女房呪詛一件
文化二年(1805年)。
皇子(後の仁孝天皇)の生母・勧修寺婧子の父、勧修寺経逸が逝去した。
経逸は、主上(光格天皇)が絶大な信頼を寄せる実務派の重鎮であり、朝廷復興を目指す確固たる同志であった。
主上が即位されたばかりの困窮した時代、経逸は武家伝奏として幕府と対等に渡り合い、朝廷の権威を高めるために文字通り命を削って仕えてきた。
主上は同志の死を深く悼み、皇子(寛宮)の外祖父として最大の弔意を表された。
しかし、この偉大な重鎮の死が、朝廷と幕府を巻き込む醜聞の序章であることに、まだ誰も気づいていなかった。
勧修寺家の跡を継いだ婧子の弟・経則は、この時二十四歳。
主上が即位された頃の、あの血を吐くような苦労を知らない若い世代である。
彼にとって主上は最初から絶対的な権威を持つ完璧な存在であり、朝廷の威光がおいそれとは揺らぐなどとは微塵も思っていなかった。
それゆえ経則の関心は、専ら「家」の実利に向いていた。勧修寺と葉室は、元をたどれば同じ藤原北家勧修寺流の血を分けた家柄。
家禄においても、家格の実質においても、勧修寺家が優る。それにもかかわらず、後宮では大典侍・葉室頼子が我が物顔に権勢を振るい、本家筋たる勧修寺の娘(婧子)でさえその意向を伺わねばならぬ。
(子をことごとく喪い、もはや側室の役目すら自ら降りた、ただの女房に過ぎぬ者ではないか。それがなぜ、いつまでも本家より重んじられねばならぬのか)
その理不尽への苛立ちこそが、経則という若者を蝕む毒であった。
彼は傲慢なほどの野心家だった。
「忠義」と「自制」を体現していた父が亡くなったことで、彼を縛っていた箍は外れた。
若き経則は、勧修寺家を、本来あるべき筋目の姿へと押し上げるため、危うき企てに打って出た。
◇
経則の姉の婧子は、大典侍・葉室頼子の存在が目障りでならなかった。
頼子は我が子(皇子)を失った今なお主上の信頼が厚く、実質的に後宮の頂点に君臨していた。
まだ何の地位も定まらぬ我が子・寛宮の行く末を思うにつけ、婧子でさえ、何事も頼子のお伺いを立てねば進まぬ現状が歯痒くてならなかった。
(私は皇子の生母。
子をすべて喪い、側室の役目すら自ら退いた身でありながら、なぜいつまでも、あの人が後宮の頂きに立ち続けるのか。いつまでも、あの人の下風に立つ十二歳の娘ではない……。寛宮の御身分がいまだ定まらぬ今こそ、頼子殿を退けねば、あの子の未来はどうなるか分からぬ)
嫉妬と焦燥に駆られた婧子は、意を決して身内の女房を呼んだ。
「誰ぞ、勧修寺家へ使いを出し、経則殿にすぐ御所へ参るよう伝えよ」
しめやかに更ける夜、御所の奥まった一室に経則がやって来た。
「皆、下がっていよ」
婧子は人払いをし、灯火を落とした薄暗がりの中で、弟に声を潜めた。
「経則殿……私はほとほと、この宮中での暮らしに疲れ果ててしまいました。主上に願い出て、いっそ出家いたそうかと思うのです」
経則は驚いた風もなく、ただ目を鋭く光らせた。
「姉上、何をおっしゃいます。
寛宮さまがゆくゆく儲君と定まり、御位にお就きになるまで、いえ、
その後もお側で朝廷を差配なさるべきは姉上しかおられませぬ」
「ですが、いずれ寛宮が中宮(欣子内親王)さまの御養子と定まれば、中宮さまがお守りくださいましょう。
私が側にいたとて、所詮はただの典侍。大典侍(頼子)殿に頭も上がらず、何の役に立ちましょう」
婧子の口から出た「大典侍」の名を聞いた瞬間、経則の口元がわずかに歪んだ。
「ならば、寛宮さまの行く末のためにも、御母堂たる姉上の権威を揺るぎないものにせねばなりませぬな。
子もなく、お役目すら自ら降りた身でありながら、いつまでも我が物顔に振る舞う――大典侍殿には、そろそろお引き取り(ご隠居)願いましょう」
「滅多なことを。
頼子殿は主上のご信頼が厚い。
私どもに何ができましょう」
「姉上は、ただお座りになっていれば良いのです」
経則は一歩にじり寄った。
「大典侍殿が、姉上と寛宮さまを呪い殺そうとしている……という噂を流します。幸い、大典侍殿は間もなく、亡くなられた若宮の私的な追善供養のため、お抱えの尼僧を御所に招くはず。その動きは掴んでおります」
婧子は息を呑んだ。
「まさか、その尼僧を……?」
「泳がせておいた京都所司代の役人に、その尼僧を捕らえさせるのです。『宮中に呼ばれて不届きな祈祷をした』と一言吐かせれば十分。
あとは、こちらで噂に尾ひれをつけます」
「しかし、でっち上げが露見すれば、寛宮さまの行く末に傷がつくのでは……」
「滅相もない。
姉上と寛宮さまは何も知らぬ『呪詛の被害者』なのです。
すべては大典侍殿と、その実家である葉室家に被っていただきましょう」
こうして、のちに「女房呪詛一件」と呼ばれる陰謀の歯車が回り出した。
