第五十九話 「契約」
「……フェルギア。今のうちに手の内を明かしておかないか?」
黒仮面の後ろを歩いていたルクシスが、不意に口を開いた。
「なんだよ急に」
「黒仮面が裏切る可能性だってゼロじゃない。むしろ、高いとまで言える」
「まぁ……それはそうかもしれないが……」
フェルギアは前を歩く黒仮面へ視線を向ける。
「本人の目の前だぞ?」
「じゃあ鼓膜破いとくか」
「待て待て待て!」
黒仮面が勢いよく振り返り、両手を前に突き出しながら二人から距離を取る。
「理不尽が過ぎるだろ!」
「じゃあ耳塞いどけ」
「……」
黒仮面は露骨に嫌そうな顔を浮かべたものの、逆らえる立場ではないと理解しているのか、小さく舌打ちしてから両耳を指で塞いだ。
そして何度も後ろを気にしながら、渋々前へ向き直る。
「……お前って、なんというか」
フェルギアは呆れ半分に息を吐く。
「適当すぎないか?」
「適当って言われてもな」
ルクシスは悪びれる様子もなく肩をすくめる。
「やっぱ鼓膜破いとくか?」
「いや、それはやめてくれ」
フェルギアは即座に首を横へ振った。
「なんか……可哀想だ」
その言葉に、ルクシスはじっとフェルギアの横顔を見る。
「お前、好きな人を目覚めなくした奴によく『可哀想』なんて言えるな」
「……」
フェルギアは少しだけ目を伏せた。
「なんというか……情が湧いちゃったんだよ」
あれだけ怯え、命乞いをしている姿を見てしまえば、憎しみだけを向け続けることはできなかった。
そんな自分を甘いとも思う。
「……お前がそう言うなら、やらないけどさ」
ルクシスは肩をすくめ、あっさりと引き下がる。
「そうしてくれ……。というか、なんで急に手の内を明かそうなんて話になったんだよ」
「だからさっきも言っただろ」
ルクシスは黒仮面の背中を見つめたまま答える。
「黒仮面が裏切る可能性があるからだ」
「……」
「裏切ったら、また戦闘になるだろ。そん時に連携が取れるようにしようって話」
淡々とした口調だった。
だが、その一言一言には経験に裏打ちされた重みがあった。
「連携って……」
フェルギアは苦笑する。
「さっき、お前一人で仕留めたじゃないか」
「裏切る奴が打算なしに裏切るわけないだろ」
ルクシスは即座に否定した。
「次は何かしら勝算を持ってくる。だから今のうちだ」
そう言ってフェルギアへ視線を向ける。
「早く」
「……分かったよ」
フェルギアは右手を軽く掲げた。
「見ての通り、鎖を出せる」
直後、オレンジ色の鎖が蛇のように右手から伸びる。
「あと、鎖を固定できる」
鎖はピンと一直線に固まり、鉄の棒のような形へ変化した。
「だから、棍棒みたいに振り回すこともできるな」
「そうか」
ルクシスは短く頷く。
「分かった」
「……お前は?」
「俺か?」
ルクシスは指を一本立てる。
「瞬間防御」
二本目。
「武器変換」
三本目。
「物質移動」
そして四本目を立て、小さく笑う。
「それと――鳥人化」
あまりにも淡々と並べられた能力名に、フェルギアの頬がぴくりと引きつる。
「……名前だけ言われても分かんねぇよ」
思わず頭を抱えた。
「というか、多いなお前」
「多いのかどうかは知らん」
「多いだろ確実に…あとちゃんと説明してくれ」
「はいはい…ええと、まずは瞬間防御だな」
ルクシスは指を一本立てる。
「発動時間は一瞬だけ。大体〇・〇三秒。その間だけ完全無敵になる」
「〇・〇三秒……」
フェルギアは思わず顔をしかめた。
「短すぎないか?」
「あぁ。だから扱いはめちゃくちゃ難しい」
ルクシスは苦笑する。
「その〇・〇三秒の間に攻撃を受ければ、能力はそのまま連続発動できる。けど、なにも食らわなかった場合は一分間のクールタイムだ」
「つまり、タイミングを外したら終わりってことか」
「そういうこと」
ルクシスは肩をすくめた。
「実際、ミスれば普通に斬られる。ほぼ賭けみたいな能力だよ」
「よくそんな能力で生き残ってるな……」
「慣れだ、慣れ」
軽く笑うと、今度は地面へ視線を落とす。
「で、武器変換」
近くに転がっていた一本の木の枝を拾い上げる。
「こんな、その辺に落ちてる物でも──」
枝を手の中で数秒見つめる。
すると、枝が眩い光に包まれた。
一瞬だけ輪郭がぼやけたかと思うと、光は収束し、細長い一本の剣へと姿を変える。
最後に淡い輝きが消えると、剣は鉄のような質感をしていた。
「へぇ……」
フェルギアは感心したように目を見開く。
