9.吸血鬼の少女
祭壇の間に、呼吸する音だけが、響いていた。
クレイルは放り投げた剣を拾って、ゆっくり鞘に納める。
割かれたわき腹から血が零れる。携帯していた荷物の中から治療帯を取り出して、止血のために軽く巻き付けた。
同じように、治療のためにイルシュアがソフィアの元に駆け寄っているのを視界の端に入れながら、捕らえた吸血鬼を見た。
四肢を白く輝く鎖に拘束され、ぺたりと部屋の中央に座り込んだ吸血鬼の少女は、最初の内は抵抗をしているようだったが、今はもう諦めたのか、うなだれたままピクリとも動かなかった。
クレイルはゆっくりとその前に歩いていく。
「お、おい、危なくないか……?」
がれきの影から声をかける祐一に軽く手を振って、クレイルは吸血鬼の前に立つ。
吸血鬼は動かない。例えば、このまま首を切り落としたら、退治することができるのだろうか。否、吸血鬼を殺すには、心臓に杭をうたねばならないと聞いたことがある気もする。
では、たとえば、ソフィアの槍で突いたら。
クレイルは考える。もとより拘束を目的としていただけだった。けれど、今このままなら。
だが、クレイルはそれをせずに、そっとその前にしゃがみ込んだ。
吸血鬼の少女は動かない。ただぼんやりと地面を見つめている。その様には、先ほどまであった脅威は全く感じられない、それこそ、ただの、少女だった。
「……ええと、どうして、僕たちを襲ってきたんですか」
「はぁ?!」
なので、思わず話しかけてしまった。クレイルの言葉に祐一が驚いた声を上げる。
「…………」
少女は、何も答えなかった。殺される覚悟をしているのだろうか、それとも、殺されない自信があるのだろうか。ただ少しだけ視線を動かしてクレイルを見る。
その瞳は、暗く淀んでいた。クレイルは続ける。
「だって、最初に僕らを襲った時、僕たちを、殺そうと思えば殺せたんでしょう」
「…………」
少女は答えない。でも、クレイルは独り言のようにその言葉を続ける。それは自分に言い聞かせているかのようでもあった。事実、少しだけ疑問だったのだ、クレイルには。
「僕たちは、あなたと危険だと思って、再戦を挑んだけど」
「……………」
「あなたは、僕たちを殺すつもりはなかったのかもしれない」
「いや、何言ってんだよクレイル……」
「だって、最初に逃げる僕たちを追わなかった。なんでかなって」
祐一が震える声を出すが、クレイルは止めない。
彼女が本当に自分たちを殺そうと思ったら。ちゃんと追いかけて捕まえておけばよかった。最後までしっかりと追いかけて、それでとどめを刺せばいい。そうしたら自分たちは、イルシュアたちと合流することなく死んでいた可能性だって、ないことはない。
でも、彼女は自分たちを追わなかった、それはなぜなのか。クレイルはただそれが気になった。
「………った、……ら」
「ん?」
すると、少女は小さく口を動かした。
クレイルは彼女に視線を向ける。
「うるさかった、から……」
それは、思えば、彼女が最初からずっと言っていた言葉だった。
「わたしは、寝てたの。なのに、変な魔力の流れで起こされた……」
「魔力の流れ?」
「ユウイチがこの世界に来た時のやつじゃない?」
イルシュアが話に加わってくる。ソフィアは?と聞いたら、傷の手当はしたから、あとは目を覚ますのを待つだけだ、と返ってくる。クレイルはほっと息を吐いた。
そして少女の言葉に再び耳を傾ける。
「無理矢理起こされたの、そのあと、なんか人の声がいっぱいして……」
少女はぼんやりとしながらそう言った。瞳は虚ろなままだったが、戦闘時に見たような感情のようなものはなにも乗っていなかった。ただ、その声色には不機嫌さが乗っている。その様子は、まるで。
「ただでさえねむいのに、あっちこっちでうるさくて……」
「確かに僕たちかなり派手にダンジョン探索してたね」
まるで。
「え、それってもしかして」
クレイルは思い当たるところがあって一言つぶやいた。様子を見守っていた祐一も恐る恐る近づいてきてその言葉を聞く。二人は顔を見合わせた。
「寝起きで、機嫌悪かっただけ……?」
こくん。と。少女は首を傾けた。それは、相槌のようにも、眠さに耐えられないような動きにも見えた。
「あっはははははは!」
とたん、イルシュアが大きな声をあげて笑いだす。びくりと、一同はそちらを見た。
「なるほど、ねむかったんだ、だからキレてたって感じ?」
腹を抱えて大声で笑い転げる。そして目に涙を浮かべながら少女を見た。
「イルシュアさん!?いくら何でもそんなに煽るのは……」
「いやいや、煽りとかじゃなくてね、むしろ納得したというか」
いくら拘束されているとはいえ、また怒らせでもしたらたまったものじゃない。そんなイルシュアの態度に、慌てて祐一が声をかけるが、イルシュアは気にした様子はない。
