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神殺しの英雄  作者: トネヌ
第三章 『たった一人の英雄』
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第四十三話 「ボクの英雄」

ゴキッ。

静まり返った地下通路に、嫌な骨の折れる音が響いた。

続いて。

ドサッ。

何かが床へ落ちる音。

「がっ……ぁ……」

呼吸がうまくできない。

全身に力が入らない。

指一本すら動かせなかった。

(……今なら)

フォマルスはルクシスを殺せる。

なのに、とどめを刺さない。

(やっぱり……)

最初から。

俺を殺す気なんてない。

「ヒ……はは……」

薄気味悪い笑い声。

フォマルスがルクシスの頭を踏みつける。

靴底が髪を擦る感触だけが伝わる。

そのまま数歩。

コツ……コツ……。

扉の前まで歩き、

金属製のドアノブへ手を伸ばす音がした。

止めなきゃいけない。

叫ばなきゃいけない。

なのに。

喉は震えるだけで、一言も出ない。

(……結局)

瞼を閉じることすらできず、天井を見つめる。

(誰も守れねぇのな……俺)

諦めにも似た言葉が、心の中へ沈んでいく。

涙が流れているのか。

血が流れているのか。

もう、それすら分からなかった。

――その時。

ザシュッ。

肉を貫く、生々しい音。

フォマルスの動きが止まる。

「……?」

ゆっくりと、ドアノブから手が離れた。

一歩。

また一歩。

後退したフォマルスの足が、倒れたルクシスの身体を踏みつける。

その衝撃で、背中へ温かいものが伝う。

「……ぁ……」

ルクシスは震える視線だけを動かした。

背後の扉。

そのわずかな隙間から――

一本の剣が突き出ていた。

刃は大きく欠け、

赤黒い血が、先端からぽたり、ぽたりと滴っている。

剣がゆっくりと引き抜かれる。

同時に、扉が軋む音を立てながら開いた。

その隙間から現れたのは――

「はぁ……はぁ……」

肩で息をし、全身に汗を滲ませたセインだった。

「……」

ルクシスの息が詰まる。

どんな顔を向ければいいのか、分からなかった。

助けると啖呵を切った。

絶対守ると胸を張った。

なのに結局、守られたのは自分だった。

その上、自分はもう誰も守れないと諦めてしまった。

そんな人間が、今さら何を言えばいい。

(情けねぇな……ほんと)

ルクシスはゆっくりと視線を落とす。

血の滲む石畳だけが目に映った。

「……立ってよ」

掠れた声。

震えながらも、まっすぐ届く声だった。

「助けるんでしょ……?」

その一言が、

心臓を貫いた。

『立ってください』

優しい声。

懐かしくて、胸が締め付けられる声。

脳の奥底に沈んでいた記憶が、ゆっくりと浮かび上がる。

『私を助けるって言ったのは、師匠なんですから』

顔は思い出せない。

どんな笑顔だったのかも。

髪の色も。

瞳の色も。

何一つ思い出せない。

それでも、その声だけは。

何年経っても。

決して消えることはなかった。

そして同時に思い出す。

あの少女は――

ルクシスが守ると誓い、

守れなかった人間だった。

『また、守れなかったな』

低く、冷たい声。

忘れもしない。

ルクシスが、この世で最も嫌った男の声だった。

『お前は結局、誰も救えねぇのな』

煽るような言葉。

だが、その声色に嘲笑はない。

ただ事実だけを突きつけ、

心の底から落胆したような響き。

『つまらねぇよ、ルクシス・サーベンダー』

ザシュッ。

肉を貫く音。

そこで記憶は途切れた。

「――ぐっ!」

現実へ引き戻される。

肺が悲鳴を上げる。

全身が軋む。

それでも。

「あああああああああっ!!」

ルクシスは無理やり身体を捻る。

フォマルスの体勢が崩れた。

「ナッ……!」

反射的に距離を取るフォマルス。

その一歩すら与えない。

「あああああああああ!!」

ルクシスは立ち上がる勢いのままフォマルスの顔を鷲掴みにした。

そのまま全力で壁へ叩きつける。

ドゴォン!!

