5.敗戦と合流
何度通路の角を曲がって、いくつの部屋を抜けたのか、わからないほど走った。
淡く光っているだけの通路が、今はとても怖かった。
心臓が悲鳴を上げているのは、体力の限界からなのか、恐怖からなのか、そうしていくつかの部屋を抜けて、比較的明るい部屋にたどり着いたとき、ようやく一行は足を止めた。
「はぁ、は、はぁ……」
「も、もうはしれな、い」
床に倒れこむ祐一。ソフィアも手を膝について荒い息を吐いたまま、口を開かない。
「ここまで、くれば、さすがに……」
クレイルは一度後ろを振り返り、通路がずっと淡い光をたたえたままであることに息をついた。
闇は、迫ってきていない。
そこで改めて転がり込んできた部屋を見る。
ここもまた、ここにいた盗掘者や冒険者の仮拠点か何かだったのだろうか、前に見た部屋と同じように、たいまつが灯り、机やいす、棚の上にはいくつかの荷物なども置いてあった。
その、どことない安心感に、クレイルもようやく気を緩める。
「ふたりとも、大丈夫……?」
祐一には目立った外傷がない。転んだ時の擦り傷のようなものだけだが、ただ、彼はもともとこういう状況に慣れていないはずだ、精神的疲労が相当なものだろう。
一方ソフィアは一度あの吸血鬼に吹き飛ばされている。もともと彼女は筋力と体力はあるほうだが。
「なんとか、ね……骨は、折れてない、みたい」
ソフィアは殴られた腹を抑えて、息を整えながら状態を確認する。その発言に目を見開いたのは祐一だった。
「あの攻撃で…?だって、なんか、吹っ飛んでたけど」
「なんか、あれは、魔力を叩きつけられた感じだったわ」
「吹き飛ばす方が目的だったのかな……」
なんにしても、大きい怪我でないことは幸いだ。だが、その後の会話が続かない。しばらく沈黙が訪れる。ぱちぱちと、たいまつの火が燃える音がする。
圧倒的な恐怖を前に、空気が自然と重くなっていく。
静かな空間、ふと、祐一が顔を上げた。
「な、なぁ、何か聞こえないか?」
「何か?」
「あ、あしおと、みたいな…‥‥」
言われて、クレイルも耳を澄ます。祐一の神経が過敏になっているだけかもしれない、それならよかった。だが、たしかに。ぺたり。ぺたりと。何かが歩いているような、そんな規則的な音が通路の奥から響いてくる。
クレイルは、通路の奥を見た。それにつられてソフィアも視線を移す。
「するわね」
「……僕たちがきたほうとは、反対だね」
問題は、それが、今自分たちが逃げてきた通路とは逆側の通路から響いている、ということだった。その音は靴音というよりはもっと柔らかいものが地面を歩く音だ。まるで、裸足の足のような。
吸血鬼の少女は、靴を履いていなかったことを思い出す。
まさか、彼女がここまで追って来たのか。だとしたら、とっくに逃げ道はふさがれていることになる。それとも、彼女とは違う別の追手か。どちらにしても、あまりよろしくない状況だ。
クレイルは通路の奥を見る。
「ひっ」
先に何かを見たのか、祐一がひきつった声をあげた。
通路の奥から、何か大きな生き物がのしのしとこちらに向かっている。
大きさ的には、馬というのがちょうどいいか。遺跡という圧迫感があるからか余計に大きく見える。だが、それは馬ではない。
馬のような長い首を持っているが、その肌はウロコに覆われている。宝石のような眼が輝き、縦に線が入った瞳孔。手足は足に対して手の方が短く、その先には鋭い爪。太い脚でしっかりと二足で歩く、トカゲのような顔。そして、背中には二枚の羽根。
クレイルはそれを知っていた。それは。
「ド……ドラゴン……?」
そう震える声を出したのは、祐一だった。この世界における最高峰の存在。普通なら、こんなところで出てきていいはずがない生き物だ。
そして通路の奥のそれは、祐一を認識し、その後ろに立つクレイルとソフィアを見る。そのままかぱりと口を開き。
「キュイ?」
可愛らしい声で、鳴いた。
「ミーニィ!」
「きゅきゅい!」
「………………へ?」
