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世界一格好良い私の、強がりな再出発  作者: ヒイラギ
婚約破棄と冒険者登録
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3

エルセの部屋を飛び出した私は、その足で夜明け前の冒険者ギルドへ滑り込んだ。

やるべきことは、全部今日で終わりにしたかった。


リチャードとの婚約も。

エルセへの引き継ぎも。

アウグスト伯爵家の籍も。

残すのは、最後のひとつ。

私がこれから何者になるのか、という問題だけだった。

以前一度だけ会ったことある伝をたどって、ギルド長グスタフに話を付ける。

私は目の前のデスクへ、アウグスト伯爵家の籍を抜いた書類を置いた。


「貴族を抜けてきたわ。明日から私、ここで冒険者になるから。あんたが朝になって驚かないように、先にあいさつに来てあげたわ。手続き、よろしく頼むわね」


深夜に突然現れた鮮烈な赤髪の少女に、グスタフは眉をひそめる。そして、目の前の書類をじっと確認する。


「アウグスト家の令嬢が、冒険者に?それに、確か婚約者がいたはずじゃ……」

「リチャードよ。あいつとの婚約なら、私が綺麗さっぱり終わらせたの。あいつも同意してくれたからこの話は終わりよ」


そう言って私は強引に話題を戻す。


「とにかく、私は自分の力で広い世界を飛び回ってみたいって思ったの。だからこれからは、ここで好きに暴れさせてもらうわよ」


ふん、と不敵に笑う。

本当のことなんて言う必要はない。

私はただの冒険者に憧れる少女。それでいい。

グスタフは深い溜息をついた。

その顔は歴戦の風格が漂う。スッと目を細めて私を見る。

けれど、私はそれを無視してグスタフに背を向けた。

用はもう済んだ。あとは任せてしまおう。


「……お嬢さん。お前さんは、本当にそれで――」

そこまで言いかけて、ギルド長は言葉を飲み込んだ。 出口に向かって歩きだしていた私には、彼がどんな顔をしていたのかは分からない。

ただ、扉を開ける軋んだ音が、静まり返った室内に響いた。


「配慮はしてやる。だが、冒険者の世界は甘くないぞ」

「ふん、心配ご無用よ」


部屋を出る直前にグスタフの低い声が聞こえた。私は立ち止まらなかった。

誰もいない薄暗い廊下。私は小さく、息を吐いた。

これで、私は冒険者になる。ひとまず全て上手く行った。あの日から、少しずつ進めてきたことがようやく終わって、私は肩の力を抜いた。


本当にそれで――


グスタフの言いかけた言葉だけが、耳の奥に残っている。

それでいいに決まっている。

あの「数ヶ月前の午後」に、私はそう決めたのだから。


◇◇


実家の庭園のうららかな陽光のなか、私は二人の幼馴染みと集まっていた。

王都の学校から遊びに来ていたエルセと、領主仕事の合間に駆けつけたリチャード。


「リチャード、これ、王都で流行っているハーブティーなの。淹れてみるわね」

「ありがとう、エルセ。はは、いい匂いだ。最近書類仕事が多くて目が疲れ気味だったから、すごく落ち着くよ」

「もう、無理しちゃダメよ? はい、フレアちゃんも。これ、フレアちゃんが好きそうな甘い焼き菓子を作ってきたの」

「ふん、気が利くわね」


いつものように言いながらお菓子を受け取り、けれど私は、ふと手元に視線を落とした。そして、ぽつりと呟く。


「……うん。ありがと」


いつもこうだ。

二人の前だと、何だかきつい言い方をしてしまう。

それなのに、二人は全く気にせず笑顔を向けてくれる。

いつも通りの、優しくて、どこまでも居心地の良い時間だった。

笑い合うリチャードとエルセ。いつも通り、少しだけツンとすましている私。


私はリチャードが好きだった。


幼馴染としてだけじゃない。

いつか彼の隣に立つのは、自分なのだと疑ったこともなかった。

そして、エルセのことも大好きだった。

だからこそ、その時間は完璧だった。

好きな人がいて、大切な親友がいて、二人が私に笑いかけてくれる。

何一つ変わらない、温かい日常。


――そのはずだった。

けれどその日、私はその完璧な空間の中に、ほんのわずかな違和感を覚えた。

リチャードは、エルセの淹れたお茶を受け取ると、いつものように礼を言った。

一口飲んで、ほんの少しだけ目を細める。


たったそれだけ。

