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神殺しの英雄  作者: ポンズイッキ
第四章 『孤独の英雄』
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第五十八話 「前向き」

「……弱虫が」

 黒仮面が鼻で笑う。

 その一言には、あからさまな侮蔑が込められていた。

「……挑発には、もう乗らないぞ」

 フェルギアは鎖を構え直し、静かに息を吐く。

「俺も――こいつもな」

「挑発ではない」

 黒仮面は首をゆっくり傾けた。

「事実だ」

「女を亡き者にし」

「友を犠牲にし」

「あまつさえ、当の本人は感情任せに動く」

 仮面の奥から、嘲るような笑い声が漏れる。

「まさに餓鬼」

「茶髪の貴様が、哀れで仕方がないよ」

「……フェルギア」

 ルクシスが小さく声を掛ける。

「分かってる」

 フェルギアは一度だけ目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。

「もう怒らない」

 その返事を聞くと、ルクシスは収納魔法へ杖をしまい、代わりに二本の剣を抜いた。

 左右の手に一本ずつ。

 切っ先を黒仮面へ向ける。

「…なぁフェルギア」

 視線は黒仮面から外さない。

 「俺が仕留めてもいいか?」

 「なんだよ、その質問」

 「いや…これはお前の戦いだろ?だから、お前の手で終わらせた方がいいんじゃないのかって思ったんだが」

 「…お前が仕留められるっていうならやってくれ。俺はこの戦いに拘りを持つつもりはない」

 「了解」

「もう最後の話し合いは終わったのか?」

 黒仮面は余裕を崩さないまま、小さく肩をすくめた。

「なんだよ、最後って」

 ルクシスが鼻で笑いながら返す。

「いやはや。この段階で結果を決めつけるのは無粋だとは承知の上だが……先程まで行動を見るに、貴様らが吾輩に勝てる確率は、ゼロに等しいかと」

 その言葉に、ルクシスは一度だけ静かに息を吐いた。

「……そうか」

 そして口角をわずかに吊り上げる。

「お前の遺言は、それで決まりな」

 ――ドンッ!!

 地面が爆ぜた。

 黒仮面の視界から、一瞬でルクシスの姿が消える。

「なっ――」

 気付いた時には、もう目の前だった。

 一直線に突き出された黒剣は首筋を狙っている――そう思わせる。

 黒仮面は咄嗟に剣で受けようと腕を動かした。

 だが、それはフェイント。

 ルクシスは刃を引くと同時に体勢を低く落とし、鋭い足払いを放つ。

「しまっ――!」

 黒仮面の重心が完全に崩れた。

 足元を払われ、そのまま背中から地面へと叩きつけられる。

 ドゴォン!!