その声にいち早く反応したのはソフィアで、そのドラゴンに向かって駆け寄るとその首元に抱き着く。ドラゴンもそれにうれしそうに頬をすりつけた。
「よかった、会いたかったわ!」
「え、なに、へ?しりあい?」
事態が呑み込めなくて祐一はソフィアとドラゴンを交互に眺める。
クレイルも、知っている顔にほっと息をついてから、いまだ事態が呑み込めていない祐一に、にこりと笑う。
「ソフィアの相棒。彼女、竜騎士なんだよ」
「りゅ、りゅうきし」
「ちょうどこの遺跡ではぐれてたんだよね、合流できてよかった」
「つまり、あの、え、敵じゃない?」
「うん、敵じゃない」
そこまで説明をして、祐一がようやく緊張を解いた。彼が腰を抜かすのも無理はない。まさかこの遺跡であんなめちゃくちゃな吸血鬼の後、ドラゴン戦とか言うことになったら、クレイルだって命の危機を覚える。
だが、幸いにして彼女は味方である。竜騎士であるソフィアの相棒のレッドドラゴン。それがミーニィだ。
そして、彼女がいまここにいるということは。
「ミーニィ、大丈夫?けがはない?」
「きゅ」
「よかった、突然はぐれちゃったから心配したのよ」
「こらこら、ボクらが逸れたみたいな言い方はやめてよ」
ふいに、先ほどまできゅうきゅう鳴いていたミーニィが喋った。否、喋ったのはミーニィではない、その声の主は、ミーニィの頭の上からひょっこりと顔を出した。
「転移の罠を踏んでボクらの前から姿を消したのはキミたちのほうじゃないか」
そこにいたのは、このパーティのもう一人、イルシュアだった。一見すると愛らしい猫のような見た目をしているパーティの頭脳役。
「ネコが喋っ………、りもするか」
突然流暢に喋りだした猫に、祐一が悲鳴を上げかけたが、すぐに冷静になって遠い目をし始める。多分、彼の世界ではあり得ないことが起こりすぎて、今更猫がしゃべったことには驚かなくなったのだろう。
もっとも、この世界でも猫は喋ったりはしない。イルシュアは、猫のようで猫ではないのだから。
「おや、キミは……?」
一方のイルシュアは、その祐一を見てから、すぐにその目を細め、人間のようにニヤリと笑みを浮かべた。普通の猫はこんな表情を浮かべたりもしない。
「どうやら目的自体は達成しているみたいじゃないか。えらいえらい」
そうやって、子供をほめるかのような、感心したような態度でうんうんと頷いた。
■ ■ ■
「俺は祐一。クレイルとソフィアに助けられた異世界人」
「ボクはイルシュア、このパーティの魔法担当だよ」
ふよふよと、空中に浮かびながらそう自己紹介をしたイルシュア。それを見ながら祐一は、ほへぇと、少し間の抜けた声をあげた。
イルシュアの全体は、クリーム色か、黄土色のような毛色。時折濃い茶色が混ざっているのはまるで茶トラの猫に近い。だが、そのイルシュアを猫と決定的に分けているのは、背中に生えた2枚の羽根だ。彼はそれを使って、器用に空中に留まっている。アンバランスなのは、その羽が猫の毛におおわれたものではなく、むき出しの蝙蝠に似た羽なところか。それ以外は変わった模様をした少し大きめの猫なのに、そこだけが異質に映る。
そういった意味でも、イルシュアは猫ではない。とはいえ、じゃあ何かといわれても、実はクレイルもよくわかっていない。
イルシュアは、クレイルが物心ついたころからこうだった。だから、こういう生き物なんだな、と思って一緒に暮らしてきたから、疑問に思ったことはない。何かといわれると、少し説明に困る。
「こっちはミーニィ、ソフィアの相棒で、まだ小竜なんだ」
とはいえ、イルシュアは慣れたもので、己の説明は後回しにミーニィの頭の上に着地する。ドラゴンは寿命が長いが、成長は早い。もう5~6年したら成竜になるのだが、ミーニィはまだ生まれて間もない小竜だった。
イルシュアは簡単に自分たちをそう祐一に説明すると、改めてクレイルたちの方を見た。
「それで、キミたちはなんでそんなボロボロなんだい?」
