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第3話:同行者たち

 翌朝、リリナは手帳を開いたまま窓の外を見ていた。

 

 昨日書いた各種族のメモが並んでいる。エルフ、ヴァンパイア、ドラゴン、ワーウルフ、ハーピー。それぞれの横に、距離感と注意事項を書き添えた。

 

 我ながら、よくこんな状況で仕事モードになれるものだと思う。

 

 朝食を終えた頃、ベルザードが扉をノックした。

 

「リリナ様、ご準備はよろしいでしょうか」

 

「準備、というと?」

 

「本日、ぼっちゃまより説明があるとのことです」

 

 広間に通されると、ルシルが地図の広げられたテーブルの前に立っていた。昨日と同じ黒いマント。でも今日は地図に視線を落としていて、リリナが入ってきても顔を上げなかった。

 

「来たか」

 

「おはようございます」

 

 ルシルはようやく顔を上げた。一瞬、何かを言いかけて、やめた。

 

「座れ」

 

「リリナです」

 

「わかっている」

 

 初めて名前を呼ばなかっただけで、わかっているらしい。リリナは何も言わず椅子を引いた。

 

 ルシルは地図に手を置いた。魔王城を中心に、いくつかの地域が示されている。

 

「パーティの参加者、まだ誰も確定していない」

 

 リリナは少し驚いた。てっきり話は進んでいると思っていた。

 

「候補はいる。だが、打診はまだだ」

 

「……つまり、これから交渉するんですね」

 

「そういうことだ」

 

 ルシルは地図の上のいくつかの地点を指で示した。エルフの森、ドラゴンの山域、ヴァンパイアの古城、ワーウルフの草原。

 

「全部回るんですか」

 

「必要なだけだ」

 

「一緒に、ですか」

 

「お前がいないと話にならないだろう」

 

 リリナは地図を見た。どう見ても、日帰りで行ける距離ではない。

 

「……どのくらいかかりますか」

 

「種族によって違う」

 

 ルシルは答えてから、少し間を置いた。

 

「長くて、十日ほどか」

 

 リリナはしばらく地図を見つめた。十日。相談所のシフトは、まあ、ベルザードの話では時間の流れが違うらしいから、いいとして。

 

「わかりました。いつ出発ですか」

 

「明日だ」

 

「明日ですか……では今日中に準備します。ところで、1つ確認していいですか」

 

「なんだ」

 

「私、交渉の経験はないんですが」

 

 ルシルは少し黙った。

 

「婚活の、経験はあるだろう」

 

「それは……まあ」

 

「同じことだ」

 

 全然同じじゃない、とリリナは思った。でも言い返せなかった。

 

 ♢

 

 その後、ベルザードが同行者について話した。

 

「道中、二名をお供させます」

 

「ルシル様以外に、ですか」

 

「ぼっちゃまお一人では、道中の諸々に不足がございますので」

 

 言外に「気が利かないので」と聞こえた気がした。リリナは聞こえなかったふりをした。

 

「一名は情報案内役として、フェアリーのピクスを」

 

 その名前と同時に、どこからともなく光の粒が舞い込んできた。

 

 豆粒ほどの光が、テーブルの上でぱっと弾けると、手のひらに乗るほどの小さな生き物が現れた。羽が四枚、目が大きく、全身からうっすら光が漏れている。

 

「よろしくねー!リリナちゃん!」

 

 高い声で、まったく遠慮がなかった。

 

「あ、えっと、よろしくお願いします」

 

「かわいい!人間ってこんな感じなんだ!触っていい?」

 

「え、どうぞ」

 

 ピクスがリリナの頭に飛び乗った。思ったより重さがある。

 

「各地域の地理、種族の習慣、最新の情報はピクスが担当いたします。顔も広く、ある程度なら話が通じる」

 

「えへへー、うれしい事言ってくれるじゃない。でも、口が軽いとも言うよね」

 

 ピクスが言った。ベルザードは静かに目を閉じた。

 

