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第8話:夜の古城

 日が沈みきるのを待って、リリナたちは出発した。


 森へ入る手前で、小さな羽音。


 「ひとつだけ言っとくね」


 ピクスが、いつもの調子で肩口に現れる。


「今日の相手、“曖昧な約束”が一番嫌いだから」


 前置きがない。


 いきなり核心。


 リリナは一瞬だけ考えてから、頷いた。


「……吸血鬼の当主、セラフィーン。契約重視、虚偽嫌悪」


「そう、それ」


 ピクスは満足げに笑う。


「あと、“例外”って言葉も嫌い。使うなら覚悟してね」


「覚悟、ですか」


「うん。あの人にとっての“例外”って、ルール破りとほぼ同義だから」


 さらりと怖いことを言う。


 ルシルが横目で一瞥する。


「ずいぶん詳しいな」


「仕事だからね」


 軽く肩をすくめる仕草。


「あともう一個」


 少しだけ声のトーンが落ちる。


「距離、詰めてきても下がらないほうがいいよ」


「……それは」


「試してるだけ。怯えたら、その時点で“下”に見られる」


 リリナは小さく息を吐く。


「難易度、高いですね」


「でしょ。でも――」


 ピクスはにやりと笑った。


「それでも、やるんでしょ」


 図星を突かれた気がして、返事に一拍遅れる。


 その隙に、ピクスはくるりと回った。


「ま、死なない程度に頑張って」


「縁起でもないこと言わないでください」


「大丈夫大丈夫。“ちゃんとやれば”死なないから」


「あと、たぶん開いてるよ、門」


「……それ、どういう」


「歓迎か、試験か」


 ピクスはもう前を見ていない。


「どっちでも同じだけどね」


 羽音が、夜に溶けた。


 西の空に残っていた橙は完全に消え、代わりに月光が輪郭だけを世界に与えていた。

 光はあるのに、温度がない。


 隣を歩くルシルは、昼間よりもわずかに気配が濃い。影が、正しい形を取り戻す時間だった。

 

「……この時間に来る意味、あるんですか」

「ある。あちらにとっては“これが昼”だ」


 短い答え。

 合理的で、それ以上踏み込ませない線引き。


 リリナはそれ以上は聞かなかった。

 代わりに、歩幅を少しだけ揃える。


 やがて森が開け、石造りの古城が姿を現した。


 高い塔。細く尖った窓。

 長い時間、誰にも触れられていないはずなのに、荒廃の匂いがしない。


 そして――門が、開いていた。

 

 軋みもしない、静かな開放。


 「……歓迎、されてますね」


 「あるいは、観察されている」

 

 ルシルの声は平坦だった。

 

 そのとき、足元でガルが鼻をひくひくとさせた。


 「なんか、へん」

 

 小声だった。リリナに向けてではなく、独り言のように。


 「においが……あるのに、よくわからない」

 

 うまく言葉にできないのか、ガルは首を傾けたまま黙った。


 門をくぐると、すぐに影が一つ動いた。


「お待ちしておりました」


 いつの間にか立っていたメイドが、深く一礼する。

 

 人間とほとんど変わらない外見だが、足音がなかった。


 案内に従い、長い回廊を進む。


 壁にかけられた燭台は、どれも揺れない火を灯していた。

 

 風がないのか、あるいは――風を許していないのか。


 通された広間は、想像よりも簡素だった。


 豪奢ではない。だが隙がない。


 そして、中央に――彼女がいた。


「珍しい客ね」


 ゆったりと椅子に身を預けたまま、女は言った。


 セラフィーン。

 

 この城の当主。


 外見は二十代ほど。長い銀髪が、月光を含んで淡く光る。

 

 だがその深紅の目だけが、時間の重さを隠していなかった。


「人間が、魔族の城に来るなんて」


 言葉は穏やか。だが、視線は刃のように正確だった。


 服装、姿勢、呼吸の間。

 

