第五十七話 「憤怒」
「……なぁ、ルクシス」
「なんだよ」
調査隊の男の後ろ襟を掴んだまま、ルクシスは面倒くさそうに振り返る。
フェルギアは少しだけ視線を逸らし、言葉を選ぶように口を開いた。
「仮にもさ、俺がお願いした側なんだ。だったら、危ない役をやるのは俺であるべきじゃないか?」
「……別に、そんなことないと思うが」
ルクシスはあっさりと言い切る。
「そんなこともあるんだよ」
「いや」
ルクシスは肩を竦め、小さくため息を吐いた。
「お前、この前の任務で最後に倒れたんだろ?」
「いや……それは……」
「どういう状況で倒れたのかは知らねぇ。でもな」
ルクシスの表情から笑みが消える。
「俺が、お前を助けられるとは限らないだろ」
その一言に、フェルギアは言葉を詰まらせた。
「……それを言うなら、逆だって同じだ」
ようやく絞り出した声は、どこか弱々しい。
「お前が倒れた時、俺だってリカバリーできるとは限らない」
「……そうだな」
ルクシスは一度だけ頷く。
そして静かに問いかけた。
「これ以上言い合っても仕方ねぇ。一つだけ聞く」
「……なんで倒れた?」
フェルギアの肩がぴくりと震えた。
「それは……その……」
視線が自然と足元へ落ちる。
「突然……後ろから刺されて……」
その瞬間、ルクシスは深く息を吐いた。
「……もう一回、お前は刺される勇気があるのか?」
「…………」
返事はなかった。
フェルギアは唇を噛み締め、俯いたまま拳を握ることしかできない。
そんな彼を見て、ルクシスは困ったように小さく笑った。
「……無理すんなよ」
「……無理、というかさ」
フェルギアは俯いたまま、小さく息を吐く。
「俺は、刺される辛さも怖さも知ってる」
腹を貫かれたあの日の痛みが、今でも鮮明に蘇る。
冷たくなっていく身体。
遠のいていく意識。
あの恐怖は、二度と思い出したくない。
「だから、その怖さを知ってる上で……友達に味わえ、なんて言いたくないんだよ」
しばらく沈黙が流れる。
やがてルクシスは肩を竦め、小さく笑った。
「別に、お前みたいに後ろから刺されるとは限らねぇだろ」
「それに――」
一度言葉を切り、少しだけ照れくさそうに頬を掻く。
「俺がリスクの高い役を自分から引き受けたのは、ただ格好つけただけだ」
「だから、その辺はあんま触れないでくれ」
そのあまりにもルクシスらしい返答に、フェルギアは思わず苦笑する。
……もう、何も言えなかった。
◇◇◇
「じゃあ、お前はここで待機な」
ルクシスは集落の一角にある家の裏を指差した。
「……」
フェルギアは黙ったまま立ち尽くす。
「なんだよ」
ルクシスが口角を上げる。
「ビビってんのか?」
「……悪い」
「今さら謝られても、俺が困るっての」
呆れたように笑うルクシスに背を向け、フェルギアは家の裏へと身を潜めた。
壁にもたれながら、小さく息を吐く。
(……頼む。無事でいてくれ)
その願いだけを胸に抱きながら、静かに気配を殺した。
◇◇◇
「……始める前に聞いておく」
ルクシスの声音から軽さが消える。
まるで別人のように冷え切った声だった。
「手順を教えろ」
「ほ……炎を……青色に……したら……」
調査隊の女は震える唇を必死に動かす。
「全員……家に……戻るの……」
「……なんでだ」
「『あの人』を……見ちゃ、いけないって……言われてるから……」
ルクシスの眉がわずかに動く。
「……お前らは、なんで『あの人』と面識もないのに、黒い仮面を付けていることを知っている?」
女は苦しそうに首を横へ振った。
「それ……は……」
「私にも……よく、分からない……」
「……そうか」
ルクシスはそれ以上問い詰めることなく、小さく頷いた。
「ほ、本当に分からないの……!」
女は涙声で叫ぶ。
「だからっ……殺さないで!」
恐怖に歪んだ表情で懇願する。
そんな彼女を見て、ルクシスは肩を竦めた。
「嘘をつかねぇ奴殺すかよ」
あっさりと言い放つと、そのまま焚き火の前まで歩いていく。
そして、女の後ろ襟を掴んでいた手を離した。
「後は、お前がやれ」
「……わ、分かった」
女は何度も頷くと、小走りで近くの家へ駆け込む。
ほどなくして戻ってきたその手には、透明な液体が入った一本の瓶が握られていた。
ルクシスは無言のまま収納魔法を展開する。
淡い光とともに二本の剣が現れ、それぞれを慣れた手つきで腰へ差した。
鞘が鳴らす小さな金属音が、静まり返った集落に響く。
「ひっ……」
女は肩を震わせ、一歩後ずさる。
ルクシスは横目で一瞥した。
「お前を斬るためじゃない」
「さっさとやれ」
その一言で、女は観念したように息を呑む。
震える指先で瓶の蓋を開けると、円錐状に組まれた薪の隙間へ透明な液体を勢いよく振りかけた。
バシャッ。
液体が火へ吸い込まれた次の瞬間――
ボウッ!!