 土煙が舞い上がる。

 その衝撃が消えるよりも早く、ルクシスは黒仮面の胸へ馬乗りになり、剣先を喉元へ突きつけていた。

 あと数センチ踏み込めば、その首は容易く貫ける。

「……弱いのな、お前」

 心底拍子抜けしたような声だった。

 黒仮面の目が怒りに見開かれる。

「小賢しい真似をしておいて何を言うか……!」

「小賢しい?」

 ルクシスは肩をすくめる。

「ただフェイントに引っかかっただけだろ」

 呆れたように笑いながら続けた。

「こんな簡単な手を『小賢しい』とか言って喚くなんてさ」

 口元が大きく歪む。

「――まさに餓鬼」

 その一言が、黒仮面の理性を完全に焼き切った。

「き……貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 怒号が空を震わせる。

 黒仮面は咆哮と同時に剣を振り上げ、馬乗りになっているルクシスを真っ二つに裂こうと全力で振り下ろした。

 だが――その剣は、最後まで振り下ろされることはなかった。

「……は?」

 黒仮面の口から、間の抜けた声が漏れる。

 腕が、動かない。

 どれだけ力を込めても、剣はピクリとも下りない。

 嫌な予感に駆られ、ゆっくりと視線を上へ向ける。

 そこには――。

「……っ」

 両腕に巻き付いたオレンジ色の鎖を握り締めるフェルギアが立っていた。

 鎖は黒仮面の両手首を固く拘束し、天へ引き上げるように張り詰めている。

 そしてフェルギアは、まるで道端のゴミでも見るような冷え切った瞳で黒仮面を見下ろしていた。

「……随分と冷静なんだな」

 ルクシスが馬乗りのまま顔だけを上げ、苦笑混じりに呟く。

「もう慣れたからな」

 短く、それだけ返す。

 感情を押し殺した声だった。

 次の瞬間、フェルギアは鎖をさらに強く引いた。

 ギチギチギチッ――。

 肩関節が悲鳴を上げるような音が響く。

「ぐぁっ……あああああああああああぁぁぁっ!!」

 黒仮面の絶叫が、静まり返った集落中へ響き渡った。

 腕が引き千切れそうな激痛に、体をのたうち回らせる。

 それでもルクシスが上に乗っているせいで逃げることすらできない。

「腹、刺しといた方がいいか?」

 ルクシスはまるで夕飯の献立でも聞くような口調で尋ねる。

「……別にいい」

 フェルギアは視線すら逸らさず答えた。

 その手は容赦なく鎖を引き続ける。

 ギリッ、ギリギリッ――。

 骨が軋み、筋肉が裂けそうな音が響くたび、黒仮面の顔は苦痛に歪んでいく。

 汗が滝のように流れ落ち、仮面の内側から荒い息が漏れた。

「わ、分かった!!」

 ついに黒仮面が叫ぶ。

「彼女を助ける術を教える! だから……だから離せぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 その言葉に。

