第1話
数か月前――
「唐揚げと野菜炒め、それにビールのおかわりお待ちどおさまっ!!」
ここは街の小さな居酒屋食堂。
もう閉店前だってのに、私は酒を酌み交わす近所の常連さん達を相手にしていた。
「待ってたよ! 今日はパチンコで大勝ちだったから贅沢しねえとなぁ!」
「そうだな! それにしても、アザミちゃんは良く働くよな!」
すると酔っ払い達が、私に絡み始めた。
「ホントだぜ。 たまには友達と遊ばねえの? 恋人もいねえのかぃ?」
「ははっ。そんなもの、私はいらないよっ。いつも言ってるでしょ。おばあちゃんと、このお店が大好きなんだからさ」
「……そ、そいつは結構なんだけどさっ、若いうちなんて今しかないんだぜ??」
「そしたらアザミちゃん、お店がなくなったら困っちゃうじゃないか!」
「バカっ、縁起でもねえこと――」
「……その時は、私も終わりですねっ。へへっ」
私は常連さん達に、笑顔でそう返した。
「お……おう」
「……さ、食っちまうかねっ」
何故だか二人とも、急に酔いが覚めたみたいだった。
◇
「お料理を運んでくれてありがとうね、アザミちゃん。お客さんと楽しそうだったのねえ?」
厨房へ戻ると、洗い物をしていたおばあちゃんがいつもの優しい笑顔を向けた。
「いつも通りだったよ、全く! 洗い物代わるよ、おばあちゃん」
私は腕まくりをしておばあちゃんからお皿を受け取ろうとした。
「……これくらい大丈夫よぉ。お店はいいからもう休んだら?」
「私の方こそ大丈夫だよっ! まだまだ働けるもん! だから――」
「こーら。そうやって自分で全部やらないの。一緒にやりましょ」
「……はぁい」
そんなこんなで、お店の片付けを進めていた。
「……あっ、このお皿……」
「あらあら、欠けちゃってるわねぇ」
洗い物の最中、縁が少し欠けたお皿を見つけた。
「これ、私がまだ小さい頃から使ってるもんね」
「そうねぇ。気に入ってはいるけど、お客さんには使えないわねぇ」
「なら、私達で使おうっ!」
「そうね。まだまだ頑張ってもらいましょっ」
おばあちゃんは笑顔でお皿の水を切り、食器立てに置いた。
そのお皿を見て、思い出す。
両親を亡くしてから二十年近く、私を育ててくれたのはおばあちゃんだった。
高校を卒業してこの店で働き始めたのも、おばあちゃんと、このお店への恩返しがしたかったからだ。
そして閉店時間を迎え、お店の片付けを終えて家の方へ戻ろうとした、その時だった。
「あれっ」
テーブルに置いてあった書類が目に入る。
そばに置いてある封筒には、近所の銀行名が印字されていた。
それは――
「督促状……?」
宛名にはおばあちゃんの名前とこの店の名前が記されており、数か月分の返済が滞っている事がわかった。
「……嘘、だっておばあちゃんは何も言ってなかったのに」
昨今は食材費も光熱費も上がる一方で、うちのお店には常連さん以外のお客さんが少ない。
おばあちゃんは何も言わなかったけれど、店はとっくに限界だったんだ。
「……っ」
握りしめた督促状が、くしゃくしゃと音を立てて歪む。
記されていた滞納額は、私の貯蓄なんかでは埋められる額ではなかった。
私はスマホで検索を始める。
何か、お金を調達する方法は――
「……あっ」
その時、一つのページが目に入った。
「小規模事業者でも……即日資金調達の相談受付……?」
私は検索結果をタップし、そのホームページを開いた。
そこには、丸眼鏡をかけた人物が笑みを浮かべている写真があった。
「……話だけ聞いてみるなら、いいよね」
あまりに都合のいい話だった。
それでも、この店を失うくらいなら――
私は震える指で、問い合わせフォームの送信ボタンを押した。
その一通が、一千万円の借金への入り口になるとは知らずに。
◇
融資を受けたお金で、銀行への滞納分は支払いを済ませた。
これで、ひとまずお店を守れたと信じていた。
その融資を受けてから数週間後のある日、食堂で――
「さぁて、貸した銭はしっかり返してもらわんとなぁ。白流アザミはん?」
丸眼鏡をかけた男は、不愉快な目つきで私を見下ろしていた。
その男の部下達も、後ろの方で「くすくす」と笑い声をあげている。
「ア……アザミちゃん……」
背後から、おばあちゃんの震える声が聞こえる。
店内は荒らされ、テーブルまでひっくり返されていた。
私はおばあちゃんを庇うように、男の前に立つ。
「……話が違うじゃないですか、久和蛇さん!!」
「なんやて?」
「銀行への滞納分だけお借りする契約でしたよね!? どうして法外な利息が発生しているんですか!!」
「……はて? 白流はんがサインなさった契約通りなんですがねぇ?」
すると久和蛇はニヤリと笑い、一枚の紙を取り出す。
「ほれ、ちゃんと書いてあるやないか」
それは私が久和蛇と交わした契約書。
