幕間
煌びやかなシャンデリアの下。
豪華な食事と華やかな演奏で彩られたパーティーに、俺は参加していた。
隣には、新しく婚約者となったエルセが綺麗なドレスに身を包んでほほ笑んでいる。
今夜は、エルセを婚約者として伴う初めてのパーティーだ。
しっかり、いいところを見せないと……!
そう意気込んで、エスコートする。
「これはリチャード殿。ご無沙汰しております」
会場に足を踏み入れてすぐ、我が家と交易のある子爵に声をかけられた。
「モーブ子爵。こちらこそご無沙汰しております。父もいつもお世話になっております」
「いえいえ、こちらこそ。伯爵家には長く懇意にしていただいておりますからな」
子爵は柔らかく笑うと、俺の隣へ視線を移した。
「それで、そちらが新しいご婚約者様でいらっしゃいますか」
「はい。こちらが婚約者のエルセ・フォン・リンドベルクです」
俺が紹介すると、エルセは静かに一礼した。
「エルセ・フォン・リンドベルクと申します。お目にかかれて光栄です、モーブ子爵」
「これはこれは、ご丁寧に。噂に違わぬ可憐なお嬢様だ」
子爵は穏やかに笑ったまま、少しだけ声を落とした。
「しかし……リチャード殿も、さぞ大変でございましたな。アウグスト家のご令嬢には、ずいぶん振り回されたのではありませんか」
「いいえ。フレア嬢は聡明な方ですから何かしら考えがあるのでしょう。今まで、彼女にはずいぶん支えられましたから」
唐突に出されたフレアの話題に、俺は素直に返す。
「ほう。お優しいことですな。ですが、リチャード殿ほどの方ならば、もう少し怒ってもよろしいのでは? 婚約を一方的に解消されたのですから」
子爵は笑みを浮かべたままだった。
ただ、その口元だけが、わずかに歪んで見えた。
……さすがに俺でもわかる。
子爵が何を言わせたいのか。
だから、俺はより一層、堂々と胸を張った。
「ええ、普通ならそうかもしれませんね。ですが、彼女は私にとって大切な友人なのです。婚約という形がなくなっても、それは変わりません。友人が自ら決めたことなら私は何があろうと応援するだけです」
「ご安心ください、モーブ子爵」
俺に続くように、エルセが半歩前に出た。
先ほどまで少しだけ硬かった表情は、もう消えている。
「リチャードのことは、私が誠心誠意支えますわ。敬愛するフレア様のようにはいかないかもしれませんが、リチャードと手を取り合って精進してまいります」
穏やかな声だった。
けれど、その言葉には不思議と退く気配がなかった。
子爵の笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。
それでもすぐに儀礼的な言葉を並べ、何事もなかったように人混みの中へ戻っていく。
その背中が人混みに紛れたところで、俺は奥歯を噛みしめる。
……馬鹿だ。
良いところを見せたいなんて、そんなことを考えてる場合じゃなかった。
婚約を破棄したとき、フレアは抜かりなく手続きを済ませてから、飛び出していった。その手際の良さには次期領主として学ばされるほどだった。
だけど、どれだけ完璧な手順を踏んでも、貴族の噂は止められない。
その時、隣から視線を感じた。
顔を向けると、エルセと目が合った。
お手本のような淑女の笑みを浮かべているが、その瞳だけは少しも笑っていない。
エルセは今、ひどく怒っていた。
そうだよな。
俺たちの親友を勝手に馬鹿にされるのは、見過ごせないよな。
俺はエルセに手を差し出す。
エルセは何も言わず、その手にそっと指先を重ねる。
そして俺たちは腕を組み、優雅に一歩踏み出した。
きっと、フレアを、アウグスト家を陥れたいのは子爵だけじゃない。
だから、俺たちは決して笑みを崩しはしない。
フレアを応援している。胸を張って、そう示すために。
――それから、何人もの貴族に話しかけられた。
天才令嬢が家を捨てたという噂が想像以上に広まっていた。
心配そうな顔を装う者。
目を輝かせて噂の続きを求める者。
口元に薄い笑みを浮かべる者。
フレアのことを聞かれるたびに、俺たちは何度でも同じように答えた。
何度も答えて、ようやく次第に好奇の視線が減っていく。
そんな中、年配の貴族に声をかけられた。
「やあ、こんばんは。リチャード君、エルセ君」
「……!これはアゼライト侯爵、お目にかかれて光栄です」
