第五十二話 「そんな世界」
「……で、どうしたんだ?」
静かな問い。
フェルギアは俯いたまま、小さく肩を震わせた。
「……言わなきゃ……だめですか……?」
「だめだ」
即答だった。
逃げ道を与えない。
それでいて、責めるような声音ではない。
「……友達が……行方不明になりました……」
その言葉を聞いて、アテネは一度だけ目を閉じる。
「……傷心している人間に言うことではないかもしれないが」
少し間を置き、静かに続ける。
「この仕事では、よくあることだ。慣れないと、この先もっと辛いぞ」
「……唯一……俺に……手を貸してくれそうな……やつで……」
震える声。
アテネは小さく息を吐いた。
「唯一、か……」
その一言だけで、フェルギアの喪失感は十分伝わった。
「それは……災難だったな」
そっと手を伸ばし、フェルギアの頭へ優しく乗せる。
乱れた白髪を撫でることもなく、ただそこに置くだけ。
「……もう……無理なんじゃないのか……って……」
「何がだ?」
「……言いたく……ありません」
「なら」
アテネはゆっくりと頷く。
「言うまで待とう」
そう言って手を離し、そのままフェルギアの隣へ腰を下ろした。
◇◇◇
沈黙だけが流れる。
アテネは何も言わない。
ただ隣に座り、ときおり腰に差した長刀へ視線を落としては、小さくため息をついていた。
「……なんで、ずっといるんですか」
耐えきれず、フェルギアが口を開く。
アテネは前を向いたまま、短く答えた。
「それは、さっき言ったぞ」
アテネは過去に言った。
自分はリベリオンの最高戦力なのだと。
その言葉だけではない。
試験の時、フェルギアは彼女の圧倒的な実力をこの目で見ている。
頼りになるかと聞かれれば、答えは間違いなく「はい」だ。
それでも。
フェルギアは知っている。
彼女の胸に今も残り続けている、癒えない傷を。
だからこそ、頼るという選択肢は――最初から頭になかった。
「……さっきは、すまなかったな」
「……は……?」
突然の謝罪に、フェルギアは顔を上げる。
アテネは前を向いたまま、小さく息を吐いた。
「君は……傷つくことに慣れていないんだろう?」
「…………」
図星だった。
元々は、どこにでもいるただの社会人。
そんな人間が突然異世界へ飛ばされ、
足を斬られ。
壁へ叩きつけられ。
友人を失い。
好きだった人には忘れられる。
そんな出来事を、たった数日で立て続けに経験している。
壊れないほうがおかしい。
「……そう、ですよ……」
震える声で、ようやくそれだけを返した。
「だろうな」
アテネは静かに頷く。
「私は……君がそういう人間だと、どこかで分かっていた」
一度言葉を切る。
「その上で、さっきは無理に君のことを知ろうとしてしまった」
その声には、珍しく後悔が滲んでいた。
「……アテネさんは……相変わらずですね……」
フェルギアが苦笑すると、アテネも肩をすくめる。
「そうだな」
ふっと小さく笑い、
「相変わらず、疲れてるよ」
どこか自嘲するように呟いた。
「でもな」
アテネは静かに息を吐き、少しだけ空を見上げた。
「軽くはなったんだ」
「……軽く、ね……」
「そうだ」
迷いなく頷く。
「それは間違いなく、君のお陰だ」
「俺……の、お陰……」
「……まだ、言えてなかったな」
そう言うと、アテネは照れ隠しをするように頬を掻いた。
「ありがとな。その……」
「ふっ……」
思わず、フェルギアの口から笑みが漏れる。
「フェルギア・バーンライトですよ」
ゆっくりと顔を上げ、優しい笑みを浮かべながら言った。
アテネは一瞬きょとんとした後、小さく笑う。
「そうか」
そして今度は、しっかりと名前を呼んだ。
「じゃあ、フェルギア」
真っ直ぐ彼を見つめる。
「ありがとう」
その笑顔は、とても綺麗だった。
初めて会った時のように、どこか疲れを抱えた雰囲気はまだ残っている。
それでも、その笑みだけは偽りではない。
心の底から浮かべた、本物の笑顔だった。
