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神殺しの英雄  作者: トネヌ
第四章 『孤独の英雄』
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第四十八話 「一方的な愛」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 フェルギアは思わず立ち上がり、ラートへ詰め寄った。

「お、おいおい! 来ちゃだめだべ! 話ならあとで聞くだべ! 今は座ってるべきだべ!」

「座ってられるわけないでしょ! アステラは――!」

 思わず声を張り上げる。

 その一言が、まずかった。

「何事だ!」

 鋭く張り詰めた声が家の外から響く。

 同時に、一人分の足音が真っ直ぐこちらへ近づいてきた。

「あぁもう……何やってるんだべか!」

 ラートが慌てて頭を抱える。

 だが、その叱責はフェルギアの耳には入らなかった。

(今の……声は……)

 聞き覚えがある。

 忘れようとしても忘れられない、あの日まで毎日のように聞いていた声。

 鼓動が一気に速くなる。

 ドクン。

 ドクン。

 胸の奥で心臓だけがやけに大きく鳴り響いた。

 次の瞬間――

 ガァンッ、と鉄の扉が勢いよく開かれた。

「あっ……」

「……っ」

 ラートとフェルギアの声が重なる。

「ち、違うんだべ! これは、その……事情があるんだべ!」

 ラートは慌てて扉の前へ飛び出し、必死に弁解を始める。

 しかし、フェルギアは動かなかった。

 いや――動けなかった。

 視界に映った、その姿から目を離せなかった。

 腰まで届く、透き通るような青い髪。

 白の仮面が目元を覆い隠していてもなお分かる、整った顔立ち。

 忘れるはずがない。

 忘れられるはずがない。

 あの日隣で笑っていた、大切な人。

「…………アステラ」

 震える声で、その名前を呼ぶ。

 目の前に立っていたのは――

 間違いなく、アステラ本人だった。

 白い仮面は、目元から額までを覆っていた。

 長い青髪はその上からさらりと流れ落ち、腰まで届いている。

 その姿を見た瞬間、フェルギアの心臓が止まりかけた。

「……アステラ……!」

 名前を呼ぶと同時に、体が勝手に動いていた。

 震える脚も、乱れる呼吸も、そんなものはどうでもよかった。

 一歩、また一歩と彼女へ近づく。

「俺だよ……! お前……あの時、死んだのにさ……!」

 掠れた声。

 必死に言葉を繋ぐ。

「なぁ……アステラなんだろ……? なんで……そんな……黙ってるんだよ……」

 声も。

 立ち姿も。

 髪も。

 空気さえも、あの日の彼女と何一つ変わらない。

 違うのは、その服装と――仮面だけだった。

 しばらくの沈黙。

 そして、仮面の奥から返ってきたのは、あまりにも冷たい一言だった。

「……お前など知らん」

 感情の欠片もない声音。

 その言葉は刃となって、フェルギアの胸を深く貫いた。

「……え……?」

 力が抜ける。

 膝が崩れ落ち、石畳へと音を立ててついた。

 頬を伝う涙だけが、止まらなかった。

「嘘……嘘だよな……? だって……あの時……」

 震える唇で、必死に言葉を紡ぐ。

「好きだって……一目惚れだって……言ってくれたじゃないか……」

 しかし、返ってきたのはさらに冷え切った声だった。

「ふざけたことを抜かすな。……刺し殺されたいのか」

「な……なんで……」

 理解できなかった。

 目の前にいるのは間違いなくアステラなのに。

「ち、違うんだべ!」

 慌ててラートが二人の間へ割って入る。

「この男は迷子になっていただけだべ! おらが匿っただけだべ! 不審者じゃねぇ! おらの命で保証するだべ!」

 アステラはラートへ視線だけを向ける。

「……そうか」

 短く答えたあと、再びフェルギアへと視線を戻した。

「だが、万が一この男が不審な行動を取った場合――」

 静かな声。

 だからこそ、その言葉は恐ろしかった。

「お前も、この男も……二人まとめて処刑する」

 空気が凍りつく。

 フェルギアは何も言い返せなかった。

