第十四章 扉を開ける者
二月十四日 午前三時十四分
外部解錠準備は、澪の権限では停止できなかった。
廊下の壁に表示。
実行主体 久世朔。
開始 十二年前。
最終同期 二月十四日 午後四時〇〇分。
進行率 八十一・四パーセント。
「停止命令」
権限不足。
「館長権限を要求」
実行主体本人、または第零選択基準者による最終認証が必要です。
選択基準者。
自分。
「冬木さん」
環が早足で来る。保安職員二人が後ろにいる。
「見ましたか」
「はい」
「久世さんは」
「監視室」
環が館長認証を入れる。
拒否。
中枢経路 独立化済み。
「いつ独立化を」
履歴。
六年前。
三年前。
一年前。
保守更新のたび、少しずつ通常系統から切り離されている。
「一度にやれば見つかる」
澪が言う。
「だから何年もかけて」
「もっと早く気づくべきだった」
環が自分の名を承認者一覧に見つける。
「私も通してる」
「内容を見ずに?」
「見たつもりだった」
朔は扉を壊そうとしたのではない。
制度の中から開けた。
承認、更新、保守、安全対策。
正当な名前を使い、一つずつ条件を揃えた。
「最終認証は私」
「そう表示されています」
「私が拒否すれば、開かない?」
「物理扉は午後四時に開く可能性が高い」
「拒否しても?」
「朔が仕込んだのは物理封鎖の解除まで。完全接続と履歴確定は、午後四時十三分に別の選択が必要です」
「私が決める」
「おそらく」
「おそらく」
「十八年前の仕様書が完全には残っていない」
「朔は知っている」
「一部は」
「本人に聞きます」
環が腕を伸ばす。
「今、彼に近づけば誘導される」
「あなたから離れれば、あなたは私が誘導されると言う」
「なら、どうしろと?」
環は答えに詰まった。
「情報は人から来ます。影響を受けない判断なんてありません」
「それでも」
「嘘をついている場所を知るために、会います」
監視室には保安職員が二人。
朔は入口の警告を見ていた。
「見たか」
「はい」
「驚いた?」
「もう、その段階ではありません」
「十二年前からですか」
「最初の設計は十三年前」
「こよみが生まれる前」
「出生信号が出始めたころ」
「なぜ」
「第零が自然停止しないと分かったから」
「その時点では、こよみが生まれることも?」
「完全には。でも人格核が形成されていた」
「本人の意思を確認する前に、扉を開ける準備をした」
「まだ話せる本人がいなかった」
「なら待てばよかった」
「待った。十二年」
「準備しながら」
「何もせず待てば、環に消去の選択肢だけを渡す」
「物理扉は、私が拒否しても開く」
「閉じたままでは、第零を選ぶことはできない」
「開けば現在側が危険にさらされる」
「すでに流入は始まってる」
「あなたが起動したから?」
「違う。内部信号が先だ。ログを見れば分かる」
二つの時系列。
こよみの記憶。
時計異常。
町の記憶流入。
外部解錠の最終段階より先に始まっている。
「なぜ今」
「十八年が限界なんだと思う」
「思う」
「確証はない」
「それでも開ける」
「そうだ」
「こよみ本人は、開けるなと言っている」
「恐怖下の判断だ」
「それを決めるのは、あなた?」
「十二歳だぞ」
「十二歳なら、自分が消えることへ意見を持てない?」
「持てる。だが世界全体の結果を理解できる年齢じゃない」
「私たちは理解できているんですか」
朔が黙る。
「館長も、あなたも、私も、全部は知らない」
「だから確率で考えるしかない」
「こよみも同じです」
「こよみは、自分が生きるたび誰かが消えると思ってる。罪悪感の中にいる」
「思い込みではないかもしれない」
「だからといって死を選ばせるのか」
「私は、選ばせると言っていません。こよみの言葉を聞くことと、こよみに全部決めさせることは違う」