それぞれが様々な感情でイルシュアを見る中、彼はひとしきり笑ってから少女に近づき、下からその顔を見上げた。
「やぁジャンヌ、ひさしぶり」
そして、さらりとそう言った。
「ジャンヌ?」
「え、なに、知り合い?」
急にイルシュアの口から出た名前に、クレイルと祐一がイルシュアを見る。だが、当の少女も驚いたようにイルシュアを見ていた。
「なんで、私の名前を……」
「ボクだよ、イルシュア」
少女、ジャンヌは、しばらく呆然とイルシュアを眺めていたが、やがて徐々にその瞳に焦点があっていく。そして、ふいに驚いたように立ちあがろうとして、すぐに鎖に阻まれた。
「い、イルシュア様?!」
「イルシュアさま?!」
じゃらりと、四肢の鎖の音を立てて取り乱すジャンヌの言葉に、クレイルと祐一も飛び上がる。知り合いどころか、どういう力関係だというその発言に、どこから突っ込みを入れたらいいかわからない。だが、ジャンヌのほうが明らかに動揺したように視線をさ迷わせている。
「ど、どうしてこんな、えっ…?」
「細かいところは後で説明するよ。クレイルたちから話を聞いてもしかしてと思ってたんだ」
慌てたのはジャンヌだが、クレイルたちも同様に戸惑いを隠せない。
「え、じゃあ、なに、知ってて戦ったの?」
そう、つまり、イルシュアは彼女が知り合いかもしれないということを知ったうえで、退治しに行こうなんて言い出していたのか?
イルシュアは、ジャンヌから視線を外し、クレイルに向き直って、小さく舌を出した。
「そう、だから、捕まえようって言いだしたのは半分はボクの事情」
「なん……」
「実際、討伐隊が組まれることになったら大変なことになったのは確かだよ。遺跡に棲み着いた吸血鬼、っていうだけで怖がる人は多いだろうからね」
言いながらジャンヌとクレイルたちを交互に見やる。ふわりと空を飛んでから、その上に寝転がるようなしぐさを見せた。
「でも、まぁ放っておいても彼女はやたらに侵入者を殺すような真似はしなかったと思うけどね」
「えっいや、でも、なんか死んでましたけど?!」
続いた言葉にすぐさま突っ込んだのは祐一だった。彼は、最初にアンデッドに出会っている。あれらは言ってしまえば死にたての死体であった。
彼女が下手人であることは疑いようがないのだが、と思ったら彼女は悪びれた様子もなくしれっと告げた。
「あれは、人さらいの顔してた」
ほらやっぱり!とばかりに祐一がイルシュアを見る。ジャンヌは全く悪びれた様子もなく、首を少し傾けながら不機嫌そうにつぶやいた
「人さらいなら、死んで当然」
「違ったらどうすんの?!」
「いいえ、そういう話もしていたもの。ここをねぐらにするって。たまに異世界人が来るんだって、だから」
ジャンヌが言った言葉に今度は祐一が黙り込む。たまに異世界人が来る、から、異世界人を攫ってやろうと、そういう話をしていたのだという。どこから漏れたのかはわからないが、ギルドも特に隠しているわけではなさそうだった。話を、聞かれたのだろうかとクレイルは考えるが、それはわからない。
だが、もし本当なら、ジャンヌがいなかったら、祐一が先に野盗にさらわれていた可能性もある、ということになってしまう。
「私、人間は嫌いなの」
そして、ジャンヌはそういうと再び力を抜いた。膝の上に置いた手を、強く握りしめる。拘束された鎖が揺れて、それを見つめながらつぶやく。
「人間の中でも、人攫いは一番嫌い」
そういわれたら、祐一もさすがにもういえる言葉はなかった。
クレイルも伸ばしかけた手を止める。
そういえば、彼女はこの拘束の罠にかかるときもかなり嫌がるような反応を示していた。自分たちのあずかり知らないなにかが、あるのかもしれない。
おおよそこういう種族違いで人間嫌いの種族が出てきた場合、人間にも、悪いところがあるのだと、クレイルは教わってきた。
「あーーー、もう、知らね」
祐一にも何か思うところはあるのか、結局、考えることを放棄するように、その場に転がった。もう何が何だかわからなかった。イルシュアは振り返り、座り込むジャンヌと、その隣に立つクレイルのほうを見る。
「さて、ということで、どうする?」
「どうする、って……」
「だってほら、ジャンヌはもう、人間を襲うことしないよね?」
「し、……ない。しません。はい」
イルシュアはにっこりと笑ってジャンヌのほうを見た。
ジャンヌは何か言いたげだったが、ややあってイルシュアの言葉に従ってこくりと頷く。イルシュアの言うことは聞く、ということなのだろうか。それとも、やはりもともと彼女には、積極的な敵意はなかった、ということなのだろうか。
「もう完全に起こされちゃったし、この遺跡じゃないところにいく、これでいい、ですか」
ジャンヌは半ばふてくされたようにそう言った。
