悦仁親王
高貴宮は五歳になり、親王宣下の日を迎えていた。
皇太后・欣子内親王は、万感の思いでこれまでの歩みを振り返る。
二十一年前――。
温仁親王を失ったあの日、中御門の血脈は天から見放されたのだと、私は絶望の淵に沈んだ。
心を病み、生きる意味も見失った。
そんな私に、院さま(後桜町上皇)はこう仰った。
「血の正統に囚われてはなりませぬ。確かにそなたは中御門流の血を継ぐために中宮となりました。
けれども、主上はそれだけで、温仁親王が生まれたから正統な天皇となられたわけではありますまい。
不断の努力と研鑽、そして祈りによって、誰もが認める聖君となられたのです。
中御門の血脈は絶たれてしまったけれど、そなたが婧子の生んだ恵仁親王(のちの仁孝天皇)を『我が子』として育てることこそが、この国の皇統と権威を継ぐことになるのです。私たちは、血を繋ぐのではない。この国の『祈り』を継ぐのです」
院さまの言葉に、頭では頷いても、心が受け入れるのを拒んでいた。恵仁親王を我が子として心から迎え入れるまで、七年もの月日が必要だった。
それを乗り越え、ようやく恵仁親王への譲位を果たした。
しかし、思いもかけず、私は再び高貴宮を身籠った。
温仁親王を失ってから、十六年。
天はまだ、中御門の血脈をお見捨てではなかったのだ。
この幼き我が子が皇位を継げば、中御門の血脈は安泰となる。やっと、今度こそ、私は己の役目を果たすことができる……。
◇
血の涙を流しながら、ようやく“血の正統に囚われない”道にたどり着いたというのに。
欣子はまたしても、血の呪縛に深く絡め取られてしまったのだった。
高貴宮が生まれるとすぐさま、周囲では彼を主上(仁孝天皇)の猶子とし、東宮へ擁立しようという動きが始まった。
その歪みは、主上に第一皇子が誕生しても、光格上皇がそれを儲君(皇太子)として認めないという形で現れた。
「中御門流の正統である高貴宮に皇統を戻すのは当然である」という空気が宮中を支配していくのを、主上はどのような思いで見つめていたのだろうか。
「七歳で勧修寺家を離れて御所に移り住み、上皇さまのような聖君に成るのだと励んできた。
皇太后さまも私に
『そなたは私の子。だから、中御門の直系なのです』と言ってくださったのに……。
私は、ただの『つなぎの天皇』に過ぎなかったのか」
もう少しすれば、悦仁親王となった高貴宮を猶子とし、東宮に立てる手続きが当然のように進むのだろう。そして数年後、私は若くして譲位を迫られ、悦仁親王に皇位を譲ることになるのか。
二十一歳の青年天皇の心は、深い闇へと沈んでいった。
◇
ところが、親王宣下を受けたわずか二日後。
五歳の悦仁親王の命は、あまりにもあっけなく失われた。
仙洞御所は、文字通り大混乱に陥った。
皇太后は遺体にすがりついて泣き叫び、食事も拒んで、錯乱と虚脱を繰り返した。このままでは皇太后の命に関わると、周囲は狼狽するばかりであった。
しかし、誰もがうろたえるだけで、狂乱する彼女を止める手立てを持たなかった。
最高位の皇太后となった欣子内親王に対し、毅然と諫言できる者など、宮中には一人もいなかったのだ。
かつて、温仁親王を失ったときに厳しくも正しく導いてくれた後桜町上皇は、もうこの世にいない。
皇太后は、底知れぬ孤独の闇の中に、ぽつんと取り残されていた。
◇
激しい狂乱の季節が過ぎ、仙洞御所にようやく静寂が戻った頃、皇太后・欣子内親王の傍らには、常に院(光格上皇)の姿があった。
院はただ、欣子の痛みに寄り添い続けた。かつて共に愛息・温仁親王を失い、いままた悦仁親王を失った悲しみを、誰よりも分かち合えるのはこの夫しかいなかった。
「欣子、共に筆を執ろう。
我が子らの菩提を弔うため、ともに写経をするのだ」
院の静かな促しに、欣子はそっと頷いた。経本や机の用意をと女房を呼ぼうとした欣子を、院は手で制した。
お側仕えの者たちをすべて下がらせ、広い御所を夫婦ふたりきりの静寂が満たす。机の上には、まだ水の張られた硯と、乾いた墨があるだけだった。
院は自ら墨を手に取ると、静かに硯へと向かった。驚く欣子に、院は穏やかに微笑みかける。
「墨はな、擦り方で濃さが変わるのだ。知っていたか。
焦らず、急がず、丁寧に円を描くようにすれば、息をのむほどの美しい艶が出る」
院の低い声が、静かに御所に響く。
「……かつて、閑院の宮邸におりました頃、父(典仁親王)からそのように教わった。写経の始めには、まず己の心と向き合い、静かに墨をすることから始めよ、とな。さあ、そなたも」
