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神殺しの英雄  作者: トネヌ
第四章 『孤独の英雄』
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第四十九話 「不審者と穀潰し」

 ──十分ほど、朽ちた都市を歩き続けた先だった。

 周囲の建物より一回り大きな塔。その根元に、緑色の人影が蠢いている。

「……いた」

 目は四つ。虫のように左右へ散らばって付き、それぞれが不規則にギョロギョロと動いていた。

 裂けた口からは、鋭い上顎の歯がすべて外へ突き出している。

「……言うなれば、気持ち悪くなったゴブリンってところか」

 思わずそんな感想が漏れる。

 数は五体ほど。

 魔物たちの足元には、血の付着した剣や槍が無造作に転がっていた。

 誰かがここで戦い――そして、負けたのだろう。

 フェルギアは静かに息を吸う。

 右手を軽く握ると、オレンジ色の鎖が音もなく伸び、腕へと絡みついた。

「……いくか」

 重心を低く落とす。

 次の瞬間、地面を蹴った。

 風が頬を打つ。

 その瞬間、不意に一つの会話が脳裏によみがえった。

『ステー…タス強化? なんだそれ』

 リベリオンの階段を登っていた時。

 ルクシスは、本当に知らない言葉を聞いたような顔をしていた。

『いや……ほら、なんというか……体を強くする的な?』

『体を強くする……』

 顎へ手を当てて数秒考え込むと、ルクシスは「あぁ」と小さく呟き、指を鳴らした。

『魔力補助のことか?』

『魔力……補助?』

『というかお前……魔力補助も知らねぇで魔物と戦ってたのかよ』

 呆れ半分、驚き半分といった声。

『いや……だって……教えてくれる人がいなかったから……』

『戦闘の知識もないのに戦闘部に所属するとか……とんだ命知らずだな』

 呆れたようにルクシスが肩をすくめる。

『ま、まぁ……成り行きだったからな』

『……?』

 怪訝そうに首を傾げるルクシス。

『ま、まぁまぁ! そんなことより、魔力補助について教えてくれよ』

 話を強引に逸らすフェルギアに、ルクシスは「しょうがねぇな」とでも言いたげにため息をついた。

『あー……魔力補助ってのは、簡単に言えば魔力で身体能力を底上げする技術だ』

 人差し指を立てながら続ける。

『と言っても、魔力を持ってるやつなら無意識に発動してることもある』

『そうなのか?』

『お前も一度くらいなかったか? 人間離れした動きができた時とか』

『そんな……の……』

 フェルギアは少し考え込み、やがて「あっ」と小さく声を漏らす。

『……あったな。そういえば』

『だろ? それが魔力補助だ』

 ルクシスは満足そうに頷いた。

『結局は感覚なんだよ。その時の感覚を思い出せりゃ、誰でも使える』

『ほうほう、なるほど』

 興味津々に何度も頷くフェルギア。

 そんな様子に苦笑しながら、ルクシスは最後に付け加えた。

『まぁ、一つだけコツを教えるなら──』

 少しだけ真面目な表情になる。

『強くしたい部分に魔力を込めろ』

『……』

『魔力は目に見えねぇ。だからこそ、どれだけ鮮明にイメージできるか。それが、俺たちの強さを決めるんだ』

 脚へ魔力を集中させた。

 イメージはまだ曖昧だ。荒削りで、これが正解なのかも分からない。

 それでも――確かな変化があった。

「っ……!」

 地面を蹴った瞬間、景色が一気に流れる。

 速い。

 あまりにも速すぎた。

 五十メートルどころか、一秒とかからず駆け抜けられるほどの速度。

 ――いや。

「……あっ」

 出しすぎた。

 勢いに体が追いつかない。

 脚だけが前へ飛び出し、頭と脚の高さが入れ替わる。

 次の瞬間。

「ぶべっ!」

 ゴンッ!!

 盛大に頭から地面へ突っ込み、そのまま腹這いのままズザァァァッと滑走する。

 土煙を巻き上げながら、そのままゴブリンモドキたちの目の前まで一直線。

「ガ……ゴガ……?」

 四つ目の魔物たちは困惑したように首を傾げた。

 だが、予想外すぎる体当たりに恐怖したのか、一斉に後ずさる。

「く、そ……むずいな……」

 言い訳はしない。

 泥だらけになった服をぱっぱっと払い、フェルギアは鎖を握り直す。

「今度は……腕に、魔力……!」

 深く息を吸う。

 片足を大きく上げ――

 ドンッ!!

