祐宮(さちのみや)宮中へ
安永八年十一月。
禁裏は、かつてない激震に見舞われていた。
後桃園天皇が、二十二歳という若さで、世継ぎの男子を遺さぬまま崩御されたのである。
このままでは皇統が絶えてしまう――。急ぎ宮家から養子を迎え、統を繋がねばならない。にわかに御所の中は、嵐の前触れのような慌ただしさに包まれた。
この緊迫した事態において、朝廷の舵取りを担うべき位置にいたのは、崩御した天皇の伯母であり、先代の女帝でもある後桜町上皇であった。そして、臣下の首座には関白・近衛内前が控えている。
上皇は近衛をはじめとする重臣たちを緊急に召し、合議を開かれた。
「急ぎ後継を定めねばなりません。皆の意見を聞かせておくれ」
すみやかに後継を決定して徳川幕府に示さねば、再び武家による不当な介入を許し、彼らの意のままに動く人物を皇位に据えられてしまいかねない。
時は一刻を争った。
皇位継承の候補に挙がったのは、三人の幼き男子であった。
伏見宮家の嘉禰宮(かねのみや・四歳)。
閑院宮家の時宮(ときのみや・十二歳)。
...そして同じく閑院宮家の祐宮(さちのみや・八歳)。
御所の奥深くで開かれた合議の席。
閑院宮家の五男である時宮はすでに仏門に入ることが決まっていたため、事実上、議論は四歳の嘉禰宮と、八歳の祐宮の二人に絞られることとなった。
公卿たちの議論は激しく紛糾していたが、旧来の格式を重んじる後桜町上皇と重臣たちの意見は、はじめは嘉禰宮へと傾いていた。
新興の宮家である閑院宮家は、歴史ある伏見宮家に比べて家格が低いと見なされており、何より、祐宮の生母はあまりにも身分が低すぎたのである。
「お小さくとも、身位の高い伏見宮の嘉禰宮さまがよろしいかと。
閑院宮の祐宮さまは、母君のご身分が低う、いささかお労しゅう存じます」
合議が嘉禰宮に着地しかけたその時、議奏中山愛親が「恐れながら……」と口を開いた。
「嘉禰宮さまはまだわずか四歳。
いかに上皇さまが後見をなされようとも、果たしてあの関東の凄まじい威圧と、真正面から対峙できましょうか。朝廷の主導権を奪われかねませぬ。
一方、閑院宮の祐宮さまは八歳。
典仁親王さまが特にお目をかけ、聡明にお育てとうかがっております。
齢よりはるかに大人びていらっしゃるとか。
そして何より……先帝の遺された女一宮(欣子内親王)さまと、年回りがまことによろしゅう存じます。
祐宮さまが八歳、内親王さまは今年生まれたばかりの赤子。いずれ祐宮さまが御元服されたのち、先帝の忘れ形見である内親王さまを正妃に迎える。これなれば皇統は正しく引き継がれ、先帝の御霊も安んじられましょう。これ以上の策はございませぬ」
別の公卿が、その言葉にハッとしたように追従する。
「なるほど……! それならば、血筋の上でも先の天皇に近い。中御門天皇から続く正統なる直系の血を、次の世代へと繋ぐことができまする!」
(欣子と、祐宮を……)
嘉禰宮に傾いていた後桜町上皇の心が、その言葉に大きく動いた。
欣子内親王は、崩御した先帝が遺した唯一の血だ。その欣子をのちに中宮として迎え、子を成せば、誰も文句のつけようのない正統な皇統が守られる。
欣子内親王と祐宮の運命を結ぶ「契り」が、まさにこの瞬間、上皇の胸中で形を成した。
「それでは、嘉禰宮と祐宮、二人に直接お目にかかって決めることといたしましょう。皆、それでよろしいか」
上皇の気品ある凛とした言葉に、異議を唱える者は誰もいなかった。
◇
そして、祐宮との対面の日が訪れた。
上皇である智子は、上座の御簾の奥に静かに、しかし侵しがたい気品をまとって座していた。
そこへ、息子の祐宮を連れた典仁親王が現れ、衣擦れの音を小さく響かせて平伏する。御所の薄暗がりに透ける御簾の隙間から、祐宮の姿を捉えた瞬間、智子の胸をかつてない動揺が駆け抜けた。
その幼き面差しを目にした途端、彼女の胸の奥に、久しく忘れていたはずの情景が鮮烈に蘇ったのである。
(ああ……面影が。よく似ておいでになる)
あの瑞々しい庭の緑の向こうで見かけた、端正な公達。あれは智子が十代の終わり、恋というものの熱を秘かに知り始めた頃のことであった。
……あれから、二十年以上の歳月が流れている。智子は三十九歳になっていた。七歳年上の典仁親王は、四十六歳を迎えているはずだ。
天皇として玉座にあった折、元日の朝賀などの儀式で典仁親王の姿を遠目に望んだことはあった。だが、幾重もの御簾を隔ててとはいえ、これほど互いの息遣いが届く距離で対面するのは、初めてのことであった。
しかも、それだけではなかった。
不意に、さらに古い、もう一つの記憶が呼び覚まされた。