アゼライト侯爵は老獪で隙の無い人物として知られる方だ。穏やかに笑っているのに、こちらの反応を見逃す気配がない。
俺とエルセは礼を取りながら、自然と背筋を正した。
「ははっ、そんなにかしこまらなくてもよい。先日、君たちの大切な友人に助けてもらってね。その話をしたかったんだ」
侯爵の声は優しく、なんの含みも感じられない。
――フレアの話をしたかった。
その言葉が胸の奥にすとんと落ちる。
とっさに「俺もです」と言いそうになった。
天才少女でも、貴族籍を抜けた令嬢でもない。
……ただ、フレアの話がしたかった。
「それは、ぜひとも聞かせていただきたいです」
思わず身を乗り出しそうになり、慌てて姿勢を正す。
「君たちとなら楽しく話せそうだ」
侯爵は俺とエルセを交互に見て、くすりと笑った。
俺もつられるようにエルセを見ると、目が合った。
目上の貴族を前にしているというのに、エルセは瞳の奥の期待がまったく隠せていない。
たぶん、俺もおんなじ顔をしてるんだろうな。
「申し訳ありません、侯爵様。人を助けたというお話が、あまりにもフレア様らしくて……つい、笑みがこぼれてしまいましたわ」
エルセが照れくさそうにする。
俺も同じ気持ちだった。
「私もフレア嬢の高潔さには感心したよ。彼女が冒険者になったことは知っていたが、まさか我が領に現れた魔物たちを討伐してもらうことになるとは思わなかった」
侯爵は手にしたグラスを静かに揺らした。その瞳が、少しだけ遠くを見る。
「私の領は山脈のふもとに位置していてね、たまに魔物が降りてくるのだよ。普段は騎士団で事足りるのだがね、そのとき、襲来したのがワイバーンの群れだった」
「ワイバーンの群れ、ですか」
思わず声が漏れた。
「ワイバーンの危険さは知っているね?空から人を襲い、並みの攻撃では届かない。どう采配しようと人手が足りない。急いでギルドに依頼を出したが、到着までは時間がかかる。被害が出るのは仕方ないと覚悟していた」
侯爵はそこで、少しだけ目を細めた。
「ところが、フレア嬢は尋常でない速さで駆けつけてくれた。彼女は依頼を受けるなり、馬を走らせたと聞いている。普通ならそのまま山を回り込んで来るものだ。だが、どうやら彼女は途中で馬を降り、生身で山を越えてきたらしい。我が領に着くころにはほとんど魔力を切らしていたそうだよ」
俺とエルセは思わず息を呑んだ。
そんな状態でフレアはワイバーンと戦ったのか……?
侯爵が静かに頷いた。
「私も、それを聞いたときは君たちと同じ顔をしたよ。だが、報告してくれた騎士にはまるで悲壮感がなくてね。女神でも見たかのように、彼女の戦いを語ってくれた」
侯爵の声に、わずかに笑みが混じる。
「フレア嬢は、どこからか大量の武器を取り出して並べたらしい。そして、矢を放ち、槍を投げ、斧を投げ、次々にワイバーンを地に落としていったそうだ。落下地点で彼女が上に向けて剣を一振りすれば、それだけで魔物が息絶えたという。ワイバーンを落としては剣を振り、また落とす。あまりにも鮮やかな戦いぶりでね、騎士たちは彼女を“戦姫”と呼び、今でも語り草にしているそうだ」
侯爵の言葉が終わっても、すぐには声が出なかった。
フレアが強いことは、誰より知っているつもりだった。
けれど、命がけの戦場で戦うフレアを見たことはない。
大量の武器を並べ、空から襲うワイバーンを次々と落としていく姿なんて、想像したこともなかった。
……やっぱり、あいつが冒険者になったことは間違いなんかじゃないんだ。
「彼女は自慢の親友です」
そんな言葉が口をついて出た。
あいつの頑張りが認められているようで、言わずにはいられなかった。
侯爵は一呼吸置くと、手元のグラスを静かに傾けた。
「彼女の素晴らしい点は、それだけではなくてね。落としたワイバーンが農地を潰さないよう、落下地点まで選んで戦っていたそうだ」
侯爵の声は穏やかだった。けれど、その言葉は妙にはっきりと耳に届いた。
「すぐに駆けつけたことといい、彼女は貴族ではなくなった今でも誇り高い精神を失っていないようだ。貴族であったからこそ、民の生活をよく理解し、危機とあらば真っ先に駆けつける。私も見習いたいものだよ」
「さすが、フレアちゃ……、フレア様ですわ。あの頃と変わらず、お優しいままなのですね」
「君たちの話も聞かせてくれないかな?騎士たちへの良い土産話にもなりそうだ」