炎が一際大きく燃え上がる。
赤く揺れていた火は、まるで何かに侵食されるように色を失い、ゆっくりと、しかし確実に青へと染まっていく。
「これで……来るんだな?」
「えぇ……」
女は怯えたまま、小さく頷く。
「じゃあ、お前ももう用済みだな」
「……えっ?」
間の抜けた声を漏らした次の瞬間。
トン。
ルクシスの手刀が首の後ろへ軽く落ちる。
女は抵抗する間もなく力を失い、その場へ崩れ落ちた。
「……一応、家の中にいる必要があるんだっけな」
思い出したように呟くと、ルクシスは気絶した女の腕を掴み、そのままズルズルと引きずっていく。
「悪いな」
謝罪とは思えない軽い口調で言いながら、近くの家へ放り込んだ。
扉を閉めると、再び焚き火の前へ戻る。
◇◇◇
「……来ないな」
青く揺れる炎を眺めながら、ルクシスはぽつりと呟いた。
集落は静まり返っている。
虫の鳴き声すら聞こえず、風が薪を撫でる音だけが耳に届く。
炎を青く染めてから、すでに数分。
それでも黒い仮面の人物が現れる気配はなかった。
「しまったな……」
ルクシスは頭を掻く。
「どれくらい時間がかかるのか、聞き忘れた」
小さくため息を吐く。
その拍子に、ふっと瞼が重くなった。
「そういや……」
「フェルギアの家を探してばっかで、全然疲れが取れてねぇんだったな……」
思わず欠伸を噛み殺そうと口を開いた――その時だった。
ザシュッ。
鋭く、肉を裂く音が静寂を切り裂いた。
「ごふっ――!」
閉じかけていたルクシスの瞳が、限界まで見開かれる。
口から鮮血が噴き出し、赤い飛沫が青い炎を汚した。
「ぐっ……!」
反射的に視線を落とす。
腹部から一本の剣が突き出ていた。
熱い。
痛い。
だが、ルクシスは傷口を確認しただけで終わらせる。
すぐさま剣の柄を掴み、その勢いのまま背後へ薙ぎ払った。
鋭い斬撃が空気を裂く。
しかし――。
黒い影はそれを紙一重でかわし、大きく後方へ跳び退いた。
「くそっ……!」
腹を押さえることなく、ルクシスは血の滲む口元を拭いながら相手を睨みつける。
そこに立っていたのは、一人の人影。
黒い仮面。
黒いローブ。
光さえ吸い込んでしまいそうな、漆黒一色の装束。
その姿だけが、青い炎に照らされて不気味に浮かび上がっていた。
「俺が油断する瞬間を狙ってやがったな……!」
「ルクシス!!」
張り裂けるような叫びとともに、黒仮面の背後からフェルギアが飛び出す。
右手から放たれたオレンジ色の鎖が、蛇のように黒仮面へ襲い掛かった。
――その瞬間。
黒仮面の姿が、ふっと掻き消える。
「……っ!」
ルクシスの表情が一変した。
「だめだ!! 避けろ!!」
その怒声に、フェルギアは反射的に地面を蹴る。
身体が宙へ舞い上がった直後――
ついさっきまでフェルギアが立っていた地面を、一振りの剣が容赦なく貫いた。
そして数瞬遅れて、空間が揺らめく。
まるで景色に色が戻るように、そこへ黒仮面の姿が現れた。
「……透明化か」
ルクシスは腹から血を流しながらも、静かにそう呟いた。
黒仮面の口がゆっくりと開く。
何かを口にしようとした、その瞬間だった。
ガァンッ!!
