欣子(よしこ)内親王誕生
安永八年一月。
後桃園天皇の女御・近衛維子のもとに、待望の命が産声をあげた。
女一宮――のちの欣子内親王である。
しかし、宮廷が誕生の喜びに沸いたのも束の間、父である帝の御身体は、すでに隠り沼に忍び寄る影のように、病魔に蝕まれていた。
九ヶ月後、帝は二十二歳という若さで崩御される。
中御門天皇から脈々と受け継がれてきた「正統な直系の血」を引く者は、この世にただ一人、揺り籠の中の欣子だけになってしまったのである。
それから四年――天明三年。
欣子との短い日々の思い出だけを残し、実母・維子もまた、にわかにこの世を去った。
まだ四歳の欣子の胸には、母のぬくもりも、その優しい微笑みも、確かな記憶としては残らない。
こうして両親を失った欣子は、一連の御葬儀が営まれたのち、父方の祖母にあたる一条富子(恭礼門院)の住まう女院御所に引き取られることとなった。
見知らぬ大勢の大人たちに囲まれ、張り詰めた空気が漂う広い女院御所。
欣子は、すがるような思いで助けを求めるように周囲を見回した。
しかし、そこに母の優しい姿はない。
寂しさと心細さに耐えかねて、欣子の瞳からみるみるうちに涙が溢れだした。
その時、目の前に立つ祖母の一条富子が、感情を削ぎ落とした静かな声を響かせた。
「そなたは、ただの内親王ではありません。この朝廷の、正統なる直系の血を引く唯一の宝なのです。いずれは崩御された父上の代わりに、この御所を、伝統を支えねばならないのですよ。涙をお拭きなさい」
母を亡くしたばかりの幼子には、あまりにも厳格で、逃げ場のない言葉であった。
だが、桃園天皇の女御であり、後桃園天皇の母でもある富子には、
「朝廷の統は私が守る」という、退けぬ覚悟があったのだ。
後桃園天皇の崩御直前、のちの光格天皇となる閑院宮家の祐宮が急遽、養子として迎えられていた。
家格の低い閑院宮家から入内した祐宮が即位する絶対の条件――それこそが、「赤子の欣子をいずれ正妃に迎えること」であった。
これは、先代の女帝であり、祐宮の後見人となった後桜町上皇が裏で動いた、容易には動かせぬ約束。
二人の婚約は、欣子が物心つく前、まだ言葉も持たぬ頃にすでに定められていたのである。
こうして欣子は、将来の天子を支える中宮としての最高峰の教育――和歌、書道、有職故実、そして一分の隙も許されぬ宮廷の礼儀作法を祖母から徹底的に授けられ、息の詰まるような規律の中で少女時代を過ごしていくこととなる。
欣子内親王と祐宮は、互いに「弱音を吐くことを許されぬ、至高の座にあるゆえの孤独」を誰よりも知る二人であった。
しかし、いずれ結ばれる許嫁であっても、顔を合わせることは決して許されなかった。
同じ御所に暮らしていても、そこには幾重もの御簾と幾筋もの廊下が立ちはだかっている。
それでも、二人はお互いの気配を確かに感じていた。
ある日、琴の稽古の手を休めた欣子の耳に、どこからか漢書を素読する、凛として涼やかな声が届いた。
(あ、今日も祐宮さまは勉学にお励みだわ。私も頑張らなければ……)
それは幼なじみと呼ぶにはあまりに遠く、しかし宮廷という名の戦場に投げ込まれた、世界でたった二人の「同志」のような連帯感であった。
はじめは、顔も知らぬ「未来の夫(背の君)」という定められた記号でしかなかった祐宮。
それがいつしか、壁越しに聞こえる端正な声に耳を澄ますうち、孤独な御所の中で自分を導いてくれる、尊くも慕わしい存在へと変わっていった。
欣子の耳には、時折、仕える女房たちから祐宮の風聞がもたらされた。
「祐宮さまは、朝廷の古き権威を取り戻そうと、寝食を忘れるほどに学問へ打ち込んでおいでです」
「欣子さまが気高く美しくお育ちになっていると風の便りに聞かれ、大層お慶びの様子だったとか」
直接その姿を拝することは叶わずとも、女房たちが運んでくる言葉の端々から、彼の心もまた自分と同じ方角を向いているのだと知る。
はじめは動かせぬ定め(さだめ)でしかなかった婚約の契りが、いつしか互いを待ち焦がれる、確かな恋情へと形を変えていった。
見えない御簾を越えて、二人の魂は、過酷な宮廷を共に歩む確かな「同志」として結ばれつつあった。




