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神殺しの英雄  作者: トネヌ
第四章 『孤独の英雄』
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第五十四話 「処刑人と救世主」

「……」

 彼女は答えなかった。

 青い瞳だけが、小さく揺れている。

 その視線はゆっくりとフェルギアから外れ、足元へ落ちていく。

「……アステラ?」

 フェルギアは戸惑いながら名を呼ぶ。

 アステラの唇が、かすかに動いた。

 何かを言おうとしている。

 その言葉を聞こうと、フェルギアは息を止めた。

 その瞬間だった。

 ザシュッ。

 何かが肉を貫く、生々しい音。

「……え」

 一瞬。

 何が起きたのか理解できなかった。

 痛みもない。

 衝撃もない。

 ただ身体が、不自然に熱い。

「……あ」

 ゆっくりと視線を落とす。

 腹部から、一本の剣身が突き出ていた。

 刃先から赤い血が、ぽたり、ぽたりと滴り落ちる。

「ぁ……」

 全身から一気に力が抜けていく。

 視界の端から黒く染まり始め、世界がゆっくりと遠ざかっていく。

「……フェルギア!!」

 遠くでアテネの叫び声が聞こえた。

 振り向こうとしても、身体は動かない。

 膝から崩れ落ちる。

(なんで……)

 意識が薄れていく。

 聞きたかった。

 アステラの返事を。

 ただ、それだけだった。

 そして。

 闇へ沈む、その直前。

「――彼女に、触るな」

 低く押し殺した声。

 そこには、今まで聞いたどんな声よりも濃い悪意があった。

 殺意。

 憎悪。

 そして――異常なまでの執着。

 その声だけが、最後にはっきりと耳へ残る。

 フェルギアの意識は、そのまま静かに闇へと落ちていった。


 ◇◇◇


 やらかした。

 完全に、やらかした。

 彼を助けに来たというのに。

 恩を返すと、大口を叩いたというのに。

 その彼は――今、目の前で刺されている。

「ぐっ……!」

 アテネは歯を食いしばる。

 考えるより先に身体が動いた。

 腰を落とし、一気に地面を蹴る。

 視線の先には、フェルギアを刺した男。

 黒いローブを深くまとい、その表情は見えない。

(あんな男……先ほどまでいなかった)

 調査隊は青髪の女を除けば、全員が同じ制服だった。

 だが、あの男だけは違う。

 黒いローブ。

 正体どころか、調査隊と関係があるのかさえ分からない。

「どけぇぇぇぇぇぇ!!」

 怒号とともに長刀を振り抜く。

 一切の加減はない。

 当たれば、そのまま両断する一撃。

 だが――。

 刃がローブへ届く寸前。

 男の姿が、ふっと掻き消えた。

「……!」

 ブォンッ!!

 長刀は虚空だけを斬り裂き、鋭い風圧が森を駆け抜ける。

「なにっ……!」

 目を見開く。

 見えなかった。

 消えたのか。

 移動したのか。

 それとも別の能力なのか。

 この私でさえ、何一つ捉えられなかった。

(いや……)

 違う。

 今は、あいつを追っている場合じゃない。

 アテネは即座に踵を返す。

「フェルギア!」

 地面へ膝をつく。

 フェルギアは力なく横たわり、目を閉じていた。

 腹を貫いていた剣は、いつの間にか跡形もなく消えている。

 それでも。

 傷口だけは残り、

 どくっ……どくっ……。

 脈打つたびに、大量の血が溢れ出していた。

「……っ」

 アテネの表情が強張る。

 傷口を押さえても、指の隙間から温かい血が止めどなく流れていく。

 助かる。

 そんな楽観的な傷ではない。

 その現実だけが、嫌というほど理解できてしまった。

 アテネは、基本的に一人で行動する人間だった。

 魔物との戦いでも。

 逃げ遅れた者がいれば、自分が魔物を倒して守ればいい。

 ただ、それだけで十分だった。

 その生き方を、ずっと貫いてきた。

 だからこそ――。

(どうする……。)

 人を治療する術など、一つも持っていなかった。

(リベリオンへ戻るか……?)

 アテネは転送装置のある方角へ視線を向ける。

 だが、すぐに首を振った。

(いや……。)

 フェルギアの腹からは、今も大量の血が流れ続けている。

 この出血量では、転送装置へ辿り着く前に命が尽きる。

「くっ……!」

 呼吸が乱れる。

 どうする。

 どうすれば助かる。

 目の前で命が消えようとしているというのに、自分は何一つ判断できない。

(まずい……まずい、まずい……!)

