第四十七話 「仮面の少女」
「ぴゅっ、ぴゅぴゅっ……ぴゅ〜」
壊滅的に下手な口笛だけが、静まり返った街に響く。
崩れた道路を歩き続けて数分。
フェルギアは辺りを見回しながら首を傾げた。
「……魔物、全然いないな」
初任務だから警戒していたというのに、姿どころか気配すらない。
「いや……数分歩いただけで着くなら、世界中どこでも転送装置だらけになっちゃうか」
自分で言って、自分で納得する。
文句を言うのはやめよう。
そう思った、その時だった。
「……ん?」
視界の先に、小さな集落らしきものが見えた。
鉄板や廃材を無理やり組み合わせて作ったような家々。
煙突代わりのパイプからは白い煙が立ち昇り、焚き火の匂いまで風に乗って届いてくる。
「あれが……魔物の拠点?」
首を傾げる。
どう見ても、人間が暮らしている集落にしか見えない。
「うーん……やっぱり、一度文明が滅んでから生き残った人たちが暮らしてるのか?」
世界全体が衰退してしまったような、そんな空気が漂っていた。
とはいえ、任務内容は『魔物拠点の討伐』だ。
見た目だけで油断するわけにはいかない。
「……一応、警戒しておくか」
フェルギアは右手を軽く開く。
瞬間、橙色に輝く鎖が音もなく現れ、腕へ絡みついた。
そのまま周囲を警戒しながら、ゆっくりと集落へ歩み寄っていった。
フェルギアは物音を立てないよう足を運び、一軒の家の裏へと身を潜めた。
改めて見回してみると、集落は思っていた以上に小さい。
家の数は十軒にも満たず、中央の広場までならここからでも十分見渡せた。
「えっと……キャンプファイヤー……?」
思わず首を傾げる。
広場の中央には、どこから集めてきたのか分からない丸太が円錐状に積み上げられ、大きな焚き火が燃えていた。
白い煙が空へと立ち昇る。
どうやら、さっき遠くから見えた煙はこれだったらしい。
(魔物って……火を扱えるほど知能あったっけ)
フェルギアは顎に手を当てて考える。
(いや……少なくとも俺は聞いたことない。じゃあ、やっぱり人間の集落……なのか?)
念のため、右手に絡みつく橙色の鎖を確認する。
いつでも戦える。
そう自分に言い聞かせてから、警戒を解かないまま広場へと歩き出した。
「……誰か〜」
勇気を振り絞って声を出す。
「いませんか〜?」
自分では大声を出したつもりだった。
だが実際は、少し離れれば掻き消えてしまいそうなほど頼りない声だった。
人見知りにとって、初対面しかいない場所で大声を出すというのは、それだけで命懸けなのである。
(もしこれで魔物の拠点だったら……笑い者だなぁ……)
笑えそうで、全然笑えない。
そんなことを考えていた、その時だった。
「んだ〜? 人がいるべ」
突然、背後から聞き慣れない訛りの声が響いた。
「っ!」
反射的に振り返り、橙色の鎖を構える。
そこには、質素な服を着た一人の男が立っていた。
男はフェルギアの警戒心むき出しの姿を見ても慌てる様子はなく、首を傾げる。
「んだ、なんでそんな警戒してるんだべ?」
「……あ、いや。すみません」
相手が人間だと分かった途端、フェルギアは慌てて橙色の鎖を消した。
男はその様子を見て、へぇ、と感心したように頷く。
「お〜、それが転生者の特典ってやつだべか?」
「と、特典……?」
フェルギアは眉をひそめる。
「そんな……ゲームみたいな言い方されても……」
「ゲーム、かぁ……懐かしい響きだべ」
男はどこか遠くを見るように目を細めた。
「え……知ってるんですか?」
「んだ。おらも現代人だべね」
「……え?」
一瞬、思考が止まる。
(いや……そんな喋り方の現代人いるのか?)
どう見ても山奥で畑を耕していそうな訛りだ。
少なくとも、フェルギアの知る現代人とはまるで一致しない。
男はそんなフェルギアの心境など気にも留めず、のんびりと踵を返した。
「まぁまぁ。そろそろ調査隊が帰ってくるだべ。早く家さ行がねぇと刺されるだべよ」
「急に怖いこと言うのやめてもらえます?」
「事実だべ」
男は悪びれる様子もなく答えると、一軒の家を指でくいっと示した。
「ほら、行くだべ」
そのままスタスタと歩き始める。
「……そこは、本当に大丈夫なんですよね?」
恐る恐る尋ねると、男は振り返りもせず肩をすくめた。
「信じられねぇなら、そのまま逃げればいいだけだべ」
「…………」
背中を向けたまま歩き続ける男。
怪しい。
正直、かなり怪しい。
それでも――。
(……今は、この人を信じるしかないか)
フェルギアは小さく息を吐くと、警戒だけは解かずに男の後を追いかけた。
──家の中は、外から見た印象よりもずっと広かった。
鉄板を無理やり組み合わせて作られた家だからか、ところどころに隙間があり、そこから柔らかな陽光が差し込んでいる。
多少息苦しさはあるものの、五人ほどなら十分に生活できそうな広さだった。
室内には木製の机と、簡素なベッドが一つ。
だが椅子だけは見当たらない。
どうやら、この集落では地面に座って生活するのが普通らしい。
「ふぃ〜」
気の抜けた声を漏らしながら、男はベッドへどかりと腰を下ろした。
その姿を見届けると、フェルギアは軽く頭を下げる。
「えっと……自己紹介が遅れました。フェルギア・バーンライトです」
