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選ばなかった人生の博物館  作者: カイト
第四部 扉の前に立つ者たち

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第十八章 館長の告白

二月十四日 午前九時四十二分


 鷺沢環が、すべて話すと言ったのは、凪のいない集合写真を見たあとだった。


「旧会議室へ来て」


 声に力がなかった。


 朔も同行しようとしたが、環が止めた。


「あなたには、あとで同じ記録を開示する。冬木さんへ先に話したい」


 旧会議室は地下三階の端にある。十八年前、事故後の説明会や責任者会議に使われた部屋だった。


 環は扉を閉めた。施錠はしない。


「第零実験は、事故ではありません」


 澪の呼吸が止まる。


「どういう意味です」


「正確には、予測不能な事故ではなかった」


 環は古い端末を机へ置く。


「実験の六日前、予備試験で異常が出た」


 記録。


 予備試験 第零系列〇六。


「どんな異常」


「未生記憶が、観測者の接続終了後も自律的に継続した」


「持続未生系の前兆」


「そう」


 継続時間、十三分四十七秒。


「中に人物は」


「いた。第一人称は不明瞭だった。でも観測者が切れたあとも行動を続けた」


「危険と判断しなかった?」


「判断した研究員はいた」


「あなたは」


「続行した」


「なぜ」


「成果が欲しかった」


 言い訳のない答えだった。


「政府予算の更新、企業契約、競合研究所の発表。全部あった。でも最終的には、自分の研究が正しいと証明したかった」


「凪の治療も」


「本当に救いたかった。それも嘘ではない。でも、それだけではなかった」


「報告書は」


「書き換えた。自律継続を観測残留と表現した。実験中止勧告を、安全性再評価へ弱めた」


「私は、その報告を見ましたか」


「書き換えた要約版だけ」


「持続意識が生じる可能性は」


「言っていない」


 止められる場所があった。


 環は止めなかった。


「なぜ今まで隠したんです」


「研究を守った。事故後に公表すれば研究所は解体され、技術は禁止される。凪さんの治療結果も、ほかの患者への応用も失われた」


「凪の治療は成功した」


「成功した」


「だから、全部を正当化した」


「そう」


「多くの患者も救われた」


「それで、自分を許したことにした」


 環の声がわずかに揺れる。


「記憶隔離も、あなたが勧めた」


「はい」


「私は希望した」


「はい」


「でも第零が残っている可能性は伝えなかった。こよみが単なる幻覚ではないかもしれないことも」


「伝えなかった」


「なら私は、十分な情報を持たずに忘却を選んだ」


「そうです」


 第八章の書類の意味が変わる。


 冬木澪は自分で忘れた。


 だが、完全な情報に基づく選択ではなかった。


 それでも、二十歳の澪が凪を憎むことを恐れた事実は消えない。


 環の隠蔽と、澪の意思は同時に存在する。


「私は被害者ですか」


 澪が聞く。


「私に聞くの」


「あなたが答えるなら」


 環は考えた。


「私の行為によって、あなたは被害を受けた。でも、あなた自身が選んだ部分もある」


「だから、完全な被害者ではない」


「あなたを完全な被害者として扱えば、私は完全な加害者で終われる」


「何が悪いんです」


「楽なの。悪かった私が謝る。傷ついたあなたが許すか拒む。それで関係が整理される」


 環は言う。


「実際には、あなたも朔も凪さんも、それぞれ選んだ。私は情報を歪めた。その結果、全員の選択が変形した」


「それは責任をぼかす言い方にも聞こえます」


「だから、全部公開する」


 環が端末を開く。


 予備試験の改竄。


 事故記録。


 記憶隔離時の不完全説明。


 第零の隠蔽。


「今?」


「今」


「政府にも、報道にも」


「法務にも。監督局にも」


「館長職は」


「終わる」


「刑事責任も」


「あるでしょうね」


「なぜ今」


「もう、私が隠せば管理できるとは思わないから」


 黄色い扉。


 変わる道路。


 消える写真。


 権利を主張する町。


「他人の選択を管理することで、自分の責任を見なくて済んでいた」


 環は言う。


「あなたに記憶を戻させない。朔に第零を開けさせない。凪さんを接続させない。全部、安全のためだと思っていた」


「一部は、そうでしょう」


「でも誰かが自分で選び、私の望まない結果になれば、私は、自分が作った状況の中でその人が失うものを見なければならない」


「だから管理した」


「そう」


 環の顔が、初めて年齢より老いて見えた。


「公開してください」


 環が送信を実行する。


 監督局が遮断を試みる。環は別回線へ複製する。


 もう戻せない。


「やっと、自分の選択になった」


 環が言った。


 午前十時二十一分。


