第五話 「リスタート」
――何も感じない。
何も見えない。
何も聞こえない。
ただ、無だけが広がっていた。
上も下もない。
時間の感覚すら曖昧で、自分がどこにいるのかも分からない。
それでも、意識だけは残っていた。
(……死んだってことだよなぁ……)
フェルギアはぼんやりと思う。
(もしかして死んだ人って……ずっとこのまま……?)
永遠に。
孤独に。
何もない場所で漂い続けるのか。
そんなことを考えていた、その時だった。
『……やはり、我の見立て通りじゃったな』
声が響く。
聞き覚えがあった。
威圧感のある女性の声。
『最初の結果など誰でも予想できる。貴殿がそのセリフを吐くには早計かな』
もう一つ。
柔らかく、静かな女性の声。
(この声は……)
フェルギアの意識が揺れる。
(あの時にも……)
『相変わらず喧嘩腰じゃのう。少しは水神としてのゆとりを持つべきじゃろうて』
『戦神にその言葉は似合わぬ』
二人は、まるでフェルギアなど存在しないかのように会話を続ける。
だが。
次の言葉で、フェルギアの意識が僅かに鋭くなった。
『それと……彼には資格を与えるべきかな』
『……流石に自分勝手がすぎる。ふざけておるのか?』
『これは我一人の決断ではなき。故に貴殿の口出しは意味を持たん』
『……もう好きにしろ。我はやつの観察がまだ済んでおらんのでな』
(何の話だ……これ)
理解できない。
神。
資格。
観察。
話の規模が現実離れしすぎていた。
すると。
直後。
視界が、一瞬だけ真っ白になる。
「っ――!?」
そして次の瞬間、今度は真っ黒になった。
急激な感覚の変化に、フェルギアの意識が揺れる。
だが。
(……あれ……?)
温かい。
体温を感じる。
空気の感触がある。
風が肌を撫でている。
(もしかして……)
フェルギアはゆっくりと瞼を開いた。
すると。
そこには、どこまでも澄み渡る青空が広がっていた。
フェルギアはゆっくりと上半身を起こした。
身体が重い。
だが、痛みはない。
「……?」
違和感を覚え、自分の身体を見下ろす。
そこにあったのは、見慣れたスーツではなかった。
白いパーカー。
少し大きめのサイズで、裾が風に揺れている。
胸元には黄緑色のチャックが縦に走っていた。
先端まで閉められていないおかげで、首元に窮屈さはない。
フェルギアは眉をひそめた。
「……俺のスーツ……どこだよ……」
寝起きみたいな掠れ声。
そして。
何気なく、自分の腕へ視線を向ける。
「…………は?」
そこには。
魔物に引き千切られたはずの腕が、何事もなかったかのようについていた。
指も動く。
感覚もある。
傷跡すらない。
フェルギアは何度か手を握ったり開いたりする。
「はぁ……?」
理解が追いつかない。
「どういうことなんだよ……」
頭を掻きながら、ゆっくり立ち上がる。
今度は脚もちゃんと二本ある。
鎖の義足じゃない。
元通りの肉体。
フェルギアは困惑したまま歩き出した。
そして数歩進んだところで、ようやく自分が“崖の上”にいることへ気づく。
「……っ」
崖の端まで近づく。
その先に広がっていたのは――。
どこまでも続く巨大な平原だった。
風が草を揺らしている。
空は青く、雲はゆっくり流れていた。
だが。
その景色の中には、不自然なものが大量に存在していた。
地面へ突き刺さっている、石でできた巨大な“何か”。
柱のようにも見える。
機械のパーツにも見える。
形状はバラバラで、まるで文明の残骸みたいだった。
「なんだ……これ……」
フェルギアは呆然と呟く。
さらに視線を奥へ向ける。
すると。
遥か彼方に、“街”が見えた。
巨大都市。
高層建築がいくつも並んでいる。
そして、その中央には――。
どの建物よりも遥かに高い、一本の超巨大ビルが空へ突き刺さるようにそびえ立っていた。
まるで塔だった。
世界の中心そのものみたいに。
フェルギアは、その異様な景色を見つめながら小さく呟く。
「どこだよ……ここ……」
フェルギアは崖の下を覗き込んだ。
「うわっ……」
思わず声が漏れる。
遥か下方。
地面なんてほとんど見えない。
風が下から吹き上がり、身体がふわりと浮きそうになる。
落ちればどうなるかなんて考えるまでもなかった。
即死だ。
「……結構怖いな……」
フェルギアは少しだけ後ずさる。
「俺、高所恐怖症だったっけ……」
自分でも分からないまま苦笑した。
そして一度、大きくため息を吐く。
状況整理。
――知らない世界。
――死んだはずの身体。
――意味不明な神の会話。
――戻った腕と脚。
考えれば考えるほど意味が分からない。
だから。
フェルギアは考えるのを少しだけやめた。
「まぁ……」
崖沿いを歩き始める。
「まずはあの街に行くべきだよなぁ」
遠くに見える巨大都市を眺めながら呟く。
「そして武器や防具を揃えて、ゆくゆくは魔王討伐〜なんて道をいけたら、それはそれで面白いだろうが」