 普段のアテネからは想像もできないほど、焦りが胸を支配していた。

 周囲を見渡す。

 自分が気絶させた調査隊。

 フェルギアが倒した青髪の女。

 そして。

 血だまりの中で動かないフェルギア。

 何もできない、自分。

 それ以外には――誰もいない。

 そう思った、その時だった。

「……違う」

 すぐ横から、少女の声が聞こえた。

「なっ……!」

 アテネは反射的にフェルギアの後ろ襟を掴み、一気に後方へ飛び退く。

 いつ現れた。

 気配など、一切感じなかった。

 視線の先。

 そこに立っていたのは、一人の少女。

 艶のある紫色の髪。

 サイドの右側で束ねられた三つ編みの結び目には、小さな三日月型の髪飾りが揺れている。

 年齢は十代前半ほどだろうか。

 だが、その瞳だけは年齢を感じさせないほど静かだった。

 少女はアテネを見ることもなく、小さく首を横へ振る。

「あなたじゃない」

 ぽつり、と呟く。

 そのまま迷いなくフェルギアへ歩き出した。

「……君は誰だ」

 アテネが低く問いかける。

 刀はいつでも抜けるよう構えたまま。

 しかし。

 少女はその問いに、一切答えなかった。

 まるで最初から、アテネの声など聞こえていないかのように。

「でも……来ちゃったので」

 少女は小さく微笑む。

「助けてあげます」

 そう言うと、何の迷いもなくフェルギアの腹へ手を添えた。

 アテネは動けない。

 信じていいのか。

 本当に、この少女を。

(助けてあげる……だと?)

 その言葉はあまりにも自然だった。

 まるで、傷を癒やすことなど当たり前であるかのように。

(本当に……助けられるのか?)

