第六十二話 「三つ巴」
「時神っ!」
甲高い声が、神々の間に響き渡る。
一人の少女が腰に両手を当て、頬をぷくっと膨らませながら目の前の男を睨みつけていた。
「いなかったじゃないですか!」
「あぁ?」
白髪に褐色の肌を持つ壮年の男は、面倒くさそうに片眉を上げる。
「……間違えた、と我は言うだろう」
悪びれる様子は、一切ない。
「その一言で済ませないでください!」
少女は今にも飛びかかりそうな勢いで指を突きつけた。
「お陰で日神に怒られるところだったんですよ!」
「仕方あるまい。あやつらは見た目が似ておるのだから、と我は言うだろう」
「似てるの外見だけじゃないですか!」
少女は頭を抱え、大きくため息をつく。
「……本当に、お兄ちゃんはいるんですよね?」
先ほどまでの勢いが少しだけ消え、不安そうな声になる。
「ちゃんとおる」
時神は腕を組み、あっさりと頷いた。
「と我は言うだろう」
「はぁ……」
少女は再び深いため息を漏らす。
「次はちゃんと覚えてくださいよ? 茶髪にエメラルドグリーンの瞳です!」
念を押すように一本一本指を立てながら特徴を並べる。
「また間違えたら、水神に言いつけますから!」
「次は間違えぬ」
時神は鼻で笑った。
「……と我は言うだろう」
「その『次』って、いつの話なんですか?」
「二ヶ月後だな」
時神は空を見上げるように視線を細める。
「その頃、あやつは致命傷を負う」
軽く告げられたその一言に、少女の表情が凍りついた。
「……え?」
「と我は言うだろう」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
少女は慌てて一歩踏み出す。
「致命傷を負うなら、その前に会いに行かなきゃ駄目じゃないですか!」
「無理だ」
時神は即答した。
「その前に接触すれば、貴公が名を授かる未来が変わる、と我は言うだろう」
未来。
運命。
それらを見通す神だからこその断言だった。
「それにだ」
時神は腕を組み、口元をわずかに吊り上げた。
「あやつが致命傷を負う、その瞬間こそ貴公が恩を売る絶好の機会だ」
そして、少女へ鋭い視線を向ける。
「その機会を見逃すつもりか? ――と我は言うだろう」
「ぬぅ……」
少女は頬を膨らませ、悔しそうに唸る。
「私は、貴方ほど倫理観が欠けてるわけじゃないんです!」
「安心しろ」
時神は鼻で笑った。
「あやつは、その未来でもちゃんと生きておる」
「……本当ですか?」
少女はじっと時神を見つめる。
「嘘じゃないですよね?」
疑いの眼差しは一向に消えない。
「知神に確認してきてもいいですか?」
「無理だろうな」
時神は即答した。
「貴公は知神に嫌われておるではないか。と我は言うだろう」
「むっ……」
一瞬だけ言葉に詰まる。
だが、すぐに胸を張り返した。
「知神だって、お兄ちゃんのことなら別です!」
「私が相手でも、大抵の質問には答えてくれます!」
「ならば試してみるがよい」
時神は肩をすくめる。
「涙目敗走する未来が、我には見えておるからな。と我は言うだろう」
「~~~~っ!」
少女の頬が真っ赤に染まる。
怒りで肩を震わせながら、勢いよく時神を指差した。
「……やっぱり貴方のこと嫌いです!」
◇◇◇
「──どうだい、彼の様子は?」
軽薄な笑みを浮かべながら、一人の青年が姿を現す。
短く切り揃えられた青い髪。
頭の上に浮かぶ光輪。
背中には純白の翼が生え、退屈そうに羽ばたかせながら少女へ歩み寄っていく。
「いちいち聞きに来るでない。鬱陶しい」
少女は雪のように白く長い髪を揺らしながら、傷だらけの玉座へ深く腰掛けていた。
その周囲には、剣、槍、斧、大鎌――。
数え切れないほどの武器が地面へ突き刺さり、墓標のように並んでいる。
青年は肩をすくめ、苦笑した。
「冷たいなぁ」
「君が彼を選ぶって言ったんだ。だったら、もう肉体くらい共有したほうがいいんじゃないのかい?」
「時神が言っておったであろう」
少女はようやく口を開く。
「あやつに近づく時は、最も恩を売れる瞬間じゃ」
「ふぅん……」
青年は顎に手を添え、意味ありげに笑った。
白い翼を一度だけ大きく広げる。
「あんまり待たせるようなら──ぼくが貰ってしまおうか」
「あ?」
少女の瞳が細くなる。
次の瞬間。
キィン――!