京都所司代に捕らえられた尼僧の供述は、経則らの手によって瞬く間に歪められ、
「寛宮さまとその生母が呪われた」
「御所の床下に呪いの札が埋められていた」というおぞましい流言飛語となって京の町を駆け巡った。
この未曾有の醜聞に、もっとも心を痛めていたのは、中宮・欣子内親王であった。
温仁親王を喪ってより、早くも五年の月日が流れていた。
局に蟄居する身は未だ変わらぬままであったが、欣子の心はあの日の絶望から少しずつ立ち直りつつあった。
ただ、婧子の産んだ皇子を我が子として迎え入れることだけは、いまだどうしても叶わずにいる。
されど、頼子だけは違った。長年後宮を共に支えてきたその清廉な人柄を、欣子は誰よりもよく知っていた。頼子に累が及ぶことなど、あってはならぬ。
局から出ることも、文を交わすことすらも禁じられた身では、なす術もない。焦燥に駆られながら、欣子はただ、御簾の向こうに広がる庭を見つめるしかなかった。
そんな折、夜陰に紛れ、局の外にひそやかな衣擦れの音がした。
「欣子、私です」
低く、鈴の鳴るような声に、欣子は弾かれたように顔を上げた。
「院さま……!」
驚きに目を見張る欣子の前に、後桜町上皇がそっと歩み入ってこられた。
禁じられているはずの面会を、御自らの権威をもって押し切ってこられたのだ。
「泣くのはおやめ。此度の醜聞のこと、そなたの耳にも届いておりましょう」
「はい……。院さま、伏してお願い申し上げます。どうか朝廷と頼子殿をお救いください。
私は寛宮の行く末を思う身でございますれば、表立って婧子殿を責めることも、頼子殿の味方をすることもできませぬ。
ですが、頼子殿が呪詛などなさるはずがないことは、誰よりも私が分かっております。
……主上は、主上は深く苦悩され、今にも押し潰されそうなのです。
院さま、どうか、お力をお貸しください」
欣子が涙ながらに訴えると、上皇は静かに歩み寄り、その肩に優しく手を置いた。
「そなたの言う通り、頼子にそのような大それた真似ができるはずもない。
……これは、勧修寺の若い庭に生えた、不届きな毒草(経則)が仕掛けた悪だくみであろ」
上皇の言葉に、欣子は息を呑んだ。
院さまは、御所の奥に籠りながらも、すでに事の本質を見抜いていたのだ。
「なれど中宮、これはもはや『誰が正しいか』という戦いではない。
流言はすでに京の街を埋め尽くし、
江戸の幕府(京都所司代)までもが目を光らせておる。
ここで婧子を公に罰すれば、寛宮の生母が偽証したという朝廷最大の汚名となり、あの子の行く末すら危うくなる。
……朝廷の、そして天が下の権威を守るためには、誰かが泥を被らねばならぬのだ」
「それでは……やはり頼子殿が……?」欣子の声が震える。
上皇は悲痛に、しかし冷徹に深く頷いた。
「主上(光格天皇)も、その理が分かっておいでだからこそ、身を引き裂かれる思いで悩んでおられる。
……中宮、そなたはただ、局にてこれまで通り静かに過ごし、何も見なかった、何も聞かなかったものとして、心を乱さぬことじゃ。
そなたが毅然としておることこそが、これ以上の動揺を防ぐ唯一の盾となるのです」
院さま(後桜町上皇)は、中宮・欣子を諭すと、すぐさま動かれた。
信頼の厚い側近の公家を呼び寄せ
「これより密かに、京都所司代へ使者を立てよ。
『この一件、尼僧の妄言による内々の騒動にすぎぬ。朝廷にて厳重に処分する故、幕府はこれ以上詮索することなかれ』と。それと……」
院さまは一瞬だけ目を閉じ、苦渋の決断を下した。
「主上へ、院よりの文を届けよ。――
『帝よ、朝廷の主として、鬼となりて裁きを急がれよ。そなたの背負う業は、この老いたる院が共に背負って進む』とな」
翌日、主上は頼子を呼び出した。
昨夜までの沈鬱な表情ではなく、何かが吹っ切れたかのような涼やかな面持ちだった。
それは、後桜町上皇という偉大な国母が、主上の背中を「朝廷を守るために、心を鬼にせよ」と強く押したからに他ならなかった。
「頼子、……朝廷の権威を守り、寛宮に傷をつけぬまま、この事件の幕引きをせねばならぬ。
そのために、そなたが罪を被ってはくれまいか」
長年苦楽を共にし、中宮欣子さえも信頼を寄せる頼子だからこそ、主上は胸の内を曝け出せた。
頼子は静かに頭を垂れ、その表情は驚くほど穏やかだった。
「畏まりました。
どのような形であれ、主上をお支えすることこそが私の、そして葉室家の務めと心得ております」
主上は胸を締め付けられる思いで、頼子の華奢な肩を見つめた。
「すまぬ……そなたの兄(葉室頼覚)をも巻き込む処分となる。
だが、必ずや時期を見て復権させる。
私を信じて、耐えてくれ」
頼子はただ、静かに微笑むだけだった。その微笑みが、主上の心に深く、消えない棘を突き刺した。