「もちろんですわ。私たち三人で林へピクニックに行ったことがあるんですの。その時なんてフレア様が――」
俺が口を開く間もなく、エルセがフレアのことを話し始めた。
……エルセに先越されちゃったな。
俺も隣で聞きながらフレアとの三人での日々を思い出す。
侯爵は相槌を打ちながら、穏やかに耳を傾けてくれていた。
俺のグラスが空になる頃には、話もひと段落付いた。
「では、私はこれで失礼するとしよう。今度、我が家で主催するパーティーに君たちを招待してもいいかね?」
「光栄です!喜んでうかがわせていただきます」
侯爵は満足げに頷いた。けれど、次の瞬間、その笑みを静かに収める。
「最後に一つだけ」
その場の空気が、一瞬で変わった。
「君たちのフレア嬢への信頼は、十分に伝わったよ。しかし、それが盲信に変わらぬよう気を付けることだ。離れていても変わらないというのは、なかなか難しいことなのだよ」
侯爵は、どこか寂しげに目を細めた。
俺が返す言葉を探すより先に、侯爵はゆったりと背を向ける。
そのまま、人の波の中へ静かに消えていった。
そこでエルセとは一度離れた。
彼女が仲のいい令嬢たちと談笑している間、俺はテラスに出て夜風を浴びる。
……信頼、か。
俺は貴族のフレアしか知らないんだよな。
今頃どうしてるのかなあ。
欄干に肘をついて、ただ星空を眺める。
――トン、と。
肩を叩かれた。
「よっ、リチャード」
「あ、こんばんは。ルーカス義兄さま」
……しまった。
フレアはもう婚約者じゃないのに。
「すみません。もう義兄さまなんて呼んじゃダメでしたね」
「いいって、いいって!あいつが馬鹿なことしたせいでややこしくなったんだし!」
ルーカスさんは快活に笑って失言を流してくれる。
「第一、俺は勝手にお前らのお兄ちゃんのつもりだぞ。生意気なフレアに比べて、二人とも良い子だからなぁ」
「ありがとうございます、ルーカスお義兄さま」
……ルーカスお義兄さまは昔から変わらないな。
いや、変わらない態度で接してくれてるんだろうな。
アウグスト家を仕切っていく立場のはずなのに。
それ以上に、フレアのお兄さまなのに。
いろいろ思うことがないはずない。
それでも、ルーカスお義兄さまは昔と同じ顔で笑ってくれる。
「ありがとな、リチャード」
ルーカスお義兄さまが俺の頭をそっと撫でた。
「フレアのために戦ってくれて。ずいぶん頼もしくなったな、かっこよかったよ」
温かい。
手のぬくもりが伝わってくる。
……ずるいなぁ。
急に大人の顔になって、褒めてくれるなんて。
ルーカスお義兄さまは、ぽんぽんと軽く俺の頭を叩き、いつもの調子に戻った。
「俺も嫌なおっさんに根掘り葉掘り聞かれてまいったよ!お前たちのおかげでだいぶ落ち着いたけどな。もうすぐ、パーティーも終わるし、もうひと踏ん張り頑張ろうぜ」
「はい。お義兄さまも無理しないでくださいね」
「おう!」
会場に戻ろうと振り返ると、エルセがこちらに歩いてきていた。
「お、エルセちゃん。ひさしぶり」
「まあ、ルーカスさま!お久しぶりです!」
エルセが少し大股で近づいてくる。
「エルセちゃんもありがとな。フレアをかばってくれてさ」
エルセがぴたっと止まる。
そして、さっきまでの社交を思い出したのか頬を膨らませる。
「もう!私、腹が立ちますわ!フレアちゃんのこと悪く言おうとするなんて!きっと、フレアちゃんがちゃんと考えて決めたことなのに……」
「ええ、どうだろうなあ。あいつ、たまにすっげえアホになるし」
「そこがフレアちゃんの可愛いところですわ!!」
食い気味に返すエルセにルーカスお義兄さまが苦笑する。
「俺もフレアを信じます。今のあいつのことはわからないけど、優しいやつだってことだけは俺たちが一番知ってますからね」
ルーカスお義兄さまは手をひらひらと振りながらテラスから離れていった。
「俺たちも戻ろうか」
「ええ、そうね」
差し出した手をエルセが握ってくれる。
テラスには静けさが戻っていた。
会場に鳴り響く楽団の音もどこか遠くに聞こえる。
夜空の下。
室内の灯りに照らされたエルセの横顔が、とても綺麗だった。
俺たちは腕を組んで、明るい室内へと戻っていく。
夜も更けはじめ、もうすぐこの時間も終わる。
俺は少しだけ肩の力を抜いて、エルセの隣で過ごすこの夜を、ただ楽しむことにした。