「んだ。おらはラートだ。ラート・メルトハイン」
「じゃあ……ラートさん」
「さんはいらねぇ」
ラートは即座に首を横へ振った。
「おら達は、もう友達だべ」
「えぇ……?」
知り合ってまだ数分も経っていない。
友達認定があまりにも早すぎる。
「じゃ、じゃあ……ラー、ト」
「んだんだ」
満足そうに何度も頷くラート。
改めて見れば、小柄な体格に濃い髭。
日に焼けた顔にはニキビ跡がいくつも残っており、美容という言葉とは縁遠そうな風貌だった。
だが、その人懐っこい笑顔だけは妙に親近感がある。
「んだ、フェルギア……だべね」
「あ、はい。なんでしょう?」
ラートは興味深そうにフェルギアを見つめる。
「あんた、転生者の特典を知らないだべか?」
「あっはは……お恥ずかしながら」
フェルギアは困ったように頬をかき、小さく苦笑した。
「俺、転生者って言われても、まだよく分かってなくて……」
「んだ〜。転生者っつぅのは、いくつか特典が貰えるんだべね」
「ほう」
「その一つがおまいさんの使ってた鎖の能力だべ」
「ほうほう」
ラートは指を一本立て、思い出すように天井を見上げる。
「他には〜……不老になったり、前世の記憶を持ってたりするだべ」
「……ちょっと待ってください」
「なんだべか?」
フェルギアは思わず手を上げた。
「不老になるんですか?」
「そうだべ」
「じゃ、じゃあ……死なないんですか?」
「寿命じゃ死なねぇってだけだべ。誰かに殺されりゃ普通に死ぬだべよ」
「そ、そうですか……」
フェルギアは胸を撫で下ろした。
「なんか……安心しました」
「まぁ〜、一生死ねねぇっつうのは、おらも嫌だべねぇ〜」
ラートは肩をすくめ、豪快に笑う。
その笑いにつられてフェルギアも小さく笑った。
「……あれ?」
ふと違和感を覚え、首を傾げる。
「ラートも、その言い方だと転生者なんですか?」
「んだ? 違うべよ」
ラートは笑いながら両手をひらひらと振った。
「おらは転生者じゃねぇべ」
「え、そうなんですか?」
「能力が使えるっつうのが羨ましいだけだべ」
「まぁ……確かに」
言われてみれば、その通りだった。
鎖を自在に操り、魔物と戦う。
そんな力を持っている人間なんて、前世ならゲームやアニメのキャラでしか見たことがない。
(……あれ?)
ふと、一つの考えが頭をよぎる。
(もしかして俺……結構主人公っぽい?)
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ高鳴った。
その時だった。
ドタドタと、大勢の足音が外から近づいてくる。
複数人が歩く音は徐々に大きくなり、静かだった集落に活気が戻ってきた。
「んだ、調査隊が帰ってきただべね」
ラートはそう呟くと、すっと立ち上がり、壁の隙間から外を覗き込んだ。
「えっと……」
フェルギアも気になって立ち上がる。
だが、一歩踏み出したところでラートが手を前に出し、制した。
「おまいさんは見ちゃだめだべ」
「……なぜですか?」
「調査隊のやつらは目がいいべ。隙間から覗いてたら気付かれるかもしれねぇべ」
(なんか、さっきから怖いことしか言わないんだけど……)
この集落、本当に人間が住む場所なのだろうか。
今さらながら、素直に逃げておけばよかったのではないかという後悔が、フェルギアの胸にじわじわと積もっていく。
「んだ〜……相変わらず綺麗だべぇ」
ラートは壁の隙間を覗いたまま、頬を緩ませた。
にへへ、と締まりのない笑みまで浮かべている。
「綺麗……とは?」
「んだ。最近、新しい子が調査隊に入ったんだべ」
途端にラートの声が一段高くなる。
「その子がもう、すげぇ〜かわいいんだべ!」
興奮気味に拳を握るラート。
さっきまでの警戒心はどこへやら、完全に一人の恋するおじさんだった。
「へ……へぇ〜」
フェルギアは苦笑いを浮かべるしかなかった。
(……この人、思ったより平和な人なのかもしれない)
「仮面をつけているのが、もったいないだべ」
「仮面?」
「そうだべ。調査隊に入った子は、み〜んな仮面をつけるんだべ。それに、一度つけたら死ぬまで外さないって決まりなんだべよ」
「……なんというか、恐ろしいですね」
フェルギアは思わず顔をしかめた。
死ぬまで素顔を隠す。
そんな規則が、本当に存在するのだろうか。
「おらも最初はそう思ったべ。でも、あいつらは毎回ちゃんと結果を残して帰ってくるだべ。だから文句も言えねぇべなぁ」
ラートは肩をすくめ、大きくため息をつく。
だが、その表情はすぐに緩んだ。
「あ〜……でも、あの子はやっぱ可愛いべ」
頬をぽりぽりとかきながら照れ笑いを浮かべる。
「綺麗な青髪なんだべ」
「青髪……」
その一言で、フェルギアの思考が止まった。
脳裏に浮かぶのは、一人の少女。
腰まで届く長い青髪。
自分より少しだけ低い背丈。
いつも誰かを安心させるように微笑んでいた、その背中。
あの日、最後に見たままの姿が、鮮明によみがえる。
「……アステラ」
気づけば、その名前を口にしていた。
「んだ?」
ラートが不思議そうに振り返る。
「なんで、おまいさん……あの子の名前を知ってるだべか?」
「…………は?」
フェルギアの思考が、完全に止まった。