金属音が静寂を裂いた。
青年の首筋には、いつの間にか一本の剣が突きつけられている。
あと数ミリでも動けば、喉を貫かれる距離。
それでも青年は笑みを崩さなかった。
「落ち着いてくれ」
両手を軽く上げ、降参の意思を示す。
「負け戦は趣味じゃない」
少女は無言のまま剣を押し当てる。
剣先から放たれる殺気だけで、大気が軋んだ。
「どのみち」
「戦神である君に勝てる神なんて、邪神くらいしかいないだろう?」
「もう少しゆとりを持ったらどうだい?」
「……水神と同じことを言いおって」
戦神は小さく鼻を鳴らす。
「水神か」
青年は苦笑した。
「彼女もぼくと同じ賛成派だったしね。考え方が似るのも当然か」
「いい加減失せよ。不愉快じゃ」
「……しょうがない」
青年は大げさに肩を落とし、踵を返す。
だが、去り際に小さく笑った。
「まあ、君が選んだ英雄がどこまで登れるか──楽しみにしてるよ」
白い翼が大きく羽ばたく。
その姿は、一瞬で空へ溶けるように消え去った。
静寂が戻る。
戦神は剣をゆっくりと下ろし、小さく息を吐く。
「……そもそも貴様は」
誰にも聞こえないほど小さな声。
「あやつとは、契約で繋がっておるくせに……」
◇◇◇
「……遅いぞ、ノアリス」
静まり返った部屋に、低い声が響く。
「チ……コク、コク……」
気まずそうに目を逸らすノアリス。
「みんなが早すぎるだけでしょー?」
悪びれる様子もなく笑いながら、白い長髪をふわりと揺らす。
そのままくるりと一回転すると、部屋に並ぶ五つの玉座の一つへ腰を下ろした。
広い空間。
そこにあるのは五つの玉座だけ。
装飾も、窓も、柱すら存在しない。
神徒だけが集うために造られた、静寂の間だった。
「それで」
紫色の髪をした少年が、小さくため息をつく。
「フォマルスとノアリスは、同じ人間と敵対し……二人とも、その人間を仕留められなかったと」
「あーっ!」
ノアリスが勢いよく立ち上がる。
「それはノアリスが言うやつ!」
ぷくっと頬を膨らませ、少年へ指を突きつける。
だが少年は肩をすくめるだけだった。
「君たちがいつまでも黙っているから、代わりに説明してあげただけだよ。」
口元を緩め、手のひらを差し出す。
「ほら、助けてあげたんだから感謝の言葉くらいないのかい?」
「セトヌス」
その空気を断ち切るように、低い声が響く。
金色の髪。
前髪の両側に黒いメッシュが入った男が、呆れたように頭を掻いた。
「あんま挑発してっと、また片腕吹き飛ばされるぞ」
その一言で、部屋の空気がぴたりと止まる。
「ヴェリディウス、早く始めてくれ。ノアリスが爆発しそうだ」
金髪の男が呆れたように肩をすくめる。
言われたノアリスは頬を真っ赤に膨らませ、ぷるぷると肩を震わせていた。
「むぅぅぅぅぅ……」
今にも飛びかかりそうな勢いだったが――。
その時。
これまで一度も口を開かなかった男が、静かに唇を動かした。
「……第四神徒」
低く、威圧感のある声。
部屋中の空気が一瞬で張り詰める。
「第二神徒と第五神徒が接敵した者。その名は」
「えぇと……」
セトヌスは顎に手を当て、記憶を探るように視線を泳がせる。
「ルクシス・サーベンダー……だね」
「…………ルクシス?」
その名が告げられた瞬間だった。