頭の後ろで両腕を組む。
軽口。
いつもの自分なら絶対言わないような冗談だった。
だが、そうでもしなければ怖かった。
ついさっき、自分は死んだ。
腕も脚も失った。
好きな人も失った。
その現実がまだ胸に残っている。
なのに今、自分は知らない場所で普通に歩いている。
意味が分からない。
怖くないわけがなかった。
だからフェルギアは、どうでもいいことを喋り続ける。
沈黙すると、余計なことばかり考えてしまいそうだったから。
「でも最初の街に、あんな明らかな重要建造物とかあったら、いつか戻ってこなきゃいけなくなりそうだ」
遠くの超巨大ビルを指差す。
「実に面倒くさい」
フェルギアは崖沿いをゆっくり歩き続ける。
風が白いパーカーを揺らし、草原がさわさわと鳴っていた。
その中で。
ぶつぶつと小さな独り言だけが途切れない。
声は小さい。
だが、草を踏み潰す音よりは少しだけ大きかった。
「まずは第1村人に、ここのディメンションの名前と……あとTierも必須だな……」
フェルギアは真剣な顔で考え込む。
「俺、ディメンションについてそんな詳しくないし……」
ディメンション。
それは現代において誰もが知る単語だった。
異世界。
別次元。
神秘領域。
呼び方は様々だが、人類未踏の土地がこの世界には確かに存在している。
そして今、自分がそこにいるのだとしたら――。
「……あぁ、それで言えばギルドみたいなところがあれば最高だな」
フェルギアは顎へ手を当てる。
「ゲームでしか見たことはないが……」
真面目な顔で呟く姿が逆に少し間抜けだった。
「このディメンション、見たところ近未来な感じはしないしな……あってもおかしくはない。うん、おかしくない」
一人で納得するように頷く。
冷静を装っている。
だが実際は、恐怖をごまかすため必死に喋っているだけだった。
何も喋らないと。
静かになった瞬間。
アステラの最後の笑顔が脳裏に浮かんでしまうから。
その時だった。
「……ん?」
フェルギアが足を止める。
崖の下へと続く坂道を見つけたのだ。
綺麗な直線。
人工的に整備されたような坂だった。
柵はない。
だが地面は均一で、明らかに人の手が入っている。
「坂の形、綺麗だな……」
フェルギアは少しだけ目を細める。
「道標としては上出来だ」
そう呟くと、ほんの僅かに口元が緩んだ。
そして。
フェルギアはその坂をゆっくりと下り始める。
遥か先に見える巨大都市へ向かって。
風が吹く。
その度に、草花が擦れ合う音が耳へ届いた。
木々の葉も揺れ、さらさらと優しい音を鳴らしている。
平和だった。
少なくとも、さっきまでいた地獄みたいな世界よりは遥かに。
「……野生の動物とかいないのか?」
フェルギアは辺りを見回す。
「いや、いたら困るんだけども……」
自分で言ってから苦笑した。
「まぁ、人の手が行き届いてるから……と考えるべきか……」
そう呟きながら、坂を下りきる。
そして。
ようやく、街へ辿り着いた。
「うおぉ……」
フェルギアの目が少し開く。
「でっけぇ……」
街並みは想像以上だった。
レンガ造りの家々。
石畳の道。
店先へ並ぶ果物や布。
荷車を押して歩く人々。
どこか中世風にも見えるが、中央にそびえる巨大なガラス張りの塔だけが異様な存在感を放っている。
まるでファンタジーと現代建築を無理やり混ぜたみたいな景色だった。
さらに驚いたのは、人の多さだ。
家から出ていく人。
店へ戻る人。
笑い声。
会話。
活気。
街全体が生きていた。
「ちゃんと人いたんだなぁ……」
フェルギアは少し感動したように呟く。
「ちょっと感動」
涙なんて出ていないのに、わざわざ目を閉じて人差し指で涙を拭うフリをする。
一人芝居。
だが、そのくらい浮かれていた。
人がいる。
会話がある。
それだけで、少し安心できた。
「よし、じゃあまず……は……」
そこで。
フェルギアの言葉が止まる。
「…………」
何をすればいい?
頭が真っ白になった。
(どうすればいいんだよ、ナビくらい用意しろよ)
心の中で悪態をつく。
(まずは寝床か?)
(いや、金もないのにどうやって寝床用意すんだよ)
(ってかそれより食料だろ)
(いやでも腹はそこまで減って――)
脳内会議が止まらない。
フェルギアは頭を抱えそうになりながら、なんとか思考をまとめた。
「……よし」
小さく呟く。
「寝床も食料も用意するには、やっぱり金だな……」
現実的な結論だった。
「と言っても、カツアゲは趣味じゃない」
当然のように犯罪を選択肢へ入れているあたりが若干終わっている。
「となれば……」
フェルギアは顔を少し上げる。
街の中央。
空へ突き刺さる巨大な塔。
全面ガラス張りの外壁が、太陽光を反射して眩しく輝いていた。
街の象徴。
どう考えても重要施設。
フェルギアはその塔を見つめながら、静かに呟く。
「職を探さねば」




