88・幕間:幕府進軍
白竜幕府は遥か北方の火山列島を出て、ファスティバ王国領に進撃していた。
幕府とは本来、将軍の陣地のことを指し、陣幕と政庁である府を掛け合わせた言葉である。
そのためドラゴンの中でも最も好戦的な白竜の一族は、自身らの生息地を幕府と名付けたのである。
逆に穏健派である他のドラゴンたちは己の生息地を、黒龍領域、青龍域、赤竜界と称しており、帝政や王政ではなく共和制に近い元老制を取っている。
ドラゴンたちの元老制というのは特殊で、尊敬される長老が権力を持たない元老となり、合議制で他のドラゴンを指導するのである。
これは極めて寿命の長い種族がゆえに、人類の政治の黎明期のような状態がずっと続いているような形になっている。
将軍職はともかく、帝位を冠するなどドラゴンからすれば異例であるが、若き白竜は先代を打倒し、自らそう称したのである。
「進め! 人域を踏み散らし、進め!」
白竜帝は、奉族――爬虫類人――たちに担がせた巨大な神輿の上で檄を飛ばした。
彼の前を走る巨大なドラゴンは3体。
これはファルケファルケの手紙にあった通りである。
だが、実際は、奉族の他に、中型や小型のドラゴンも複数含まれていた。
白ひげに覆われた侍従長のドラゴン・白老もそのうちの一体である。
白老は翼を広げ、白竜帝の元に近づく。
「若、落ち着いて下され。もう敵地なのですぞ。慎重に進みませんと……」
「サルどもの抵抗がなんだと言うのだ! 蹴散らし、灰燼とせよ!!」
その言葉の通り、踏み進むのはかつて人間の街だった場所。
北都とも称されるファスティバ北部最大の都市。
逃げる人々を殺して回るような残虐性こそないが、立ち塞がるものに容赦はない。
守備隊も防険者も屍を晒すのみ。
歴史ある石造りの建物はみな粉々になり、あるいは焼け落ちた。
【千魔夜行】とは比較にならない破壊の力。
地上最強の種族ドラゴンの進軍は、それほどの猛威である。
地表を歩く地震と例える者もいるほど凄まじいそれが、一直線に人域を踏みしだいていく。
「炎天君! このずっと先なのだな!」
炎天君と呼ばれたのは、立派な双角を持つ赤い肌の巨竜であった。
体中がごつごつした岩のようであり、竜の形をした溶岩のようである。
その肌の色は、赤竜界の血を引くことを示しており、かつて他領域と交流があった際に迎え入れた外部の血に連なるものであった。
白竜帝配下の三大武将の一角である。
「そうですぜ! 地底スキル神殿に繋がる大迷宮【神寂】はこのずーーーっと先でさ! ま、人間たちはなんか違うように言ってやしたがね」
「サルどもの話はよい! そこが白骨公主の最期の場所ならば、余自ら弔わねばならぬ! その点に相違ないな!」
「へい! それは間違いねえです!!」
「ならば者ども進め! 止まるな!!」
「アイアイサァ!!! やっちまいましょう!!」
そんな白竜帝の様子にはらはらしているのは白老。
だが、彼に止めるすべはない。
そもそも先代の大将・白雷天とその息子との決闘も止められなかったのだ……。
「ああ、若……竜としてこれが本当にただしい道なのでしょうか……」
そこに青い巨竜が近づいた。
炎天君のようにごつごつした体ではなく、巨大なイルカを思わせるしなやかな体と、アオサギのように鋭い顔をした、美しい竜であった。
「心配してもしょうがありませんよ、翁。こうなったからには、可能な限り早く決着をつけるのが、被害を最も抑える方法でしょう」
「おお、水宮君。冷静に物事を見れておるのはおぬしくらいじゃ」
「そういうわけではありませんが……」
「若はあの通りじゃし、炎天君も乗り気じゃ。苔転君は何を考えておるかわからぬし……」
「苔転君ね……」
水宮君は全身に苔を生やした動くマリモのような巨竜に目をやる。
巨大な一角が無ければそもそも竜にも見えまい。
それこそ苔転君である。
「確かに彼は何を考えているのだか……ろくに口を開かないし、開けば「若の欲するがままに」ばかりですからね……」
苔転君は無言で突き進んでいる。
苔むした巨体が、進む先にあるものを根こそぎ轢き潰していく様は、まるで山がそのまま横移動しているかのようである。
「しかし、前大戦からの功労者じゃ。わしよりも年長で、その気になれば元老にだってなれたじゃろうに……不思議な竜じゃ……」
「……不思議の一言で片づけてよいものかはわかりませんがね……」
「ん? どういう意味じゃ?」
「……」
水宮君のつぶやきの意図がわからず白老は聞き返したが、答えはなかった。
そんなことなど知りもしないのか興味もないのか、苔転君は突き進む。
彼はたまたま、目の前に居たゴブリンを轢き潰した。
潰される前、ゴブリンは見ただろう。
苔に埋もれて見えない苔転君の目にあたる場所から、わずかに紫色の光が漏れていたのを――