 地面を力強く踏み込み、魔力を込めた腕を勢いよく振り抜いた。

 オレンジ色の鎖が唸りを上げ、空気を裂く。

「お、らああああああああッ!!」

 鎖は唸りを上げながら弧を描き、ゴブリンモドキたちの腹部へと叩きつけられた。

「グギャッ!」

 鈍い衝撃音とともに五体の体が宙を舞い、そのまま背後の塔へ激突する。

 石壁が揺れ、亀裂が走る。

 やがて五体は力なく地面へとずるりと崩れ落ちた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 荒い呼吸を繰り返しながら、フェルギアはゆっくりと近づく。

「グ……ガ……ガ……」

 かすかに痙攣する魔物。

「……まだ、生きてる」

 事実を確認するように呟く。

 一瞬だけ迷う。

 だが、その迷いを振り払うように、オレンジ色の鎖を頭上へ掲げた。

「……っ!」

 振り下ろす。

 ゴキッ――。

 嫌な音が響き、二体の頭蓋が砕け散る。

 血が飛び散り、魔物たちは短く痙攣すると、足先から黒い塵へと変わっていった。

「……二匹」

 小さく数える。

 残った三体にも近づき、一体ずつ、確実に。

 鎖を振り下ろす。

 骨が砕ける音。

 肉を潰す感触。

 そして黒い塵。

 それを三度繰り返した。

 ──最後の一体が消滅した、その瞬間だった。

「……うっ」

 全身から一気に力が抜ける。

 膝が折れ、そのまま地面へ尻もちをついた。

「はぁ……はぁ……」

 胸が苦しい。

 手が震える。

 魔物の肉体は消える。

 だが、血だけは消えない。

 辺り一面に広がる赤黒い血溜まり。

 鼻を突く鉄臭さ。

 それは、この場で命が失われたという事実だけを、いつまでも残し続けていた。

 荒い息を整えながら、フェルギアは周囲を見渡す。

 この任務の前提階級は三級。

 三級ともなれば、それなりの危険任務のはずだ。

 それなのに――相手はあのゴブリンモドキ五体だけ。

「そんなわけ……ないよな」

 納得できない。

 むしろ、今までが静かすぎた。

「立た……ねぇと……」

 掠れた声で呟き、地面へ落ちた鎖をもう片方の手で握り直す。

 その瞬間だった。

 ――ドスン。

 重たい足音。

 塔の裏から、巨大な影がゆっくりと姿を現した。

「……っ」

 ゴブリンモドキより、一回り――いや、二回りは大きい巨体。

 肩には刃毀れだらけの大剣。

 頭部には十字架のように伸びた黒い角。

 四つの眼球が、それぞれ別々の方向へとぎょろりと動く。

 肌の色も、醜悪な顔立ちもゴブリンモドキと同じ。

 だが、その全身から放たれる威圧感だけは比べ物にならなかった。

「ゴ……ガガ……?」

 低く濁った声を漏らしながら、魔物は辺りへ視線を巡らせる。

 黒く染まった血溜まり。

 消え去った仲間の痕跡。

 そして、その中央に立つ白いパーカーの青年。

「……群れのリーダー」

 フェルギアは乾いた唇を舐める。

「ゴブリンロード……ってところか」

 四つの眼が、一斉にフェルギアを捉えた。

 仲間が全滅したことを理解したのだろう。

 巨体がゆっくりと震え――

「ゴグ……アアアアアアアアアッ!!」

 怒号にも似た咆哮が都市全体へ響き渡る。

 砕けたビルの窓ガラスがビリビリと震えた。

 次の瞬間。

 ドォン!!