けれど、指差された項目には見覚えのない条件が記されている。
「何これ……こんな項目なかったですよ!!」
「なぁに言うとるんや。 しっかり読んでもろて、三枚ともサインをもろたで?」
契約を交わした日、最初の一枚を隅々まで確認した。
その後、「外部提出用と保管用も同じ内容や」と言われ、残りの書類にもサインしたのは覚えている。
それに、二枚目と三枚目に記載された借入額や返済期限などの主な項目も、一枚目と同じだった。
でも、あんな条件は絶対になかった。
それなのに末尾のサインは、間違いなく私の字だった。
「白流はんが、コイツでちゃあんと書いたんやで?」
久和蛇は胸ポケットから、趣味の悪い金色の万年筆を覗かせる。
「冗談じゃない……! なにかの間違いです!! 警察や弁護士を呼びますよ!?」
「はっはっは!!」
不愉快な笑い声が店に響く。
「……そもそも、どこにもまともに頼られへんからウチの敷居を跨いだんやろがい」
「そっ……それは……!」
「ほな……元本や手数料、違約金もろもろ込みの「一千万」をさっさと返すか。銭の代わりにこの店ごと渡すか。二つに一つや」
「っ……!!!」
「……とはいえ、うちらも悪徳企業ではあらへん。『三日だけ』やるわ。それまでによう考えときぃ」
すると久和蛇達は、店から去っていく。
「まっ……待って! 話はまだっ!!」
追いかけようとした瞬間、目の前で扉を乱暴に閉められた。
「……アザミちゃん」
振り返ると、おばあちゃんが私を見つめていた。
「あっ……あのね、おばあちゃん……」
「督促状……見ちゃったのね?」
「うっ……」
思わず目を逸らすと、おばあちゃんは――
「どうして言ってくれなかったの!」
私の手を掴み、その小さな手でぎゅっと握りしめた。
「アザミちゃんはいっつもそう。なんでも一人で背負い込もうとして……もっと自分を大切に――」
「私はっ!!」
おばあちゃんは、目を丸くした。
「私には……ここしかないの。そのためなら、私なんかどうだって構わないの……」
「……そんなに、追い詰めちゃってたのね。なら……そろそろ潮時ね」
「えっ……」
おばあちゃんはその小さい体で、私を抱きしめる。
「いままでありがとうね、アザミちゃん。もっと早く決めるべきだったわ。明日から少しずつお店を片付けて――」
「そ、そんな事言わないでよ! お金なら私が!!」
その時だった。
「アザミちゃん、おばあちゃん! 今日もパチンコで勝っちまったから贅沢を……って……」
「おいおい……なんだいこりゃ……」
店を訪れた常連さん達が、荒れた店内を見回した。
「あっ、い、いらっしゃい! あはは……!!」
◇
数時間後――
「結局、お店の片付けを手伝ってもらっちゃって……ごめんなさい」
私は常連さん達に頭を下げていた。
「気にしないでくれよ! また店に来るからさ!」
「俺らは味方だからよっ、心配すんな!」
「ありがとう……ございます」
結局、この日は営業を再開できなかった。
ひとまず片付けは終わったので、おばあちゃんには先に休んでもらっている。
そして店の外で二人を見送り、暖簾を下ろした時だった。
「アザミちゃん……もしかしてお金のトラブルだった?」
常連さんのその言葉に、思わず手が止まる。
「……はい。でも心配は――」
「そっかそっか……俺も昔、お金絡みで酷い目にあったなぁ……」
「懐かしいなぁ。あれだろ? パチンコやり過ぎて、ヤバい奴に相談したやつ!」
「ばかっ、余計なこというな……」
そのやりとりの中に、一つ気になる言葉があった。
「その『ヤバい奴』……って誰なんですか?」
「あー……昔さ、今よりパチンコの浪費が酷くて借金しちゃってさ……」
常連さんは眉をひそめる。
「闇金にも手を出してどうしようって時に、『金貸しの最後の砦』ってヤツを頼ったんだけどさぁ……」
「確か『黒澤』って女社長だったよな? 「くだらねえ相談は受けねえ」とか言われて死に物狂いで帰ってきたよなぁ!」
「んなこと大声で言うなっ! 今はもう――」
「……その人の居場所を教えてください」
「アザミちゃん!? ダメだよ、そんなヤツ当てにしちゃぁ!」
「そうだぜ!? とりあえず警察に……」
「お願いします。もう……時間がないんです」
私は深く頭を下げる。
「アザミちゃん……」
しばらくの沈黙の後、常連さんは財布から一枚の名刺を取り出した。
「一応取っておいたんだけど、本当にヤバかったら警察に駆け込みなよ……?」
顔を上げ、名刺を受け取る。
その端には、血のようなものが染み付いており、表には『株式会社シオン 社長:黒澤』とだけ記されていた。
「……ありがとうございます」
こうして私は、黒澤さんを訪ねる事に決めたんだ。
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