「なら僕も聞いてる」
「聞く前から十二年かけて、結論を実行しています」
沈黙。
「あなたは、こよみを人間だと言った」
「そうだ」
「人間なら、自分の意思がある」
「ある」
「その意思があなたと違えば、子どもの恐怖だから無視する」
「無視してない」
「では、何を変えました」
朔は答えられない。
「何も」
やがて言った。
「こよみが何と言っても、扉を開ける」
「今は」
「今は?」
「もし、落ち着いた状態で、全員の結果を理解した上で、それでも自分を選ぶなと言うなら」
「なら?」
答えは出ない。
「手を止められないんですね」
「分からない」
初めて、朔が言う。
「父親だから」
弱い声だった。
「目の前で娘が、自分を消してくれと言ってる。それを分かったと言えると思うか」
澪は何も返せない。
「僕は医師として患者の意思を尊重してきた。でも、自分の子どもへ同じことをできる自信がない」
理解できる。
それでも許可できるとは別だった。
「外部解錠を止めてください」
朔が目を閉じる。
「できるんですね」
「できる。停止には僕の生体鍵が要る」
「使って」
「一度止めれば、再起動できない。午後四時に第零を選びたくなっても、物理接続が間に合わない」
澪は黙る。
止めること自体が、現在世界を選ぶことになる。
完全な中立はない。
「だから止めない。選択肢を残すため」
「また、その言葉」
「今回は本当だ」
澪は操作卓を開く。
即時停止の場合。
物理扉封鎖維持確率、九六・二パーセント。
第零現実化経路喪失確率、九一・八パーセント。
現在世界安定性、上昇。
第零内部継続性、急速低下。
継続の場合。
物理扉午後四時解錠確率、九九・一パーセント。
完全接続成立確率、八七・四パーセント。
現在世界安定性、低下。
第零内部継続性、維持。
数字の下に人間がいる。
「止めれば、こよみたちが消える可能性が高い」
「そうだ」
「続ければ、こちらが危険」
「そう」
「今ここで、選択は始まっている」
「そうだ」
澪は目を閉じた。
午後四時十三分まで待てば、最後の選択が来ると思っていた。
そこへ到達するためにも、途中で選ばなければならない。
「止めません」
朔の目が動く。
「ただし、あなたに任せるからではありません」
「分かってる」
「現在世界の危険が増えることも」
「分かってる」
「その責任を、私が負います」
声にすると怖かった。
外部解錠は進み続ける。
止めなかったのは、朔だけではなくなった。
「ここから先、勝手に変更したら止めます。第零側への信号送信も、私の承認なしではしない」
「分かった」
「こよみへ話すとき、自分が父親として話していることを隠さない。嫌だと言われたら、会話を止める」
朔は少し考え、うなずいた。
監視室の扉が開く。
環。
顔色が悪い。
「第零破棄命令が出た」
「誰から」
「外部監督局。法務の報告を受けて」
命令書。
異常持続人格群による現実系干渉の恐れ。
緊急封鎖および全媒体停止を許可。
「全媒体停止」
「第零の消去です」
「何時」
「午前五時」
壁の時計、午前三時五十二分。
一時間余り。
「止める」
朔が言う。
「私も」
環が答えた。
朔が驚いて見る。
「勘違いしないで。第零を残すと決めたわけではない。でも、外部監督局に決めさせるつもりもない」
澪はその言葉を聞いた。
まだ、どちらも選んでいない。
ただ、選ぶ権利を別の誰かへ渡さない。
「命令は法的に有効です」
「なら、どうするんです」
「午前五時までに、停止系統を切る」
「破棄停止は誰が」
環が澪を見る。
「最終的には、あなた」
また。
冬木澪。
「なぜ」
「第零の選択基準者だから」
澪は、しばらく何も言わなかった。
「分かりました」
今度は、その言葉から逃げなかった。