「……それは、重々承知しております」


 ピクスはくるりと宙で回った。


「そういえば、この城の外周、見張り一人増やした?南側。昨日はいなかった」


 ベルザードが、ゆっくりと目を開けた。


「……どこでそれを」


「んー、見たから。あと、聞いた」


「さすがの情報通ですな、任せて安心できます」

 

「そして、もう一名は護衛として、レギウスを」

 

 廊下に向けてベルザードが声をかけると、扉が開いた。

 

 最初に見えたのは、鎧だった。

 

 漆黒の板金鎧。光をわずかに跳ね返す表面に、細かい魔術的な紋様が刻まれている。体格は人間の男性よりひと回り大きいが細身でしなやかな体躯をしている。

 

 前髪の下から覗く顔は、整っている。だが笑っていない。

 

 耳が長い。肌がわずかに褐色がかって、薄紫の瞳はとても神秘的だ。

 

「ダークエルフのレギウスでございます。ぼっちゃまの親衛隊を務めております」

 

 レギウスはリリナを一瞥した。それだけだった。挨拶もない。

 

「……よろしくお願いします」


 リリナが言うと、レギウスはリリナの方をまっすぐ見て言った。

 

「一つ聞く」

 

 低い声だった。

 

「なんでしょう」

 

「なぜここへ来た」

 

 リリナは少しの間、黙った。

 

「……来たわけじゃないんですが」

 

「何?」

 

「連れてこられました。気づいたら、ここにいました」

 

 レギウスの目が、わずかに動いた。

 

「……連れてこられた、とは」

 

「相談所で話を聞いていたら、気づいたら魔王城でした」

 

 ルシルの方をさりげなく見る。

 

「……そういうことだ」

 

 悪びれる様子は一切なかった。

 

 リリナは小さく息を吐いた。

 

「ただ、協力すると決めたのは自分です」

 

 レギウスに向き直る。

 

「だから、来た理由を聞かれたら、そう答えます」


 レギウスはしばらくリリナを見た。品定めというより、確かめる目だった。嘘をついているかどうか、それだけを測っている。

 

「人間は利用する。それが得意な種族だ」

 

 感情のない声だった。怒りでも嫌悪でもなく、経験則として言う声だった。

 

「……そういう人間もいますね」


 「でも、そういう魔族も、きっといる」

 

 短い沈黙。

 

 レギウスの目が、窓のほうに動いた。

 

「……人間が来るとは聞いていなかったが、どういうことだ」

 

 今度はルシルへ向けた言葉だった。ルシルは窓の外を見ていた。

 

「聞いていなかったか」

「聞いていなかった」

「そうか」

 

 それで終わりだった。


 レギウスは何か言いたそうだったが、ルシルはすでに地図に視線を戻していた。

 

 リリナはレギウスをちらりと見た。レギウスもリリナを見た。

 

 視線が合った瞬間、レギウスはすっと目を逸らした。

 

 嫌いというより、どう扱えばいいかわからない、という目だった。リリナはその種類の視線を知っていた。相談所で、初めて来た人がまれにそういう顔をした。


 ♢

 

 その夜、リリナは部屋で荷物を確認していた。手帳、ペン、着替え。ベルザードが用意してくれた旅用の鞄は、こちらの世界の素材で作られていて、軽いのに丈夫そうだった。

 

 ガルがその鞄に頭を突っ込んだ。

 

「ガルも行く!」

 

「来てくれるの?」

 

「おん!ごしゅじんをまもる!」

 

 リリナはガルの頭を撫でた。護衛としての実力はともかく、いてくれるだけで違う。それはもう証明済みだった。


 窓の外は月が出ていて、山の稜線が青白く輝いていた。

 

 知らない世界の、知らない景色だ。

 

 きれいだと思った。思ってから、少し笑った。

 

 最初に魔王城を見たとき、恐ろしいはずなのにきれいだと思ってしまった。あのときと同じだ。

 

 怖いのに、目が離せない。

 

 明日、この城を出る。魔王と、口の軽いフェアリーと、よくわからない騎士と、喋る子犬を連れて。

 

「……相談所の仕事より、だいぶ難しそう」

 

 ガルが鞄から顔を出して「だいじょうぶ!おん!」と言った。

 

 リリナは苦笑して、手帳を閉じた。


 

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