表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶を失った悪女ですが、この婚約解消書の署名が偽物だということは分かります  作者: 久世まどか


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/22

第21話 三十年分の見本帳

「七十七輯以降、庫にあるものは信じるな」


 ユリウスは、父の一行を三度読んだ。


「どういう意味だ」


「二つ考えられますわ」


 わたくしは指を立てた。


「一つ。庫の七十四冊は、すでに書き替えられている。二つ。庫の七十四冊は、そもそも本物ではない」


「違いは」


「一部か、全部かですわ」


「どちらだと思う」


「一部でしょう。全部を偽物にするなら、七十四冊ぶんの署名を作らなければなりません。何万人ぶんですわ」


「では、どこが一部だ」


「それを数えに参ります」


    ◇


 庫の扉を、もう一度開けた。院長は今度も鍵を回してすぐ帰った。わたくしは第七十七輯を棚から抜いた。机に置いて、表紙を開いた。署名が並んでいる。三十年前の日付。


 わたくしは拡大鏡を取った。一頁目の十六の署名を、一つずつ見た。


 二頁目。三頁目。


 十頁目で、手が止まった。


「監査官様」


「何だ」


「この輯、綴じ直しております」


 わたくしは背の綴じ糸を示した。


「原簿の綴じは麻糸です。この輯は、途中から絹糸に変わっております。十一頁目からですわ」


「途中で糸が尽きたのでは」


「原簿の綴じは公証院の製本方が行います。方には規格がございましょう」


 ユリウスが規格書を出した。麻糸。例外の記載なし。


「では、誰かが後から綴じ直した」


「はい」


 わたくしは十一頁目以降を見た。紙を裂くわけにはいかないので、端を光にかざした。


 簀の目——十七本。


「ドレスデン領の紙ですわ」


「原簿の紙が」


「三十年前の原簿に、三年前から流通した紙が綴じてございます」


 わたくしは、頁を閉じた。


「入れ替えられております。十一頁目以降が」


    ◇


 わたくしたちは、七十四冊を全部調べた。三日かかった。ネルが糸を見て、わたくしが紙を見た。ネルは糸を見るのが速かった。背を横から見るだけで、麻と絹を言い当てた。


「絹は光ります。麻は光りません。それだけです」


「それだけで分かりますの」


「それだけしか違いませんから」


 三日目の夜に、数が出た。


 七十四冊のうち、二十九冊に絹糸の綴じがあった。入れ替えられた頁は、合わせて四百十二枚。


「四百十二枚に、何人分の署名がございますか」


「一頁十六で、六千五百九十二だ」


「六千五百九十二人の署名が、この三年で書き替えられたということですわ」


 ユリウスは、机に手をついていた。


「オリヴィア嬢。それは——」


「はい」


「この国の証書の真正が、六千五百九十二人ぶん、動かせるということだ」


 わたくしは、絹糸の一本を指で撫でた。


「動かせる、ではございません。もう動いております」


「何」


「入れ替えたのは、これから偽造するためではありません。すでに偽造したものを、正しく見せるためですわ」


 わたくしは、七十七輯を開いた。


「証書の真正は、原簿と照らして決まります。偽の証書を作ったとき、原簿と合わなければ露見いたします。ですから——」


「原簿のほうを、偽の証書に合わせる」


「はい。順番が逆なのですわ。先に偽の証書があって、あとから原簿を書き替えている」


「なぜ、そう言い切れる」


「これから偽造するのなら、原簿は本物のままでよいからですわ。本物に合わせて偽物を作ればよろしいのです。原簿を触る必要がございません」


 部屋の中で、蝋燭の芯が鳴った。


「触ったということは、合わせなければならない紙が、もう外に出ている」


「はい」


「すでに世に出た偽の証書が、六千五百九十二枚ある、ということか」


「六千五百九十二枚とは限りません。同じ人物の署名を何度も使えますもの。ですが、少なくとも数百枚は」


 わたくしは、拡大鏡を置いた。


「父が持ち出した七冊のことが、分かりましたわ」


「言え」


「あの七冊は、隠したのではありません。守ったのですわ」


 わたくしは、父の一行を思い出した。


「七十輯から七十六輯。あの範囲に、書き替えられたら困るものがあった。だから父は、庫から出したのです。庫の中にいる限り、いつでも書き替えられますもの」


「その七冊に、何がある」


「まだ分かりません。ですが、探せばよろしいのですわ。今日、範囲が決まりましたもの」


 わたくしは、絹糸の輯を積み上げた。


「二十九冊が偽物。七冊が父の手元。残る四十五冊が本物です。本物と偽物を比べれば、偽物が何を隠したいのかが見えます」


 ユリウスは、しばらく黙っていた。


「オリヴィア嬢」


「はい」


「これを表に出せば、この国の証書行政が止まる」


 わたくしは、顔を上げた。


「止まりますわね」


「相続、婚姻、領地の境界、条約。全部が疑わしくなる。書記局は、それを止めるためなら何でもする」


「何でも、とは」


「君を、書記局に迎えるくらいのことはする」


 わたくしは、絹糸を見た。


「監査官様。お誘いは、そういう意味でしたのね」


「そうだ」


「では、わたくしは断れませんわね」


「断れる」


「断れば」


「殺される」


 彼は、それを平らな声で言った。わたくしは、その平らさを、初めて怖いと思った。


「監査官様は、怖くございませんの」


「怖い」


「そうは見えません」


「見せないようにしている。見せると、君が確かめる手を止める」


 わたくしは、絹糸から指を離した。


「では、わたくしも見せないことにいたします」


    ◇


 その夜、わたくしは二十九冊の一覧を作った。輯の番号。入れ替えられた頁の数。頁に載っている年。書き終えて、年を並べ替えた。


 十二年前が四枚。十一年前が七枚。十年前が九枚。そこから増えていく。九年前が三十一枚。八年前が四十枚。


 わたくしはペンを止めた。


「ネル。九年前に何かありましたか」


「あたし、六つです」


「そうですわね」


 わたくしは数字を見た。


 十年前まで一桁台。九年前から三十枚を超える。境目がある。境目には理由がある。わたくしは一覧の下に、一行だけ書いた。


 ——九年前に、何かが始まっている。


 書いてから、それを封筒に入れた。まだ誰にも見せないことにした。見せる相手を、まだ選べていない。封筒を仕舞ってから、もう一度数字を見た。


 九年前。三十一枚。


 三十一という数に、覚えがあった。マリアンヌの練習帳が三十一頁だった。偶然だろう。偶然でしかない。


 それでも、わたくしは二つの三十一を並べて書いた。並べて、線で消した。消したのは、意味がないからではない。意味を作りたくなったからだ。


 数を見ていると、人は意味を作る。作った意味は、たいてい間違っている。父にそう言われた気がした。今度も、場面は思い出せなかった。

【所見】七十四冊のうち二十九冊が綴じ直し。入れ替え四百十二枚、署名にして六千五百九十二。


原簿を書き替えるのは、これから偽造するためではありません。すでに出した偽物を、正しく見せるためです。


お読みくださりありがとうございました。ここまで来てくださった方は、ブックマークで綴じ糸代をいただけますと助かります。麻でお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