「……あなたも、そんな笑顔ができたんですね」
フェルギアが少し驚いたように呟くと、アテネは肩をすくめる。
「それは君もだろう?」
「……ですね」
二人は顔を見合わせる。
そして――
「「ふふっ」」
待合室に、小さな笑い声が重なった。
「……アテネさん」
「なんだ?」
フェルギアは一度俯き、ぎゅっと拳を握る。
「頼って……いいですか」
その言葉に、アテネは少しだけ目を丸くした。
だが次の瞬間には、いつもの落ち着いた表情へ戻る。
「……後輩の頼みぐらいは、聞いてやらんとな」
その一言だけで十分だった。
フェルギアは小さく息を吐く。
「じゃあ、一つだけ……」
呼吸を整える。
震えないように。
「前に……言いましたよね。好きな人がいたって」
「あぁ、そうだな」
「……見つかったんです」
一拍置き、静かに続ける。
「生きてることも、分かりました」
「……」
アテネは何も言わない。
その沈黙だけで、フェルギアは理解した。
――祝福する話ではない。
そう察してくれたのだと。
「でも……俺のこと……忘れちゃってて」
アテネは少しだけ考え込み、静かに問いかける。
「……なぜ、君はその人が彼女だと分かった?」
「姿が、一緒だったからですよ」
迷いなく答える。
「死ぬ前と同じ……綺麗な姿でした」
「……そうか」
短く頷く。
そして、数秒だけ沈黙が流れた。
「姿が同じ……ということは」
アテネは視線を落としながら言葉を繋ぐ。
「彼女も転生者になった、と解釈していいんだな?」
「えぇ」
フェルギアは頷く。
「状況も、俺と似てたんで」
「……記憶喪失、か」
その一言に、フェルギアも苦笑するしかなかった。
「……理由も、なにも分からなくて」
「その上、頼る人間がもういないって思った時……すごい、悲しくなりましてね」
絞り出すような声。
アテネは否定も慰めもしない。
ただ静かに頷いた。
「……だろうな」
「……あ」
フェルギアが何かを思い出したように顔を上げる。
「でも、そう言えば仮面をつけていました」
「仮面?」
「えぇ。目元と額だけを隠すタイプの白い仮面で……彼女と一緒に行動していた人たちも、全員同じものをつけていました」
「……」
アテネは腕を組み、静かに目を閉じる。
「……仮面と記憶喪失以外に、彼女に変わったところはなかったか?」
「強いて言えば……性格ですかね」
フェルギアは苦笑する。
「最初に再会した時、『刺し殺されたいのか』って言われました」
「……そうか」
アテネは顎へ手を当て、少しだけ猫背になる。
頭の中で情報を整理しているのだろう。
「そうなると……洗脳の類だな」
「洗脳……なんて、できるんですか?」
「転生者に与えられる能力は、わりと何でもありだからな」
アテネは迷いなく答えた。
「精神に干渉する能力を持つ転生者がいても、不思議ではない」
「つまり……」
フェルギアは少しだけ表情を曇らせる。
「その能力者を倒さないと、どうにもならない系……だったりします?」
「そこまでは断言できん」
アテネは首を横に振る。
「能力には必ず条件や制約があるものだ。解除方法がある可能性も十分ある」
一度言葉を切り、真っ直ぐフェルギアを見る。
「今は情報が少なすぎる。調べてみないことには、何も分からん」
「……じゃあ、アテネさん」
「……」
アテネは黙ってフェルギアの続きを待つ。
「さっきの……頼りたいの続きです」
フェルギアは一度息を吸い、まっすぐアテネを見た。
「俺は……俺の好きな人を助けたいです」
その瞳には、もう迷いはなかった。
「だから――力を貸してください」
数秒の沈黙。
アテネは小さく息を吐くと、
「……言うのが遅いぞ」
そう言って、軽くフェルギアの頭へチョップを落とした。
「いてっ」
痛みはほとんどない。
照れ隠しなのだと、すぐに分かった。
フェルギアは苦笑しながら頭の上の手をそっとどかす。
「そうですね。すみません」
◇◇◇
「……ここで合っているのか?」
「えぇ」