ルクシスは軽く剣を振り、風を切る音を鳴らす。
「強さは元になった素材と、どれだけ魔力を込めたかで決まる」
そう言うと、腰に差した二本の剣へ視線を向け、小さく笑った。
「まぁ、俺はもう相棒がいるから、ほとんど使わないんだけどな」
「宝の持ち腐れじゃねぇか」
フェルギアは呆れたように笑う。
「使わないなら俺にくれよ」
「あげられたら苦労しないさ」
「あと解除もできる。放っておいても三時間くらいで勝手に元へ戻るけどな」
そう言うと、ルクシスは手にしていた剣を見つめる。
刹那、刀身が淡い光に包まれ、見る見るうちに細く縮んでいく。
光が消えた時には、そこにあったのは一本の木の枝だった。
「はい、おしまい」
ルクシスは枝をぽいっと道端へ放り投げる。
「物の扱いが雑だなお前……」
「どうせその辺で拾った枝だし」
悪びれもせず答えると、今度は何もない空間へ手を伸ばした。
「次は物質移動だな」
「……何してるんだ?」
「もうちょい待て」
ルクシスは掌を開いたままじっと立っている。
数秒後――。
少し離れた場所に転がっていた丸い石が、突然ふわりと浮き上がった。
石は重力など存在しないかのように一直線に飛来し、吸い寄せられるようにルクシスの手のひらへ収まる。
カツン、と軽い音が鳴った。
「これが物質移動」
「……触れてない物を動かせる能力ってことか?」
「そーいうこと」
ルクシスは石を軽く放り上げ、また手で受け止める。
「一応、視界に入ってる物限定とか、重量制限とか細かい条件はあるけどな」
そう言って笑う。
「まぁ、俺の能力の中じゃ一番強いと思ってる」
「確かに……」
フェルギアは感心したように頷く。
「戦闘だけじゃなく、日常生活でも便利そうだな」
「だろ?」
ルクシスは満足げに石を放り捨てる。
「で、最後に鳥人化」
その瞬間だった。
バサァッ――!
ルクシスの背中から、純白の翼が勢いよく広がる。
羽ばたくたびに柔らかな風が吹き抜け、白い羽が数枚宙を舞った。
「うおっ!?」
フェルギアは思わず一歩後ずさる。
「まぁ、要するに鳥の羽だ」
ルクシスは翼を軽く動かして見せる。
「特に言うことはない」
「最後の最後で説明雑になるなよ……」
「そう言われてもなぁ」
ルクシスは顎に手を当て、翼をぱたぱたと動かしながら真面目に考え込む。
「……うーむ」
数秒考えた末、
「やっぱ言うことねぇわ」
「本当かよ……」
フェルギアは思わず額を押さえ、大きくため息をついた。
「あぁ、それと――黒仮面。もう耳を塞がなくていいぞ」
「……」
黒仮面から返事はない。
「……聞こえてないのか?」
「当たり前だろ。耳を塞いでるんだから」
フェルギアが呆れを通り越し、半ば引いたような表情でツッコミを入れる。
「あぁ、そうか」
ルクシスは心底納得したように頷いた。
「……お前って結構アホだったりする?」
「失礼なやつだな。俺は賢者だぞ、賢者」
胸を張って言い切るルクシス。その姿に説得力は一切ない。
そう言うと彼は歩幅を広げ、黒仮面のもとまで歩み寄ると、その手首を掴んで無理やり耳から引き離した。
「……もうよいのか?」
「伝え終えたからな」
ルクシスはあっさりと言い放つ。
「これで、お前が裏切っても、こっちはさっきよりも強く応戦できる」
その言葉に、黒仮面は小さく肩を震わせた。
一方でフェルギアは、別のことが気になって仕方がなかった。
「強く応戦できるっていうけどな……」
ルクシスの腹へ視線を落とす。
黒く乾いた血が、服の上からでもはっきりと残っていた。
「お前、腹を刺されてるんだぞ? このまま歩き続けて、途中で倒れでもしたら……戦力半減どころの話じゃない」
心配そうに眉を寄せるフェルギア。
しかし当の本人は、まるで他人事のように肩をすくめた。
「大丈夫。腹を刺されたくらいじゃへこたれはしない」
軽く笑ってそう言うルクシスに、フェルギアは乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「……それはそれで怖いんだが」
二人のやり取りをよそに、黒仮面だけが複雑そうな表情で前を歩き続けていた。
◇◇◇
気づけば、周囲の景色は大きく変わっていた。
建物は先ほどまでの集落よりも密集し、路地は蜘蛛の巣のように入り組んでいる。足元には落ち葉が幾重にも積もり、踏みしめるたびに乾いた音が響いた。
「迷うなよ、黒仮面」
