第12話 父の原簿
財産目録は、三日で届いた。叔父は拒まなかった。拒まなかったことのほうが、わたくしには不気味だった。
目録は十四枚あった。屋敷、土地、家具、書物、宝飾。すべて金額が振られ、後見人の管理印が押されている。わたくしは十四枚を三度読んだ。
一度目は金額を見た。二度目は品目を見た。三度目に、気づいた。
「監査官様。この目録、合計が合いません」
「金額がか」
「いいえ。項目です」
わたくしは一枚目を示した。
「一枚目の冒頭に『総目録十五葉のうち第一葉』とございます。ですが、届いたのは十四枚ですわ」
ユリウスが一枚ずつ番号を確かめた。
「……第九葉が無い」
「はい」
「請求する」
◇
第九葉は、翌日届いた。
一枚だけの紙に、項目が一つだけ書かれていた。
——書物および記録類 一括 評価額 金貨三枚
わたくしは、その行を見た。
「安すぎますわ」
「書物一括で金貨三枚か」
「父の書斎には、装丁本が二百冊ございました。それだけで金貨三十枚は下りません」
「二百冊という数を、なぜ知っている」
わたくしは、口を開けた。
「……存じません。ですが、二百冊ですわ」
「覚えているのか」
「覚えておりません。数が、ただ出てまいりました」
彼は何も言わなかった。
わたくしはその行をもう一度読んだ。
「評価を下げているのではないと思います」
「では何だ」
「隠しているのですわ。書物の中に、値のつけようがないものが混じっている。だから一括にして、安くして、目録から見えなくしている」
「一括にすると、なぜ見えなくなる」
「一括の項目は、中身を書かなくてよいからですわ。目録は品目ごとに争えますが、一括はまとめて一行です。誰も中を数えません」
◇
わたくしたちはレーンハルト邸へ行った。三階の、わたくしが借りている部屋の下。二階の父の書斎は、鍵がかかっていた。
「後見人の管理下でございます」家令が言った。
「公証院の令状だ」ユリウスが紙を出した。
書斎は、埃の匂いがした。
装丁本は、確かに二百冊あった。棚に整然と並んでいた。並びすぎていた。わたくしは棚の前に立って、背表紙を左から右へ見ていった。
——並びが、おかしい。
「監査官様。父は、書物を著者の名前順に並べる人でした」
「なぜ分かる」
「分かりません。ですが、この棚は名前順です。一箇所を除いて」
わたくしは、棚の三段目を指した。そこだけ、判型の違う本が七冊、まとめて差してあった。背表紙に文字がない。
一冊抜いた。
本ではなかった。
厚い紙の束を、革で綴じたものだった。開くと、一頁に十六の署名が並んでいた。名前、日付、そして小さな注記。
——アルヴェント公証院 真正原簿 第七十二輯
わたくしは、頁をめくった。どれも署名だった。何百、何千。
「監査官様」
声が震えた。
「原簿がございます」
◇
七冊を机に並べた。第七十輯から第七十六輯。ユリウスは一冊を開いて、しばらく黙っていた。
「これは公証院の備品だ。庫にあるはずのものだ」
「持ち出せますか」
「持ち出せない。鍵は二つで、二人が揃わなければ開かない」
「ですが、ここにございます」
「……ああ」
彼は表紙の内側を見た。貸出票の枠があり、そこは空白だった。
「オリヴィア嬢。君の父上は、公証院の主任鑑定官だった」
「存じております」
「主任鑑定官は、庫の鍵を持たない。だが、庫の中で作業する権限は持つ」
わたくしは、七冊を見た。
「父は、庫の中から七冊だけ持ち出した」
「そういうことになる」
「なぜ」
答えは、わたくしの手の中にあった。第七十四輯の頁をめくったとき、わたくしはそれを見た。
——オリヴィア・レーンハルト
わたくしの署名だった。十六歳。父に連れられて、初めて証書に署名した年。その下に、十七歳。十八歳。十九歳。わたくしの手の、三年ぶんの変化が、そこに綴じてあった。
「……ここに、全部ございますわ」
「何が」
「わたくしの字が。年ごとの、癖の変わり方まで」
わたくしは頁を閉じた。
閉じてから、意味が追いついた。
「監査官様。これを持っている人間は、わたくしの字を、どの年のものでも作れます」
ユリウスの手が止まった。
「なぞる下敷きに、これ以上のものはありません。マリアンヌ様のような練習は要りません。三十一頁も書き直す必要がない」
「——マリアンヌ嬢は、これを持っていなかった」
「持っていれば、あんな下手な真似はいたしませんわ」
「では、あの手紙は誰が作った。この七冊は三月から君の父上の手元にある」
わたくしは指を折った。
「父が持ち出したのは三月二十九日。マリアンヌ様があの手紙を受け取ったのは五月です。ですが、作られたのが五月とは限りませんわ」
「三月より前なら、原簿は庫にある」
「はい。庫に入れる人間なら、いつでも作れました。作っておいて、渡す日を選んだのですわ」
ユリウスが顔を上げた。
「用意がよすぎる」
「ええ。三月二十九日より前に、もう用意されていたのです」
わたくしは七冊を並べ直した。
「叔父様が欲しかったのは、屋敷でも土地でもありません。これですわ」
「原簿があれば、何ができる」
「この国の証書は、すべて公証院の原簿と照合して真正を確かめます。原簿を持つということは——」
わたくしは、そこで言葉を止めた。止めたのは、答えが大きすぎたからだった。
「照合される側の紙を、先に作れるということです。誰の署名でも」
部屋の外で、風が鳴った。
「父は、これを持ち出しました。持ち出して、隠しました。隠した理由は一つしかありません」
「言え」
「庫の中に置いておけないと判断したからです」
わたくしは、七冊の背を撫でた。
「公証院の中に、これを狙う人間がいると、父は知っていたのですわ」
「なぜ七冊なんだ」
わたくしは、手を止めた。
「八十一輯のうち七冊。全部を持ち出せないのは分かる。だが、なぜこの七つだ」
「順番が続いております。七十から七十六まで、飛びがございません」
「連番だな」
「はい。慌てて棚から抜いたのなら、飛びます。目についたものから取りますもの」
わたくしは、七冊の背を順に指でなぞった。
「連番で抜くというのは、範囲を選んだということですわ。この範囲に、守るべきものがあると分かっていた」
「範囲は何年ぶんだ」
わたくしは表紙の年号を見た。第七十輯が十四年前。第七十六輯が二年前。
「十二年ぶんですわ」
「十二年」
「父が守りたかったものは、この十二年のどこかにございます」
わたくしは七冊を並べ直した。
「探せる範囲になりました。八十一冊から七冊へ。それだけでも、今日の収穫ですわ」
「オリヴィア嬢」
「はい」
「君の父上が落ちた階段は、原簿庫の階段だ」
わたくしは、頷いた。
頷いてから、まだ数えていないものがあることに気づいた。
「監査官様。七冊ございます。第七十輯から第七十六輯まで」
「そうだな」
「原簿は、何輯まであるのですか」
「……八十一輯だ」
わたくしは、七冊を数え直した。父が持ち出したのは、七冊。庫の中には、まだ七十四冊ある。
【所見】父が隠したのは書物ではなく、公証院の真正原簿・七冊。三十年分の筆跡見本帳である。
庫の扉は、まだ開いておりません。開いたとき、残る七十四冊がそこにあるのかどうかを、誰も確かめていないのです。
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