ガタンッ、と玉座が大きく揺れる。
金髪の男が勢いよく立ち上がり、額へ手を当てながらふらりと笑った。
「そうか……」
肩が震える。
「そうか……あいつ、転生したのか……!」
口元が大きく歪み、狂気じみた笑みが浮かぶ。
「なら――」
ゆっくりと顔を上げる。
瞳には、どす黒い殺意だけが宿っていた。
「もう一回殺せる……!」
「あー」
その殺気すら気にした様子もなく、ノアリスが気の抜けた声を上げる。
「やめといたほうがいいと思うよー?」
「……は?」
金髪の男が睨みつける。
しかしノアリスはどこ吹く風といった様子で笑った。
「あのお兄さん、ルクシスだっけ?」
「私から見れば弱虫さんだったけどさー」
人差し指を顎へ当て、思い返すように首を傾げる。
「でも魔力はとんでもなかったし……」
そして、あっさりと言い放つ。
「たぶん今のハイレインが戦っても、絶対に勝てるとは思えないかなー?」
ピクリ、と金髪の男──ハイレインのこめかみが震えた。
「……チッ」
静かな舌打ちが、会議室に響いた。
その目だけは、獣のような殺意を宿したまま細められていた。
「……で、そのルクシスとやらはどうするわけ?」
セトヌスが気怠そうに頬杖をつきながら口を開く。
「フォマルス相手に苦戦する程度なら、ハイレインでも勝てるんじゃない?」
「……『でも』ってなんだ」
ハイレインの眉がぴくりと動く。
「お前は俺より弱いだろ」
「今はそういう話をしているんじゃない」
セトヌスはため息混じりに肩をすくめた。
「いちいち揚げ足を取るなよ」
「てめぇ……!」
玉座から立ち上がりかけた、その瞬間。
「──短絡的だぞ、第三神徒」
ヴェリディウスの低い声が会議室に響く。
それだけで、張り詰めた空気が一変した。
ハイレインは舌打ちを一つ漏らすと、不満そうな表情のまま玉座へ腰を下ろす。
「チッ……」
腕を組み、深く背もたれへ寄りかかる。
ヴェリディウスは感情の読めない瞳で、ハイレインを見据えた。
「……第三神徒」
「お前は、どうしたい」
「どうしたい……か」
ハイレインは足を組み直し、頬杖をつく。
しばらく沈黙したあと、口元がゆっくりと吊り上がった。
「あいつが転生したというなら、やることは一つだ」
その瞳には、狂気にも似た執着が宿っている。
「ルクシス・サーベンダーを──俺の手で殺す」
静かな声だった。
だからこそ、その言葉は重く響く。
「あいつは……」
ギリ、と肘掛けを握る音が鳴る。
「俺に殺されるべきだ」
◇◇◇
「……っ」
ぞくり、と。
理由もなく、全身を悪寒が駆け抜けた。
ルクシスは小さく呻き、部屋の扉へ背中を預ける。
胸の奥がざわつく。
まるで誰かに背後から見られているような、不快な感覚。
「……誰かが噂してる気がする……」
ぽりぽりと頭を掻きながら、小さく息を吐く。
だが、その正体は分からない。
気のせいだと割り切るように肩をすくめると、ルクシスはゆっくりと階段へ向かった。
一段、また一段と降りながら、不意に足を止める。
振り返った先には、アステラとフェルギアがいる部屋の扉。
ほんの数秒だけ静かに見つめると、小さく笑みを浮かべた。
「……あいつなら、大丈夫か」
そう呟き、今度こそ階段を下りていく。
コツ、コツ、と足音だけが静かな建物へ響いていた。