短く答え、フェルギアは辺りを見渡した。
数日前、自分が訪れたばかりの小さな集落。
焚き火は消え、人の気配もない。
静寂だけが辺りを支配していた。
「俺は勘が鈍いんでね」
フェルギアは苦笑しながら肩をすくめる。
「いざとなった時は、守ってください」
「当然そのつもりだが……」
アテネは呆れたようにフェルギアを見る。
「君は、よくそんなことを女性に言えるな」
「今は男と女っていうより、弱い者と強い者って感じですからね」
二人は小さく笑い合う。
そして並んで、集落の中央にある大きな焚き火へと歩き始めた。
───焚き火の跡の前で、二人は並んで立っていた。
火は既に消え、灰だけが風にさらわれている。
フェルギアもアテネも、時折視線を交わしながら周囲へ目を配っていた。
「……本当に来るのか? その調査隊は」
「ここを住処にしている以上、帰ってこないなんてことはないと思うんですが……」
「遠征中の可能性もある。今日中に戻るとは限らんぞ」
フェルギアはここへ来るまでの道中で、自分の知る情報をすべてアテネへ伝えていた。
リベリオンで話した内容に加え、
調査隊という集団が存在すること。
彼らは入隊と同時に白い仮面を着け、死ぬまで外さないこと。
そして、この集落にはラートという男がいたこと。
分かっている情報は、それくらいだった。
ふと空を見上げる。
西の空は茜色へと染まり始め、太陽もゆっくり地平線へ沈もうとしていた。
「あの……頼っておいて難ですけど」
フェルギアは申し訳なさそうに頬を掻く。
「こんなことしてて、本当に大丈夫なんですか?」
「問題ない」
アテネは即答した。
「任務を受けるかどうかは個人の裁量だ。最低限のノルマさえ果たしていれば、数日動かない者もいる」
軽く肩をすくめる。
「今日一日を君に使ったところで、誰も文句は言わん」
「そうですか、良かったです」
フェルギアが小さく返事を返した、その時だった。
「……構えろ」
先ほどまでの穏やかな口調とは違う。
低く、威厳に満ちた声。
その一言だけで空気が張り詰める。
フェルギアは何も聞き返さず、すぐに鎖を構えた。
「……どこからですか?」
「九時方向だ」
(東西南北で言ってほしかったんだけどな……)
時計の方角では咄嗟に分からない。
フェルギアは小さくため息をつき、アテネの向いている方向へ視線を合わせる。
その直後だった。
ザッ……ザッ……。
複数人の足音。
静かな森の中に、一定のリズムで響いてくる。
音は徐々に近づき、やがて木々の隙間から人影が姿を現した。
「…………」
互いの姿を認識した瞬間、空気が凍りつく。
誰も口を開かない。
ただ張り詰めた沈黙だけが流れる。
その静寂を破ったのは、先頭に立つ青髪の女性――アステラだった。
「……誰だ、その女は」
低い声。
そこには明らかな苛立ちが滲んでいた。
(怒ってる……)
だが以前感じた怒りとは違う。
敵意とも警戒とも違う、もっと別の感情が混ざっているような気がした。
理由までは分からない。
アテネは表情一つ変えず答える。
「アテネ・フォーツライン」
「名を名乗れと言ったわけではない」
「礼儀だから名乗っただけだ」
淡々としたやり取り。
どちらも一歩も譲らない。
アステラは鋭い視線を向けたまま問い掛ける。
「……お前は何をしに来た」
「後輩からの頼み事をしに来ただけだ。」
言い終えると同時に、アテネは腰に差した長刀へ静かに手を添えた。
その動きを見逃さず、アステラも剣の柄へ手を掛ける。
空気が一気に張り詰める。
「えっ?」
フェルギアは思わずアテネの横顔を見る。
冗談ではない。
その目は、本気だった。
「いや、あの……いきなり戦闘ですか?」
戸惑いを隠せないフェルギアに、アテネは視線を前へ向けたまま静かに答える。
「私たちの仕事は、元々こういうものだ」
「まぁ……そう……ですか?」
納得はできない。
だが、理解だけはした。
この場では、言葉より先に刃が交わる。
そんな世界なのだと。