石壁が砕ける。

だが止まらない。

地面を蹴り、フォマルスの顔を壁へ押し付けたまま突進する。

ガガガガガガッ!!

壁が削れ、

火花と石片が四方へ飛び散る。

そして正面に次の壁が迫る。

ルクシスはフォマルスの頭を思い切り前へ押し出した。

バゴォォォォン!!

轟音。

壁が崩壊し、地下全体が大きく揺れる。

瓦礫が降り注ぐ。

ルクシスは振り返り、喉が裂けるほど叫んだ。

「全員、外へ逃げろ!!」

その声に真っ先に反応したのはセインだった。

「みんな、早く!」

遅れてメイドたちも我に返る。

慌てて近くの部屋へ駆け込み、

ヴェルデンスと褐色ギャルを支えながら地下の出口へ向かって走り出した。

「殺ス!!」

フォマルスがヴェルデンスたちを追おうと体を起こす。

だが。

「行かせるかよ!」

ルクシスはフォマルスの首を鷲掴みにし、そのままヴェルデンスたちとは反対側の壁へ叩きつけた。

ドゴォン!!

石壁が砕け、粉塵が舞う。

(剣は……!)

扉の前に置いたままだ。

拾いに行く時間など、もうない。

「邪魔ダ!!」

フォマルスの爪が一直線に伸びる。

「変わんねぇな、お前は!!」

ルクシスは空いている腕でその片腕を掴む。

力任せに押さえ込む。

だが。

もう片方の腕が、ゆっくりと持ち上がった。

「っ……!」

避けられない。

ズブッ。

鋭い爪がルクシスの腹を深々と貫く。

「がぁっ……!」

口から鮮血が溢れ、石床を赤く染める。

全身から力が抜けていく。

それでも。

掴んだ首だけは、決して離さない。

「ルクシス!」

背後からセインの叫びが聞こえた。

(……まだいたのか)

苦笑したくなる。

優しい子だ。

だからきっと。

こんな状況でも、自分だけ逃げることなんてできない。

「死んでほしくねぇなら……逃げろ!!」

叫ぶ。

その反動で腹から血が噴き出し、喉からも赤い雫が飛び散った。

指先の感覚が薄れていく。

視界も暗い。

(限…界が……)

その時だった。

「や……やめろおおおおお!!」

悲鳴にも似たセインの叫び。

次の瞬間。

ザシュッ!!

空気を裂く音。

ボロボロに欠けた一本の剣が、ルクシスの脇を掠めて飛んでいく。

そのまま真っ直ぐ。

フォマルスの顔面へ突き刺さった。

フォマルスの頭が大きく仰け反る。

ルクシスは無意識に、フォマルスの首を掴んでいた手を離した。

「っ……馬鹿野郎!」

思わず怒鳴る。

「そんなのお互い様でしょ!」

セインも叫び返す。

そのままルクシスの手を強く掴み、無理やり引っ張った。

「行くよ!」

二人は階段を駆け上がる。

ドタドタドタドタッ!

石段を蹴る音が響く。

地下の奥からは崩落音。

上では避難する人々の足音が絶え間なく鳴り続けていた。

城全体が悲鳴を上げている。

それでも二人は止まらない。

出口だけを見つめて走る。

「もうっ……少し……!」

安堵と焦燥が入り混じったセインの声。

あと数歩。

あと数歩で外へ出られる。

――その瞬間だった。

大きな影が、二人の頭上を横切る。

「!」

影は出口の前へ着地し、

ゆっくりと人の形を作っていく。

褐色の肌。

長い黒髪。

赤い瞳。

「もうかよ……!」

ルクシスは反射的に腰へ手を伸ばした。

剣を抜こうとして――

「あっ……」

止まる。

ない。

黄金の剣も。

漆黒の剣も。

(詠唱してる時間もねぇ……。)

(剣を拾いに戻る時間なんて、もっとねぇ……!)

