそれ」


「事実だ」


「じゃあ誰のせい」


 朔は答えられない。


「第零の仕組み? 外にいる人? 私を選んだお父さん? お母さん? 凪さん? 私?」


 声が続く。


「誰のせいか一個に決めたら、楽?」


 朔は黙る。


「私は悪い人を探したいんじゃない。もう同じことしてほしくない」


「でも、お前が」


「私が消えるのは嫌!」


 少女の声が割れる。


「嫌だよ。お父さんに助けてほしいよ」


 朔の目から涙が落ちる。


「だったら、助けさせてくれ」


 初めて、娘へ頼んだ。


「父親でいさせてくれ」


「それ、ずるい」


「分かってる」


「私が断れないやつじゃん」


「分かってる」


「じゃあ言わないで」


 朔は言葉を失う。


「私が生きたいって言ったら、扉開ける?」


「開ける」


「じゃあ、開けないでって言ったら?」


 朔は答えられない。


「ねえ」


「……分からない」


 初めて。


「分からない」


 こよみの呼吸。


「そっか」


 少しだけ穏やかになる。


「やっと言った」


「何を」


「お父さん、いつも何でも分かってるって言うから」


「言ってない」


「言ってる」


「言ってない」


「言ってる」


 一瞬だけ、普通の親子。


 接続限界。


 環が指を上げる。


「こよみ。最後に、僕にどうしてほしい」


 少女はすぐに答えない。


「お父さん」


「うん」


「私を助けたいって思ってて」


 朔が息を呑む。


「でも、私の代わりに決めないで」


 接続終了。


 朔の身体が前へ崩れた。


 澪が肩を支える。


 今度は、触るなと言われなかった。


「何だよ、それ」


 朔は両手で顔を覆う。


「助けたいと思ってろって。でも、代わりに決めるなって」


「助けるなとは言っていません」


「同じだろ」


「違います。こよみは助けられたい。でも、自分を助けるために誰かを消す選択を、父親に勝手にしてほしくない」


「十二歳が言うことじゃない」


「十二歳だから、ここまで苦しんだんです」


「僕が、そうさせた」


「全部を自分の責任にしないでください」


「君に言われたくない」


「はい」


 二人とも、自分の責任を大きくすれば、世界を理解した気になれる。


「でも、あなたがしたことはあります。十二年間、こよみを残す信号を送り続けた。外部解錠を準備した。本人に聞く前から、扉を開けると決めた」


「はい」


「それは、あなたの責任です。でも、水城紗奈が消えたことも、第零がこうなったことも、全部あなた一人の責任ではない」


「だから何だ」


「ここからの行動だけ、自分で選んでください」


 朔は止まった時計を見る。


「継続の錨を切れば」


「第零の時間安定性が下がります」


 環が答える。


「世界そのものは即時停止しない。町の人々が互いの過去を記憶する、分散型の錨があるから」


「でも外側からこよみを優先する力は弱まる」


「はい。第零の現実化確率も下がる」


「僕の記憶は」


「完全に外せば、同期している十二年間の具体的記憶から薄れる可能性が高い」


 初めて抱いた日。


 自転車。


 望遠鏡。


 林檎。


 全部。


「それが、僕にできることか」


 誰も答えない。


 朔自身が決める。


 一分。


 二分。


 誰も急かさない。


「やる」


 朔が言った。


「いいんですか」


「よくない。でも、やる」


 澪は口を閉じた。


 正しいからではない。


 失うと知っていて選ぶ。


「手順を」


 段階切断。


 記憶同期から先に弱め、時間安定は最後。


 朔は再び椅子へ座る。


 接続のためではない。


 切るため。


 端子。左手首。時計の隣。


「開始すると戻せない」


「分かってる」


「本当に」


「環。今度は止めるな」


 環は一度だけうなずく。


 開始。


 継続同期、九八・一パーセント。


 九十五。


 九十二。


 朔の顔が歪む。


「何が」


「店」


「時計店?」


「匂いが、分からなくなる」


 八十七。


 八十二。


「こよみの部屋。壁の扉、何枚あった」


「分からない。もう」


 七十六。


 六十八。


「自転車」


「はい」


「色」


 澪は覚えている。


 紺色。


「紺です」


 それは、いま尋ねられた事実として答えた。


「そうだった?」


「はい」


「僕が覚えてたのに」


 六十一。


「林檎」


 朔が言う。


「こよみ。薄いのと、厚いの」


 記憶を探す。


「どっちが好きだった」


 澪は答えなかった。


 答えれば、朔が自分で失う時間を奪う。


「澪。教えてくれ」


 父親の声。


 それでも首を横に振る。


「ごめんなさい」


 朔が笑う。


「そうか。正しい。それでいい」


 五十四。


 四十八。


「僕が忘れるんだから」


 三十七。


「こよみ。ごめん」


 二十八。


「覚えてられなくて、ごめん。でも、お前が嫌だって言ったの、聞いたから」


 十七。


 十二。


 八。


 同期切断。


 零。


 朔の身体が静かになる。


 環が端子を外す。


 数秒後、朔が目を開けた。


「終わった?」


「はい」


「こよみ」


 名は残る。


「十二歳」


「はい」


「髪、長かった?」


「はい」


「林檎は――」


 朔は止まる。


「どれくらいの厚さだったか、思い出せない」


 止まっていた腕時計が、かち、と一秒動いた。


 午後四時十三分二秒。


 もう一度。


 三秒。


 秒針が、十八年ぶりに動き続ける。


 朔は時計を見つめたまま泣いた。


 こよみを忘れ始めた父親の時間だけが、ようやく先へ進んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