「そう!変な女に襲われたのよ!」
イルシュアの疑問を受けて、ソフィアが勢いよく叫んだ。
「変な女?」
「ソフィア、それじゃわからないと思う」
ソフィアのその言葉を補足する形で、クレイルは今までの状況をイルシュアたちと共有する。
この先の祭壇のような場所で、自分たちの歳くらいの吸血鬼の少女に出くわしたこと、全く歯が立たなかったこと、彼女から逃げてきたこと。
それから、その前の祐一と合流した前後のことと、アンデッドがいたことも一応共有しておく。
「吸血鬼……、って、血を吸われたの?」
イルシュアのその言葉にびくりと祐一が肩を震わせる。クレイルもそれに気が付いて記憶をさかのぼる。吸血鬼、と、最初に言ったのは祐一だった。それをクレイルも疑わなかったが、だれもあの少女に血を吸われたわけではなかった。
もっと別の生き物なのかもしれない。
「特徴は?外見とか、使っていた武器とか」
「ええと、黒髪で、赤目で、耳は少しとがってたと思う。あと、八重歯が鋭かった」
「翼は?」
「あったよ、黒い、蝙蝠みたいなやつ」
「角は」
「ない」
一応、ここまでだったら吸血鬼の特徴には合っているが、ほかの種族にも近しいものはいる。何か、彼女を吸血鬼だと決定づける素材があったはずだった。
クレイルは思い出す。
「あと……、そう、棺から出てきたよね」
「そう!」
そうだ、棺から出てきたのだ、だから吸血鬼だと一同は判断した。
「武器は?」
「使ってなかった、と思う。なんか、闇を操作しているみたいな動きだった」
「闇操作かぁ」
その一言にイルシュアの耳がピクリと動く。そして、何か考えるように喉を鳴らした。スッっと細められた瞳が、何を考えているのかはわからない。
「あと、光には弱いのかな。とにかく光をぶつけたら一瞬ひるんでたから」
「それで逃げられたんだよな」
クレイルと祐一の交互の説明を聞いて、イルシュアは腕を組んで考え込む。猫の生き物に男ふたりがそろって説明している図はなかなかシュールなものがあったが、クレイルはそれを疑問に思ったことはない。イルシュアには、自然と意見を聞きたくなるような、どこか経験豊富な雰囲気があった。
「なるほど、まぁたしかに吸血鬼…で間違いは無さそうだ」
やがてイルシュアはそう結論付けると、クレイルと祐一の二人に向かって頷いた。
黒髪赤目の吸血鬼の少女。この遺跡に住み着いていた野盗を殺したのもこの少女である可能性が高い。
「さて、相手の情報が出そろったところで、次は……」
「再戦ね!」
そうして、一度話し合いがおちついたのを見てソフィアが立ち上がる。
「ミーニィもいるし、これでパーティ全員そろったんだから、あのスカした女にリベンジしに行くわよ……!」
「キュァ!」
「やっぱそうだよねぇ」
次は絶対に負けない、と意気込んで気合を入れるソフィアに、呼応するようにミーニィが吠える。イルシュアも静かに頷いた。その様子に祐一も静かに息をのむ。
パーティの面々が全員合流している。種族的に吸血鬼に劣らないドラゴンと、どこか達観した雰囲気を持つ魔法使い。二人の実力はクレイルも知っている。本気で挑めば、あの吸血鬼の少女相手でも勝利の目はある。
だが。
「待って待って」
だが、クレイルはそこに小さく手をあげながら割って入る。
勝ちの目は見えていないことは無い。が、ここで自分たちの本来の目的を忘れてはいけない。
「僕らの任務は祐一を保護することじゃん、このまま戻ったらよくない?」
その言葉に、一同の動きがいったん止まった。
クレイルの言うことは一理あるはずだった。一理どころか百ぐらいある。
祐一はいつのまにか一同の勢いに流されている。ソフィアはもとより、冒険者としては、ダンジョンのボスのような存在に出くわして、そのまま帰るという選択肢があることに思い至らなかったのだろう。
だが、今回の自分たちの依頼はあくまで「異世界転移者の保護」なのだ。それに祐一が冷静になったように頷いた。