本来なら、人を殺した吸血鬼をこのまま解放するなど、そう簡単に決めていいことではない。
だが、殺されたのは人攫いを企んでいた野盗だという。少なくとも、その件だけを理由にジャンヌを罪人としてギルドへ突き出すような話ではなさそうだった。
クレイルは、彼女を罪に問いたいのではない。むしろ。むしろ。
クレイルは少し、否、十分に悩んでから、ジャンヌのもとに歩み寄った。
「ええと、その前に、ジャンヌさんに言っておきたいことが」
「……なに」
クレイルはその前に座り込むと、ジャンヌに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……は?」
「うるさくして寝床を荒らされたから怒ってただけなのに、こう、拘束するような真似をしてしまって」
「なに、それ」
その態度にジャンヌが怒りに似た感情を浮かべる。戦闘中に向けていたそれとも少し違う。けれど、これはクレイルは伝えなければならないと思ったのだ。
「恐かった、ですよね。いやでしたよね」
そして、クレイルはそういうと、彼女の前に立って、剣を抜いた。
「クレイル?!」
慌てた声をあげたのは祐一だ。クレイルは祐一に微笑むと、イルシュアの方を見た。イルシュアは肩をすくめてそちらを見ていた。
「イルシュア、いいかな」
「……まあ、ボクは止めないよ」
それだけ確認すると、クレイルは剣を彼女の鎖の上に立てる、そして、その拘束を断ち切った。
カキン、と、乾いた音を立てて魔力で出来た鎖が霧散する。あとには、拘束術の効力を無くしたアミュレットが、青白い光を放って静かに落ちていた。
ジャンヌは自由になった腕を見る。座ったまま手のひらを見て、それから、クレイルを見上げた。その瞳には、少しばかりの動揺と、憤りが、のっていた。
「なんの、なんのつもり」
「イルシュアもああいっているし、誤解だった、みたいだから、拘束は必要ないかなって」
ジャンヌはクレイルの行動に一歩引いて立ち上がる。クレイルはそのままその剣を鞘に納めた。その姿を見てジャンヌは何かを言おうとして、何も言わず、ただ、手を振り上げた。
―――――ぱん。
と、ジャンヌの平手がクレイルの頬を打った。クレイルは何が起きたのかわからずに、目を瞬かせる。そして、ジャンヌはそのまま2,3歩後ろに下がる。
「本当!人間って嫌い!」
それだけ叫ぶと、そのまま影となって消えていった。
後には、何も残っていなかった。
■ ■ ■ ■
彼女がどこに向かったのかはわからなかったが、おそらく、もうここに戻ることはないのだろう。
クレイルは打たれた自分の頬に手を当てて、しばらくぼんやりとその影をおった。
おそるおそる、という感じに祐一がクレイルの顔を覗き込む。
「……なんで?」
「わからない、わからないけど。……僕、間違えたかなぁ」
クレイルは頬に手を当てたまま考える。
彼女は去り際に確実に怒っていた。怒らせるようなことをしたからなのだが、その理由は、クレイルが謝ったことによるのだろう。
「さあな、俺には、わからんけど……。クレイルは、なんで謝ったん?」
「彼女を捕らえる判断は、…………間違えたかな、と思ったんだ」
「でもその提案をしたのはイルシュアだろ?」
「……そうなんだけど、彼女は嫌だったみたいだから」
嫌なことをしてしまったから、謝る。それは当然のことだった。
だが、拘束の判断をしたのはイルシュアだったとしても、実際にそれを実行をしたのは自分たちだ。だから悪かったとは思ったのだ。
だが、彼女はそれよりも、謝られたことのほうが気に障ったらしかった。
イルシュアがのんびりと欠伸をする。彼はジャンヌを追うこともせず、クレイルを止めることもなかった。だからそれでいいのだろう。
もとよりイルシュアも、話が済めば彼女を解放するつもりだったのだろう。それこそ、話をつける猶予が欲しかった、それだけなのかもしれない。
そして、イルシュアはクレイルをみて目を細める。
「まぁ、その優しさは美徳だけどさ。彼女って本来はもっとずっと強いんだよ。だから、馬鹿にされたとは感じたかもね」
「えっそんなつもりは」
「でも、彼女はそう感じた」
それからひとつだけクレイルにアドバイスをした。
クレイルは優しいのだ。ただ、優しさは、時に傲慢に映るというだけで。
「だから、そういう態度は、もっと強くなってからするといいと思うよ」
ボクくらいにね、とだけ言って、イルシュアはもう一度、ソフィアの様子を見に行った。彼女はまだ目を覚ます様子はないから、ミーニィの背中に乗せて帰還するのがいいだろう。
このあと目を覚まされても、どうして自分が見ていない間にジャンヌを逃がしたのかという話になりかねないし。
「…………難しいなぁ」
クレイルは、静寂を取り戻した祭壇の前で、ただ、そう思った。




