第3話
「……結局、何も用意出来なかった」
午前六時、私は眠れないまま自室のベッドで朝を迎えた。
その時、なぜかお店の方から話し声が聞こえてきた。
「……です。……っ」
おかしい、店を開けるには早すぎる時間だ。
まさか……!
「久和蛇が……もう!?」
私は部屋着のまま、食堂へ走り出した。
「おばあちゃん!! 大丈……」
勢いよく裏の扉を開けると、そこには――
「おはようっ。どうしたんだい、アザミちゃん?」
料理を手にしたおばあちゃんと、
「あぁ〜! 白流ちゃぁ〜ん♡ おっはようございま〜す♪ んぐっっ♡」
二度と顔も見たくなかった女が、お店で一番高いであろう日本酒をがぶ飲みしていた。
◇
「……何しに来たんですか」
「朝なんだから朝ご飯食べに来たんですよ〜。ここ食堂でしょぉ?」
「どこにお酒かっ食らいながら、朝ご飯食べる人がいるんですか!!」
「えぇ〜? ここぉ〜♡」
黒澤さんは自身を指差し、両耳に付いている深紅の耳飾りが黒髪の隙間で揺れた。
この人は……!!
「おやおや随分仲が良いのねぇ。はい黒澤ちゃん。これはサービスねっ」
「えぇ! やったぁ♪ おばあさまのお料理は、どれも美味しいので嬉しいっ♡」
一応、おばあちゃんには『知り合い』ということにしておいた。
「それは嬉しいねぇ。でも、そろそろお店を畳んじゃうのよ」
「おばあちゃん! だからその話は――」
すると――
「ごめんくださーい」
トントンと、お店の扉が叩かれた。
「おやおや、今日は朝からお客さんが多いこと。二人はゆっくりしててねぇ」
おばあちゃんが扉を開けようとした、その時。
「きゃあぁ!!」
扉のガラスが割れる音が響き渡る。
「はっ!?」
急いで振り返ると、おばあちゃんが店の床に倒れていた。
「おばあちゃん!!」
黒澤さんをその場に残し、一目散に駆け寄る。額にはガラス片による切り傷があり、そこから血が流れていた。
「おはようさん。白流……アザミはん」
そこには、目を細めて私を見下ろす久和蛇と、部下の男たちがいた。
「く……久和蛇……? まだ期限には早いはず……」
「まぁ数時間くらい誤差やろ? で、銭は?」
「……っ」
私は目を逸らしてしまう。
「ならしゃーないなぁ? ……やれ」
久和蛇が合図するように片手を振り下ろすと、男たちがテーブルを蹴り倒し始めた。
「まっ、待って! お願い!! まだ時間は――」
すると、久和蛇の蹴りが私の腹に突き刺さった。
「が……ぁっ……」
息が止まった。久和蛇は、うずくまる私の前髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「よう聞け。ウチらが欲しいんは、こんなオンボロの店やない。土地や」
「どっ……どういう……」
「ここら一帯を巻き上げて、もっとでかい銭に換える計画や。アザミはんのおかげで、ぜぇんぶ上手くいきそうや」
「……そん、な……っ」
涙が溢れてきた。久和蛇の笑い声も、店が壊される音も、どんどん遠くなっていく。
……誰か、おばあちゃんとお店を――
「ねぇ〜!! お兄さんたちうるさいんですけどぉ!!」
「……あぁ? なんや」
水を差すように、店の奥のテーブルから大声が聞こえてきた。
久和蛇は私を床に投げ捨て、そのテーブルへ近づいた。
「すまんなぁ。朝飯なら他所……で……」
久和蛇の声が萎んでいく。
「く……黒澤……? なんでアンタみたいな人がこんなとこに……?」
「見ればわかるでしょぉ! 朝ご飯食べてるんだってばぁ!」
久和蛇があんなに狼狽えてる……?
一体、どういうことなの……?
「んなアホな……まさかあのアマの味方を……?」
「ないない! あれはただの他人っ!! ――でも最近、アンタら目立ちすぎだよねぇ〜?」
「……ちっ。おう、お前ら。一旦、事務所戻るで」
「なっ……いいんですかい!?」
「この女の機嫌を損ねたら、今後もやりにくくなる。はよぉ言うこと聞かんか!」
「へっ、へい!!」
すると部下たちはすぐに手を止め、全員急いで外へと出ていった。
そして、久和蛇も店の外へ出て行こうとした、その時だった。
「白流はん、次はしっかり答えを聞かせてもらいますさかい。せいぜい悩みなはれ」
そう言葉を残し、去っていった。
「く……わ……」
久和蛇を追おうとしたが、もう足に力は入らない。
「……ぁ……」
手を伸ばしたところで、私の意識は途切れた。
◇
「……ねぇ〜起きてよ、白流ちゃ〜ん!!」
目を開けると、黒澤さんが私の顔に日本酒をどぽどぽとかけていて……?