 だが。

 今の自分には、フェルギアを救う方法が一つもない。

 ならば。

 信じるしかなかった。

 アテネは小さく唾を飲み込み、少女の手元を見つめる。

 少女の手が、淡く光を帯びる。

 月明かりにも似た、柔らかな光。

 その光がフェルギアの身体を包み込んだ。

 腹を貫いていた傷口が、ゆっくりと塞がっていく。

 裂けた肉が繋がり、

 流れ続けていた血も止まり始める。

 少女の白く小さな手は、フェルギアの血で真っ赤に染まっていた。

 それでも彼女は表情一つ変えない。

 まるで、その程度は何でもないと言わんばかりに。

 やがて。

 傷口が完全に塞がると、少女は静かに立ち上がった。

 フェルギアを見下ろし、安心したように微笑む。

「これで……日神に怒られずに済みます」

 ぽつり、と小さく呟く。

 その言葉を最後に。

 少女の姿は、音もなく掻き消えた。

 まるで最初から、この場に存在していなかったかのように。

 風が、街を静かに吹き抜ける。

 気付けば、空はすっかり闇に包まれていた。

「……なんだったんだ……」

 アテネは呆然と立ち尽くす。

 刀を握る手にも、力が入らない。

 目の前で起きた出来事を理解できず、ただ静まり返った夜を見つめることしかできなかった。


 ◇◇◇


 ゆっくりと、瞼が持ち上がる。

 ぼやけていた視界が少しずつ光を取り戻し、白い天井が映り込んだ。

「あれ……」

 思わず声が漏れる。

 刺されたはずだった。

 目覚めて最初に考えることではないのかもしれない。

 それでも、その疑問だけが真っ先に頭へ浮かんだ。

「ん……」

 小さな寝息。

 フェルギアはゆっくりと顔を横へ向ける。

 そこには、アステラがいた。

 規則正しい寝息を立て、静かに眠っている。

 その穏やかな寝顔を見て、張り詰めていた胸が少しだけ軽くなった。

 さらに周囲へ視線を巡らせる。

 見覚えのある壁。

 見覚えのある家具。

「……休養所」

 最近訪れたばかりの部屋だった。

 どうやら自分たちはソファーへ寝かされていたらしい。

「……狭」

 今さら気付く。

 一人用に近いソファーへ二人並んで寝かされていたため、肩が触れ合うほど距離が近かった。

 それでもアステラは起きる気配がない。

「そういえば……」

 ふと、自分の腹へ視線を落とす。

 痛みがないせいで、確認することすら忘れていた。

 フェルギアは血で赤黒く染まったパーカーをゆっくりとめくる。

 腹部を見つめる。

「……」

 傷が、ない。

 皮膚には切り傷一つ残っていなかった。

 残っているのは、乾いて変色した血だけ。

「ふぅ……」

 安堵の息が自然と漏れる。

 生きている。

 それも、信じられないほど綺麗な身体で。

 フェルギアはもう一度、隣を見る。

 アステラは静かな寝息を立てたまま眠っていた。

 顔色も悪くない。

「……大丈夫そうだな」

 小さく呟く。

 彼女を起こさないよう細心の注意を払いながら、フェルギアは身体を起こした。

 ソファーが軋まないよう慎重に体重を移し、アステラの体勢を崩さないようゆっくりと立ち上がる。

 床へ降り立つと、改めて自分が助かったという現実を噛み締めるのだった。


 ◇◇◇


 リベリオンへ戻ると、待合室のソファーに腰掛け、顎へ手を添えたアテネの姿があった。

 何かを考え込んでいるのか、その視線は床へ落ちている。

「……アテネさん」

 フェルギアが声を掛ける。

 アテネはゆっくり顔を上げ、フェルギアを見る。

 その瞬間、口元がわずかに緩みかけた。

 だが、その笑みはすぐに消える。

「……すまなかったな」

「え?」

 予想もしなかった謝罪に、フェルギアは目を丸くした。

「私の不注意だった」

「いやいや、別にアテネさんの責任じゃないですよ」

 フェルギアは苦笑しながら首を横に振る。

「……そうは言っても」

 アテネは視線を逸らさずに続けた。

「君は、私の目の前で刺された」

「えぇ……それは、まぁ……」

 返す言葉に詰まる。

 どうにか慰めようと考えるが、それより先に一つの疑問が頭へ浮かんだ。

「……そういえば」

 フェルギアは自分の腹へ軽く手を当てる。

「腹の傷、綺麗に治ってましたけど……アテネさんが治療してくれたんです?」

 リベリオンの試験でも見た治療薬。

 だが、あれほど深い傷を跡形もなく治せるとは思えない。

 だからこそ聞いてみたかった。

「いや」

 アテネは静かに首を振る。

「私じゃない」

「えっと……」

 フェルギアは首を傾げる。

「じゃあ、誰が治療してくれたんです?」

 その問いに、アテネはすぐには答えなかった。

 数秒だけ黙り込み、あの日の光景を思い返すように目を細める。

「……分からない」

 アテネは短くそう答えた。

「……?」

 フェルギアは眉をひそめる。

「どういうことです?」

「君を刺した男と同じだ」

 アテネは静かに視線を落とした。

「突然現れ、突然姿を消した。」

 その時の光景を思い返すように、小さく息を吐く。

「現れたのは、一人の少女だった」

「少女……?」

「あぁ。彼女は私が何度声を掛けても、一切反応しなかった」

「まるで私など最初から見えていないようにな」

 フェルギアは黙って続きを待つ。

「その少女は真っ直ぐ君のところへ歩いて行き、傷へ手をかざした」

「すると、腹を貫かれていたはずの傷が、跡形もなく消えた」

「……」

「治療が終わると、そのまま姿を消した」

 フェルギアは思わず腕を組む。

「その子は……つまり、味方ってことですか?」

「どうだろうな。」

 アテネは首を横に振る。

「最初に口にした言葉は、『あなたじゃない』だった」

「あなたじゃない……?」

「あぁ」

 少し間を置いてから、アテネは続ける。

「その後、『来たから助ける』とだけ言って、君を治療した」

「それだけだ」

「……なんだか怪しい話ですね」

「私もそう思っている」

 アテネは腕を組み、フェルギアを真っ直ぐ見つめた。

「念のため聞いておく」

「その少女は紫色の髪で、年齢は十代前半ほどに見えた」

「……見覚えはあるか?」

 フェルギアは少し考え込む。

 だが、記憶をどれだけ探っても、そんな少女の姿は浮かばなかった。

「……ないですね」

 その答えを聞いたアテネは、小さく目を閉じる。

「……そうか」

 それ以上、この件について話すことはなかった。

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