完全な詰み。

「ルク……シス」

隣でセインが小さく呟く。

その声だけで分かった。

同じ結論に辿り着いたのだと。

ルクシスは静かに息を吐く。

そして何も言わず、

セインの肩へ手を添え、自分の後ろへ押した。

「……ルクシス?」

「悪かった」

前だけを見たまま、小さく笑う。

「助けるって言ったくせにさ」

一度言葉を区切る。

自嘲するように口角を上げた。

「あんなダサい負け方しちまって」

「……」

セインは何も答えない。

答えられなかった。

その背中が、

いつもよりずっと大きく見えたから。

「でも……いや、だから、今度は必ず助ける」

「む、無理だよ……! 剣も魔法も使えないのに、勝てるわけないじゃんか! ボクよりルクシスの方が、ずっと逃げられる可能性が高いんだから……ルクシスだけでも逃げてよ!」

「そうかよ……」

ルクシスは小さく笑った。

「でも俺は、お前が死んで、俺だけ生き残る未来が一番嫌なんだよ」

「そんなこと……ボクは……」

「お前は優しい奴だよ」

その一言に、セインの肩が震える。

「だから、死んでほしくないんだ」

「優しい……なんて……ボクには……似合わない……」

声が震える。

今にも崩れ落ちそうなほど弱々しい声だった。

「ルクシス……ずっと……ずっと言ってなかったけど……」

息を詰まらせる。

「ボクは……忌み子なんだ……」

ルクシスは黙って聞く。

「目の色が……魔物の色で……ボクは……人間じゃないって……」

その声に積み重なった苦しみは、今この場で理解しきれるものではない。

幼い頃から背負い続けた傷なのだろう。

だからルクシスは、過去には触れなかった。

「セイン」

そっと後ろへ手を伸ばす。

震える頭へ、優しく手を乗せた。

「お前がどんな奴かなんて、俺はもう知ってる」

「……え?」

「血まみれで、どう見ても化け物みたいな見た目だった俺を、迷わず助けてくれた」

セインは黙ったまま聞いている。

「金が足りねぇ時だって、お前は何も言わずに金を足してくれた」

「そうやって……お前の優しさに助けられてばっかりで……」

ルクシスは一度息を吸い、ゆっくりと吐く。

「お前がどれだけ苦しんできたのかも……俺は何一つ気づけなかった」

静かにセインから一歩離れる。

「だから俺は、お前の痛みを全部分かるなんて言わねぇ」

それは嘘になる。

「でも――」

フォマルスを睨んだまま、言葉を続けた。

「お前がずっと孤独だったことだけは分かった。」

「……」

「誰にも手を差し伸べてもらえなかったんだろうなって、そう思った。」

背後でセインがどんな表情をしているのかは分からない。

振り返る余裕もない。

それでも。

「だから…俺が手を伸ばす」

迷いなく言い切る。

「どんな人間にだって、希望になってくれる誰かはいるんだよ」

ルクシスは口角を上げた。

「俺が、お前の希望になる」

その一言は、自分自身にも言い聞かせるようだった。

「今から俺は――」

拳を強く握る。

「お前の、たった一人の英雄だ!」

「……ボクの、英雄……」

風に消えそうなほど小さな声。

それでも確かに、その言葉はルクシスへ届いた。

ルクシスは笑う。

「俺は…お前の英雄は、ずっと一つのことだけを目指してきた」

拳を構える。

「全員生存の――完全勝利だ!」

地面を力いっぱい蹴る。

石畳が砕け、土煙が舞い上がる。

剣はない。

魔法も使えない。

それでも。

最後までルクシスの手元に残った武器が、一つだけあった。

――この身一つだ。

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