「いやまぁ確かに……?わざわざ危険を冒してまであれに挑む理由はないのか」
「は?何言ってんのよこのまま引き下がるの?」
「だって、彼女を討伐する理由も、僕たちにはなくない?」
そうなのだ。この依頼は決して、「遺跡に棲む吸血鬼の討伐」ではない。
現在の被害はおそらく、遺跡にすみついていた野盗と思しきものが3名であるが、その性質から言うと野盗に同情の余地はあまりない。
それならばいったんこの遺跡を出て、この依頼はこれで終わらせつつ、現状を報告してギルドで討伐隊なりなんなりを編成してもらった方がいいのではないか。
というのがクレイルの考えだ。
「……それはそう」
祐一も改めてクレイルに同調する。彼も先ほど死にかけたはずなのに、なんだかちょっとこの世界の空気感に慣れてきているような感じがある。
自分たちと一緒にいて安心をしてくれているのはありがたいが、あくまで保護対象なのだ。
「……いや、今回は、こいつをここでどうにかしておきたい」
しかし、その提案を覆したのはイルシュアだった。その返答はクレイルには少し意外だった。イルシュアは割とこういう時、堅実的な方の選択をする。今回はこれで任務が完了することを考えると、無理に戦わずに撤退を選ぶと思ったのだが。
意外にも彼は倒す方に一票を投じた。ソフィアも驚いてイルシュアを見る。
「珍しいわね、イルシュアが再戦寄りなの」
「ちょっと気になることがあってね」
「なんで?」
「理由はいくつかあるけど、……わかりやすく言うと、勝てそうだからかな」
「あれに?!」
「多分聞いた感じその吸血鬼は、『目覚めたて』だ。まだ本調子じゃないはず。だったら、そのまま叩けるはずだ」
イルシュアが言うには、クレイルたちが出会った吸血鬼は「棺から出てきた」存在だった。吸血鬼がわざわざこういう場所で棺を使って眠るのは、休眠をしていたことを示すのだという。
この遺跡は50年以上前に探索をされ尽くしており、訪れるものはいなかったはずだ。そのため危険性も少ないとされていた。
「誰もいない遺跡。吸血鬼からしたら絶好のねぐらだよね」
であればその間に住み着いた吸血鬼ということだ。それが今回、おそらく祐一の出現によって、思いがけずに起こされた。転移の時には遺跡の魔力が大きく動く、これは依頼の時にレナが言っていた。安眠したい吸血鬼にとっては大変な影響があっただろう。休眠を始めたのがいつかはわからないが、彼女は今、いわば寝起きの状態だ。
一方で、ここで遺跡を出て任務の完了を告げて、それから報告をあげてギルドから正式に討伐という形になるまでには2、3日かかる。それだけ時間がかかると、目覚めた吸血鬼は手を付けられない強さになってしまうだろう。そうなってしまっては、討伐隊が全滅するなどといった危険もある。
「そ、そんなにやばいのか?」
「多分だけどね、闇を扱える程度の吸血鬼だ、かなり珍しい」
彼女が本調子だったのなら、クレイルたちは、それこそ逃げることもできなかったはずだとイルシュアは続ける。
「でも聞いた限り、クレイルたちが撤退できるだけの隙はあった。なら、まだなんとかなる」
なんとかなるのなら、なんとかできるうちに、なんとかしたほうがいい。というのが、イルシュアの判断だ。
「じゃあ、なんとかしちゃいましょうよ!」
ソフィアはその言葉に意気揚々と立ち上がる。もとより再戦をしようとしていた側だ。ミーニィは言わずもがなソフィアに賛同する。
祐一は、イルシュアの言葉を聞いて一度唾を飲み込んだ。そして、伺うようにクレイルを見る。その瞳には、何処か期待のようなものが乗っていた。
その雰囲気を読み取って、撤退の方向に傾いているのが自分だけだということをクレイルは悟る。しばらく目を瞑って顔を天井に向け、唸っていたが、やがてイルシュアを見た。
イルシュアが言うのであれば、勝算が全くないというわけではないのだろうから。
「……わかった。やろう」
もうここまで来たら後には引けない。クレイルもまた、腹をくくるしかなかった。