そう言って院は、欣子の細く震える手に、優しく己の手を重ねた。ふたりでひとつの墨を握り、ゆっくりと硯の海を滑らせていく。すう、すう、と微かな擦り音が、しんとした部屋に規則正しく響き始める。固い塊が水に溶け、次第に深い漆黒へと変わっていくその小さな変化を、欣子はただじっと見つめていた。
やがて御所を満たしていく幽かな墨の香りが、凍てつき、強張っていた彼女の心を、優しく、静かにほぐしていった。
小さな営みを、ひとつずつ、ひとつずつ積み重ねていく。
やがて墨が整うと、二人は静かに筆を浸し、一画一画、亡き子らへの祈りを込めて経文を写し始めた。ただ無心に手を動かすうちに、涙の代わりに穏やかな呼吸が、欣子の胸へと戻ってくるのだった。
御所に高僧を招き、仏の法話に耳を傾ける日々も増えた。
「形あるものは必ず滅び、別れの苦しみは避けられぬもの。なればこそ、遺された者は祈りによって、往きし者との絆を真に永遠のものとするのです」
僧の静かな語り口が、欣子の傷口に染み渡る。それは、かつて後桜町院が遺した「血を繋ぐのではない。祈りを継ぐのだ」という言葉の、真の意味に立ち返る道のりでもあった。
季節は巡り、庭の梅が綻び始める。
院は、白い短冊に滑らかな筆跡で一首の和歌を書き記し、欣子に差し出した。
『散る花を 惜しむ情の 深きより また巡り来む 春をこそ待て』
(散りゆく命を惜しむ、その深い悲しみがあるからこそ、私たちは再び巡り来る春を、命の芽吹きを待つことができるのだ)
失われた命を深く悼みつつも、残された者が未来へ目を向けることを、優しく促す歌であった。
欣子はその短冊を見つめ、静かに涙をこぼした。しかし、それはかつての狂乱の血の涙ではない。悲しみの果てに、ようやく見出した心の平安の涙だった。
欣子もまた、まだ震える手で筆を執り、返歌を詠んだ。
『散り果てて 跡なき庭の 梅の香も
祈りに込めて 袖に留めむ』
(散ってしまって形はなくなっても、
梅の香りのように、あのあどけない面影は祈りの中に生き続ける。この袖に、生涯大切に抱きしめていきましょう)
言葉にできない胸の痛みを三十一文字に託すことで、彼女の魂は確実に癒やされていった。
形ある「血」は失われても、受け継いだ「祈り」は、この胸の中で永遠に残り続けるのだと。
思えば、六歳の春に交わした一首の桜の歌から、この人と自分は、いつも和歌によって心を結んできた。言葉にできぬ想いを三十一文字に込めては、御簾越しに、そして御簾のないこの場所で、互いの心を通わせてきたのだ。
(あの日、拙い筆で「手折りたもうな」と詠んだ幼い自分を、今の私が慰めているのかもしれない)
欣子は短冊を胸に抱き、そっと目を閉じた。
◇
心が凪を取り戻したとき、欣子の脳裏に、あの二十一歳の青年天皇の顔が浮かんだ。
私が血の呪縛に囚われ、狂乱していた間、あの子をどれほど傷つけ、孤独にしてしまったことか。
欣子は主上(仁孝天皇)を御所に召した。
几帳の向こうに座る主上(仁孝天皇)は、どこか強張った表情を崩さない。
自分が「つなぎの天皇」に過ぎなかったという心の傷は、まだ癒えていないようだった。
欣子は静かに立ち上がり、几帳を押し開けた。そして、最高位の皇太后であるという格式も誇りもすべて捨て、我が子のもとへ歩み寄り、その前に深く両手をついた。
「皇太后さま……!?」
驚き、止めようとする主上の手を、欣子はそっと包み込んだ。その手は温かく、かつて我が子として育てることを決意した、あの愛おしい恵仁の手そのものだった。
「主上、……いいえ、恵仁。
そなたの心を慮ることもなく、本当にすまなかった」
欣子の目から、ぽろぽろと涙が溢れ落ちた。
「私はまたしても、愚かにも血の幻影に目を眩まされ、目の前にいる大切な『我が子』を見失っておりました。
そなたは、誰のつなぎでもない。院さまと私が、この国の守り手にと祈りを込め、慈しみ育てた、我が最愛の帝です。
どうか、独りにしてしまったこの母を、許しておくれ……」
「母上……!」
主上の瞳からも、こらえきれず涙が堰を切って溢れ出た。張り詰めていた頑なな心が融解し、二人はただ、言葉にならぬ涙の中で、真の親子の絆を取り戻すのだった。
几帳を開けて我が子を抱きしめた欣子と、涙を流す仁孝天皇。その真なる親子の和解の姿を、院(光格上皇)は少し離れた場所から、静かに見守っていた。
窓外には、穏やかな光に包まれた京都の町が広がっている。梅はすでに散り、若葉の萌える気配が、庭の隅にそっと兆していた。
――また巡り来む春を。
いつか自らが詠んだ歌の一節を、院は静かに胸の内で繰り返していた。