けれど、その横顔があまりにも柔らかくて、私は言葉を失った。

きっと、他の誰も気づかない。けれど、私は気づいてしまった。ずっとリチャードを見てきたから。

たぶん、リチャード自身でさえ、自分の気持ちに気づいていない。

だって、わかっていて平気な顔で私の婚約者でいられるような、器用な男じゃないもの……。


どうすればいいのか、わからなかった。


自分じゃなかったことが悲しかった。


気づいてしまったことが恨めしかった。


眼をそらしたくて、エルセの方を向いた。

そして、どうすることもできないんだってわかった。

だって、エルセもリチャードを見つめていたから。

エルセは、リチャードのカップが空になりかけていることに気づいて、そっとポットを手に取る。


「リチャード、もう少し飲む?」


何でもない、いつもの一言。

私に焼き菓子を差し出した時と同じ、優しい声。

三人でいる時の、いつものエルセ。

だけど、エルセもちゃんとリチャードを見ている。

私がリチャードを見てきたのと、同じように。

そう思った瞬間、指先から力が抜けた。

ほとんど残っていないお茶に口をつけようとして、カップが小さく揺れる。

カチャン、とソーサーに当たる音がした。


「珍しいな。フレアが手元を狂わせるなんて」


リチャードが、いつものように笑ってくれる。

からかうようでいて、私が恥ずかしくならないようにする、優しい声だった。


「大丈夫? 新しいお茶、淹れるね」


エルセも、いつものように微笑んで、そっとポットを手に取る。

やっぱり、二人は気づいていない。

いつもの時間を、いつものように楽しんでいる。

でも私は、もう上手く笑えなかった。

私が黙っていればいいのかもしれない。

このまま結婚してしまえば、きっと何も起こらない。


きっと、リチャードは私を大切にしてくれる。

きっと、エルセは私たちを祝福してくれる。

もし二人がいつか自分の気持ちに気づいたとしても、誰にもわからないように蓋をするに決まっている。

リチャードも、エルセも、そういう人だから。

だから、ずっと変わらずに三人でい続けられる。


でも、そんなの私の望む幸せじゃない。

二人が結ばれないなんて私が認めない。

私はエルセの焼き菓子を一つ口に入れる。

甘くて優しい味がした。


うん、大丈夫。


悲しいけど。悔しいけど。

私のやることはもう決まった。


「リチャード!あんたも頑張りなさいよ!」

「……えっと、何のこと?」

「ふん、何でもないわ!」

「あらあら、フレアちゃんったら元気ね」


たぶん、もう、いつもみたいに笑えている。

エルセなら仕方ないもの。

他の誰かなら、絶対に譲らない。

だけど、エルセは強くて優しいから。

私の大好きな親友だから。

二人にはできるだけ何も知らないまま笑顔でいてほしい。

だから、絶対に最後まで隠し通す。

私一人で、三人が幸せになる道を見つけてやる。絶対に。

誰にも文句は言わせない。


◇◇


「ふん……。あいつら、今頃少しくらい私がいなくて寂しくなってるんじゃないかしら」


気づけば、私はギルドの廊下に立ち尽くしていた。

自嘲気味にニヤリと笑う。

エルセが次の婚約者になるための根回しも、異例の速度で完了させた。リチャードも、私の「夢を追いかけたい」という大嘘を、疑いもせずまっすぐに信じてサインしてくれた。

……明日から冒険者か。

不安はない。

私は強いもの。


いつかリチャードの隣で、あいつやエルセを守りたかった。そのために必死で鍛えた。

そんな姿は見せたくなくて、完璧でいたくて、ひた隠しにしていたけど。

もう、その必要もない。

大切なものは置いてきた。だったらこれからは、手加減なしで、自分のためだけに振り回してやるだけだ。


私が外の世界で誰よりも自由に暴れて、誰よりも格好いい冒険者として成り上がってやれば、あいつらだって余計な罪悪感を持たずに済む。

「フレアは自分の夢を叶えて幸せにやっているんだ」って、安心できるはずだから。


最後まで完璧に、私の我儘で騙しきってあげるわ。

だから──


「二人とも、絶対に幸せになりなさいよ」


未練なんて欠片もないみたいに、私は夜風の中で鮮烈な赤髪を揺らした。

そして、夜のギルドを堂々と歩き出す。

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