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王都の女子寮から、赤面してパニックになっているエルセを置き去りにして夜の闇へと飛び降りたフレア。
王都の夜景を眼下に風を切って疾走し、そのまま夜明け前のギルドへと滑り込んだ彼女は、冷たい夜風のせいか、それとも胸の奥の微かな淋しさのせいか、ほんの少しだけ潤みそうになった視界を、その勝ち気なつり目で強引にねじ伏せていた。
目の前のデスクへ、アウグスト伯爵家の籍を抜いた書類、そして白紙の冒険者登録用紙を叩きつける。
「―――というわけよ。明日から私、ここで冒険者になるから。あんたが朝になって驚かないように、先にあいさつに来てあげたわ。手続き、よろしく頼むわね」
深夜に突然現れた鮮烈な赤髪の少女に、ギルド長は眉をひそめる。書類の刻印は本物だ。だが、あまりにも破天荒すぎる。
「アウグスト家の令嬢が、婚約を放り出して冒険者だと? 相手は確か、隣領の……」
「リチャードよ。あいつとの婚約なら、私の意志で綺麗さっぱり叩き壊してやったわ。自分の力で広い世界を飛び回って、世界一格好いい冒険者になってみせる――そう決めたのよ! 外の世界で好きに暴れさせてもらうわ」
ふん、と不敵に笑うフレア。完璧な悪女の笑み。これだけ啖呵を切れば、誰だってただの我儘な出奔だと思うはずだ。
ギルド長は深く、深い溜息をついた。
その皺の刻まれた顔に、ほんの僅かだけ、酷く痛々しいものを見るような陰が過る。
「……お嬢さん。お前さんは、本当にそれで――」
何かを言いかけ、ギルド長は言葉を飲み込んだ。 背を向けた私には、彼がどんな顔をしていたのかは分からない。ただ、深く、重い溜息の音だけが、静まり返った室内に響いた。
「……いいだろう。世間から見れば、ただの我儘な家出令嬢の出奔だな。配慮はしてやる。だが、冒険者の世界は甘くないぞ」
「ふん、心配ご無用よ」
背を向け、ギルド長室の廊下へと出た瞬間、張り詰めていた仮面が、わずかに崩れる。
静まり返った薄暗い廊下。
手元にある白紙の登録用紙をじっと見つめながら、私は小さく、震える声で呟いた。
「……勘違いしないで。私を、誰だと思っているのよ」
大丈夫。私は世界一強い。世界一格好いい。これくらい、なんてことはない。
自分自身にそう言い聞かせ、震える心を強引に奮い立たせると、胸の奥をキリキリと締め付ける、あの「数ヶ月前の午後」の記憶が、鮮明に甦ってきた。
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実家の庭園。うららかな陽光のなか、3人の幼馴染みが集まっていた。
王都の学校から遊びに来ていたエルセと、領主仕事の合間に駆けつけたリチャード。
「リチャード、これ、王都で流行っているハーブティーなの。淹れてみるわね」
「ありがとう、エルセ。はは、いい匂いだ。最近書類仕事が多くて目が疲れ気味だったから、すごく落ち着くよ」
「もう、無理しちゃダメよ? はい、フレアちゃんも。これ、フレアちゃんが好きそうな甘い焼き菓子も持ってきたの」
「ふん、気が利くじゃない。」
つんといつものように言いながらお菓子を受け取り、けれどフレアは、ふと手元に視線を落とした。そして、少しだけ照れくさそうに、ぽつりと呟く。
「……うん。ありがと」
いつも通りの、優しくて、どこまでも居心地の良い、大好きな三人の空間。
笑い合うリチャードとエルセ。いつも通りツンとすますフレア。そこには恋なんて言葉はまだひとかけらもなくて、何一つ変わらない、温かい日常。
―――けれど、その完璧な調和のなかに、ほんのわずかな「違和感」が混ざっていた。
リチャードがエルセの淹れたお茶に、心から安らいだ表情を浮かべ、リチャードのちょっとした仕草に、エルセの柔らかな波打つ亜麻色の髪が嬉しそうに揺れる光景。
二人は死ぬほど鈍感だから、自分たちの相性の良さにすら気づいていない。今はまだ、ただの幼馴染み。恋なんて、始まってすらいない。
けれど、フレアは、その先にある「一番自然で、一番正しい未来」を予感してしまった。
リチャードが本当に安らげる場所は、きっと――いや、たぶん。
私みたいに強がってばかりの女の隣じゃなくて、お日様みたいに笑うエルセの隣なんだと思った。
(……ああ、そっか)
なんだか少し寂しかった。
でも不思議なほど納得してしまった。
もし相手が有象無象の泥棒猫なら、私のすべてを懸けて叩き潰してでも、リチャードの隣は死守していただろう。 だけど、相手はエルセなのだ。誰よりも優しくて、温かくて、芯の強い私がリチャードと同じくらい大切に思っている、大好きな親友。
……ずるいわよ、エルセ。
あんたには、敵わないじゃない。
(……今はまだ始まっていなくても。あんたの本当の幸せは、私の隣じゃないわ)
このまま隣に居れば、リチャードはきっと自分を選ぶ。
親友として。
誠実なまま。
そしてたぶん、一生、本当の恋を知らないまま。
三人の温かい笑い声を聞きながら、フレアの心は決まった。
だったら、私が壊して、新しく始めてやる。
リチャードが自分を責めず、エルセが私に遠慮せず、二人の未来が自然と動き出すように。
私が、完璧にわがままな悪者になって、あいつの隣を空けてやる。
恋人として隣にいることは、ここで綺麗に諦めてあげる。
けれど、ただ引き下がるだけの私じゃない。
(―――勘違いしないでよね。あんたを世界一幸せにするのは、この私なんだから)
隣に立つのはエルセだけど、あいつを最高の未来に導くのは他の誰でもない。この私、フレア・フォン・アウグストなのよ。
......ほんと、馬鹿みたい。
そう思いながらも、私はいつも通り笑っていた。
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「ふん……。あいつら、今頃私がいなくて寂しくなってるんじゃないかしら」
ハッと意識を現在に戻し、フレアは自嘲気味にニヤリと笑った。
エルセへの引き継ぎの根回しも、異例の速度で完了させた。リチャードも、私の「夢を追いかけたい」という大嘘を100%まっすぐに信じてサインしてくれた。
いつかリチャードの隣で、あいつやエルセをいかなる危機からも支え、二人を心の底から安心させるために、誰にも見せず死に物狂いで努力して培った、この圧倒的な力。
その使い道はなくなってしまったけれど――だったらこれからは、手加減なしで、自分のためだけに振り回してやるだけだ。
私が外の世界で誰よりも自由に暴れて、誰よりも格好いい冒険者として成り上がってやれば、あいつらだって余計な罪悪感を持たずに済む。「フレアは自分の夢を叶えて幸せにやってるんだ」って、安心して笑い合えるはずだから。
最後まで完璧に、私の我儘で騙しきってあげるわ。
……だから。
二人とも、 絶対に幸せになりなさいよ。
溢れそうになる涙を完全に未練ごと夜風に隠し、鮮烈な赤髪をパッと揺らして、フレアは夜のギルドを堂々と歩き出した。