 フェルギアの手が、ぴたりと止まった。

 静寂が落ちる。

 フェルギアはゆっくりと黒仮面を見据え、低く問いかける。

「……お前、今なんて言った?」

 黒仮面は肩で荒く息をしながら、全身を震わせる。

「ひっ……ひぃ……」

 仮面の隙間から汗がぽたぽたと滴り落ち、地面に黒い染みを作っていた。

「お前さ……もうゴミになったって言わなかったか?」

 フェルギアの声は低く、怒りを押し殺していた。

 黒仮面は肩を震わせながら必死に首を横へ振る。

「は、半分は本当だが……半分は嘘だ!」

「……半分は本当?」

「い、今はゴミだ! だが……元に戻すことは可能だということだ!」

 その言葉に、フェルギアは黒仮面から目を離さず、隣に立つルクシスへ視線だけを向けた。

「……ルクシス。信用していいのか、こいつ」

「俺はお前の補助として来ただけだ」

 ルクシスは肩をすくめる。

「信用するかどうかは、お前が決めろ」

 一拍置き、黒仮面をじっと見つめる。

「それでも一つだけ言うなら……」

 その瞳は、賢者らしく相手の細かな反応を観察していた。

「少なくとも、今の発言に嘘をついてる感じはしなかったとだけ」

 静かな断言だった。

 フェルギアは数秒黙り込み、やがてゆっくりと息を吐く。

「……じゃあ、信用する」

「了解」

 ルクシスは短く頷くと、黒い剣をくるりと回して鞘へ収めた。

 そのまま黒仮面の上から退き、立ち上がる。

「分かってるとは思うが……」

 剣の柄に手を添えたまま、冷たい目で黒仮面を見下ろした。

「また俺たちに敵対するような真似をしたら、その瞬間に首を跳ねる」

 冗談ではない。

 その声色だけで理解できた。

「わ……分かって、いる……」

 黒仮面は全身を震わせながら、よろよろと立ち上がる。

 呼吸は荒く、肩は大きく上下していた。

 先ほどまでの尊大な態度は完全に消え失せ、そこにいたのは命乞いをする一人の男だけだった。

 ルクシスはそんな姿を眺めながら、小さく首を傾げる。

「あー……そういや聞いてなかったな」

 何気ない口調で問いかける。

「お前、名前は?」

「……わざわざ名前を聞く必要なんかないだろ」

 黒仮面は警戒を滲ませながら呟く。

 その言葉に、ルクシスは呆れたように肩をすくめた。

「名前を聞いとかないと、呼ぶとき不便だろ」

「わ……吾輩に名などない」

「……なんでだ?」

 黒仮面は一瞬だけ俯き、小さく息を吐く。

「吾輩の元は……捨て子だからだ」

 その場に短い沈黙が落ちる。

 ルクシスは特に同情するでもなく、困ったように頭を掻いた。

「はぁ……じゃあ、黒仮面でいいか」

「……好きにしろ」

 黒仮面は力なく答える。

 フェルギアは一歩前へ出ると、真っ直ぐ黒仮面を見据えた。

「なら――黒仮面」

 声には迷いがなかった。

「彼女を……アステラを救う方法を教えろ」

 黒仮面は静かに頷き、重々しく口を開く。

「……彼女たちが装着している仮面は、精神を乗っ取り、吾輩へ絶対服従させるためのものだ」

「そのため、精神は仮面と完全に同化している」

「故に、仮面だけを無理やり外せば……精神もまた肉体から剥がれ落ちるのだ」

 フェルギアの表情が険しくなる。

「……だから昏睡状態になったのか」

「その通りだ」

 黒仮面は頷いた。

「ただ目覚めさせるだけなら簡単だ。もう一度仮面を装着すればいい」

「だが、それでは精神は支配されたままだ」

「つまり、何も解決しない」

 フェルギアは苛立ちを隠せず舌打ちする。

「……じゃあ、どうしろって言うんだ」

「簡単な話だ」

 黒仮面は静かに答えた。

「仮面そのものの力を失わせればいい」

 その言葉を聞いた瞬間、フェルギアは迷わず言い放つ。

「……じゃあ今からアステラのところへ行く」

 黒仮面の肩を掴む。

「お前が仮面の力を消せ」

「ま、待て待て待て!!」

 黒仮面は慌てて首を横に振った。

「吾輩が力を失わせられるなど、一言も言っておらん!」

「……は?」

 フェルギアの目が細くなる。

 黒仮面は冷や汗を流しながら、必死に弁解した。

「さっきも言ったであろう!」

「吾輩は教えると言っただけだ!」

「戻せるとは、一言たりとも言っておらん!!」

 その場の空気が、一気に凍りついた。

「……お前……!」

 黒仮面の言葉を聞いた瞬間、フェルギアの理性が弾け飛んだ。

 伸びる右手は、一直線に黒仮面の首を掴みにいく。

 その手首を、横から伸びた手ががしりと掴んだ。

「おい、落ち着けって」

 ルクシスだった。

 穏やかな声だったが、その握力は強い。

 感情に飲まれたフェルギアを止めるには、それくらいでちょうどいい。

「……おい、黒仮面」

 ルクシスは黒仮面へ視線を向ける。

「戻す術を教えるって言ったのはお前だろ。だったら最後まで話せ」

「ぐっ……」

 黒仮面は苦しそうに喉を鳴らし、ゆっくりと口を開く。

「仮面に刻まれているのは……支配の呪いだ。だが、吾輩は……その呪いを解呪できん」

「なら、できる奴を紹介しろ」

 間髪入れずに返すルクシス。

 黒仮面はびくりと肩を震わせた。

「そ……そうすれば、吾輩の命は保証されるのだな?」

「ちゃんと話が本当ならな」

 その一言だけだった。

 だが黒仮面には十分だったのだろう。

「……わ、分かった。案内しよう」

 黒仮面はゆっくりと背を向ける。

 その足は恐怖で震え、一歩一歩がおぼつかない。

「……行くぞ、フェルギア」

 ルクシスはフェルギアの手首から手を離し、そのまま黒仮面の後を歩き始めた。

「……」

 フェルギアも黙って後を追う。

 だが、その歩幅は小さい。

 希望が見えたはずなのに、不安が胸を押し潰していた。

 本当に助かるのか。

 また絶望するだけじゃないのか。

 そんな考えが頭から離れない。

 その様子に気付いたルクシスは足を止めた。

 フェルギアが隣まで来るのを待つと、不意にその背中を――

 バンッ。

 遠慮なく叩く。

「ここまで来たら、あともう少しだろ」

 ルクシスはいつものように笑った。

「頑張れよ」

 その笑顔は、どこまでも軽い。

 だが、不思議と肩の力が抜ける笑顔だった。

「……お前は、本当に前向きだな」

 フェルギアは苦笑する。

 ルクシスは肩をすくめ、小さく笑った。

「前向きじゃねぇよ」

 一度だけ空を見上げる。

「ただ、諦めるのが嫌いなだけだ」

 その言葉に、フェルギアは何も返せなかった。

 ただ少しだけ、さっきまで重かった足取りが軽くなった気がした。

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