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選ばなかった人生の博物館  作者: カイト
第四部 扉の前に立つ者たち

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第十九章 今度こそ

二月十四日 午前十一時〇八分


 第零実験の人格生成記録を見たあと、環は十一件の完了処理と、一件の未完了処理を、年ごとに並べた。


 二〇三八年。


 こよみ一歳。


 高熱。


 複数の予測履歴のうち、こよみが死亡する履歴が破棄され、生存する履歴が残る。


 二〇三九年。


 交通事故。


 こよみが無傷の履歴を残すため、近隣の別人が事故に遭う履歴へ差し替えられる。


 四歳。


 隣家の住人が消える。


 五歳。


 小さな食料品店が、最初から存在しなかったことになる。


 六歳。


 近所の子どもの兄が消える。


 七歳。


 自転車の練習をした河川敷近くの店がなくなる。


 八歳。


 通学路が一本減る。


 九歳。


 校舎の一部が変わる。


 十歳。


 こよみが、世界の違いを自分だけが覚えていることへ気づく。


 初めて黄色い扉を描く。


 十一歳。


 扉の数が増える。


 名前、家、店、道。


 消えた場所。


 十二歳。


 水城紗奈。


 第十二回の継続優先が未完了になり、第零世界全体が不安定化した。


「私たちが、こよみを守っていたつもりで」


 朔が言う。


「ほかの人を消していた」


「無意識に」


 環が答える。


「それでも、結果は同じです」


 澪が言った。


 誰も反論しない。


 こよみの最初の「今度」は、事故の四十七秒で何度も生成され、すべて切り離された予測。


 その後の十一回は、第零の中で継続するために選ばれた履歴。


 そして、今度こそ。


 こよみは、自分を残す選択を止めようとしている。


 端末に接続要求。


 所有者、冬木こよみ。


 記憶時間、四十七秒。


 観測回数、三回目。


 警告。


 以降の完全再生は非推奨。


「どうする」


 環が尋ねる。


「接続します」


 朔が口を開く。


「一人で」


 澪が先に言った。


「なぜ」


「父親がいると、こよみの話すことが変わる」


 朔の顔が傷ついた。


「環も外に」


「分かった」


「記録は残してください」


「もちろん」


 朔は何か言いたそうだった。


 それでも。


「分かった」


 とだけ言った。


 第九修復室。


 三回目。


 最後の安定した完全再生。


 椅子。


 端子。


 画面。


 冬木こよみ。


 接続。


 こよみの部屋。


 壁いっぱいの黄色い扉。


 以前より増えている。


 紙、壁、床、天井。


 何十、何百。


 こよみは机へ座っていた。


「分かった?」


 最初の言葉。


「少し」


「少しなんだ」


「全部は、誰にも」


「分からないね」


 二人とも、ほんの少し笑った。


 すぐ笑えなくなる。


「今度こそ、の意味」


 澪が言う。


 こよみの顔が変わる。


「言って」


「第零実験の四十七秒で、私たちの脳が何度も未来を作った。違う未来でも、同じあなたの原型が現れた」


 こよみは黙って聞く。


「その全部を、私は停止ボタンで切った」


「うん」


「第零の中であなたが生まれたあとも、私たちの無意識が、あなたの残る履歴を十一回選んだ」


「うん」


「十二回目で、あなたは水城紗奈を消させなかった」


 こよみの口元が震える。


「紗奈を覚えています」


「本当?」


「紙へ書いた。こちらに」


 少女は顔を伏せた。


 肩が一度だけ震える。


「紗奈」


 こよみが言う。


「嫌いだった」


「友達では?」


「友達じゃない。私のこと、嘘つきって言った」


「黄色い扉の話をしたから」


「うん。喧嘩した」


「謝った?」


 こよみは首を横に振る。


「次の日、いなくなった」


 十三歳になったらやること。


 喧嘩した次の日、自分から謝る。


「だから」


 こよみがうなずく。


「紗奈だけじゃない。いっぱい」


「全部覚えてる?」


「名前は、ほとんど」


 壁の扉を見る。


「忘れた人もいる。それが一番嫌。消えたことすら忘れる。でも扉だけ残ってる」


「だから描いた」


「うん」


「あなたが生きるたび」


「誰かが消えた」


「あなたのせいでは」


「その言い方、嫌い」


 澪は止まる。


「お父さんも言う。お前のせいじゃないって」


「間違ってはいない」


「分かってる」


 こよみの声が強くなる。


「でも、私のせいじゃないって言ったら、消えた人のこと考えなくていいの?」


 澪は答えられない。


「私が悪いって言いたいんじゃない。でも、私が残った。紗奈は残らなかった。それは、あるじゃん」


「あります」


 澪は否定しない。


 こよみの肩から、少し力が抜けた。


「だから、今度こそ、私を選ばないで」


「消えたい?」


「嫌」


 即答。


「絶対嫌」


 少女の声が、意味ごと澪へ届く。


「十三歳になりたい。海へ行きたい。犬ほしい。時計直したい。紗奈には謝れないけど、ほかの人にはちゃんと謝れるようになりたい」


「うん」


「死にたくない」


「うん」


「でも、私が生きるために、また誰かいなくなるのも嫌」


「聞いています」


「お母さん」


 澪は訂正しない。


「何」


「私が、やっぱり生きたいって言ったら」


 こよみが言葉を詰まらせる。


「私を選ぶ?」


「分かりません」


 こよみの顔が歪む。


「そこは、選ぶって言ってよ」


「生きてほしい」


「じゃあ」


「でも、あなたを生かすために誰かを消していいとは、まだ言えない」


「また、でも」


「ごめ――」


 澪は止める。


 謝罪を求められていない。


「お母さんなんか嫌い」


 こよみが言う。


「うん」


「選んでくれないなら、嫌い」


「それでも、生きてほしい」


 こよみは、そこで初めて声を上げて泣いた。


 強い少女ではない。


 自己犠牲の象徴でもない。


 死にたくない十二歳。


 澪は最後まで見た。


 残りの意味情報が、一度に近づく。


「最後に、生きたいって言ったこと」


 こよみの声。


「忘れないで」


「紙に書きます」


 こよみが、泣きながら笑った。


「それ、お母さんっぽくない」


 接続終了。


 澪は椅子へ戻った。


 正面表示。


 安定完全再生回数 上限到達。


 もう、同じ形では会えない。


 紙を取る。


 冬木こよみ。


 十二歳。


 死にたくない。


 生きたい。


 それでも、自分を選ばないでほしいと言った。


 扉が開く。


 朔と環。


「何と言った」


 朔が最初に聞く。


「あなたに、会わせます」


「今?」


「完全再生はできません。残留接続なら短く」


「危険よ」


 環が言う。


「分かっています。でも今度は、朔が聞く番です」


 朔の顔から血の気が引く。


「こよみは、死にたくないと言いました」


 朔の目が潤む。


「それから」


「それでも、自分を選ぶなと」


「そんなの、十二歳に決めさせられるわけないだろ」


「だから、あなたが何をするか決めるんです」


 父親として。


 一人の人間として。


 愛する相手の意思を、どこまで聞けるか。


 朔の番が来た。


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