九歳の時、憧れの叔母・成子内親王の婚儀の席。皇族の一員として末席に身を置いていた智子は、叔母のまとう美しい十二単の重なりに、ただただ目を奪われていた。
その隣に座る新郎は、まだ線の細い少年。緊張のあまりか、終始伏し目がちであった。
――あの時は心に留まることもなかった新郎の面差しが、今になって、霧が晴れるように鮮明に浮かび上がった。
(叔母様の隣に座っていらしたのは、確かにあなたさまだった……)
八歳の祐宮の顔と、おぼろげだった思い出の中の、うつむく少年の顔が、今、完全に重なったのだ。
心の中で小さく呟き、智子はきつく単の袖を握りしめた。
かつて、誰にも告げず、胸の奥深くに埋めたはずの人は、決して結ばれることのない、叔母の背の君(夫)であった。
その秘めたる想いを、目の前の典仁親王は知る由もない。否、私以外に知る者は、この世に誰もいないのだ。
上皇として一段高い処から、四親王家でも序列の低い宮家の当主にすぎぬあなたさまと、このような形でまみえようとは……夢にも思いませなんだ。
堰を切って溢れそうになる切なさを、智子は上皇としての誇りと静寂でねじ伏せた。そして、その心の揺らぎを微塵もお首に出さず、ただ静かに座し続けた。
「祐宮、上皇さまにご挨拶を」
父に促され、八歳の少年が乱れのない所作で頭を下げた。
「祐宮でございます。ご機嫌麗しゅう」
「閑院宮さん、ようおいで下さった。祐宮さん、今日は何のためにこちらへ呼ばれたか、わかっておいでですか?」
智子の問いかけに、少年は物怖じせぬ、しかしつつましさを湛えた声で答えた。
「はい。帝の跡を継ぐお役目をいただくため、と父宮より伺っております」
幼いながらも己の立場を違えぬ見事な受け答えに、智子は満足そうに、深く頷いた。
「帝になられるということは、まことに重きことにございます。ご存じのように、私も本来ならば尼門跡に入り、国の安泰を祈る静かな人生を送るはずでした。それが思いもかけず帝位につき、今もこうして上皇として宮中におります」
智子は祐宮の真っ直ぐな瞳をじっと見つめ、静かに諭すように言葉を紡ぐ。
「御所に入ったならば、これまでのような気ままな暮らしはできません。
父宮や母御に会うことも、容易には叶わぬのですよ。
己の望みではなく、国と民のために尽くさねばなりません。そのために、溢れるほどの学問を修めねばなりませんが、できますか? 途中で嫌になったからと、お家に帰ることはできないのですよ」
その声色は優しかったが、諭す言葉はどこまでも厳格であった。しかし祐宮は臆することなく、その強い眼差しをまっすぐに返した。
「はい。上皇さまをまことの母と思い、お仕えいたします」
その言葉の背後で、典仁親王が深く平伏し、声を震わせた。
「この子の母は素姓が低うございますが、心映えの良き聡い子にございます。これまでは僧籍に入る者として厳しく育てて参りました。跡継ぎではない気楽さから、至らぬ点もあるかと存じます。されど、帝位を継ぎ、朝廷のお役に立つことができるならば、これ以上の家門の誉れはございません」
かつて密かに恋い慕った人が、いま、「我が息子を天皇に」と、我が身を低くして懇願している。
(もし――もしも、私とあなたさまが結ばれる定めであったなら……。
この祐宮は、私が産んでいた子どもだったかもしれない)
胸の奥をかすめた切ない仮定を、智子は強く振り払った。私はただ、こんな風にこの方と祐宮に相対することを畏れ、己に課された宿命の重さから逃げたかっただけではないのか。祐宮の覚悟を問いながら、智子は、試されているのは自分自身なのだと痛感していた。
(いいえ、なさねばならない。
私はこの子を『母』として、そして次の天子として育て上げる。
私は、この禁裏を守る国母なのだから)
――こうして、八歳の祐宮は正式に禁裏へと迎えられることとなった。
◇
御所に入る当日。
祐宮は、一瞬にして激変した自らの運命への戸惑いを胸の奥に押し込め、
口元をキッと結んで父に従い、果てしなく続く御所の廊下を歩いていた。
そのとき、静まり返った御所のどこからか、遠く後宮の奥からだろうか、
か細い赤子の泣き声が風に乗って聞こえてきた。
思わず歩みを止めた祐宮に、典仁親王が振り返る。
「どうした、祐宮」
「申し訳ありません。
赤子の声が聞こえた気がいたしまして」
「ああ、欣子内親王さまであろう。
確か、八ヶ月になられたはずだ。
お健やかにお育ちだそうで、めでたいことだ」
病に倒れられた今上帝(後桃園天皇)の御殿で、母・近衛維子に抱かれている無垢な赤子。
まだ幼き少年である祐宮は、その小さな赤子がいずれ自分の妻となり、自らの「天皇としての正統性」を世に証明してくれる唯一無二の存在になることを、まだ知る由もなかった。