 胸の奥では、「違う」と叫ぶ声だけが響いている。

 それでも目の前の彼女は、一度もフェルギアの名前を呼ぶことはなかった。

 アステラはそれ以上何も言わなかった。

 くるりと背を向けると、開け放たれた扉をそのままに、調査隊と思われる者たちのもとへ歩いていく。

 その後ろ姿が小さくなっていく。

 フェルギアは、ただ見送ることしかできなかった。

「ふ……ふぅ……」

 ラートは大きく息を吐き、額に浮かんだ汗を腕で乱暴に拭う。

「おまいさん、ほんと命知らずだべねぇ……。おらがいなけりゃ、とっくに刺し殺されてただべよ……?」

 ぼやきながら慎重に鉄の扉を閉め、ガチャリと鍵をかける。

 ようやく安心したのか、その場へへたり込んだ。

「なんで……」

 ぽつりと漏れた声。

「なんで……」

 同じ言葉しか出てこない。

「ほら、いつまで落ち込んでるだべか」

 ラートは立ち上がると、フェルギアのパーカーの後ろ襟をひょいと掴み、そのまま部屋の中央まで引きずっていく。

「可愛い子に『刺し殺す』なんて言われたらショックなのは分かるべ。でも、そこまで落ち込まれたら、おらも困るだべ」

「……」

 返事はない。

 フェルギアの思考は、あの日で止まったままだった。

 あの日――。

 『先輩に一目惚れしてたの……気づいてましたか……?』

 そう言ってくれた人。

 自分を庇い、命を落とした人。

 そして、自分が人生で初めて一目惚れした人。

 やっと。

 本当に、やっと再会できたというのに。

 彼女の瞳には、自分という存在は最初から映っていなかった。

 胸が締めつけられる。

 息を吸うたびに、心臓が痛む。

「んだ」

 ラートはフェルギアの横へ腰を下ろし、不思議そうに首を傾げた。

「アステラの名前も知ってただべし……おまいさん、あの子の知り合いだっただべか?」

「知り合い……なんて……ものじゃ……」

 震えた声が喉から漏れる。

 必死に堪えようとした涙は、それでも目尻へと滲み、今にも零れ落ちそうになっていた。

「んだ……おらにはよく分かんねぇけど……きっと、忘れられちまったんだな」

 その何気ない一言。

 あまりにも直接的なその言葉が、フェルギアの心を完全に砕いた。

「忘れ……て……」

 唇が震える。

「なんで……だよ……」

 声にならない。

 胸が苦しくて、息ができない。

「俺は……ちゃんと……覚えて……るのに……」

 ぽたり、と涙が床へ落ちた。

 一粒で終わらなかった。

 次から次へと溢れ出し、止めようとしても止まらない。

 フェルギアは膝を抱き寄せ、その中へ顔を埋めた。

「……っ、ぅ……ぁ……」

 堪えきれなかった嗚咽が、小さな部屋に響く。

「んだぁ……」

 ラートは困ったように頭を掻き、申し訳なさそうに目を伏せた。

「おら、まずいこと言っちまったようだべねぇ……」

 そう呟くと、そっとフェルギアの背中へ手を添え、子どもをあやすようにゆっくりと撫でる。

「……すまねぇだべね」

 会ってまだ一時間も経っていない相手。

 そんな相手に、自分勝手な理由で謝らせてしまった。

 謝るべきなのは、自分のほうかもしれない。

 そう思っても――。

 今のフェルギアには、謝罪の言葉を返す余裕すら残っていなかった。

 ただ、胸が張り裂けそうなほど痛かった。

 彼女は生きていた。

 それだけで十分だったはずなのに。

 再会した彼女は、自分のことを何一つ覚えていなかった。

 ──アステラはラートの家から視線を外し、ゆっくりと歩き出した。

「……どうかしたのですか、アステラ殿」

 隣を歩く、同じ白の仮面を着けた男が、不思議そうに問いかける。

 アステラは足を止めず、小さく呟いた。

「……あの男」

 顎へ手を添え、何かを思い出そうとするように目を細める。

「あやつは奇妙な格好をしておりました。仰せとあらば、私が始末いたしましょう」

「……いや」

 即答だった。

「あいつは生かしておく」

 男は目を丸くする。

「……なぜです? 白髪に、白いパーカーですよ? どう見ても普通ではありません」

「それを言うなら、私も青髪に奇妙な格好だろう」

「うぐっ……」