 公開処理の途中、技術者が旧会議室へ駆け込んだ。


「九月二十一日の記録が見つかりました」


「何年分」


「二〇三八年から二〇四九年」


 一覧。


 こよみ誕生の翌年から。


 最初の記録、二〇三八年九月二十一日、午後四時十三分。


 履歴不整合検出。


 人格継続優先処理。


 優先対象 冬木こよみ。


 代替履歴一件を破棄。


 次の年。


 代替履歴二件。


 その次、三件。


 処理は二〇四八年まで十一件、すべて完了している。


 毎年、こよみが残る履歴が選ばれた。


 その代わり、別の人物、場所、関係が第零から消えた。


 二〇四九年九月二十一日。


 第十二回。


 処理開始。


 優先対象、冬木こよみ。


 代替履歴候補、水城紗奈を含む四件。


 状態。


 未完了。


「未完了」


「百四十六日、停止したままです」


 技術者が言う。


「こよみが固定を妨害している」


 黄色い扉。


 名を書く。


 消えた場所を覚える。


「だから水城紗奈の痕跡が残った」


 環が言う。


「こよみが、自分を残す処理へ初めて本格的に抵抗した」


「そのせいで第零が不安定になった」


「そう見える」


 午前零時の声。


 十二回目が、やり直される。


 二〇五〇年二月十四日、第零実験から十八年の共振点に達し、停止していた処理が強制再開された。


「この処理を選んでいるのは誰です」


 技術者が署名を開く。


 外部錨信号。


 冬木澪。


 久世朔。


 冬木凪。


「三人が、こよみを残した」


 澪は言う。


「無意識に」


 環が答える。


「朔は娘を覚え続けた。あなたは名前を失っても誕生日を残した。凪さんは、あなたが失った子どもの存在を守り続けた」


 三人の愛、罪悪感、約束。


 それが継続補正機構にとって、こよみを最優先に残す信号になった。


「解錠要求」


 澪が言う。


 序盤のログを呼び出す。


 要求種別 自動継続補正。


 優先対象署名 冬木こよみ。


 機械が簡略表示した、人名。


 要求者 冬木こよみ。


 環が詳細仕様を開く。


「要求者ではない」


 澪は読む。


 継続補正機構による自動発信。


 優先対象の神経署名を認証鍵として使用。


「こよみは扉を開けようとしていなかった」


「装置が、こよみの名を使った」


 環が言う。


 朔が誤って読んだ。


 こよみの言葉と、解錠要求の矛盾が消える。


 機構には自我も悪意もない。


 第零内部の矛盾を削り、三人が最も強く保持する履歴を残すだけ。


 こよみの言う、ここを直すもの。


 人が消えたことへ気づかないようにするもの。


 すべて同じ機構だった。


「私たちは十一回、こよみを選んだ」


 澪は言う。


「十二回目も、選びかけていた」


「本人に聞かずに」


 環は答えなかった。


 技術者が、事故当日の破損記録を復元している。


 第零実験 人格生成履歴。


 修復率、三十一パーセント。


「開ける?」


 環が尋ねる。


 以前なら、自分で止めたかもしれない。


 今は尋ねる。


 澪は画面を見る。


 こよみの人格種子が、なぜ三人の予測の中で一貫して現れたのか。


 今度こそ、の残り。


「開いてください」


 環が実行する。


 古い音声。


 二十歳の澪。


「また、この子だ」


 若い朔。


「何を見てる」


「何度、枝を変えても、この子がいる」


 ノイズ。


「名前まである」


「誰の子だ」


「分からない」


 その記録は、第零実験の四十七秒の中で、装置が複数の未来予測を高速生成した場面だった。


 別の家。


 別の進路。


 別の事故。


 それでも、同じ少女の人格核が繰り返し現れる。


「人格種子」


 環が言う。


「第零は、何もないところからこよみを作ったんじゃない。事故の四十七秒で生まれた核を、十二年間の生活によって一人の人間へ育てた」


「なら、最初の『今度』は」


 澪が言う。


 何度も生成された予測。


 どの枝でも、少女は一度生まれかける。


 現実の澪が停止ボタンを押すたび、すべての予測は一つの現在から切り離された。


 その後、第零世界の中でも十一回、こよみが残る履歴が選ばれた。


 こよみは、人格種子に残った事故時の断片と、十二年間の継続優先を、夢や違和感として少しずつ受け継いだ。


 今度こそ。


 今度は、外側の大人たちに自分を残させない。


「次に、こよみ本人へ確認します」


「最後の安定再生になる」


「分かっています」


 環は止めない。


「私も見る」


「なぜ」


「今度は、あなた一人に、私の作ったものを見せないため」


 澪は環を見た。


 それから、うなずいた。


 十二回目の処理が再開されている。


 午後四時まで、もう六時間もなかった。


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