皇子の死、そして初夜
寛政六年二月。
欣子内親王の入内を翌月に控えた御所は、慌ただしさの中にも華やぎに満ちていた。
されど、頼子の局ひとつのみは、浮世の華やぎより取り残され、重く沈んだ静寂に包まれていた。
第二皇子・俊宮の小さな命は、まさに今、消えようとしていた。
「俊宮、逝ってはなりませぬ。
母を置いて逝っては……」
頼子は涙ながらに訴えたが、母の祈りも虚しく、施す術はなかった。
宮中にては、死の「穢れ」を何にもまして忌み嫌う。我が子が息を引き取ったとて、母親が搔き抱いて泣く暇すら、満足に許されぬのだ。
俊宮の亡骸は夜陰に紛れ、顔も知らぬ下役の者や僧侶の手により、急き立てられるように御所より運び出されていった。
葬儀とも呼べぬほど簡素に弔われ、泉涌寺の冷たき石の下へと消えゆく我が子を、頼子は墓所まで見送ることさえ許されなかった。
ただ我が局にて、手元に残された小さき産着ひとつを抱きしめ、声を殺して泣くよりほかになかった。
あの折も、同じであった。
新御所に遷った華やぎの中、頼子の局のみが、時の止まったかのごとく灯火を落とし、静まり返っていた。
第一皇子・礼仁親王の亡骸が、夜陰に紛れて運ばれてゆくのを、頼子はただ声もなく見送るほかなかった。
新御所完成・遷幸を寿ぐ宮中にあって、主上初めての皇子が身罷られたにもかかわらず、大々的な葬儀を営むことも叶わず、人々はまるで無かったことのように、日々の政務を続けていた。
頼子は新しき御所に還った、まさにその折より、産みし子を年ごとに、一人また一人と喪い続けていたのである。
礼仁親王に続き、生まれたばかりの第一皇女・能布宮もまた、一年と経たぬうちに儚くなられている。そしていま、俊宮までも。
「聖護院の、あの手狭な仮御所にて、ただ主上のお側をお護りしておりました頃のほうが、私はよほど幸せでございました……」
もはやこれ以上、我が子を喪う哀しみには、耐えられそうになかった。
「欣子様という貴き正妻をお迎えになる今こそ、私が身を引く時かと存じます。
お褥の御用は、何卒ご免じ遊ばしてくださりませ。
これからは一人の女房として、お仕えさせてくださいませ」
頼子は、主上にそう涙ながらに願い出たのである。
主上の御子が身罷られたとて、朝廷の営みは止まることを知らぬ。欣子内親王の入内は、何事もなかったかのように、予定のとおり一月ののちに執り行われた。
そして、その初夜――。
「三人もの子を死なせてしもうたは、この身の不徳ゆえであろう。
私は、誰ひとり救えなんだ。
皆、私を『帝』と崇めるが、我が子ひとり護る力すら持たぬのだ、欣子……」
そう仰せられ、主上は涙を流された。
「お上、どうか御自分を責めないでくださいませ」
「今だけは、『祐宮』と呼んでおくれ。
この部屋を出づれば、私はまた孤独なる帝に戻らねばならぬ。
なれど、この一間にある時だけは、そなたひとりの『祐宮』でいさせてほしい。
そなたさえいてくれれば、私は明日もまた、幕府と渡り合うことができよう。
私の心の拠り所は、この世にただ欣子、そなたひとりなのだ」
「……ですが、頼子殿がおられるではないですか」
「頼子は……。
私はもう、頼子のもとを訪れることはない。
子を喪う哀しみは……私ひとりで、十分なのだ」
◇
「中宮様が入内されてから、新典侍様(頼子)は一度も御寝所に上がられていないわね」
「やはり、俊宮様を亡くされたお心の傷が癒えぬまま、お褥をご遠慮なさったのかしら」
「新典侍様も、御年はや三十路に手の届こうかという頃合い。
若く高貴な中宮様がおいでになったのだから、お役御免になるのも道理というものよ」
かかる際どき(きわどき)私語の応酬によって、頼子が自ら側室の座を退いたことは、またたく間に後宮の知るところとなった。
局の奥、燃え尽きかけた灯芯のかたわらで、頼子はただひとり、幼子の産着を膝に抱いたまま、夜露に濡れる庭を見つめ続けていた。