 言い返せず、男は口を閉ざした。

 アステラは静かに息を吐く。

 自分でも理由は分からない。

 ただ――。

「あいつを殺したら、後悔が残る気がするのでな」

 胸の奥が、わずかに痛んだ。

 理由は思い出せない。

 会ったことがあるのかも分からない。

 それでも、剣を向けてはいけない相手だと、本能が訴えていた。

「……承知しました」

 男は深く頭を下げる。

 アステラは周囲を見渡し、一歩前へ出た。

「総員、解散!」

 凛とした声が集落中へ響く。

 その号令と同時に、調査隊の面々は一斉に動き出し、それぞれの家へと散っていった。

 やがて辺りは静寂に包まれる。

「……」

 それでもアステラだけは動かなかった。

 ラートの家を、じっと見つめ続ける。

 閉ざされた鉄の扉。

 その向こうにいる白髪の青年の姿が、何度も脳裏をよぎる。

「……誰だったんだ、お前は」

 答えは返ってこない。

 それでも胸の奥に残った小さな違和感だけは、いつまでも消えることはなかった。

 ──その日の夜。

 狭い鉄造りの家には、静かな空気だけが流れていた。

「なぁ……そろそろ立ち直ってくれねぇべか?」

 ベッドへ寝転がったラートが、大きな欠伸をしながらぼやく。

「おらも、ずっと落ち込んでる男の近くにいるのは、気が滅入るだべ」

「……すみません」

 壁にもたれたまま膝を抱えるフェルギアは、小さく頭を下げた。

「でも……しばらくは……このままで、いさせてください……」

 掠れた声。

 昼間からほとんど変わらない様子だった。

「……」

 ラートは困ったように鼻を掻く。

「そもそも、おまいさんは何しにここへ来たんだべか」

 その問いに、返事はない。

 フェルギアは俯いたまま微動だにしなかった。

「……おらも、お人好しだべねぇ」

 呆れたように肩をすくめ、もう一度大きな欠伸を漏らす。

「おらはもう寝るだべ。悪いけど、おまいさんは地面で寝てくれだべ」

 そう言って毛布を頭まで被ると、ラートは数秒もしないうちに規則正しい寝息を立て始めた。

 部屋には、静かな寝息だけが響く。

 フェルギアは窓の隙間から差し込む月明かりをぼんやりと見つめていた。

 涙はもう止まっていた。

 けれど胸の痛みだけは、少しも消えていない。

「……アステラ」

 掠れた声が、静かな部屋へ溶けていく。

「……なんで……」

 その小さな呟きに答える者は、誰もいなかった。

 夜だけが、静かに更けていった。

 ──翌朝。

「……お世話になりました」

 まだ寝息を立てているラートへ、小さく頭を下げる。

 返事はない。

 それでもフェルギアは、静かに鉄の扉を開いた。

 朝の冷たい空気が頬を撫でる。

 昨日と変わらない、朽ちた集落。

 ……そう思った。

 だが、中央で燃え続けていた大きな焚き火だけは、すでに灰となり、白い煙を細く空へと昇らせていた。

「……あ」

 無意識に、あの名前が喉まで込み上げる。

 ――アステラ。

 だが、声にはしなかった。

 呼んだところで、もう意味はない。

 彼女は昨日、確かに言った。

『お前など知らん』

 その一言だけで十分だった。

 胸の奥が、また鈍く痛む。

「……任務、行くか」

 無理やり気持ちを切り替えるように呟く。

 任務ファイルには書かれていた。

 長期任務を除き、期限は三日。

 それまでに報告がなければ失敗扱い。

 さらに本人まで戻らなければ、行方不明。

 今はまだ朝。

 任務を受けてから二十四時間すら経っていない。

 焦る必要はない。

「場所は……」

 転送装置があった方角を思い浮かべる。

 そして、その反対側へ視線を向けた。

「あっち……だな」

 フェルギアは一度だけ集落を振り返る。

 青い髪の少女の姿は、どこにもなかった。

 それでも心のどこかで、もう一度だけ会えるんじゃないかと期待してしまう自分がいる。

 その期待を振り払うように拳を握り締めると、フェルギアはゆっくりと歩き出した。

 朽ちた街の奥へ。

 与えられた任務を果たすために。

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