先頭を歩く黒仮面へ、ルクシスが軽い調子で声をかける。
「餓鬼ではないのだ。迷いはせん」
先ほどまで小刻みに震えていた肩は、もう落ち着いていた。
ルクシスの飄々とした態度のおかげか、それとも命の保証を少しは信じ始めたのか。黒仮面からは、さっきまでの怯えが嘘のように消えている。
「……そういえばさ」
今度はフェルギアが口を開いた。
「なんでお前も仮面をつけてるんだ?」
怒りは、もうほとんど残っていなかった。
好きな人を苦しめた相手だというのに、不思議と憎みきれない。捨て子だったという過去を聞いたせいか、それとも怯える姿を見続けたせいか。
いつの間にか、黒仮面へ向ける感情は同情へと変わりつつあった。
「……そういう契約だからだ」
「契約?」
「あー……」
ルクシスが苦笑する。
魔法を知らない世界から来たフェルギアが、契約という単語だけで理解できるはずがないと気付いたのだ。
「契約ってのは魔法の一種だ。自分で『恩恵』と『代償』を決めて相手に提示する魔法だな」
「え? 契約って魔法なのか?」
「ああ。だから正式には『契約魔法』っていうんだけどな。長いから、みんな契約って略してるだけだ」
フェルギアは感心したように息を漏らす。
「へぇ……。また知らない魔法が増えたな」
異世界へ来てから何度目になるか分からない感想だった。
魔法を知れば知るほど、この世界がどれだけ常識外れなのかを思い知らされる。
そして三人は、黒仮面の案内に従い、さらに奥へと歩みを進めていった。
「……ちなみに、その契約魔法って誰でも使えるのか?」
フェルギアが純粋な疑問を口にする。
「あぁ」
ルクシスは軽く頷いた。
「誰でも使える。しかも発動に魔力すら必要としない。だから、極端な話いつでもどこでも使える。魔法の中じゃかなり特殊な部類だな」
「へぇ……じゃあ俺でも使えるのか」
「使えるぞ」
あっさりと言い切るルクシス。
「まぁ、契約魔法なんてそうそう使う機会はないけどな」
「まぁ……そうだよな。契約魔法なんて、使う場面が――」
そこまで言いかけて、フェルギアの足が止まる。
「……ない……」
「……どうかしたのか?」
ルクシスも足を止め、振り返る。
フェルギアは何かを思いついたように目を見開いていた。
「契約魔法を使えば……アステラを目覚めさせることだって、できるんじゃないのか?」
「あー……」
ルクシスは頭をかき、少しだけ困ったように息を吐く。
「残念だけど、多分無理だな」
「……なんでだ?」
「契約における『恩恵』と『対価』の価値を決めるのは契約を提示する本人だ」
「……つまり?」
「お前にとってアステラは好きな人なんだろ?」
「あぁ」
「だったら、お前は誰よりもアステラを大切に思ってる。それだけ価値のある存在を救うって恩恵を望むなら、それと釣り合うくらい大切なものを、お前自身が差し出さなきゃならない」
淡々とした説明だった。
だからこそ、その重みは嫌というほど伝わってくる。
「……マジか」
フェルギアは小さく呟き、無意識に拳を握り締めた。
"アステラを救う代償"
その言葉だけが、胸の奥で重く沈んでいった。
「……まぁ、これから黒仮面の紹介するやつがアステラを救ってくれるかもしれねぇんだ」
ルクシスはフェルギアの肩を軽く叩いた。その声色には、いつもの軽さの中に少しだけ気遣いが混じっている。
「今からそんなこと考えてても仕方ねぇだろ」
「……そうだな。悪い」
「だから謝んなって」
呆れたように笑うルクシス。
「そうは言われても……もう癖なんだよ」
フェルギアは苦笑しながら視線を逸らし、照れ隠しのように後頭部をかいた。
そんな二人のやり取りを遮るように、黒仮面が足を止める。
「……貴様ら、着いたぞ」
その一言に、二人は同時に顔を上げた。
「……着いたって」
フェルギアは辺りを見回す。
鬱蒼と木々が生い茂るだけで、建物らしきものはどこにも見当たらない。
「……何もなくないか?」
「下だ」
短く答えると、黒仮面は数歩後ろへ下がった。
二人の視線が自然と足元へ向く。
すると、落ち葉に覆われていた地面の輪郭がゆっくりと浮かび上がった。
苔むした鉄製のハッチ。
まるで地下シェルターの入口のような重厚な扉が、長い年月隠され続けていたかのように姿を現す。
「……こんな所にいるのか?」
フェルギアが思わず息を漏らす。
「彼は外へ出ることを好まないのだ」
黒仮面は淡々と答え、地下へ続く入口を静かに見下ろえた。




