第2話:世界
ルシルとの話が終わり、いったん部屋に戻ったリリナは窓の外を見た。
雲の流れはゆっくりで、時間の進み方まで違うように思える。
「まずはこの世界のことを知らなくちゃ」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
「……ベルザードさん、いらっしゃいますか」
扉に向かって声をかけると、少しの間を置いてノックが返ってきた。
「お呼びでしょうか」
まるで最初からそこにいたように、自然に。
「この世界のこと、教えてもらえますか」
ベルザードは一瞬だけ目を細めた。試すような、あるいは測るような視線だった。けれどすぐに、いつもの穏やかな表情に戻る。
「承知いたしました。長くなりますが、よろしいですか」
「お願いします」
ベルザードはほんのわずかに口元を緩めた。
「この世界には、大きく分けて2つの勢力がございます。人間族と、魔族」
予想していた言葉だ。でも、その"距離"までは想像できていなかった。
「現在、両者は共存しております。……少なくとも、表向きは」
「三七年前、大きな戦がございました。規模としては……世界を2つに割るほどの」
「その戦は、終結しました」
ベルザードは一瞬、言葉を切った。カップをテーブルに置く、小さな音だけが響く。
「先代の魔王様が、人間族の勇者に討ち取られたことで」
静かな声だった。感情を排しているのではなく、感情を乗せないようにしている、そういう静かさだった。
リリナは何も言えなかった。
「双方に多くの犠牲が出ました。残った魔族と人間族は盟約を結び、互いに干渉しない、それが条件でございました」
「……それが、今も続いている」
三十七年。リリナが生まれる前の話だ。でもベルザードにとっては、昨日のことのように近いのかもしれない。
「和解したわけではございません。恐れているのか、憎んでいるのか、あるいはただ無関心なのか。今となってはその出来事を知らない者もございます。種族によって、個人によって違いますが、交わらないという事だけは共通しております」
「……ルシル、魔王様は」
リリナは少し迷ってから、口にした。
「その、お父様のことは」
ベルザードは一呼吸おいてゆっくりと話し始めた。
「……ぼっちゃまが物心ついた頃には、すでに戦は終わっておりました」
答えになっているような、なっていないような返し方だった。リリナはそれ以上聞かなかった。
「人間は魔族を恐れ、魔族もまた人間を恐れております。見た目の違い、力の違い、文化の違い。理由はいくつもございますが……本質は単純でございます」
「知らないものは、恐ろしい」
リリナは黙ってうなずいた。
相談所でも、似たような場面はいくらでもあった。知らない相手への不安。勝手に膨らむ想像。すれ違い。規模が違うだけで、構造は同じだ。
「ただし、すべての人間が魔族を避けているわけではございません」
「学者、呪術師、奴隷商、勇者を名乗る者もございます。……いずれも、あまり"常識的"とは言えない方々ですが」
「そういう人たちは、魔族に会いに来たりするんですか」
「ええ、場合によっては、捕らえようとすることも」
さらりと言われて、リリナの背中に冷たいものが走った。
「捕らえられた者が、どうなるかは……ご想像にお任せいたします」
リリナは無意識に、自分の腕を軽く握った。
その雰囲気を察したのか、ガルが足元で「きゅるる」と唸る。
「……じゃあ魔族側は? 人間に興味を持つ人は?」
「おります。ですが、多くは遠巻きに観察する程度でございます。関わること自体が、リスクでございますので」
そこで一拍。
「ぼっちゃまのように、直接行動に移される方は……非常に稀でございます」
リリナは思わず視線を逸らした。
"とりあえず連れていく"を思い出した。
「……納得です」
ベルザードは何も言わなかった。ただ、ほんの少しだけ目元が和らいだ気がした。
リリナは手帳を開いた。ページの上に、今聞いたことを箇条書きにしていく。戦争、三七年、干渉しない関係、種族によって違う感情。
書きながら、ふと手が止まった。
「……ハードモードすぎません?」
「ええ」
ベルザードはあっさりと肯定した。否定も、慰めも、なかった。
リリナはしばらく、手帳の文字を見つめた。
窓の外で、雲がゆっくりと流れていく。
「……わかりました。続きを聞かせてください」
ベルザードは静かに頷いた。
ガルが足元で丸くなり、目を閉じた。長い話になると、察したのかもしれない。