 地面を踏み砕きながら、ゴブリンロードは大剣を引きずり、一直線にフェルギアへ襲い掛かった。

 「うぐっ……!」

 鉛のように重い身体を無理やり動かし、フェルギアは脚へ魔力を集中させる。

 ──跳べ。

 地面を強く蹴る。

 疲労のせいでイメージが曖昧になったことが、逆に幸いした。

 飛び退いた距離は、離れすぎず近すぎず。反撃にはちょうどいい間合いだった。

 視線を前へ戻す。

 そこには、フェルギアが立っていた場所へ大剣を叩きつけるゴブリンロードの姿。

 轟音と共に地面が砕け、土煙が舞い上がる。

「ゴグ……ギギィ……!」

 獲物を逃した苛立ちからか、魔物は低く唸り声を漏らした。

「もう……一度!」

 今度は失敗しない。

 イメージを、より鮮明に。

 魔力が腕へ流れ込む感覚を頭の中で何度も描き、全身へ染み渡らせる。

 ゴブリンロードは、大剣を振り下ろした直後。

 あの巨体では、すぐに次の動きへ移れない。

 ──今しかない。

 フェルギアは前傾姿勢になり、地面を蹴った。

 先ほどの暴走じみた速度には届かない。

 それでも十分すぎるほど速い。

 一瞬で魔物の懐へ潜り込む。

「ふんっ!!」

 長く伸びた鎖が、ゴブリンロードの腹へ叩きつけられる。

 鈍い衝撃音。

 しかし、それだけでは終わらない。

 フェルギアは腹へ当たった鎖を軸に、腕へ込めた魔力を一気に解き放つ。

「ぶっ……飛べぇぇぇぇッ!!」

 鎖が唸りを上げ、斜め上へと跳ね上がった。

 次の瞬間。

 ゴブリンロードの巨体は地面から弾き飛ばされ、まるで投げ捨てられた人形のように空高く舞い上がる。

「うがっ……!」

 フェルギアは勢い余って身体を反らし、そのまま仰向けに地面へ倒れ込んだ。

 受け身の取り方など知らない。

 背中に鈍い衝撃が走るが、今さらそんな痛みを気にする余裕はなかった。

 数秒後――。

 ドォンッ、と重々しい音が響く。

 吹き飛ばされたゴブリンロードが地面へ叩きつけられ、その巨体は骨と肉を砕きながら、無残な肉塊へと変わった。

 やがて足先から黒い塵となり、風に溶けるように消えていく。

「これで……任務、達成……か」

 初めての任務。

 しかも大きな怪我ひとつ負わずに終えることができた。

 本来なら飛び上がって喜ぶような結果なのだろう。

 だが、胸に広がっていたのは達成感ではなかった。

 どこまでも重く沈む、鉛のような疲労感。

 身体ではない。

 心が、限界だった。

「……帰る、か」

 身体はまだ動く。

 休養所まで歩くくらいなら問題ない。

 ゆっくりと立ち上がり、フェルギアは集落の方角へ視線を向ける。

「……アステラ」

 その名前を口にしただけで、胸が締めつけられた。

 自分を忘れてしまった彼女。

 仮面で素顔を隠し、まるで別人のような冷たい瞳。

 あの言葉。

『お前など知らん』

 耳の奥で何度も繰り返される。

 心配じゃないと言えば、嘘になる。

 どうして記憶を失ったのか。

 なぜ仮面をつけているのか。

 聞きたいことは山ほどあった。

 けれど――。

(……いいか)

 フェルギアは小さく目を閉じる。

(あいつは……生きてるんだから)

 それだけで十分だ。

 そう、自分に言い聞かせるように呟きながら、フェルギアはゆっくりと歩き始めた。

 ───「一応……な」

 ラートにだけは、ちゃんと別れを告げておきたかった。

 何も言わず姿を消せば、あのお人好しなおじさんはきっと心配する。

 そう思い、フェルギアは集落の中央へと足を向けた。

 ──その時だった。

「だ、だから違うんだべ! フェルギアは戻ってくるだべ!」

 聞き覚えのある必死な声。

 思わず足が止まる。

 視線の先では、小柄なラートが必死の形相で両手を振り、青髪の女性へ何度も頭を下げていた。

「お前が言ったんだろう。あいつは不審者ではないと」

 冷え切った声。

 感情の一切ないその声は、フェルギアの心臓を嫌というほど締めつける。

「それは、お前の命で保証されたことだ」

「そ、そうだべ! だから急がなくていいべ! あいつはちゃんと戻って──」

「……ラート……」

 フェルギアの指先がぴくりと震えた。

 嫌な予感が、全身を駆け巡る。

 頬を伝った一筋の汗が、顎から地面へ落ちる。

 その瞬間だった。

 フェルギアは地面を蹴った。

「急ぐな、だと?」

 アステラは冷たく言い放つ。

「何時間経ったと思っている。それに──」

 腰の鞘へ静かに手を添えた。

「どちらにせよ、お前のような穀潰しなど、もういらん」

 シャリン――。

 乾いた音を立て、剣身が鞘から抜き放たれる。

「やめろおおおおおおお!!」

 フェルギアの絶叫が集落中へ響き渡る。

 右手からオレンジ色の鎖が弾けるように伸びた。

 だが。

 アステラは、その叫びに気づくことなく。

 ラートだけを見据えたまま。

 迷いなく、その剣を振り下ろした。

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