落下していたフェルギアが鎖を地面へ叩きつける。
轟音とともに石畳が砕け、その衝撃で黒仮面の動きがわずかに止まった。
フェルギアはそのまま地面へ身体を打ち付けるように着地する。
受け身を取る暇もなく肩を強く打ったが、痛みに顔をしかめることもなく立ち上がり、一直線にルクシスの元へ駆け寄った。
「ルクシス! 大丈夫か!?」
「……大丈夫なわけねぇだろ」
ルクシスは腹を押さえながら苦笑する。
「痛くてしょうがねぇよ」
「っ……悪い」
思わず漏れた謝罪。
だがルクシスは呆れたように鼻で笑った。
「だから謝んなって」
「俺ですら、刺されてからようやく反応できたんだぞ」
腹に刺さった傷口からは、今も血が静かに滴っている。
それでも彼は表情を崩さない。
「逆の立場でも、お前は同じ目に遭ってたさ」
「……そうか」
フェルギアは少しだけ表情を緩め、小さく頷いた。
「ありがとう」
「はいはい」
ルクシスは適当に手を振ると、すぐに黒仮面へ視線を戻す。
「それで……あいつの能力は何か分かったか?」
「今のところ言えるのは二つだ」
ルクシスは指を二本立てる。
「透明化と、洗脳」
「透明化……か」
フェルギアは警戒を強めるように鎖を握り直した。
「だが……」
ルクシスが眉をひそめる。
「なんだか変なんだよ」
「変?」
「ああ」
黒仮面を睨んだまま、低い声で続ける。
「転生者の能力は、発動する時に必ず魔力を消費する」
「だから透明化してる最中なら、多少なりとも魔力の流れを感じるはずなんだ」
「……なのに」
「俺は一切感じなかった」
その言葉に、フェルギアの表情からも笑みが消える。
「それは……つまり、どういうことなんだ?」
ルクシスは黒仮面から目を離さないまま、小さく息を吐いた。
「……奴の持つ透明化は、能力じゃないってことだ」
フェルギアが眉をひそめる。
「能力じゃないってことは……科学とか、そういう類か?」
「多分な」
ルクシスは短く答える。
「そうなると……あの黒いローブか?」
「そこは何とも言えねぇ。それより――」
ルクシスはゆっくりと剣を構え直す。
フェルギアも鎖を握り締め、黒仮面へ視線を向けた。
黒仮面は動かない。
ただ二人を見つめている。
沈黙が数秒続いた。
やがて、仮面の奥から低い声が漏れる。
「……貴様か」
「彼女の仮面を外したのは」
「は?」
ルクシスが眉をひそめる。
「……あんな逸材を」
黒仮面の肩が小刻みに震え始める。
「貴様は……ゴミにした」
「んだよ、ゴミって」
ルクシスは鼻で笑う。
「別に死んだわけじゃねぇだろ」
「いいや」
黒仮面は首を横に振る。
「ゴミだ」
「もうゴミになった」
「貴様のせいだ」
その声は徐々に大きくなっていく。
「彼女は――」
「もう二度と目を覚まさない」
空気が凍った。
「……は?」
フェルギアの口から漏れた声は、先ほどまでとは比べものにならないほど低かった。
「お前……」
鎖を握る手に力が入る。
ギリ、と金属が軋んだ。
「今、なんて言った?」
「聞こえなかったのか?」
「起きないんだよ」
「彼女は」
「もう」
「貴様のせいでなぁ!!」
「全く……!」
黒仮面は肩を震わせ、怒気を孕んだ声を響かせる。
「貴様のせいで、吾輩の苛立ちが止まらん!」
「それは――」
フェルギアの白い瞳に怒りが宿る。
「こっちの台詞だぁぁぁッ!!」
地面を蹴り砕く勢いで飛び出した。
鎖が大きく唸りを上げ、一直線に黒仮面へ襲い掛かる。
「駄目だ!! よせ!!」
ルクシスの制止が飛ぶ。
だが、その声はフェルギアには届かなかった。
「お前が……!」
鎖を握る手に力がこもる。
「お前がアステラを語るなぁぁぁぁッ!!」
オレンジ色の鎖が大きく薙ぎ払われる。
轟音とともに地面が抉れ、土煙が爆発するように舞い上がった。
近くの家々が揺れ、瓦礫が音を立てて崩れ落ちる。
その瞬間だった。
「……感情を表に出したな?」
背後から、低い声。
「っ――!」
フェルギアの全身が凍りつく。
あの日と同じだ。
背後。
視界の外。
そして、この距離。
(刺される――!!)
そう確信した瞬間。
「――ガストセカーレ!!」
ルクシスの叫びが夜空に響く。
直後、猛烈な突風が巻き起こった。
風に押し出されるようにルクシスの身体が一直線に吹き飛び、そのままフェルギアの背中へ激突する。
「ぐっ!」
「うおっ!?」
二人の身体がもつれるように宙を舞い、地面を何度も転がった。
その一拍遅れで。
ザンッ!!
黒仮面の剣が、さっきまでフェルギアが立っていた地面を深々と貫く。
「チッ……」
黒仮面の舌打ちだけが、土煙の向こうから聞こえた。
姿は見えない。
舞い上がった砂埃が、視界を完全に遮っていた。
「フェ……ルギア」
ルクシスは痛みに顔をしかめながらも身体を起こす。
「大丈夫か?」
「……あぁ」
フェルギアも服についた土を払いながら立ち上がる。
息は乱れていた。
だが、さっきまで頭を支配していた怒りは、少しだけ冷めていた。
ルクシスは真っ直ぐフェルギアを見る。
「好きな人を半分殺されたようなもんだってことは、俺にも分かる」
「その辛さもな」
一度言葉を切り、静かに続けた。
「でも、お前が感情任せになったら――」
「俺は、お前を助けられない」
フェルギアは唇を噛み締め、小さく目を伏せる。
「……そうだな」
短く息を吐き、顔を上げた。
「悪い」
ルクシスはニヤリと笑う。
「謝罪の意は、態度で示せ!」
その言葉に、フェルギアも小さく笑みを浮かべると、鎖を握り直し、黒仮面へと視線を向けた。