 ひとつも取りこぼさずに測っている。


 値踏みと、興味が、同時にある。


「リリナと申します。本日は――」

「ええ、聞いているわ」


 遮られる。


 セラフィーンの視線が、ゆっくりとリリナから外れた。


 隣に立つルシルへ。


 ほんの一瞬。


 それだけで、空気の密度が変わる。


 わずかな、しかし確かな変化。


 懐かしさか、警戒か、それとも。


「……そう」


 それ以上は何も言わず、視線は戻る。


「続けて」


 許可。


 リリナは一拍だけ呼吸を整えてから、話し始めた。


 異種族間の交流の必要性。

 婚姻を通じた関係の安定。

 そして、今回のマッチング計画の概要。


 言葉は選ぶ。だが、過剰には飾らない。


 この場で必要なのは、説得ではなく整合だ。


「……面白い試みね」


 話を聞き終えたセラフィーンは、指先で肘掛けを軽く叩いた。


「でも、いくつか確認させて」


 来る。


 リリナはわずかに背筋を伸ばした。


「万一、敵意のある人間が来たら?」


「排除します。参加条件に明確な規定を設け、事前審査も行います」


「では、万一、魔族が人間を傷つけたら?」


「同様に責任を問います。種族ではなく、行為で――」


 そこまで言いかけた瞬間。


 気配が、変わった。


 セラフィーンの姿が、目の前から消える。


 姿が消えたと思った次の瞬間、すぐ目の前にいた。

 

 息がかかる距離。


 白い指先が、リリナの顎に触れる。


「“責任を問う”? 私たちに?」


 声は静かだった。


 だが、逃げ場がない。


 視線が首元へ落ちる。


 血管の位置を、なぞるように。


 喉が鳴りそうになるのを、押さえ込む。


 それでも。


「……はい」


 リリナは逸らさない。


「この場に参加する以上、例外は作りません」


 沈黙。


 わずかに、爪が食い込む。


 痛みが走る。


 それでも、目を逸らさない。

 

 沈黙。


 測られている。

 

 やがて。


「……ふふ」


 指が離れる。


 セラフィーンは元の位置に戻っていた。


 最初から、動いていなかったかのように。


 セラフィーンの目が、少しだけ細くなる。


 そして最後の問い。


「――あなたは、誰の味方なの」


 その瞬間、空気が静止した。


 問いという形をした、選別。


 ここでの答えは、契約になる。


 リリナは、すぐには口を開かなかった。


 ほんの数秒。


 だが、その沈黙を逃げにはしない。


 考えていることを、隠さない。


 そして。


「どちらかの味方ではありません」


 はっきりと言う。


「私は、“場”の味方です。交流が成立するかどうか、それだけを見ています」


 静かな声。


 強くはない。だが、揺れない。


 セラフィーンは、すぐには反応しなかった。


 ただ見ている。


 予想外の答えを、測るように。


 やがて、ふっと息を漏らした。


「あなた、おもしろい人間ね」


 口元だけが、わずかに緩む。


「いいわ。参加は認める」


 胸の奥で、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ。


 だが、次の言葉でまた締まる。


「ただし条件付き。吸血鬼の参加者は、私が選ぶ」


「……承知しました」


 即答。


 ここで食い下がる理由はない。

 むしろ当然の条件だ。


「話は終わり。案内を」


 使用人が一礼し、退出を促す。


 リリナは頭を下げ、踵を返した。


 そのとき。


「――ルシル」


 小さな声。


 だが、確かに呼ばれた。


 リリナが振り向くよりも先に、ルシルがわずかに足を止める。


 セラフィーンは椅子から動かないまま、彼だけを見る。


 そして、何かを言った。


 囁きに近い声で。


 距離があるはずなのに、妙に鮮明に届いた気がした。


 ――だが、意味は拾えない。


 ルシルは、ほんの一瞬だけ目を細めて、


「……ああ」


 それだけ答えた。


 それ以上は何も言わず、再び歩き出す。


 リリナも続いた。


 城を出て、夜気に触れたとき。


 ようやく息が楽になる。


「……すごい人ですね」


「ああ」


 短い同意。


 それで終わりそうだったので、


「さっき、何を言われたんですか」


 踏み込む。


 ほんの少しだけ。


 ルシルは歩みを止めないまま、視線だけを前に向けていた。


 沈黙。


 数歩分。


 そして。


「……気にするな、お前はまだ、知らなくていい」


 拒絶ではない。だが、開示もしない。


 リリナはそれ以上聞かなかった。


 ただ、足元のガルを見た。


 ガルは前を向いて歩いていた。さっきの緊張が、もうほとんど消えている。


 でも、一度だけ振り返った。


 城の方を。


 それから、またリリナに寄り添って歩いた。

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