「……うわぁ!!」
完全に目が覚め、勢いよく飛び起きた。
「うぉぁ、びっくりした」
「こっちの台詞です! ……あれ、ここ、黒澤さんの事務所……っ!? おばあちゃんは!?」
「まぁまぁ落ち着きらって〜! お店は適当にお片付けして、おばあちゃんは救急車で運んでもらったから! とりあえず命に別状はないってさぁ〜」
事務所のソファーに脚を大きく開いて座った黒澤さんは、ぐびぐびと日本酒をあおる。
……ひとまず、おばあちゃんの命に別状はないらしい。
私はどこの病院に運ばれたのか聞こうとした、その時――
「……ねえ、白流ちゃん?」
「はっ……はい?」
急に黒澤さんは顔を近づけ、にっこりと笑う。
えっ、何……? 私、何か――
「これでよぉ〜くわかったれしょ! おばあちゃんだけれもちゃぁんと大事にして、お店はさよならしちゃいなよ!」
「そっ……そんなこと出来ません!! あんな奴らに渡すなんて死んでも――」
「聞き飽きているんですよ、そんな台詞は」
急に視界が回る。
「ぐっぁ!!!」
黒澤さんは私の口を塞ぎ、ソファーへ押し倒した。
「……その綺麗事で何か一つでも解決しましたか? むしろ、おばあさまを危険にさらしただけでしたよね?」
私の口を塞ぐ力は、次第に強くなる。
「貴女は守る力もないのに、口先だけで全てを背負おうとする。私は、そういう人間が心底嫌いです」
「っ――!!!」
「とはいえ良い勉強になりましたね? 一千万円はちょうどいい授業料ですよ!」
次の瞬間、私は黒澤さんに投げ飛ばされ、背中から棚へ叩きつけられた。
そして、棚の中身が頭上へ雪崩落ちてきた。
「……っ……!」
そうだ。全てこの女の言うとおりだ。
私のせいで、全部、狂っていって……。
「……じゃあ、どうすればよかったんですか」
「はい?」
「私に、何が出来たって言うんですか……!! どうしたら……守れたの……ぁあ……!!」
溢れた涙は、もう止められなかった。
「……うるさいですね。貴女がお金を作るというのなら、体からハラワタでも引き摺り出してはいかがですか?」
「はら……わた?」
そういえば……内臓って、高く売れるんだよね。
その言葉を聞いて、すっと涙が止まる。
足元を見ると、棚から落ちたらしい包丁が転がっていた。
「……白流さん? 聞いていらっしゃるのですか」
私はその包丁で、服と下着を切り破る。
「貴女……一体何を――」
「あっ、私多分倒れちゃうので、換金だけお願いします」
「なっ……!!」
多分、この辺だろうと見当をつけて……。
「よいしょ……と!」
包丁をお腹へ突き立てた。
「……え」
切っ先が皮膚に食い込んだ瞬間、横から黒澤さんが日本酒の瓶を包丁に叩きつけ、包丁を弾き飛ばした。
「……貴女」
傷口から流れ出した血が、白い肌の上に一筋、二筋と赤い線を作る。
「ちょっと黒澤さん! お願いですから邪魔は――」
すると黒澤さんは私の手首を掴んだ。
「――本気だったのですか?」
「えっ、何が」
「貴女の体ですよ? どうなっても良いとお思いですか?」
「……黒澤さん? 私、貴女に会った時からずっと言ってるじゃないですか」
私は今度こそ理解して貰えるように、黒澤さんの赤眼をまっすぐ見つめた。
「おばあちゃんとお店が助かるなら、なんでもするって」
「……っ」
黒澤さんは、手で口元を隠す。
「……はっ……これは……笑えますね」
「だからなんで笑うんですか! 私は真剣に……ひゃっ!」
黒澤さんは、私の傷口から流れる血を指でなぞり始めた。
「ちょっ……くすぐった――」
ばちんっ!!
「いったぁああああ!?」
すると今度は、傷口の上を平手で叩いてきた!?
「何するんですか!! いきなり引っ叩くなんて!!」
「……これを見つけてしまった以上、放っておくわけにもいきませんね。ふふっ」
「ちょっと! 聞いているんです……うわっ!」
黒澤さんは、どこからともなく取り出したワイシャツを私に投げ渡す。
それを受け取った時、自分の腹に大きめの絆創膏が貼られていることに気づいた。
もしかして、さっき叩かれた時に……?
「ほら、さっさとそれを着て。行きますよ」
「えっ、行くって……どこに?」
すると黒澤さんは――
「どこって、答えを聞かせに行くのでしょう?」
自分の指に付いた血を舐め、怪しく微笑んだ。
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